その10

卒業式なんて、校長やPTAで偉そうにしてる人の話を聞いて卒業証書をもらうだけだ。
ただそれだけのことが、妙に長く感じる。
大学受験が終われば、大学に入り、大人になる準備をしていく。
そして自分のやりたいことをよく考え、社会へ羽ばたいてください。
要約するとこれだけのことを、だらだらと喋り、さらに複数の人がそれを繰り返す。
思わずあくびも漏れるっての。
まあ、そんな感慨も何もない俺でも卒業証書をもらえば多少瞳を潤してみたり。
そして最後の締め、校歌斉唱だ。
涙声としゃっくりと低めの声が響く中、俺はいつもより真面目に歌った。
名残惜しくピアノの演奏が終わり、卒業式は幕を閉じる。
さっさと退散して受験勉強でもしよう、そう思って体育館の出口へ向かう。
「高志」
かなみに声をかけられたのは、十歩ほど歩いたときだった。
涙ですこし赤くなった眼をして、視線を泳がせながら
「ちょっと、いいかな……」と。
「……ああ」
話があるのは、こっちもだ。
胸に広がる悲しさと、心に染みる痛みが、大きく心臓を打つ。
「……とりあえず、場所変えようぜ」
俺はこれから、かなみを突き放す。


とくん、とくん。
緊張で張り詰めた胸が、どきどきと拍動する。
少しだけ荒くなった息遣いや、上気した頬。
きっと、目の前の彼は気付いているに違いない。
申し訳なさそうに私の足元を見ている彼、別府高志。
あちこちに落ち着きなく飛ぶ視線のなか、高志だけを捉えて。
私の想いを、口にしよう。
「あ、あのっ……」
語尾が掠れてうまくいえない。
「わ、私……アンタの……こと…が…」
アンタのことが好き、そう言って、ポケットの中のチョコを渡せばいい。
ただ、それだけなのに。
――――――――――――。
最後まで、言えなかった。
心は自分で何を言ってるのか分からないほど叫んでいるというのに。
のどからはこすれたような、か細い呼気しか零れない。
高志が、これ以上なく、寂しい、泣きそうな顔をしたからだった。
「何よ……アンタ……」
何で……そんなキャラにない顔してるのよ……。
そんな顔されたら……私も泣きたくなるじゃない……。
もやもやと膨らむ悲しい気持ちを抑えることが出来ない。
その沈黙を破ったのは、寂しそうに微笑んだ高志だった。
「かなみ」
冷たい風が、背後から吹く。
「――ごめん」
かなみ、ごめん……。
その言葉が、心を抉り振動する。
あれ?
私……振られたの……?
「……ヒッ」
胸のそこから、何かがせりあがって。眼には、涙が浮かぶ。
そんな私に、泣きそうな視線を向けながら高志は話を続けた。
「俺さ、来月で引っ越すんだ」
え?
「地元の、北海道に帰る」
ちょっと、まって……
「俺の親父、医者やっててさ。長男の俺が、跡継がなきゃいけなくて」
それって……どういう…
「向こうの大学の医学部に、行かなきゃいけないんだよ」
「だからお前とは、付き合えない」
「俺が大学行くのが六年間。親父に鍛えられて一人前になるのにあと数年。そんだけありゃ、別のいいやつ見つかるだろ?」
何よ、それ。
「寂しいけど、そういうことだ。」
わかんないよ。全然。
「今まで、ありが――」
「わかんないよっ!」


突然、抱きつかれた。
全然速くない、全然強くない衝撃。
けど、俺はそれで動けなくなる。
「おい、お前――」
「わかんないよっ!」
その時上がった顔は、涙でグショグショに濡れていた。
「何よそれ!何なのよ!医者?医学部?北海道?十年?だからなんなのよ!」
背に回された腕は、どんどんと力を強め、ひしひしと俺にかなみの気持ちを伝えてくる。
「私は、アンタが好き!」
体の奥で、何かが芽生える。
「医者だとか医学部だとか言いわけしないで!そんなこと、私は聞いてないよ!」
ずっと、抑えて、隠し通そうとした想い。
「アンタは、私をどう思ってるのよ!?」
それが、徐々に、徐々に、つぼみを膨らませて。
「嫌いなら、そんな顔するな!好きなら、ずっと待ってろとか言ってみなさい!」
「どうしたの!?このままだと、私どっか行っちゃうよ!?それでもいいの!?」
「アンタは、私のことが好きなの!?どうなのか、答えなさいっ!」
「大好きだよっ!!バカ高志っ!!」
バカみたいにガキみたいに、泣き叫ぶキミを、愛しく思うよ。
ああ、やっぱり俺は。
「大好きだっ!!バカかなみっ!!」
言葉で伝えきれない想いを伝えるために、強くかなみを抱きしめる。
「……ありがとな」
「……グスッ…ヒクッ…」
胸に押し付けられた涙で、俺の制服が濡れる。それは、ちょうど第二ボタンの位置だった。


