第23話「Return&Rebirth〜ずっと、ふたりで〜」

クリスマスの夜。『Bird Nest』の営業時間も終わり、各従業員がそれぞれ帰宅準備を整えていたその頃。
「…手伝わなくて良いのか?文」
俺、五代 剛は1人事務所に残り帳簿計算をしている文にそう聞いた。
「ああ、大丈夫だよ剛。もう少しで終わるから。結果は…」
「明日皆の前で伝える、だろう?…俺くらいには教えてくれても言いと思うのだがな」
「駄ー目。従業員には店長として平等に対応します」
「相変わらず詭弁と屁理屈だけは達者だな」
「それが僕の唯一の武器ですから」すまし顔で、文。
「木製バットを蹴ってへし折る事の出来る男が何を言う」
「道路標識を手でひん曲げる事の出来る君にだけは言われたくないなぁ」
言いつつ、器用に作業は進めていたらしい。大きく伸びをし、立ち上がる。
「さて、と。僕も行かないと…ま、その前に一寸お節介しに行くかな」
「お節介?…ああ、ハチの事か。だがお前はただ単にハチをからかいたいだけだろう?」
「そんな事は無いさ。僕は純粋にあの2人の事を心配しているからね…まあ、からかうのは手間賃って事で」
「からかいたい事は否定せんのだな。…お前に相談するのだけは金輪際止めておこう。恋愛関係の事については特に」
「ひどいなぁ。こう見えても僕は大学では『恋する2人の仲を取り持つ愛の天使』って呼ばれてたのに」
「何が天使だ。天使は天使でもお前は堕天使だろうが。…まあいい、そろそろ失礼するぞ。凛が待っているのでな」
「そう。…草薙君の事、しっかり支えてあげなよ?」
「大きなお世話…と言いたい所だが、肝に銘じておこう」
俺は苦笑すると事務所を後にした。

俺が『Bird Nest』から出た直ぐそこに、凛が待っていた。
「…遅いです」言う凛の顔には、わざとらしいしかめっ面が浮かんでいる。
「スマンな。だがまあ今日はクリスマスだ。寛大な心でもって許してもらえると助かるのだがな」弁解をする俺。
昔なら言い訳という、そんな自分の弱さをさらけ出すような行為など人前はおろか胸の内ですらしなかったと言うのに。
俺は弱くなったのだろうか…それとも『何か』が変わったのだろうか。『Bird Nest』の皆の影響で。凛と言う大切な人のお陰で。
「何が寛大な心、ですか。それにすぐ謝る癖、直してください。何度言ったら分かるんですか」大げさに、溜息。
「すまな…あ、いや、その」言いかけた所でちろり、とこちらを睨む凛。ばつの悪い俺は顔を逸らす。
「今日は、特別許して上げます。…それより、周りに誰も居ませんよね?」キョロキョロと周りを見渡しながら、凛。
「…ん?確かにこんな時間だからな、誰も居ないが…むぅ」
ぼふ、と小さく可愛らしい音を立て俺に抱き突き、胸に顔を埋める凛。
「…寂しかったんですよ?」顔を上げ、濡れた瞳で上目遣いに俺を見上げる凛。
『くぅーん』という鳴き声が聞こえてきそうだ。実に可愛らしい。
「済まないな」この期に及んでそれしか言えない自分には苦笑するしかない。代わりに優しく頭を撫でてやる。
「剛さん…剛さぁん…えへへ」すりすりとほお擦りをしだす凛。
ああ、俺は今この瞬間に俺は死んでも良い。
良いのだが…うむ。何時までもこうしてはいられない。
「凛、約束の時間が近い。そろそろ向かった方が良いのではないか?」
向かうのは勿論、桐生 隆の家。かつて凛にとって誰よりも大切な仲間たちと日々を過ごした場所。
そして…孤独を知り、逃げ出すように去った場所。決別した筈の、場所。
「もうちょっと…もうちょっとだけ…いいじゃないですか、剛さん」聞き分けの無い子供の様な台詞を吐く凛に、
「凛」心を鬼にし、少し強い調子で名を呼ぶ。ビクッ、と肩が小さく震える。

