第24話「六華の降る夜に(前編)」

クリスマスの夜。雪の降りしきる中。
「さて…やる事はやったし。行くかな」
僕、山田 文はそう1人ごちると『Bird Nest』を後にする。
少し歩き、振り返る。2階の窓から、明かりがもれている。
今頃奈那君とハチ君は仲良くやっている事だろう。後押しした甲斐があったかな。
とは言うものの、自分も最早人の恋愛の心配をしている場合じゃなくなってきた。
「六華の所へ、行かなくちゃ…」再び、1人ごちる。
最初はただ、振り回されているだけだった。
だけど…いつからだろう?
彼女の事ばかり考える様になっていたのは。
彼女の笑顔が、頭から離れなくなったのは。
彼女が一緒に居ないと、妙に寂しい気持ちになるようになったのは。
そして、いつから―

好きに、なったのか。

分からない。
そんなモノに、明確な線引きなんてしようと思う事が間違いなのかもしれない。
ただ確かな事、それは。
彼女に、六道 六華に会いたいと言う、想い。

僕はレストランの近くにある小鳥遊公園に急ぐ為いつしか早脚になり、そして駆け足になっていた。
そこで六華が待っている筈だ。
そして、公園にたどり着いた。公園の入り口に誰か立っている。
六華だろうか?いや、その人影は六華より背が高かった。
近づき、そこに居た意外な人物に僕は少なからず意表を突かれた。
「やあ。やっと来たね、文」人影は、軽くこちらに向かって手を上げ微笑んだ。
その人影の正体は、那由多の双子の姉妹であり、彼女が店長を勤めるレストランのマネージャーである棗 京だった。
「京…なんで君がここに?」
「帰る途中に君の姿を見かけてね。気が付いたら、後をつけてた」
「気が付いたらって…らしくないな、京」
「君はボクの事を完璧に理解しているわけじゃないだろう?」
「ボクだってテンションに任せて行動するときくらいあるさ」
「そう…でも、どうして?」
「君は六華に会うんだろう?」
「君がこんな時間に、こんな日にわざわざ待ち合わせをする相手が他に思い浮かばない」
「ご明察の通りだよ」
「やっぱりね。だから、さ。君が彼女に会うと思ったら、居ても立っても居られなくなったのさ」
「え…?」僕が六華に会う事が、何がどうして京と関係があると言うのだろう?
「ふふ…まだ分からないのかい?全く、君は実に鈍感だな。面白いくらいに…腹が立つくらいに」
「まったく。しょうがないなぁ、文は…」そう言った京が僕に歩み寄り目の前に立つ。
そして次の瞬間、京の唇が僕の唇に重ねられていた。
彼女には似つかわしくない、弱々しく不器用なキスだった。

「え…あ…な…っ!?」僕は口を押さえ、僅かに後ずさる。
いきなりの事に思考がフリーズする。
何か言おうと思うのに口をパクパクとさせる事しか出来ず、何も言えない。
「うふふ…やっと、唇を奪ってやった」ぞくり、と来るような妖艶な笑みを浮かべる京。
「まだ分からないなんて言わないよね?流石にボクも泣いてしまうよ?」
「いや…まあ、そこまで鈍感だったつもりは無いんだけど…まあ説得力は無いかな」
「京…君は僕の事が…」
「ずっと、好きだったよ。大学生の頃から。今も、ずっと」
「だからボクは那由多と君を別れさせ、那由多と共にここに来れる様にお膳立てしたんだ。全ては君に、近づく為に」
「京…どうしてそんな事を?」僕の問いを聞いた京の反応は、劇的だった。
「どうして?どうしてだって?ふふ…あはははははっ!君が…君がそれをボクに聞くのか?」
「酷いじゃないか、最低じゃないか。そりゃぁ那由多にも怒られるさ」
「好きになったのは、ボクが先だったのになぁ…」
「なのに。気が付いたら、君と那由多が付き合うようになってた」
「君の事も、那由多の事も大切だった。…だから、言えなかったさ」搾り出すように、悲しげに言う京。
あの時、彼女は僕と那由多をどんな想いで見つめていたのだろう。彼女の心にどんな葛藤があったのだろう。
僕には想像する事も出来ないし、する資格も無かった。
「でも…だからってハイそうですかと黙っていられる程、ボクは人間が出来ちゃいなかった」
「静かに身を引いて、胸の内にそっとしまって置ける程、この想いは弱くは無かった」
「だからボクは那由多に『あの事』を言った。言ってしまった。君が那由多を代用品に使っていた事を」
「思惑通り、君と那由多は別れた。そんな事をしても、何の解決にもならないのにね」
「現に、君がボクの方を振り向く事はなかった」悲しげに、寂しげに目を伏せた。