がちゃり、と鍵を閉めて合鍵を隠している場所に戻す。
一年間お世話になった部屋とも、もうお別れだ。
「行こっか。高志」
「おう」
あれから、僅か二週間あまり。俺達は、その間ずっと一緒にいた。
かなみの両親に許可を取って、かなみは俺の家に泊まった。
一緒に飯を作った。一緒に買い物にいった。一緒に風呂に入った。
一緒に寝て、一緒に起きて……。
今から、一緒に駅まで行く。手をつないで。
「で、だな。そこでハードゲイはこう言ったわけだ」
「はははっ。何それ〜」
なんでだろう。別れが近いというのに、俺達は笑ってる。
悟りとか諦めとか、そんなハズカシー理由じゃないと思う。
なんか、この安心する時間を、そんな感傷で浪費するのはもったいない。
そんな気分だ。
「そして黄金のスネ毛は……って、かなみ?」
かなみはきょとん、とした顔で空を見ていた。
「今……桜が舞ってた」
「え……うそだろ?まだ三月初めだぞ」
「本当だって!」
上を見れば、大きなつぼみをつけた桜の木がある。
けれど、どの枝にも開ききった花はなかった。
「……気のせいじゃねえ?」
「……むぅ〜〜〜」
拗ねながらきょろきょろとあたりを見回すかなみは、すっげぇ可愛い。
やがて、諦めたのか小走りで俺の前に回り、その口は言葉を紡ぐ。
「桜って言えばさ、覚えてる?」
「ん?」
「私達が、友達になった日に言った事よ」
「ん?ん〜〜〜……」
必死に頭の中で記憶をまさぐっていくと、一つの情景にたどり着く。

桜がさ、散っていくのは、春に流す涙を笑顔に変えるためなのよ。

なんかさ、そう考えると、あったかくない?

「お前が、中庭で歌ってた時のことか……」
「そう、それ」
俺が思い出したことが本当に嬉しいらしく、かなみは満面の笑顔だった。
「あの時は、ご都合主義の論理とか言ってくれたわね?」
ひじで俺を小突きながら。
「で、今はどう思うかな?可愛い彼女さんの素敵論理を」
「ん、そうだな……」
考えるフリをして、結局あの頃からずっと変わらない思いを口にした。
「すっげぇ、優しくて心に残る、いい言葉だな」
しっかりと、かなみの眼を見据えて。
「大好きな、お前の、言葉だ」
素直に、心から笑った。
「……そんな恥ずかしい事、よく言えるわね(/////)」
「なんとでも言え。俺はお前が好きな俺を好きだから、恥ずかしくなんかないぞ」
「お生憎様」
つないでいた手は、いつの間にか組んだ腕に変わりかなみは俺の肩に頭を乗せる。
「私も、アンタが好きな自分を、目一杯愛しちゃってるから」
恥ずかしくて嬉しい言葉を、言ってくれるじゃん。
「なあ、聴かせてほしいんだけど?」
「何を?」
「……あの時の、『振り向けば…』とかって曲」
初めて聴いた、かなみの歌。初めて感じた、眩しい存在。
そして、初めて好きになった、かなみの一部。
「……いいよ」
小さめの声量で、かなみは歌った。
俺だけのために奏でられる、かなみの旋律。
ゆっくりとしたペースで歩きながら、ふと思った。
時が、止まればいい……。


ホームは、乗客で溢れかえっていた。
みんな、活気に満ちた表情で電車を待っている。
「ほれ、飲め」
「……ありがと」
かなみは俺に顔を向けず、缶も確認しないで炭酸飲料を取った。
「あ、お前……」
そしてプルタブを捻り、口をつけて飲む。
コク、コク、ブハッ!
かなみがファンタ吹いた。こいつは炭酸が飲めないんだ。
「ちょ、おま、きたねぇwwwwwだから言ったのにwwwww」
言いながら、俺の持っていたオレンジジュースと代えてやる。
「う〜〜〜……」
そんなにきつかったのか、少しなみだ目になっているかなみ。
こんなこと前にもあったな、と思う。確か、あの時は。
「なあ、これって……」
「間接キス、だよね」
俺の声にこたえたのは、さっきまでとは違う、寂しげな口調。
見れば、目尻には明らかな涙が浮かんでいる。
「ごめん、やっぱりさみしい」
俯いた顔から届く潤んだ声。
震える小さな肩は、だんだんと動きを増していく、
何か、声をかけようと思ったと同時。
俺の乗る電車が、ホームに滑り込んできた。
「……あ」
これに乗らなければ、今日中に飛行機に乗れない。
その時、シャツの袖を引っ張られた。かなみだ。
振り返ると、かなみはこっちに顔を向けている。
行かないで、傍にいて。と訴えるように、悲しい顔で。
それでも、無理に笑って、彼女は行った。
「……行って、らっしゃい…」
「……行って、来ます」
別れ際、かなみと唇を合わせた。
それは、俺とかなみの、ファーストキス。
軽く触れ合うだけの淡いキスは、暖かく、柔らかく、涙の味がした。
その時の気持ちは、忘れない。
悲しいけれど、寂しいけれど、けど今までよりもずっと幸せだった。
ごめん、前言撤回。時がとまればいいなんて思ったりはしない。
だって、もしさっき時間が止まってたら、いまのこの気持ちは味わえないんだぜ?
冗談じゃない。これからも、いまよりずっと幸せな事があるに違いないんだ。
なら、時よ。どんどん進め。
かなみと二人で、幸せ見つけつくしてやるから。
発車ベルが鳴り響く中、駆け足で電車に向かう。
乗った瞬間、振り返った先。
涙をこぼしながら笑うかなみの頭上に、桜の花びらが見えた気がした。
ドアが閉まる。俺とかなみは、引き離される。
「―――――!!」
何かを叫ぶかなみの声は、俺には聞こえないけれど、その想いは俺に届いたよ。
見えなくなっていく彼女の姿。それを思い、俺は願う。
桜よ、無邪気に舞う、桜たちよ。
どうか、今年も来年も、咲き乱れてくれ。
かなみの傍に、寄り添う事すらできない俺の代わりに、彼女の涙を笑顔に変えてくれ。
今流している彼女の涙が、希望あふれる笑顔の糧になるように。
どうかまた、彼女のために、咲き誇れ。
また、笑顔で二人、手をつなげる日が来るまで。
「またな……」
気付けば、頬には一筋の涙が流れていた。


前へ  / トップへ  / 次へ
inserted by FC2 system