―プロローグ―

ある、少女が居た。
彼女は、恋をしていた。
だが、その恋は無情なまでに突然に。
理不尽な位あっけなく。
終わりを、告げた。
彼は、何処かで自分の彼に対する気持ちを知り、
その気持ちには答えられないと、想いを拒絶された。
その時の、辛く悲しい身を引き裂くような気持ちは、今でも忘れない。
だが、その気持ちには、整理をつけられるはずだった。
いや、つけられたのだ。
一晩泣いて、泣いて、泣いた。
次の日にはいつもどおり振舞えた。
彼とも、恋人にはなれなかったが、今までどおり親しい関係を続けられる筈だった。
彼の友人達とも同様に。
だが彼女は、縮まらない『何か』がある事に気づいてしまった。
それは、あまりにもどうしようもなく、手の届かないもので―
故に、彼女は。
絶望を、知った。
諦念を、覚えた。
その瞬間、彼女の時は止まり、心は凍りついた。
そして、彼女は彼らの元から去った。
それから、1年の月日が流れ―

第3話「アイスドール・ウェイトレス(後編)」

「…何をしてるんですか?早く面接の続きを」
その声に俺、五代 剛は我に帰った。慌てて落とした履歴書を拾う。
俺はその場に立ち尽くし、呆けていたらしい。
時計を見て、大してそうしていなかった事に気づき、安堵した。
草薙 凛と言う名の、俺の前に立った少女を説明する言葉があるとしたら、
美少女。その一言に尽きる。
無駄な脂肪などおそらくは一切ついていない体つき。モデル体型と言うのだったか。
染色や脱色をした事は、一度もないであろう艶々とした黒髪は、肩の辺りで切り揃えられている。
そしてすらりと通った鼻梁、整った美しい顔立ち。
その美術品のような美しい姿に、俺は見とれた。
一目惚れ、だった。
だがその瞳には、感情が、なかった。
まるで何もかも諦めきったような、何も感じていないような眼。
それは無表情にして無感情にして無感動。
決して十代の少女がしていいものなどではなかった。
「す、済まない。それでは面接を始めるとしようか」取り繕うように、俺は言った。
「まず聞きたいのだが、17歳とあるが…受験勉強は大丈夫なのか?」
「それは余計なお世話と言うものですよ。…推薦入試で既に合格は確定しているようなものなので」
「ああ、大学も地元なので、卒業後も大丈夫ですから」
「そうか…後、予め断っておくが、俺は2人から何か聞いているわけではないのでな」
「2人と同じ質問をしてしまうかもしれないが、容赦してくれ」
「…別にいいですよ。気にしていませんから」その言葉は、恐らく俺に気を使ったとかそういう事ではなくて。
本気で、気にも留めず、何とも思っていないのだろう。
なぜだろう。
俺は少し、悲しい気持ちになった。

しばらく、いくつか質問をしたのだが、俺はほとほと困り果てた。
何を聞いても、
「履歴書に書いてある通りです」としか言わず、
書いてない事を聞けば、
「なぜそんな事を聞く必要があるんですか?」と、こうだ。
答えたとしても、そちらから補足らしい事を何も言わない。
その上ひたすら簡潔かつ無愛想に答えるので、話が続けにくい事この上ない。
話すと言う行為というより、コミュニケーションそのものを拒否しているかの様な反応だった。
自分もあまり口数の多い方ではないが、コレには正直面食らった。
(自閉症…か。言いえて妙だな…)
六華がそう言った時は、あまりの言い草に少し抗議しようとも思ったが、
成る程、彼女の評価はなかなかに的を射ていた、と言うわけか。
これ以上話しても意味が無いだろう。
だが、最後に1つだけ―
「1つ、聞いてもいいだろうか?」
「…何でしょう?無意味な質問で時間を無駄にするのだけは止めてくださいね」
「…むぅ」この子は本当に採用される気があるのだろうか?
自分が合否を判断される立場だと言う事を、本当に理解しているのだろうか?
「とにかく、だ。聞きたいことというのは」
「何故君はここで働こうと思った?その志望動機が知りたい」
「…それに答える必要があるんですか?」
「まず何処でどんな面接試験を受けたとしても、この質問は必ずされるだろう」
「…質問の答えになってません」
「…何故こんなバイトの…面接ごときで…そんな根掘り葉掘り聞かれなきゃいけないのか…聞いてるんです」