「う…そ、そうです。やっぱり今夜は2人で過ごしませんか?『あの人』達には断りのメールでも入れて」
「クリスマスなんですし…ね、ね?剛さん」見上げ懇願する凛に、俺はその提案を聞き入れたくなる。
その妥協の言葉を。彼女が弱いまま憂いを抱え続ける事を。目先の欲求に流され、受け入れてしまいたくなる。
だが、それはいけない。それでは何も変わらない、解決しない。
「そう言うわけにもいかん。俺は1人でも行くぞ。行くと言ってしまったからにはな」
「もしお前が行かないと言うのなら1人で家に帰ってもらう事になるが…」
告げた瞬間。凛の顔がくしゃくしゃになり、その瞳の端にじわじわと光るものが。
(まずい―)そう思うも時既に遅し。
「済まない、少し言いすぎ―」言い終える前に。
ぱちん、と凛の小さい手が俺の頬を叩く。
「剛さんの…ばか」涙目で、凛。
「むぅ…」ここまで来ると、何も言えず唸るしかない。
こう言う時、文なら気の利いた言葉の1つでも即座に考え出すのだろうが。
「そんな事、冗談でも口にしないで下さい。そんな事言う剛さんなんて…嫌いです」
「でも…」
「?」
「そんな剛さんが好きで、離れられない私はもっと嫌いです」
「…矛盾していないか?」
「…うるさいです。やっぱり、嫌いです」ぷい、とそっぽを向いた。

「…行きますよ。さ、最初からそのつもりでしたから」そっぽを向いたまま、凛。その頬が、恥ずかしげにほんのり赤くなる。
「ちょっと…そうちょっとだけ、惑っただけですから…ホントですよ?」
「で、でも。勘違いしないでください。『あの人』達に会いたいとか、話したいとかそう言うのじゃなくて」
「この前も言いましたけど、文句の1つや2つ言いに行ってやるだけなんですからっ」
「それでいい。お前が行くと言うのなら」
「それだって、剛さんが『どうしても』っていうからなんですからね」
「ああ。俺の所為だな」
「…もう!何で笑うんですか!」ぷぅ、と頬を膨らませる。
「俺の存在が、お前の助けになっているから。お前の力になれて、俺は嬉しい」
「…そんな台詞を何故恥ずかしげもなく言えるんでしょうね」
「決まっている。お前が好きだからだ」
「…………………………っ」顔を真っ赤にし黙り込む凛。その後は、目的地に着くまで俺達は互いに無言だった。
だが何故だろう。この時の俺達は、どんなカップルよりも心が通じていた様に思えた。
数分後、俺達はドコにでもありそうな有り触れたデザインの家の前に立っていた。
「む。ここが隆とやらの家、か」
「変わって、ませんねぇ…」しみじみとした様子で、凛。呟くと共にほう、と小さく吐いた溜息がしばしのあいだ虚空に漂い、消えた。
「すぅー…はぁー…」深呼吸をし、ゆっくりとインターホンへと手を伸ばす凛。
手が、震えていた。顔は緊張でやや険しくなっていた。
「変わるか?凛」
「だ、大丈夫です。やります、やれますからっ」
「そうか」ただ、そうとだけ答える俺。そして―
凛がインターホンを押した。直後、慌しい足音が聞こえ。ドアが開けられた。

―幕間―

開いたドアの向こうから現れたのは。私の初恋の人で、今でも大切な人。その名前は、桐生 隆。
「凛!…よかった、来てくれたんだな。ああ時間が遅いのは気にしなくて良い。俺もバイトで帰ったばかりだし」安堵の溜息をつく彼。
「…………………………っ」言葉が出ない。言ってやろうと思っていた事が、山ほどあった筈なのに。
「タカシ…さん」どうした、私。名前を呼んでどうする。
文句でも恨み言でも好きに言えば良いじゃないか。
―違う、そうじゃない。
彼とその仲間達のお陰で、私がどんな思いを味わったか、教えてやる!そのために私は来たんだ!
―私がやりたかったのは、もっと別の事。
そんなわけ…ない!ああもう…私はどうしてしまったのだろう?
そうだ。きっとあの店の、『Bird Nest』の連中が私を狂わせ、変えてしまった所為だ!
あの時、開店準備をしていたあの3人を見て。昔の私達みたい、って思って。
ここに居た時の事を思い出して懐かしさで胸がいっぱいになって。
気づいたら、携帯に店の電話番号を打ち込んでいた。それが間違いだったんだ。
―もう一度会いたかった。昔みたいに、皆で。
でも、一番私を変えてしまったのは…何かを狂わせたのは…いや。私を”元に戻してしまったのは”あの人。今は誰よりも大切な。
隣に居る不器用で、でも誰よりも誠実でストイックで。鈍感だけど精一杯私を愛してくれようとする人。
だから、もう彼が居るから貴方達など要らない、忘れるから二度と関わらないで欲しいって、言えば良いんだ!
―駄目…ずっと私は孤独だった。ずっと、帰りたかった。
うるさいうるさい!私は、私は私は私は私は私は―!
―戻りたかったんだ。あの頃に。あの頃の、日々の全てが楽しく全てが幸せに感じていた私に。
「…………………………」私は、ただ立ちつくす。
言葉が、でない。

