第5話「なななな(後編)」

千鳥遊町の外れに、孤児院「小鳥達の家」はあった。
白壁が眼を引く大きな洋館だった。後で話を聞くと、元々はここら一体の大地主の持ち家だったそうだ。
ただ、建築されてから相当の年月が経っているらしく、所々塗装が剥げ落ちたり金属部分が錆びたりしている。
元々は手入れされた庭木などが立ち並ぶ広大な庭も、今は更地になり代わりに古ぼけたサッカーのゴールや遊具などが並んでいる。
その洋館の入り口の大きなドアの横に、「小鳥達の家」と書かれた嫌に不釣合いな木の看板がかかっていた。
「…ん、緊張しているのかい?」門をくぐりドアの前に立つと、横に立つ奈那に話しかけた。
「…こんな状況でプレッシャー感じない方がおかしいッス」彼女の顔は強張り、少し顔色が悪い。
「えー?別に僕はなんともないけどなー?」
「そりゃ立場の違いって奴ッスよ」
「ま、アンタは何しようが何があろうが、その薄ら笑いを崩しそうにないようにも思えるッスけどね」皮肉気な笑みを浮かべる奈那。
「薄ら笑いって…せめて微笑みと言って欲しいなぁ」僕は苦笑する。
「けっ。言ってろッス…っていうか否定はしないんスね」
「まあ、ね…六華が居なくなってから、1人でもやっていけるくらい、強くなろうと思ってね」
「色々頑張ったよ。そのお陰で少しはマシになった気がする」
「でも、その代わり悲しい時に泣けなくなった。人の為にも自分の為にもね」
「本音を曝け出したり、感情を顕わにする事も少なくなったな。君の言う通り、何があっても薄ら笑いを浮かべるばかりさ」
「もしかしたら草薙君よりも、僕の方が余程無表情で無感情なのかもしれない」
「…ちと触れちゃいけないことに、触れちゃったッスか?」奈那の顔は気まずそうだ。
「気にしなくて良いよ。単なる戯言、言葉遊びさ。忘れてくれ」そう言うと、僕は奈那に笑いかけた。
虚ろな笑顔だったろうと思う。笑い声を上げれば乾いたものになっただろう。
でも、僕はそうするしかなかった。
だって、そうする以外、この僕に何が出来るって言うんだ?

インターホンを押して十数秒後、ドアを開けて出てきたのは、うっすらと日に焼けた少年だった。
「うーい。どちら様ですかっと…おお、奈那じゃん、久しぶりだなぁオイ!生きてやがったか!」少年は顔に笑みを浮かべる。
「あ、うん…」
「なんだぁ?元気ねえな。らしくねえぞ?」
「よ、余計なお世話ッスよ…」
「ふーん、まあいいけどよ…それはそうと、コイツ誰だよ?」僕を剣呑な眼つきで睨みつけながら少年はそう聞いてきた。
「人に名前を尋ねる時は、自分から名乗るのが礼儀だってママから教わらなかったのかい?」痛烈な皮肉を込め、僕は言葉を返した。
「…チッ。八郎太。九重 八郎太(ここのえ はちろうた)だよ」不快そうに眉を顰め、彼は名乗った。
「うわぁ変な名前ー」
「ケンカ売ってんのかこの野郎!」
「あはは、やっぱムカツクッスよねー」乾いた笑い声を上げる奈那。
「まあまあ、そんな怒らないで。たとえ君の名前が変でも僕は気にしないから。いい名前じゃないか。変だけど」
「…やっぱケンカ売ってるッスか?」俺を半目で見ながら、奈那。
「いやぁそんな事はないよ?いきなりコイツ呼ばわりするような奴に対する礼儀なんて、欠片も持ち合わせてないだけで」
「君は女の子だし結構可愛いから気を使いもするけど、こんな可愛げのない糞餓鬼に対してどうしろと?」僕は大げさに肩を竦める。
「ば、バカっすか?可愛いなんてこんな時に何を…」僅かに顔を赤らめる奈那。
「お前等こっちを無視して話進めてんじゃねえよ!」激昂する八郎太。その時だった。
「どうしたの?騒がしいわねぇ…あら、奈那ちゃんじゃない。久しぶりねぇ」
柔和な笑みを浮かべながらドアから現れたのは、白髪が僅かに混じっている初老の女性だった。
「お、お久しぶり…ッス」弱々しく答える奈那。
「えっと、ここの責任者ですか?僕の名前は山田 文。七々名 奈那さんの事について、お話があって来ました」
「そうですか、それはそれは…私はここの院長の十野 友子(とおの ゆうこ)です」
「では応接間に案内しますね。こちらへ」そう言うと彼女は建物の中へ入って行った。後を追う僕たち。
そこには不満げに唸る八郎太の姿だけが残された。

