第22話「The Longest Time 〜クリスマス、奈那とハチの場合〜」

クリスマスもあと僅かな時間で終わりを告げようとしていた時。
俺、九重 八郎太は帰宅する為着替えていた。
ここ2日の激務で疲れきった体が眠りを求め瞼を重くしようとするのを、軽く頬を張って意識を覚醒させる。
ちなみにウチのシェフがライバル店(の店長)と勝手に決めた勝負の結果はというと、まだ分かっていなかったりする。
双方が急いで計算している最中だとは言えども時間は掛かるらしい。
俺は別にこの店に思い入れは然程無いと思っているつもりなのだが、それなりに危機感を覚えている辺りそうではないのかもしれない。
働いている内に情でも移ったってか?まあ俺の事などどうでもいい。問題は奈那だ。
そう言えば何時にも増してアイツは真剣に、一所懸命仕事をしていた様に思える。誰よりも、誰よりも。
無理も無い。この店が無くなれば当然アイツは再び路頭に迷う事になるから。
それ以前に、アイツにとって此処は単なる職場兼自宅ではなく大切な居場所なのだから、と言うのも大きいんだろうが。
とにかく、そんなこんなで帰宅の準備が整い帰ろうとしたその時。
携帯の着信音。このメロディは、奈那か。
少し、顔を顰める。
依然合った出来事(※第15話参照)以来、俺はアイツと顔をあわせづらくなっていた。
着信音はすぐに途切れた。どうやらメールらしかった。
文面は短く、簡潔にまとめられていた。
《いま2かいにいる。はなしたいことがあるからちょっとへやにきてほしい》と。
奈那とは電話ばかりだったからなかなか新鮮だ。
アイツメールでは普通に会話できるのかよ。
というか、漢字使えよ。

しかし、避けている人間からの突然の呼び出しメール。
こりゃいよいよ決定的な事を言われるのだろうかと戦々恐々とする俺。
「テキトーな言い訳メールで返信して、帰るか…」そう1人ごちた、その刹那。
「どうしたの?」耳元で、声が。振り向くと、そこには店長が居た。
「のぅわぁ!?」
「失礼だなぁ。人の顔見て変な声出さないでよ」
「背後に忍び寄った男から耳元に囁きかけられたら誰だって奇声を上げるだろボケェ!」
「…ハァハァ。つーか売り上げはどうした?勝負の結果はどうなったんだよ」
「さっき計算が終わったとこ。もったいぶる様で悪いけど結果は明日言うよ。楽しみ…には出来ないだろうけど待ってて」
「あーそーかい」
「でもそんなことはどうでもいいや。それより何をしようとしてたのかな?」
「何って、帰るに決まってるだろ」
「…なんで?」良く分からないが、心底不思議そうな顔で聞く店長。
「何で、って…早く寝たいんだよ。忙しかったから疲れてんだよ」
「だから、なんで?可笑しいじゃないか」
「何が可笑しいってんだよ、ワケわかんねぇ。…もういい、俺は帰る」
「ワケが分からないのは僕の方だよ。メールで奈那君に呼び出されているはずなのに何故帰ろうとしてるのかな」
「なっ…」驚く俺。店長はさらに続ける。
「最近君に避けられている、って奈那君から相談を受けててね。」
「と言っても僕も大したアドバイスは出来なかったんだけどね。例えば―」
「メールで呼び出して話をしてみたらどうだ、ってね」
クソ、メールなら確かに伝わるし避けようがない。奈那の奴よりによってコイツに相談するなんてな…

「だから言ってるのさ。何で帰ろうとしてるんだい?ハチ君?」
再びそう聞いてくる店長。そして気づく。コイツ眼が笑ってねぇ。
「…ひょっとして、怒ってるのか?」
「ウチの看板娘の1人に酷い事してるんだから、僕だって怒るさ」
「ハチ君。僕が持つ権限の全てをもって命令し懇願する。2階に行くんだ」
「会って奈那君と話しておいで」
「…それでも嫌だと言ったら?」
俺はコイツの良い様に言いなりになるのがなんとなく癪で、意味も無く食い下がってしまった。
「んー。この先ずっとこの店の人間全員から軽蔑の眼で見られるんじゃない?」俺の言葉にそう答える店長。
店の皆からって…マジかよ。
俺の額に一筋の汗。奈那の奴、皆に愛されてるんだな…。
「あと「そんな事したら今度から『太郎』の事を『八郎太』って呼ぶ」って六華が言ってたよ」
「最悪だ」
俺の目は今さぞどんよりとしている事だろう。
ちなみに説明しておくと『太郎』とは要はゴの付く黒光りしたあの虫を指したこの店の隠語である。
飲食店や飲食物を販売する店等では、お客様の気分を害しない様に直接その手の生き物の名前を言わないのが普通だ。
大抵『太郎』とか『花子』とか呼ばれたりする事が多い。
「…行けばいいんだろ」俺はヤケッパチな調子で答えた。
「分かれば良し…でもまあ、悪い様にはならないんじゃないかな?」
「アンタにそんな事言われたって1ミクロンも安心出来ねぇよ」
俺は振り返らず溜息交じりにそう言い、階段を上り始めた。

