第8話「フォーリンラブ・アゲイン(前編)」

目覚まし時計のベルが鳴る前に起きるなんて、何年ぶりだろうか。
時計を見ると、セットした時間より1時間も早く起きた事になる。
昨日はミーティングもあり、今日が楽しみで中々寝られなくて、寝入ったのは相当遅い時間だったはずなのに。
お陰で睡眠時間は少なく、昨日の疲れも残っている筈。
なのに、妙に意識は冴え渡り体には活力が漲っている。
(我ながら、何て分かりやすいんだろう)私、六道 六華は苦笑いをするしかなかった。
コレではまるで、遠足か遊園地にでも行く子供みたいではないか。
まあ、仕方ないかなぁ、とも思う。
何故なら、今日は好きな人とのデートなのだから。
昨日は思わず彼にそう口走り、それを指摘され咄嗟に否定してしまったが、私的にはデートである。
誰が何と言おうとデートなのである。
デートだと、思いたい。
たとえ、食事を奢ってもらう約束をしただけだとしても。
彼は別に自分に対してどうこう思ってるわけではないとしても、だ。
「デートかぁ…へへっ…」口に出しただけで顔が緩んでしまう。
あーもう。しっかりしろ、私。思春期に入りたての少女じゃあるまいし。
もう一度、時計を見る。早起きしたお陰で、大分時間が在った。
「シャワー浴びよ…」私は脱衣所のドアを開けた。
「べ、別に変な意味じゃないんだから…」
「ただ人と会うんだから、体を綺麗にしておくのは当然なのよ、うん」
自分に言い聞かせる様に、言い訳がましい独り言を呟きながら私はパジャマを脱いだ。

「痛たた…気合、入れすぎたなぁ…」浴室から出た私は、顔を顰めながら1人ごちた。
入念に洗おうとする余り垢すりで体を擦り過ぎてしまった。まだ体がヒリヒリする。
髪にドライヤーを当て、セットすると、赤くなった所にベビーパウダーをつける。痛みが和らぎ、我慢できるレベルになった。
脱衣場を出て、部屋着に着替えると朝食を作り、食べる。
それが終わったら化粧開始だ。
基本的に薄く、あくまでもナチュラルに。
厚化粧をするのは、返って自分の容姿に自信が無いと公言しているようで嫌だった。
でも流石に学生時代とは違う。
20代半ばのこの年になって、すっぴんで外出できる程図太い神経をしてるわけでも無いし、女を棄てているわけでもなかった。
コレもいつもの倍近くの時間がかかってしまった。
そうこうしているうちに、約束の時間が近い。
早く外出用の服に着替えなくては。
私はクローゼットから服を何着か引っ張り出しては、姿見の前でにらめっこする。
「ん〜コレはなんか野暮ったいし…かといってコレは色調が暗すぎて喪服みたいだし…」
幾ら急いでるとはいえ、コレばっかりは妥協できない。
それから、大分時間が経った頃、
「よし、これに決まり!」ようやく着る服が決まる。
私が選んだのは、ノースリーブワンピースにフリルのついた白いキャミソール、
下はデニムミニスカートにした。
「よし、それじゃ行くかな…」私はそう言いながら時計を見て、絶句した。
約束の時間をとっくに過ぎていたからだ。
待ち合わせ場所の小鳥遊駅までは、どんなに急いでも15分以上かかる。私の顔から血の気が失せていく。
「ま、まず…っ…ち〜こ〜く〜だぁぁぁぁぁっ!!!!!」
私は悲鳴じみた叫び声を上げると、慌ててミュールを履き、外へ飛び出した。

小鳥遊駅についた頃には、既に約束の時間を30分近く過ぎていた。
(あっちゃ〜…怒って帰ってなきゃいいけど…)私は心の中で呟きつつ、駅の構内に足を踏み入れる。
中に入ると、周りを見渡す。するとベンチに座っている人影が。
そいつは首の辺りまで伸びた髪を縛り、フレームレスの丸眼鏡をかけていた。
眼鏡の奥から覗く細い眼は、私を視界に捉え微笑んだ事で、糸の様に細くなる。
彼の名は山田 文。私がシェフとして働いているレストラン『Bird Nest』の店長。
そして、私の好きな人だ。
「えっと…待った?」私は彼に近づきながら、気まずげに言葉を紡ぐ。
言ってから馬鹿な事を言った、と思った。待ってない訳が無いだろう。
「ううん、僕も今来た所だから」と言うが、嘘に決まってる。
近くに空いたコーヒーの缶があり、その中に何本もタバコの吸殻が突っ込んである。
レストランで働くようになってから知った事だが、ヘビースモーカーという程ではないが、彼はかなりタバコを吸うのだとか。
私を気遣ってくれた気持ちは嬉しい。
けど、あまりに下手な嘘をつくものだから、少しからかいたくなった。
「へ〜…って事は、私が時間通りに来てたら大分待たされてたワケね」わざとらしく不機嫌な表情を作り、剣呑な口調で言ってみる。
「え!?あ…いや…あれぇ…?」すると、私の言葉に面白いくらい混乱し、狼狽する文。
「別に私も遅れたからどうこう言わないけど、女を待たせるのって最低じゃない?」笑い出したくなるのを堪え、さらに言う。
「結局言ってるじゃないか…」不満げにボソボソと呟く文。聞こえてるわよ、お馬鹿さん。
「なんか言った?」軽く睨んでみると、
「な、なんでもないよ…ごめん」青菜に塩とばかりに萎縮してしまった。
「うそうそ。冗談だってば」
「遅れちゃってゴメン。待っててくれたんでしょ?嘘つかなくていいから」
「あ、うん…実は…結構、待った」
「全く…最初からそう言えばいいのよ、ばか。前も言ったでしょ?ブン如きが私に気を使うなんて100年早いの」
「お詫びに飲み物くらい奢るわ。電車から降りたら、近くの喫茶店にでも行きましょ」私は駅の券売機に向かって歩き出した。
「まったく…君って奴は…」そう言って、文は私の後を苦笑しながらついてきた。