応接間に通され、僕等は言われるがままにくたびれたソファーに腰掛けた。
「どうぞ、粗茶ですが」そう言って、僕らの前にお茶を置いた。香りからすると、緑茶の様だった。
「あ、どうも」僕は軽く会釈をして茶をすする。葉自体は安物みたいだったが、淹れ方が上手なのか、味は中々だった。
「それで…お話というのは?」という、友子さんの言葉には、正直助かった。
どう話を切り出していいものやら、考えあぐねていたから。その言葉を聞いて、奈那は一層体を強張らせる、顔色は蒼白だった。
きっと、この人だけには自分の醜聞は聞かれたくなかったんだろうな。僕の気も重くなる。
だが、言わなくてはならない。彼女に責任を取らせなくては。僕は意を決して、話す事にした。
「ええ…その事なんですが…僕はこの町でレストランを経営してまして…」僕がそこまで言った所で、
「まあ!という事は奈那ちゃんはそこで働いてるんですね!?」喜びと驚きが半々と言った面持ちで、友子さん。
「あ、いやそうじゃなく…」僕は慌てて否定しようとするが、友子さんは聞いちゃいなかった。
「実は1年前、ここの財政状況が苦しくて困っていたんです。どう遣り繰りしても全員を養うだけのお金が捻出出来なくて」
「そんな時、奈那ちゃんが『自分を雇ってくれる所がある。住む場所も確保出来たからここを出る』と言ったんです」
「それで、1人分の費用が浮いて少しは楽になって。何とか持ち直すことが出来たんです」
「高校すら卒業してない、まだまだ子供と言っていい歳で、孤児院の為に自立の道を選んでくれた彼女には、どう感謝しても足りません」
「勿論、彼女を雇ってくれた貴方にも」
「もしかしたら、人生経験が足りない分、不束な所もあるかもしれませんが、どうか宜しくお願いしますね」頭を下げる友子さん。
本当なら、ここで本当の事を言うべきだったんだろう。だけど、僕は気がついたらこう口走っていたんだ。
「いやいや、こちらこそ奈那さんにはお世話になっているんです。若いのによく働いてくれて助かりますよ」
「ちょっと、アンタ…」奈那は何事か言おうとしたが、
「いいから、ちょっと黙ってて」僕は小声でそう言って彼女を制した。
「本当に、いい子なんだと思います…話を聞いて、そう思いましたよ」
「責任を持って、彼女は僕らが面倒を見ますから。心配しないで下さい。今日はその事を言おうと思って」
「そうですか。それはどうもありがとうございます」そう言って、顔を綻ばせた。
その後は友子さんの奈那がこの孤児院に居た頃の話をしてくれた。
僕は彼女の話に付き合う為に、奈那のレストランでの『活躍』を捏造しなくてはならなかった。
それは疲れる作業だった上に嘘をついてるはずなのに、ちっとも辛いとも嫌だとも思わなかった。

