第18話「TELEPHONE(後編)」

俺が通話ボタンを押してすぐ、『彼』が電話に出た。
出たのが携帯の持ち主当人だとするならば、彼の名前は桐生 隆だったか。
『凛!凛なのか!?』
『よかった…やっと、出てくれた』携帯のスピーカーから聴こえるは安堵の声。
その言葉から以前にも、何度か同じ方法で隆が凛にコンタクトを試みたコトがあったらしい事。
そして、凛は電話に出ずその全てを拒絶した事。それらを察することが出来た。
まあ、想像できた事だが。少し彼に同情する。
『あ、といってもだな、別に出なかったことにどうこう思ってるわけじゃないぞ。俺達がした事、いや――』
『《しなかった事》を考えれば、お前の反応は当たり前だからな』
『いや、でもお前が電話に出てくれて、本当に、純粋に、嬉しいんだ。俺は』
慌てた様に口早にしゃべる隆。
(基本的に、善人なのだろうな)お人よしと言って良い。
最も、同じ『良い奴』でも文とは真反対のベクトルではあるが。
だからこそ、その期待をぶち壊すのは、少々気が引ける。
だが、言わねばならぬ。
彼が言葉を投げかけているのは、投げかけるべきなのは。
俺の隣にいる、草薙 凛と言う1人の少女なのだから。

「あー…喜んでる所、申し訳ないのだが…電話をかけたのは俺だ」
『…誰、だ?…なんで凛の携帯に…』訝しげな声。当然だ。
親しかった少女からの久しぶりの電話。
かと思えば聞こえてくるは見知らぬ男の声だったのだから。
「ふむ。だが相手の名前を聞くときはまず自分から名乗るのが筋ではないか?」
『…隆。桐生 隆だ』
「知っている」アドレス帳を見て電話しているのだから当たり前だ。
『…………………………で、アンタは?』長い沈黙の後、問う声。
「む?確かに俺は『相手の名前を聞くときはまず自分から名乗るのが筋ではないか?』とは言ったな」
「だが、自分が名乗るとは一言も口にしてはいないのだがな?」
『……………………………………………………』さらにさらに長い沈黙。
実はこの一連の流れ、文が初対面の(良い印象を抱かなかった)相手によくやるやり取りなのだが…
(…中々面白いものだな)実に、爽快。なんて、痛快。
ちら、と隣を見ると凛が、『何をしてるんですか…』と言わんばかりの呆れ顔。さすがに少しやりすぎたか。
「気を悪くしたのは謝ろう。だが、その、なんだ」
「凛が『こうなった』原因の1つでもあるお前に、俺が多少意地悪をしてみたくなる気持ちも、分かってくれるか?」
手前勝手な言い草だと言う自覚はあったが、かといって韜晦するつもりなど微塵も無かった。
『…で、アンタは誰なんだ?というか、凛の何なんだ?』
納得したのか、話を再開する隆。
「ふむ、保護者気取りか。まあいい。俺の名は、五代 剛。凛の――」
「恋人だ」はっきりと、不敵さを滲ませた声で、そう答えた。
凛の顔が、朱に染まった。

真っ赤な顔のまま、何か言いたげに口をパクパクとさせている凛。
「ふむ?違うのか?訂正が必要なら―」受話器から顔を離し凛に聞く。
ふるふるふる、と慌てたように顔を横に振る凛を抱きしめたくなる衝動を辛うじて堪える俺。
『…………………………恋、人?』鸚鵡返しに聞く彼。
「そうだ。今年の秋口あたりから、交際している。…なにか、おかしいか?」
『そんな、ことは―』
「失恋のショックと孤独の痛みに心を閉ざし続けていないのが、そんなに変か?」
『――そんなコトは無い!!!!!』
『俺は凛が幸せなら、それで良いと思ってる。支えてくれている人がいるなら、尚更』
『俺は、俺たちは、凛を深く傷つけた』
『何とかしてやりたかった。幸せになって欲しかった』
『だから、俺はあいつが良い人を見つけたことは、とても嬉しい』
『少し、驚いただけなんだ。俺は―』
「もういい。俺が悪かった。お前の気持ちはよく分かったからその辺にしておいてくれ」懇願するように言う。
あまりにまっすぐな台詞にこっちが恥ずかしくなったからだ。
まるで、凛と話しているときの自分を鏡に写して客観的に見ているようで。
「俺も、凛には幸せになってもらいたい」
『…どういうことだ?』
「自惚れるつもりは無いが―」
「俺と一緒にいるときの凛は、幸せそうではある。が」
「やはり、足りないんだ。彼女が本当の意味で救われるためには」
「俺だけではなく、お前たちもいなくてはいけないんだ」
そう、過去に、彼女が手にいれられなかったモノ。
望んでも、願っても手の届かなかったモノ。
凛には、それが必要なのだ。