「…急に饒舌になったな。聞かれたくない様な事なのか?」
「…別に、そんな事は…」
「なら、聞かせてくれ。答えにくいようなら俺から君の質問に答えよう」
「何故そんな質問をしたか、だったな。…答えは、俺が個人的に興味を抱いただけだ」
「君が何故ここで働きたいと思ったのか、それが知りたかった。ただそれだけだ」
「答えたくないと言うならば無理には聞かん。それなら面接を終わりにするだけ―」
「―のためです」
「何?」
「お金の、為ですよ。学生が遊ぶ金欲しさに働くのは、ごく普通の事でしょう?」
「…そうか」
「…含みのある返事ですね?他に何か言うとでも?」
「そう思うのは、他に何か理由があるからではないのか?」
「…質問に質問で返すのは、卑怯です」
「…そうだな、済まない」
「…そうやって、すぐ謝るのも、ずるいです」
「むぅ…」こんな時、どう接すればいいのだろう。今まで不器用な自分がこれほどに恨めしく感じたことは無かった。
だが、確信した。彼女は、何かを求めてここに来た。
彼女が言った、お金以外の、『何か』を。
ならば、彼女をここで働かせたい。そう思う。
惚れたから?確かにそれもある。だが、それよりも―
放って、置けない。今の彼女は、酷く危うい。
俺が彼女に抱いている想い。
それは、愛情とか、保護欲とか、父性とか、
そんなこんな状況で抱く感情の、その『向こう側』にあるような―
そんな言葉にできないような、どうしようもない、たまらない気持ち。
気づいたら、俺はこう彼女に問うていた。

「服のサイズを教えてくれ」
「…は?」俺の問いに、凛は呆けたような顔で、間の抜けた声を出した。
「だから、服のサイズだ。早く教えてくれないか?」少し、愉快な気持ちになる。無論おくびにも出さないが。
「…セクハラですか?腹いせに何かしようとでも?…最低ですね」
「…君は何か勘違いしているようだな。服のサイズを聞いたのは、そうしないと制服が作れないからだ」
「…どういうことですか?」
「このレストランはな、一旦休業する前は俺の友人、先程君も会ったろう。眼鏡をかけた男だ。彼の両親でな」
「彼が店長となって俺はその補佐をする事になった」
「故に、だ。このレストランにウェイトレスが居たことなど無い」
「そのため1から制服を作らなくてはならないのでな。それでサイズを聞いた」
「言いにくいようなら後で六華、君に面接しようとして癇癪を起こしたコックだ。彼女に紙にでも書いて渡してくれればいい」
「…どうして」
「む?何か説明に不備でもあったか?それならもう一度最初から―」
「…どうしてですか?今までの会話の流れで私を雇う気になった理由が分からないんですが」
「先程君の言った言葉をそのままそっくり返そう。それに答える必要があるのか?」
「…差し支えなければ、ぜひ教えてもらいたいですね」
「何か変な理由だったとしたら、私の方からお断りさせてもらいたいので」
「…よほど信用されていないようだな。君が知り合った男はみなロクデナシ揃いだったと見える」俺は軽く肩を竦める。
「…そんな事は、ありませんよ」少し、先程よりも強い口調だった。
「それは済まない…いや、すぐ謝るのは卑怯なのだったな。まあそれよりも、理由、か」
「強いて言うなら…君が、魅力的だからだ」…ちょっと待て。
確かにそれは掛け値なしの本音だったが、俺は何かとても凄い事を言ってしまったのではないか?
「あ、いや、けして疚しい意味ではない、セクハラとかそういうつもりも一切無い!」
「君はその、なんだ、綺麗だからな…あ、だが人の魅力は顔のみで決まるものではない」
「とは言うがやはり客商売だ。顔が良いのには越した事は無い…いや、そうではなくてだな…」
まずい、あわてて取り繕うようにまくし立てる俺。何を行ってるのか分からなくなって来た。額にはびっしりと汗をかいていた。