話を切り上げ、帰途につこうと部屋を出る。友子さんは見送りしてくれると言ってくれたが、僕はそれを丁重にお断りした。
玄関までたどり着き、一足先に外に出ていた奈那のもとに行こうと靴を履いていたその時だった。
「おい、テメェ」後ろから声が。振り向くと、八郎太がそこに居た。
「僕の名前は山田 文。テメェなんて名前じゃないよ」
「文?ハッ。まるで女みたいな名」彼が全て言い終わる前に、ベキィ!僕の手の平で何かで鋭い音が聞こえた。
靴を履くのに使っていた黒檀(柿の木の事。ゴルフクラブや木刀に使われるくらい硬い)で出来た靴べらを思わずへし折っていた。
「んん?何か言ったかい?」笑顔を取り繕ってはいたが、恐らく僕からは猛烈な殺気が放出されていたに違いない。
その言葉は僕にとって禁句だ。それを指摘する事はイコール僕の逆鱗に触れる事になる。結構気にしているんだ。
昔やってたアニメで、同じ事を指摘されて殴りかかったキャラクターが居ると聞いたけど、僕にはその気持ちがよく分かる気がする。
「い、いや…何でもねえよ…そ、それよりもだ!話は聞いたぜ。奈那を雇ってるらしいな」
「…無礼な態度の次は盗み聞きかい?感心しないな」僕はわざとらしく顔を顰めてみせる。
「違ぇよ!俺のいた所と応接間は近かったから音が漏れて偶々聞こえただけだ」
「ともかく、俺の言いたいことはだな…奈那の事は、任せたからな。何か在ったら、承知しねえ」なるほど、そういう事か。
「ははあ…するってぇと、君は奈那ちゃんの事が好きなのかな?」
それなら、彼の態度も納得がいく。僕はあの時奈那と手を繋いでいた。要するに、彼は妬いていたのだ。
「な、何言ってやがんだ!誰があんな奴…そうじゃなくて、俺は同じ所で育った仲間としてだな…」
しどろもどろになる彼を見て、僕は彼に対する評価を大分上方修正した。
「君は礼儀を知らない糞餓鬼だと思ってたけど、そうじゃないみたいだな」
「へっ、やっと分かったかよ」
「仲間思いのいい糞餓鬼だね」
「…やっぱりケンカ売ってるだろお前」
「はは、そんな事はないよ。まあ、彼女の事は任せてくれ、としか言えないよ。悪いようにはしないさ」僕は苦笑した。
「そ、か。ならもう云う事は無えや。帰ってくれ」彼はぶっきらぼうに言うと、クルリと僕に背を向けた。
「ああ、そうするよ」僕はそう言うと、孤児院を後にした。

孤児院を出て、僕らは2人並んで歩いていた。既に日は暮れ真っ暗になっていた。その時、奈那がおもむろに口を開いた。
「…なんで、本当の事を言わなかったッスか?」怪訝そうな顔で奈那が僕に尋ねる。
「あんな事を言われた後で君の事を『実は食い逃げ犯でしたー』なんて言えないよ」
「僕はそれほど神経が図太く無いし人でなしでもない」僕は苦笑した。
「いい子だね、君は。孤児院の皆の為に嘘ついて院を出て。1人で1年の間ずっとやってきたわけか。大変だっただろう?」
「…ふん。今更取ってつけたような同情の言葉なんて要らないッスよ」
「…そうかい。でも、なんでそんな君が何で食い逃げなんてしたのさ?」
「理由は簡単。金が無かったからッスよ」小さい溜息をつき、肩を竦めながら言う奈那。確かに、簡単な理由だった。
「他にも色々悪い事してるッス。スリもしたし、気弱そうなサラリーマンのオッサンや子供からカツアゲしたり」
「悪い事だって言う自覚は勿論あったッスよ?でもそうしなきゃ生きていけなかったんッス」
「中卒でロクな資格も無い、住所不定な自分を雇ってくれる所なんて、このご時世でそうそう在るもんじゃないッス」
「住む所となると、尚更ッス。頭金も捻出できず、保証人も居ない小娘を住まわせてくれる所なんて、もっと無いッス」
「奇麗事が言えるのは、腹がいっぱいになれる裕福な奴だけッスよ」話す彼女の横顔は、とても大人びて見えた。
きっと、言葉では言い尽くせない程の苦労を、彼女はこの若い身空で沢山背負ってきたのだろう。
「…それでも悪い事は悪い事だよ。生きてく為には仕方ないとしてもさ」
「それに同じ論理を振りかざした奴に、君が酷い目に合わされても文句は言えないよ?芥川龍之介の『羅生門』みたいにね」
「…やっぱり奇麗事ッスね。それに『羅生門』?知らないッスね」
「まあ、知らないならいいや。…とにかく、君は君のした事のツケを払ってもらう。一緒に来てくれ」
「…別にもうどうでもいいッスよ。…何処にッスか?」投げやりな言い方で僕に問う奈那。
「僕のレストランに」僕はそれだけ言った。奈那は無言で僕の横に並んで歩き続けた。
数時間後、閉店時間。閉店作業も滞りなく終え、従業員の皆が三々五々と帰っていく中、僕は休憩室も兼ねている更衣室へと向かった。
ドアを開けると、奈那がそこに居た。僕が閉店時間までそこで待っているように言っていたからだ。
「や、遅くなってゴメンね」
「ホント、遅いッスよ。レディーを待たせるなんて、最低ッスね」待ちくたびれたと言わんばかりに、不満げな顔をする奈那。
「仕方ないだろう?閉店時間にならなきゃまともに君の相手なんて出来ないんだよ。僕、一応店長だからコレでも結構忙しいの」