階段を上り終えると通路があり、奥の方には『物置』と書かれたプレートがかかったドアがあった。
左手を見ると、そこには簡素なドアが。
その横に下手糞な郵便マークが書かれた不恰好な木箱がある。郵便箱のつもりだろうか。
ドアには『ななのへやかってにはいるなはいるまえにノックするべし』と汚い字で殴り書きされている紙が張られていた。
紙質からしてスーパーのチラシか何かだろう。
だからなぜ漢字を使わないのか問いたい。問い詰めたい。小一時間問い詰めたい。後句読点入れるか改行しろ。物凄く読み辛いぞ。
それはさておき。俺は深呼吸し覚悟を決めノックした。すると、
「入ってるッスよ〜」奈那の声。
「トイレかよ」反射的に俺は突っ込んでいた。
「ああ…ハチッスか。いいから入れッス」
にべにも無いその言葉に逆らえるわけも無く―まあ逆らう理由も無いが―俺は部屋の中に足を踏み入れた。
部屋の中は思ったよりも片付いていた。というか、あまり物が置かれていない。
小さなカラーボックスに数冊の漫画雑誌や単行本が入っているだけで、後は古びたテレビとラジカセくらい。
家具も簡素なパイプベッドと、ゴミ捨て場から拾ってきたのか年季を感じさせる脚が一本欠けた卓袱台があるだけだった。
箪笥すらない。良く見ると部屋の隅に段ボール箱が幾つか置かれており、その中に綺麗にたたまれた衣類が納まっていた。
そして肝心の奈那は、ベッドの上に腰掛け俺に背を向けていた。俺が入ってきた事に気づいたのか、こちらを向く奈那。
奈那は笑っていた。だが、その笑顔がとてつもなく怖かった。そりゃもう『ドドドドドドド』と言う効果音が出そうなくらい。
わぁ、すごいや。女って笑顔1つで男を舞い上がらせる事も出来れば震え上がらせる事も出来るんだね。

「あ、ハチ。まあまあとりあえず座れッス」
「座れって…どこに?」
「そこッス」指差す奈那。
そこにはカーペットすら敷かれていない冷たそうなフローリングの床があるだけ。
「ええと…クッションとかあるか?」おずおずと聞く俺。
「無えッス。だからさっさと座れッス」
「あのな、奈那…」
「座れ♪」
「…ハイ」
「正座ッス」大人しく胡坐を書いて座ろうとする俺に、さらに追い討ちを掛ける奈那。
「おいこんな所で正座なんかしたら脚が痛く」
「何か文句でもあるッスか?」
「何でもないです今すぐ正座します」即答し正座する。俺、弱い。
俺が正座したのを見て多少は思うところがあったのか、あの心底恐ろしい笑顔が顔から消えた。
「…で、ハチ。聞きたい事があるんスけど」半目で俺を見つつ、奈那。
「な、何だよ」
「ここ最近、なんで自分を避けるッスか?」ホラ来た。
「き、気の所為だろ?きっとホラアレだ、タイミングっつーか巡り合わせが悪ぐぎゅえ」
台詞の途中で奇声を発してしまったのは奈那に思い切り首を鷲掴みされたからだった。
その指は的確に俺の頚動脈を締め上げている。死ぬ、死ぬ。

「そんなおとぼけが通用するとでも思ってるんスか?ネタは上がってるんスよ」
ネタってなんだよ、と言うツッコミすら首を絞め上がられているためままならない。
「避けてたッスよね?認めるッスか?」その言葉に俺は死に物狂いで首を縦に振る。
その言葉に満足したか、ようやく手を離す奈那。俺は喉を押さえ咳き込んだ。
「それじゃ、説明してもらうッスよ」俺が落ち着いたのを見計らって、奈那が問いかける。
俺は素直に言う事にした。というか言わざるを得なかった。いやだって拒否したら今度こそ死ぬもん。
「…なんとなく顔、あわせ辛かったから」
「はあ?」キリストがブロードウェイでブレイクダンスを踊っていた、とでも聞いたような顔をする奈那。
「いや、だってよ。俺カッコつけときながら目の前でボコボコにノされるし」
「結局店長に助けてもらったってだけでもみっともないのに、孤児院までお前に運んでもらったし」
「きっと、呆れてるか嫌ってるかしてると思ったんだよ。…事実、そうなんだろ?」
女々しい真似だとは思いつつも、奈那に恨みがましい視線をついつい向けてしまう俺。
後に奈那にその時の事を聞くと「拗ねた子供のような目」だったそうだ。ガキで悪かったな。
それを聞いた奈那はしばらくきょとん、とした表情をしていたが―
「…………………………ぷっ」いきなり小さく吹きだし、
「あはははははははははははははははは!!!!!」大笑いしだす奈那。意味も無くムカツク笑い方だった。
「あはははは…えっと、馬鹿ッスか?」ひとしきり笑った後そうのたまう奈那。
屈辱、と言う言葉を再確認した瞬間だった。