「やっと…全部言えた。長かったなぁ…この時、この瞬間の為にボクはここまで来たんだ」
「ゴメンよ。人を待たせているのに話に付き合わせて」
「でも、どうしても言いたかった。また君の隣に誰かが立つ前に、最後に悪あがきして見たかったんだ」
「京、僕は…」どう答えたものかと言いあぐねる僕に先んじて京が、
「いいよ。返事は聞かないし、聞きたくない。君の目を見れば分かるから」
手を前に突き出すような仕草をしつつ答える京。
その顔に浮かぶは、諦観の混じった悲しい微笑。
「でも…唯一つだけ、聞いても良いかな?」
「僕が、答えられることなら」
「怒っているかい?…君と那由多が別れる原因になった、ボクを」申し訳なさげに聞く京。
170を超える女性にしては結構な長身が今この瞬間に限ってはとても小さく見えた。
なんだ。そんな事で思い悩んでたのか。それがどうにも可笑しくて…僕は小さく吹き出した。
「…酷いなぁ。ボクは真剣に聞いているんだけれど」
「とと、ゴメンゴメン。…君がそんな事で悩んでいるなんて、思っても見なかった事だからさ」
「『そんな事』で片付けられると、流石に少し落ち込んでしまうなぁ…」
「『そんな事』だよ。だって…君は、何かしたのかい?」
「…なんだって?」
「だから、君はあの時何かしたのかい?…言い方が悪いのかな?だったら言いなおそうか」
「君はあの時…何か出来たのかい?」

「一応言っておくけど。僕が那由多と別れたのは僕が悪かっただけだよ」
そう、悪かったのは弱かった僕だ。
「もし君があの事を言わなかったとしても那由多は気付いていたと思うよ。察しの良い子だから、彼女」
「だから僕は思うんだ。君は何もしていないって。だから僕は聞くんだ。君は何かしたのかって」
「…やっぱり怒っていないか?文」
「怒っていないよ、本当に」
結果的に彼女をここまで追い詰めてしまった事に責任は感じているけれど。
怒るなんて、とんでもない。
「…だから、君は何も気にする必要は無いんだ、京。僕も君の事は、気にしない」
「やっぱり、怒ってる」
「怒ってないってば」
そう、怒ってないさ。全然。ちっとも。これっぽっちも。ホントだよ?
「さて、と…そろそろ行くよ。これ以上六華を待たせたら、僕は殺されちゃう」
「有難う。そしてサヨナラ」僕はそう言うと京に背を向ける。早く六華の所へ行かなくちゃ。
「ああそうそう―」でもその前に、もう1つだけ。
「後は宜しくね」僕は振り返りそれだけ言った。
「文…?」怪訝そうな顔をする京。彼女がこの言葉の意味が分からなくて当然。
何故なら、”彼女に行った言葉”ではないから。
言う事を言い終えた僕は公園へ向かって歩きだす。
もう、振り返るつもりは無かった。

―幕間―

「後は宜しくね」そう言い残し文が立ち去った直後。
「うー…。やっぱり気付いてたかアイツ。あンの馬鹿、肝心な事はサッパリなくせにさ」
背後からの聞き慣れた声に、バッ!とそんな効果音が聞こえそうな勢いで京は振り向く。そこには―
「お疲れ。残念無念また来週〜♪なんてね」
言い、快活な笑みを浮かべる小柄な体にプラチナブロンドの髪をなびかせた女性が街路樹の影から姿を現した。
女性の名前は棗 那由多。京の勤めるレストランの店長であり、彼女の双子の姉妹がそこに居た。
「那由多…いつから…?」
「最初から。京ちゃんの赤裸々な告白、ぜ〜んぶ聞いちゃった」にんまり、と意地の悪い笑みを浮かべる那由多。
「ま、それはそれとして。今日はアンタの残念会も兼ねて飲もう!良い居酒屋見っけたの」
「『黒木屋』っていうんだけどね…って、どしたの?京」俯き、憂いに陰った表情を浮かべる京に那由多が問う。
「何故…ボクに対してそんな風に振舞えるんだい…?怒って、いないの?」
「怒る?何で?っつーかあの馬鹿にしたのと同じ質問繰り返さないでくれる?」
「言っとくけど、アタシ知ってたわよ?アンタが企んでた事全部」
「知ってて、乗っかったの。…アタシもなんか理由ときっかけがなきゃ、文のトコなんかいけなかったし」苦笑する那由多。
「っつーか文も言ってた事だけど、京が言わなくたって別れるのは時間の問題だったわよ。薄々感づいてたしね」
「アンタが言うまで何も行動に移さなかったのはまあ、未練かな。その位には、惚れてたって事だと思う」
「悪かったのはアタシを代用品なんかにした文よ。それと付き合っている間に本当の意味で落とせなかった私」
「アレはアタシ達の問題であって、京はコレに関しては丸っきりの部外者、分かる?」
「だから京、アンタは―」
「何も気に病まなくて、よろしいっ」そう言い微笑む那由多の顔は、京にとって何よりも眩しく見えた。
(…敵わないな、那由多には。踊っていたのはボクだ。道化なのは、ボクだったのか…)
胸の中で呟く京。だが不思議と、その心はスッキリとしていた。