「あーそうッスか。…それで、自分は何をすればいいッスか?」
「ああ、それなんだけど…カラダで払ってもらおうかな」
「へ…!?」体と表情を強張らせる奈那。
「君はお金ないんだから料理の代金も払えないんだし、そうするしかないだろう?」
「あ、その前に、これに着替えて。サイズは何とかなると思うから」僕はそう言うと奈那に手に持っていたものを投げて寄越した。
それはウチの店のウェイトレスの制服だった。間違えてSサイズで発注してしまったのが残ってて良かった(ちなみに凛はMサイズ)。
「こ…コレって…まさかアンタそう言うのが趣味なんスか?」
「どうせ制服が在るんだから、今のうちに着といた方が良いと思ってね。それじゃ、行こうか」僕は奈那の手を取り、更衣室を後にした。
「へっ…ちょ…待つッスーーーーーー!」引っ張られながら悲鳴のような声を上げる奈那。無論、待つ気など僕には全く無かった。
事務所の扉の近くに在る階段を上ると、そこには1LDKの部屋が広がっていた。
「…ここは?」
「遅くまで仕事をした時とかにウチの親がここで寝てたんだよ。折角だから使わせて貰おう」
「つ…使う…ッスか」ゴクリ。と生唾を飲む奈那。何で寝室のドアから覗くベッドの方を凝視しているのかな?
「や…やっぱ服とかぬ、脱ぐんスか?」
「はあ?何で?」
「き、着たままッスか!?やっぱそういう趣味なんスね!?」
「ええいもう腹括ったッス!好きにするといいッス!」何故かベッドの方に向かおうとする奈那を、
「…ちょっと待った。さっきから何か勘違いしてないかい?」僕は呼びとめた。
「いや…だから…カラダで返すんスよね?その…こういう事は初めてッスから…優しくしてくれると…」顔を赤らめモジモジとする奈那。
「ああ、ウェイトレスはした事ないよねそりゃ。まあ、僕は優しく教えようと思うけど草薙君はどうだろうなぁ。厳しそうだし」
「そうッスね。あの人結構厳しそう…って、へ?…ウェイトレス?」
「そうだよ?明日からここでウェイトレスの仕事をしてもらう。料理代なんかちょっと真面目に働けばすぐだよ」
「いやあ。フルタイムで働いてもらえるウェイトレスさんが欲しかった所なんだ。ちょうど良かったよ」
「こっ…この…」俯き、肩を震わせる奈那。
「ん?どうしたのかな?」そう聞いた、次の瞬間。
「ま・ぎ・ら・わ・し・い・ん・スよォーーーーーーー!!!!!」ドゴォ!絶叫し、僕に強烈なアッパーカットを喰らわせる奈那。
「モルスァ」僕は思い切り吹っ飛んだ。