「す、すまん…俺は…」
「…もういいですよ。疚しい気持ちが無いってことは、よく分かりましたから」
そういう彼女の口の端には、僅かに、本当に僅かな微苦笑ではあるが、笑みが、浮かんでいた。
ああ、やはり、彼女は、笑っているのが一番いい。
心が、眼が洗われる様だ。
「…何をニヤニヤしてるんですか?」
「…君には、笑顔がよく似合うと、思っただけだ」
「…急に変な事言わないで下さい」凛が顔を背ける。
いつもと変わらぬ抑揚の無い声ではあったが、
その頬はよく見ないと分からない程ではあるが、微かに赤かった。
「…すまんな。これこそ、無駄話だったかもしれない。コレで面接は終わりだ。帰ってくれて構わない」
「一応、あの2人とも君の採用について話し合うつもりではあるが、まずここで働けると思ってくれ」
「携帯の番号は先程聞いたもので間違いないな?…それなら採用が本格的に決まり次第連絡する。以上だ」
「…そうですか。では」そう言うと、彼女は事務所から出て行った。
その後、俺は2人に彼女を採用する旨を伝えた。
俺が私情で動くなど、自分で言うのもなんだが、生まれてこの方無かった事だった。
2人に自分の気持ちを出来るだけ明かさず説得するのに費やした苦労は、話すと長くなるので割愛しておく。
とにかく、とても疲れたとだけ、言っておこう。
採用が本決まりになったので、夜、彼女に電話した。
その事を伝えると、彼女はそっけなくそうですか、と答えた。
それは、俺の気のせいだったのかもしれない。
いや、十中八九そうなのだろうが、それでも俺には彼女が嬉しそうに返事をしているように聞こえたんだ。
こうして、俺達の店に、新たなメンバーが加わった。
それは、例えて言うなら無表情で無愛想な、氷のウェイトレス―

―幕間―

とあるマンションの一室。
バイトの面接を終え、帰宅した凛は夕食の準備を進めていた。
食器や調理器具、食材などを出しながら、思う。今日の面接の事を。
もっと正確に言えば、最後に自分と面接したあの背の高い男の事を。
確か胸のネームプレートには五代 剛とあったか。
なぜ彼は自分のことを魅力的と言った後、何故あそこまで取り乱したのだろうか?
こう言ってはなんだがそう言われるのは慣れていてその程度では何とも思わないと言うのに。
いや、今の自分にはどんな言葉すら心には響かないのかもしれないが。彼女は自嘲し、口の端を歪める。
懐から懐中時計を取り出し、蓋を開く。そこには時計の代わりに写真が入っていた。
そこには人の良さそうな男の子と並んで、誰かが写っていた。その人物の顔のある位置が、破られていた。
それは、かつて好きになった人と、自分が過去に撮った写真だった。
こんなモノを後生大事に持っている辺り、まだ未練があるのだろうか。分からない。
1年前、彼女は彼と、その友人達の元から去って以来、自分の心は凍りつき冷たくなった。そう思っていた。なのに。
自分のことを綺麗だと、笑顔が似合うと本気の瞳で言っていたあの男の事を、もう一度思い出す。
何故だろう、彼の事が気になる。
彼の事を思うと、凍りついた心が、冷たかった胸が、少しだけ温かくなったように感じる。
その時、携帯が着信音を奏でた。待ち受け画面を見ると、五代 剛とあった。電話に出る。採用が決まったとの事だった。
まただ。
彼の声を聞いていると、また、少しだけ温かい。
電話を終え、その理由を考えていたが、答えが出そうに無かった。だから彼女は考えるのを止め夕食作りを再開した。
だが、こうしてようやく彼女の止まっていた時は、動き出した。
そしてそれは、草薙 凛と言う少女の、本当の恋の始まりだった。


前へ  / トップへ  / 次へ
inserted by FC2 system