「まったく、ドコをどうしたら自分がハチの事を嫌ってるー、とか呆れてるー、なんて結論になるんスか」
「…俺、お前を守れなかった」あの日、俺は奈那を傷つけようとしていた奴らから、守りきれなかった。
奈那を守ったのは俺じゃない。奈那を助けたのは、救ったのは俺じゃなく。腹黒くて人が悪い癖に誰よりも優しいあの男。
「でも、守ろうとはしてくれたッス。自分がアレだけの事をしてたと知って尚、守ろうとしてくれた」
「とても、と〜っても、嬉しかったんスよ?」曇りのない目で俺を見ながら、奈那。
「やり遂げられなかったら、やらなかったのと一緒なんだよ」
「変わらないッスねぇ。その律儀なトコと頑固なトコは」
「うるせぇ。それに目の前でボコボコにされた。みっともない所を見せたし。…結局店長の力借りたし」
「それでも、自分の眼にはとってもカッコよく映ったんスけどね」
「…動けなくなって、気絶して。お前に孤児院まで連れてってもらった」
「アレは仕方ないッスよ。まさかあんな状態のハチを放置するわけにもいかなかったし」
「そうは言うけどな。男からすれば結構恥ずかしい事だと俺は思うんだよ」
「見栄っ張りッスね」カラカラと笑う奈那。
「…ふん」男から見栄と意地を取ったら何も残らねえんだよ。
「第一、そんな風に思っている間に…その…キ、キキ、キスなんてするわけない…ッス」いきなり頬を染める奈那。
「きす?」はい?きすってなあに?それっておいしいの?
「…覚えて無いッスか?」その言葉に頷くしかない俺。
「ほぉ…………………………」俯き肩を震わせる奈那。猛烈な殺気が彼女から放出され始める。
「…あれ。ひょっとして俺地雷踏みマシタカ?」恐怖で自然と高デシベルのバックボイスになる俺。
「そうッスね。それも特大の」
「…俺、どうしたら良い?」
「大人しく死ね」
「だよね」
直後、奈那のボディーブローが俺の鳩尾にめり込み俺は悶絶した。

「はあ…最悪ッス。折角人のファーストキスを捧げたのにそれを覚えてない、なんて」わざとらしく肩を落としてみせる奈那。
「多分、その時俺はもう気絶してたんじゃねえかな…」じゃなきゃ、そんな事覚えていない筈がねえ。
「そーゆー時は意地でも復活して脳髄に刻み込むッスよ」
「無茶言うなよ…」
「黙れッス。それよりも。何か自分に言う事があるんじゃないッスか?」言う事…そうか、まずは謝ってケジメつけなきゃな。
「わ、悪かった。傷ついた、よな」
「素直に謝るのは良い事ッスけど。今聞きたい言葉はそんなんじゃねーッス」
「じゃ、じゃあ…許してくれ、とか?」
「言い方が変わっただけッス」
「お詫びに何でもする、か?」
「魅力的な言葉かもしれねーッスけど、的外れもいいとこッス」
「金輪際お前の半径500メートル以内には近寄りません?」
「ドコのストーカーッスか。そんな事望んでねぇッス」まずい、どんどん不機嫌な顔になって来た。考えろ。何を言えば良い。
…もしかしたら。思い浮かぶ可能性にそれは無いと思いつつ、淡い願望の所為もあって”そう”である可能性を捨て切れない。
もうそれしか思い浮かびそうに無い。どうせいつかは言おうと思ってた事だ。なら、言ってやる。もう半ば俺は自棄になっていた。
「ずっと、好きだった。俺と付き合ってくれ、奈那」覚悟を決め、どこまでも真剣な顔で俺は奈那に告げた。
「…ぷっ。ハチがそんな顔でそんな事言うなんて、最高に笑えるッス」笑う奈那。やっぱ…外れ?
「でも。大正解ッスよ、ハチ」今まで見たことも無い心蕩かす様な女の笑みを浮かべる奈那。
「その言葉の返事と、正解の褒美は―コレで、いいッスよね?」言い、微笑み。刹那―
奈那の唇が、俺の唇に触れる。頭の中が、一瞬真っ白になる。
ふと、壁にかけられた古びた時計の文字盤が目に入る。11時59分。ギリギリクリスマスに間にあったのか。
ならコレはクリスマスプレゼントでもあるのかもな、なんて考えたりした。
窓の外では、静かに雪が降り注いでいた。


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