―幕間 終―

「あ、あ…私…わたし…は…」
何を言えば良いのか分からないのか、意味の無い呟きがもれるばかりの凛。
「あー…ええと…まいった。言おうと思ってた事とかがいっぱいあったのに」
決まり悪げに後頭部を掻きながら、隆が言う。
「とりあえず、そうだな…」隆は、そう言って一息の間を置き。
静かな、暖かい微笑を浮かべ。

「おかえり」

それは、彼女にとって何よりも暖かい言葉だったのだろう。
それは、彼女にとって何よりも救いとなる言葉だったのだろう。
それは、彼女にとって何よりも聞きたかった言葉だったのだろう。
凛の顔がくしゃくしゃになり。大粒の涙がぽろぽろ、ぽろぽろとこぼれ出す。
そして、彼女はついに口にする。
恐らくは、ずっと言いたかった言葉。
言いたくて。でも言えなかった言葉。
その、言葉は。
「ただいま…タカ兄ぃ…っ!」
くしゃくしゃになった顔のまま、それでも必死に笑みを浮かべ。目の端に涙を浮かべたまま凛は彼の言葉に答えた。
ようやく、彼女は自分が帰るべき場所に帰ってこれたのだな。

あれから、泣きじゃくる凛をなだめるのに若干の時間を要した後。
「それじゃ、中に入ってくれよ。剛さんも、どうぞ」
「行こう、凛」
「…ん」促す彼の言葉に従い、俺達は家の中へ脚を踏み入れる。
すると。パタパタパタと小さく可愛らしい、でも同時に先程の隆の足音のように慌しいそれが聞こえ、何者かの影が見えた次の瞬間。
「―凛ちゃぁんっ!!!!!」その言葉と共に、抱きつく人影。
それは、中学生くらい(見ようによっては小学生に見えるかもしれない)頭の横で髪を縛りシングルテールにした少女だった。
「梨亜ちゃん…!」凛の顔が綻ぶ。彼女の名は梨亜と言うらしい。
「ごめんね…ごめんねぇっ…!」彼女はただそう言いながら凛の胸で泣きじゃくる。
「いいんですよ…もう…それに、これは誰も悪くないんです。謝らなくて良いんですよ」こちらも涙目で、凛。
「凛ちゃん…」
奥を見る。すると金髪の少年と、髪を三つ編みにした眼鏡をつけた少女が此方を覗きこんでいた。多分、隆の友達だろう。
パーティーという事だったしな。気になり見に来たのだろう。梨亜とやらは、見ている内に我慢が出来なくなったか。
「凛。何処が独りぼっちだ。何が孤独だ。お前にはこんなにを思ってくれている人がいる」
「はい…はい…っ!…ありがとうごさいます、剛さん」
「俺は少し後押しをしただけだ」
「でも…でも…剛さんがいたからです…私1人じゃ…ずっと…」
「剛さん…」凛の手が、俺の顔に触れる。目を閉じた彼女が背伸びをし、俺の顔へと近づいていく。
「いいのか?皆が見ている」
「見せ付けてやれば良いんです。…それくらいの意趣返し、してもバチは当たりませんよね?」悪戯を思いついた子供の様な表情だ。
「それなら、反論の余地はないな」俺は微笑むと彼女の体を優しく支え少し持ち上げ―
「「メリー・クリスマス」」言葉と唇を重ねる。隆たちが此方を目を丸くして見ている。
『アタシ達も負けてられないんだもんね!』『ちょ、張り合おうとするなー!』というやり取りを何処か遠くに聞きながら。
(今夜は楽しくなりそうだ)と、心の中で呟いた。
それを疑う余地は、何処にも無かった。


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