「痛たた…一体どうしたんだい」
あれから、僕らは一旦更衣室…ではなくフロアに来ていた。奈那も元の服に着替えている。
「うるさいッス。まったく…一時はどうなる事かと思ったッスよ」
「はあ、よく分からないな…それより、住む所がないんだろう?」
「それがどうしたんすか?」
「君が良ければだけど、ここに住むかい?ユニットバスに簡易キッチン。簡素なパイプベッドも在る」
「まあ、光熱費分と家賃は給料から差し引く事にはなるけどね」
「それでも他に部屋を借りるよりは安いと思うよ」
「え…」
「ちょっとだけ席を外すから、その間に考えておいてくれ」僕はそう言い残すと厨房へと向かった。
数分後、僕は手にトレイを持ち、フロアへと戻った。
僕は奈那の座っているテーブルの前にトレイに載っている物を載せた。
それは細かく切った野菜や肉などが入ったリゾットだった。
今暖め直したばかりなので、美味しそうな香りと湯気がたっている。
予め六華に賄いを1人分作ってもらっていたのだ。
「お腹空いてるだろう?遠慮しないで食べて」
「…安心してよ、代金を払えなんて言わないから」僕は苦笑しつつそう言った。
「食べ終わったら食器は厨房に置いておけばいいから」
「…なんで…ここまでしてくれるッスか?…自分、この店で食い逃げしようとしたのに…」
「まあ、それはやむを得ずした事だし、働いて返してくれるんだから、僕はもう何も言うつもりはないよ」
「罪を憎んで人を憎まず、ってね」
「働く場所が無いんなら、ここで働くといい」
「住む場所が無いんなら、ここに住むといい」
「居場所が無いんなら、ここを居場所にするといい」
「『Bird Nest』店長、山田 文は、七々名 奈那さんを、歓迎します」僕は、奈那に優しく微笑みかけた。

「…返さなきゃいけないもんは返さなきゃいかないッスから…別に他に行く所も無いし…働いてやってもいいッスよ」
「…別に、感謝なんてしてないッスからね!?そうしなきゃいけないからそうするだけッス!」
「それでもいいよ。じゃ、僕は更衣室で着替えてから帰るから」僕は踵を返し、更衣室に向かおうとしたが、一旦足を止め、
「ああそうだ―」
「六華がね。ちょっとスパイスを効かせ過ぎたらしいから、もしかしたら、目に沁みるかもしれないって」
「鼻水もでるかもだから、テーブルの上に在るティッシュを遠慮なく使ってね」僕は振り返らず、言った。
「グス…ヒック…よ、余計な…お世話ッスよぉ…」奈那は嗚咽しながら、そう答えた。
「はは、そうかい。…それじゃ、明日から頑張ろう」
「…ありがとうッス…」ボソボソと呟く彼女。
「…何か言ったかな?」
「な、何でも無いッス!さっさと帰れッス!」涙声で、奈那は怒鳴った。
「うん。また明日」今度こそ、僕はフロアを後にした。
翌日、六華と凛に奈那の事を説明し、渋る2人を説得するのは、ものすごく大変だった。なぜか剛は何も言わなかったけど。
バックヤードに行くと、ウェイトレス姿で開店準備に勤しむ奈那がいた。
「それじゃあ、今日から宜しくね」
「は、はいッス…てんちょ」どうやら緊張しているらしかったが、この調子なら大丈夫だろう。
「ちょ、ちょっと聞きたい事があるんスけど…」
「何かな?」
「てんちょには…彼女…居るッスか?」
「何でこんな時にそんな質問を…まあいいや。いないよ。残念ながら」
「そ…そうッスか…仕事先の店長が彼ってのも…悪くないかもッスね…」彼女はとても小さい声で呟いたので、僕には聞き取れなかった。
「ん?」
「な、なんでもないッス!…あ!開店時間ッス!…コレから、頑張るッスよぉ〜!」
そう言いながら勢いよくフロアへと飛び出して行く奈那の顔には、晴れやかな笑顔が浮かんでいた。


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