『でも、俺達が今更そんなコトをする資格は…』こういう時の妙な歯切れの悪さは凛と良く似ているな。
「資格、か…本当の所、俺はお前達に対して苛立ちと憤りを感じている」
「もちろん、お前達は悪くない。いや、誰も悪くない」
誰もがただそうするべきだと、そうしたいと思った事をしただけなのだろうから。
そして、だからこそ救いが無く質の悪い問題なのだが。
「だが、な。凛の苦しみに、お前達が少しでも気づいてやれたら」
『…っ』隆が、息を呑む音が微かに聞こえる。
「凛が、自分の弱さを素直に言える程度に強い女だったなら」
凛が、俯く。瞳がかすかに潤んでいるのが分かる。
「こんな事にはならなかったのではないかと、つい考えてしまう。それが詮無い事だと分かっていても、な」
「こうならなければ俺と凛は出会わなかったかも知れない、だが凛は幸せなまま日々を過ごせていたんだ」
「お前はこうして凛とコンタクトを取ろうとした。それは、また新たに関係を築きたいという事だろう?」
「やり直したいと、そう言う事なのだろう?ならさっさとそうしろ。資格だのなんだの四の五の言うな」
「お前らの事など正直どうでも良い。だが凛が不憫でな」
「そろそろ、凛に代わった方がいいのだろうな。だがその前に1つ言っておきたい事がある」
『…………………………?』
「もし、凛を再び悲しませたり辛い思いをさせる様な事があったら、俺はお前達を一生許さん」
ドスの効いた低い声で恫喝するような俺の台詞にも、隆は怯まず毅然とした態度で、
『分かってる…いや、分かってますよ』
「今更とってつけたように敬語を使わんでも良いのだがな」正直、苦笑を禁じ得ない。
『いや、なんかそうしなきゃならないかな、なんて思ったもんで』
「ふ。そうか…では、そろそろ代わるぞ」俺はそう言うと、凛に携帯を差し出した。

「や、やっぱり私、話さなくて良いです」
「剛さんが勝手に電話したんだからそのまま勝手に話しててくださいっ」
この期に及んで頑なな態度を崩さない凛。俺は小さくため息をつき、
「…だ、そうだ」
『…そうですか』
「なに、気にするな。どうせ素直になれず意地を張っているだけだ」
「ちょ、違」反論しかける凛は無視。さらに続ける。
「本当は、凛もお前達に会いたいと、そう思っている筈だ」
出なければ、あんな顔で携帯の画面を覗くものか。
「だから、私は―」いい加減うるさいので凛の口を手で塞ぐ。
「もが〜」口を押さえられてもなおくぐもったうめき声をあげ講義の意を示す凛。
当然、無視。
「さて、とりあえず用件があるのなら聞いておこう。伝えたい事が、あるのだろう?」
『…え?』
「何を間の抜けた声を出しているんだ。ただ声が聞きたい、と言う理由で電話したわけでもあるまい」
『ん。まあ、それも大きいんですけどね…それに、もうあんまり意味が無さそうだし』
「意味が無いかどうか判断するのは凛だろう。話してくれ」
『いやでも』
「いいから話せ」
『…ハイ』うむ。やはり人間素直なのが一番だ。
凛が俺をジト目で見ていたが無視、無視、無視。
小さく、深呼吸の音。どうやら緊張しているらしかった。
全く。凛に直接話すわけではないのだからそこまであがらんでもよかろうに。
先程俺に食って掛かった勢いはどこへ行ってしまったのだろうか、と少し可笑しくなった。

『…えっと、ですね』
「うむ」
『今度のクリスマスに、俺の家で仲間達とパーティーをするんです』
『それで、凛にも来て貰えないかと、そう言うつもりでした』
「ふむ、そう言う事か。だが、意味が無いとはどういうことだ?」
『いや、彼氏がいるんだったらクリスマスは2人っきりで過ごすだろう、と思ったんです』
「成る程な。だがそれを決めるのはお前ではない。無論俺でもない。凛だ」
「お前達の元に行く事になったとしたら、恐らくは俺も伴うだろうがな」
「だから、お前のその言葉を意味が無い、と勝手に切り捨てるのは少し、違うのではないか?」
『かも、しれないですね』
「まあいい、確かに伝えておこう。だが」
「凛が来て、再会して。そしてその後お前はどうしたい?どうなりたいんだ?」
『もう一度やり直したい、いや…今度こそちゃんと、「始めたい」と思います』
「そうか。…無論凛が望めばの話だが、彼女を連れて行こう」
『そうですか、ありがと―』その言葉を遮るようにして、俺は云う。
「勘違いするな。それが凛の為になるからと判断したからだ。お前の為などではない」
『わかりました』受話器越しに苦笑している音が伝わってくる。顔も知らないのにその表情が目に浮かぶようだった。
『それじゃ、そろそろバイトの時間なので、切ります。では最後に―』
『――――――――』その言葉の直後、電話が切れた。
「…ふう。さて凛―」振り返ると、そこには。
青い顔でぐったりとした凛がいた。どうやら酸欠になりかけているらしかった。
そう言えばずっと口を塞いでいたのだったか。
「いかん―――」混乱した俺はとりあえず人工呼吸をしようとして、
凛に殴られた。
本日、2度目。