「でも、まぁ…コレでライバルが増えちゃったわけ、か。まあ京だろうとコレは譲らないけど」
「…那由多、その事だけど。文が六華さんの所に行くと言っていたろう?きっとそれは―」
「あのバカがあの六華っていうシェフの事が好きで、そして今から告白しようとしてる…でしょ?」
「うん。だから、ボク達が今更何をしたって―」
「はぁ。アンタバカ?アイツが六華の事好きだから何?仮にそれで2人が付き合う様になったからって、それがどうしたっての?」
「どうしたって…那由多?」ワケが分からない、と言った面持ちで、京。
「確かに”今回”は私の負けよ。アイツの心を占めてるのは、六華だもんね」
「でも、それで終わりだなんて誰が決めたってのよ。それなら、振り向かせればいいだけじゃない」
「あのシェフよりアタシ達の方が良い女だって分からせるのよ、アタシ達の魅力に気付かせてやりゃあいいのよ」
「諦めの悪い女だって、見苦しい足掻きだって言われても良い。略奪愛?横恋慕?上等」
「アタシは、絶対に諦めない。アタシの想いはこの程度の障害でどうにかなるもんじゃない」
「今日は、その景気付けも意味もあるの。だからいい?」
「勘違いしないように言っとくけど、コレは振られた女の自棄酒大会じゃないんだからね?そこらへん勘違いしないよーに!」
「…やっぱり、少しはショックなんじゃないか」
「やかましい!…あ、そうだ。それより、はいコレ」言って、那由多が京に何かを投げて寄越す。それはコーヒーの缶だった。
「飲みなさい」と、有無を言わさぬ口調で、那由多。
「…那由多、コレ凄い冷たいんだけど」そう、コーヒーの缶は気温の所為で冷え切っていた。
「アンタに飲ませようと思ったんだけど冷えちゃった。でも丁度良いわ、良い罰になるから」
「…罰?」
「アタシを出し抜こうとした罰。そしてこの冷え切った中アタシを待たせた罰よ。精々体の芯から冷え切りなさい」
それを京が拒否出来る筈もなく。苦笑し缶を開け、コーヒーを飲み込む。
「…沁みるなぁ」京は天を仰ぎ呟く。
それは飲んだコーヒーの事だったのか、それとも―

―幕間 終―

公園の桜並木を抜け、広場に辿り着く。
広場の片隅に、屋根つきのベンチがあった。
そのため、そこだけがぽっかりと雪がなく、まるで切り離された異空間にすら見えた。
そこに、見知ったポニーテールの女性が座っていた。
僕が会いたかった人。
そして、僕が好きな人。
『Bird Nest』シェフ、六道 六華がそこに居た。
「ど、何処で油売ってたのよ。このバカ」
いつも通りの辛らつな言葉とは裏腹に、何処かうわの空の様子の六華。
そう言えば、彼女も言いたい事があるって言ってたっけ。
それで頭がいっぱいなのかもしれない。
結果をまだ言ってないから、言えるって決まったわけでもないのに。
まあそれはともかく。
「ちょっと、ね」僕は曖昧に誤魔化しながら軽く体の雪を払い、六華の隣に座る。
さあ、言わなきゃいけない事、言いたい事を言うとしよう。
山田 文、一世一代の大勝負。行きますか。
心の中で静かに決意を固めると、僕はおもむろに口を開いた。
長い夜の、始まりだった。


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