ホームに入って来た電車に乗ると、程なくベルが鳴り、電車はゆっくりと動き出す。
目指すは県内有数の地方都市である、神楽市の中心街。其の名は桜野。
私が働いてるレストランの様な小規模な店舗やコンビニ位しかない、典型的なベッドタウンである小鳥遊町とは異なり、
遊ぶ場所や食べる場所には事欠かない、というわけ。
今日は水曜日という事もあって、通勤ラッシュの時間帯をとうに過ぎた電車の中は、思った以上に閑散としていた。
席を確保するのが容易に出来るのはいいけど、此処まで空いていると少し寂しい気もする。
喧騒や人いきれは、私にとって嫌いなものでは無いから。程度次第では在るけどね。
まあ、レストランなんて言うサービス業の代表格の様な職場で働いている限り、平日休みが基本なのは当たり前。
そう結論付け益体も無い事を考えるのを止めると、駅で買ったジュースを一口飲み、文に話しかけた。
「ブン、今日は何処に行くの?」
「言っておくけど、しょうもないとこ連れてったら承知しないからね?」いや、文と一緒なら何処でもいいんだけど。
でも、どうせ行くならセンスのいい店や、美味しい料理の出る店とかに行きたいって言うのも、あるわけよ。
それに、好きな人がそういうのを知ってると、なんとなく誇らしい感じがしない?
「ん〜ちょっと前々から行ってみたい所があってさ」
「いい機会だからそこに行こうかな、って」
「へぇ。なんて店?」
「それは着いてからのお楽しみ」文は不適に笑う。
「な〜んか、ブンのくせに生意気なリアクション」
「誰かさんのお陰だよ」文の不敵な笑みが苦笑へと変わる。
「ふぅん、言うようになったじゃない。せいぜい楽しみにさせてもらうわ」
私はジュースをまた一口飲んだ。

電車を降り、駅から出て目的の店に向かう。
なんというか、ただ一緒に歩いているだけなのに、意味も無く楽しい気分になってくる。重症だなぁ、私。
さすが神楽市の中心だけあり、平日だと言うのに人の数は結構なものだった。
だとしても、学生服に身を包んだ人影をちらほらと見かけるのは如何なものだろう。病んでるなぁ、ニッポン。
「ちょっとブン?こんなに人が居るからって、はぐれて迷子になんかならないでよ?」
「迷子のアナウンスで呼び出されても行ってなんかあげないからね?」
「…僕をなんだと思ってるんだ君は」さすがの文もこれには呆れ顔で反論する。さすがにちょっと言いすぎか。
「あはは、悪い悪い。別に本気で―うひゃあ!」弁解の言葉は途中で驚きの声に変わる。
文が私の手をぎゅ、と握り締めてきたからだ。
「あああああああんた、いいいい一体何を…」どもりまくる私。
(うああああブンが私の手を握ってるっ!?)心拍数は一気に1.5倍に。顔は赤くなり額には汗がびっしり。
(ナニ?何でコイツ積極的なのよぉ!?自覚が無いのが腹立つなぁ)
(っていうかこいつの手、結構硬くてがっしりしてる…以外。でも結構いいかも)
(いやいやそれよりもっ!)
(ここで一言なんか言っとかないと今まで築き上げた威厳と言うかマスターアンドスレイヴな関係と言うかそういうものが壊れるぅっ)
そう、混乱した頭で半ばワケの分からない事を考えつつ、こんな事をした彼の方を向いて文句の1つでも言おうとして、
「ほら、コレならはぐれないだろう?」と、言いながら微笑む彼の顔をモロに見てしまった私は、
思考が、止まった。
顔が、熱い。
先程とは比べ物にならないくらい顔が赤くなってるのが分かる。
きっと耳までトマトみたく真っ赤なんじゃなかろうか。
「大丈夫六華!?顔が真っ赤だ!」何も分かっていない文が慌てた様子で聞いてくる。
「熱中症の前触れかもしれない。…ほら、僕の飲んでたコーヒーで良かったら」
そう言って彼が差し出したコーヒーを、先程のショックで頭の回転が極端に落ちていた私は、素直に受け取り飲んでしまった。
そのコーヒーを半分くらい飲んだところで、
「あ、そう言えばコレって、関節キスだよね?」思いついた様に言う文。
私は、飲んでいたコーヒーを盛大に吹き出した。


前へ  / トップへ  / 次へ
inserted by FC2 system