頬に、真っ赤な紅葉の葉を茂らせたまま。
俺は凛に電話の内容の顛末を話して聞かせた。
「…行くとでも、思っているんですか?」
「ふむ、まさか行かないとでもいうのか?良い機会だと俺は思うが、な」
「…居なくなった人間がまた居なかった所でどうだっていうんですか」
「あの人たちは変わらず楽しくやっているんじゃないですか?別に私は…」
そこまで聞いたところでいい加減俺の堪忍袋の尾が切れた。
彼女の頬を左右両側からつねりあげ無理やり話を中断させる。
「いひゃひゃひゃひゃ!?何するんですか!」
「いじけた事を言うな凛。思ってもいないような後ろ向きな言葉が良くもまあそこまで出るものだな」
「慰めて欲しいのか?フォローが欲しいのか?それともお前に同意して、彼の悪口でも一緒に言っていれば良いのか?」
「…………………………」
「違うだろう?お前だって彼に会いたいのではないか」
「それに、だ。変わらないなんて事は無いと思うがな」
「お前が欠けて、『それでいい』と思えるような人間ならそもそも電話などしないだろう」
「少なくともアイツはそんな風には思えなかったがな。現にアイツは、」
「『待っている』と、最後にそう言った。なら、彼はずっと待っている。恐らくは、そう言う男なのだろう」
「それは凛の方が良く分かっているのではないか?」
「そうですね。…腹が立つくらい『いいひと』ですから」
むくれた顔で言う凛が妙に可愛くて。思わず笑みがこぼれる。
「…何ニヤニヤしてるんですかっ」
「お前が可愛すぎるからだ」ストレートに、思った事をそのまま言った。

「〜〜〜〜〜〜〜〜っ(//////////)」顔を真っ赤にし何も言えなくなる凛。
「―――」それでも何かを言おうとする凛。俺は彼女の口から言葉が紡ぎ出される前に。
再び、彼女をやさしく抱きしめた。
「もういい。何も言うな」
「あ…う…(////////////////////)」凛の顔が、さらに赤みを増す。何か言おうとしても、言葉にならないらしかった。
彼女の意思を無視し、顔が緩み緊張が解けていく。
「行こう。凛」微笑み、努めて優しい声で言う。文のようにうまくやる事は出来ないが。
「う〜…………………………」
「な?」
「ずるいです。そんな風にされたら、嫌だなんて言えないじゃないですか」
それでいい。幾らでも俺を言い訳にしろ。
それでお前が一歩を踏み出すのならば俺は幾らでも悪役になろう。
「そうだな。俺はずるい男だな」
「むぅ〜…行けばいいんでしょう、行けばぁ」
「そうか」
「でも勘違いしないで下さいよ?文句の1つでも言ってやろうと思ってるだけですから」
「それ以外の理由なんかないですから」
「そうか」
「…何でさっきから妙に嬉しそうなんですか。自分の事でもないのに…まあそれより」
「む?」
「さっきもそうですけど…抱きしめておいて、それだけですか?」
「…それだけ、とは?」
「だ、だからっ…なにも、しないんですか?普通…なにか、しますよね」

「な、なにか…とは?」
良く分からない。よくわからない。
なのに。
なぜこんなにどきどきしているのだろうか?
彼女の瞳が妙に潤んでいる所為か?それともいつもよりも艶っぽい表情をしている所為か?
「ううっ…それをそれを私から言わせる気ですか…」
「すまん…」
「…ス……先に……たい」かすれたような小声はこちらの耳に良く届かない。
ただ、その少しハスキーな声を聞いているだけで、無性に鼓動は高鳴る。
やはり、女は凄い。
「よく…聞こえないのだが」
「キ…キスより先に…進みたいって…言ったんですよっ」
キスより先…その言葉の意味を理解し、想像し。
顔が、熱くなる。俺の顔も、真っ赤になっているかもしれなかった。確かに付き合い始めて、まだ、キスより先には進まなかったが。
「今…それを言うか…」今までのこの雰囲気で、この流れで。
心臓の鼓動は最高潮。俺は大いに動揺していた。不快ではなかったが。
凛。お前のその言葉がそれを狙っていたのなら予想以上の効果を上げたぞッ!
「今日は…どこまでします?」上目遣いで聞いてくる凛。いかん、反則的に可愛い。
「ど、どこまで…。その、なんだ。危険な日だったりするのか?」
「…寧ろ安全な日、です」
「むぅ…」まずい、断る理由がかけらも無いぞ。選択肢だったら無数に増えたが。
「剛さん」
「な…なんだ?」
「すき」その言葉で、俺の中の何かが切れた。気がつけば、俺は彼女を押し倒していた。
こうして、ひとまず問題は解決の道へと向かおうとしていた。
その後の事を話すのは余りに抵抗があるので許しては貰えないだろうか。


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