その4

「はいはい、どんどん引っ張って〜」
後ろからのやかましい声を無視し、俺は近くではしゃぐガキをかき分けて進んでいった。
左手には、椎水がつけている浮き輪の紐。
椎水を見やると、ふにゃっとした顔になって流れに身を任せていた。
「楽しいか?」
「そこそこ〜」
そんな他愛ない言葉を交わし、水がみぞおちほどのところまで来る。
「こんくらいまでが限界」
「おっけ、ありがと」
ぷかぷかと浮かびながら、彼女は俺を上から見下ろして労った。
「へへえ〜、いまはわたしのがおっきいんだぞっ?」
ぽんぽんと頭を叩かれた。
「うっせえよチビ」
「いまはアンタのがちびなんだぞ〜」
「このやろっ!」
「うわっ!ちびが怒った〜」
そして、俺がふざけて伸ばした手を椎水が避けようとして、
浮き輪から少し体をずらしたとき。
ひときわ大きな波が押し寄せてきた。
「うわっ!」
「きゃっ!」
波に上から押し込まれ押し流され、先ほどより沖の、深いところに引きずられる。
椎水は無事だろうか、と思った。


急いで水面に上がり、立ち泳ぎで辺りを見渡す。
「椎水っ!」
どこかに居ないか?と思った瞬間、椎水の浮き輪が視界に入った。
いまは、持ち主は居ない。
「……っ!」
息を大きく吸い込んで、もぐる。
水中メガネやゴーグルは持ってきていないので、視界はおぼろげに歪む。
けれど、何とか苦しげにもがく肌色が見えた。
いた…。
平泳ぎでそちらまで近づき、もがくそれを押さえ込む。
そして俺に気付いたそいつを水面上まで引っ張り揚げた。
「ぷはあっ!」
四苦八苦しながらも、何とかミッションコンプリート。
「大丈夫か?」
げほげほとむせこむ椎水を浮き輪につかまらせ、背中をさする。
「こほっ、こほっ……ありがとう…」
「そっか。」
良かった。思わず吐息が漏れる。
浜辺のほうを見ると、山田と水谷がこっちに駆け寄ってくるのが見えた。
「戻ろうぜ、危ないし」
そして浮き輪を引っ張ろうとしたとき、腕を掴まれた。
「ん?どうした?」
「えと、その、あの…」
椎水は真っ赤な顔で、しどろもどろにえと、その、を繰り返す。
「腰が抜けたか?」
冗談で俺がそう聞くと、
「ブラ……流されちゃった…」
………
「だから……おんぶ」


にいちがに、ににんがし、にさんがろく……
「変なこと考えたらダメだからね……」
「あ、ああ……」
すいへーりーべーぼくのふね。
「あれ?どうした別府?顔赤いぞ?」
「あはは……がんばれ別府」
ありおりはべりいまそかり。
しんかんせんはかりあげ。
「顔、赤いの?」
そして顔を覗き込む彼女。
ちょ、まて。いまはやばい。
椎水のブラが流れたので、胸を隠すためにおんぶをすることになった。
山田、水谷は何故かわらってこっちを見るだけだし、結果俺がその役に。
いまも、いまもその押し付けられる小ぶりだけど確かに柔らかい二つのふくらみが!
そしてその先端のく に く に した突起物が!
いまも腕にうまく力が入らない。
そのせいでバランスを崩した。
「きゃっ…ちゃんと持ちなさいよ!」
「ご、ごめ…うあっ!?」
そして椎水は振り落とされないように、俺にすがるように腕に力を込めた
当然その圧力に負けて
まるで水蜜桃のように柔らかいふくらみが!
そして世の中の男性の八割は夢見る突起が!
いま俺の背中に!背中に!バックに!
突き立てられているんだよぉぉぉォォォ!
「わるい。椎水、いまは話しかけるな」
「むぅ、何よ〜そんな言いかたないじゃない」
そして俺の腹の前に手を持っていき、叩くとかしようとしたんだろうな。多分
けどさ、そこはさ。
「あれ?」
くりくり、くりくり。
いまお前がなでてるのは、おっきした俺の如意棒の先っぽだよ!
「この硬いの……え?あ?」
「やめろ!あぅ…」
俺が情けない声を上げると同時に椎水は事態を理解し、
「きゃあああああ!」
しかし、胸を隠すのに離れられない。
それどころか姿勢を崩さないようにぎゅっと、力を込める。
そこからパラソルまでの数十秒は、恥ずかしいやら気まずいやら大変だった。


なんだかんだ過ぎて、もう夕方。
あれから海なんてどうにもできなかった俺たちはそれぞれの部屋に戻った。
最後に、タオルを胸に巻いたまま顔を赤くした椎水が、頭から離れなかった。

食事のときも妙にぎこちない。
ちらちらとお互いをみて、そして眼を逸らす。
口に運ぶ料理の味なんてまったくわからない。
そんなぎこちなさに負けて、適当に食事を詰め込んで真っ先に部屋に戻った。
ふすまを開けて、いつの間にかしかれた布団を見る。
「むぅ……」
目に入る俺達の荷物や茶色い壁が、何故か居心地を悪くする。
「う〜、ぁ〜」
ごろごろ、ごろごろ。
胸を覆うもどかしさが、膨らんでいって。
「っし!」
それに気付かないよう、立ち上がる。
「散歩、行ってきます」
そう独り言を言って、靴を履こうと玄関へ。
ガラリ、と戸を開ける。
目の前には椎水が居た。

少し時を遡り、五分前。

「待ちなさいよ、別府!」
逃げるように部屋から出た別府を追って、わたしも立ち上がる。
「がんばってね〜」
「うはwwwおkwww」
すごく楽しそうな二人をにらみつけてから、前を向く。
どうせ部屋にでも居るに違いない。
海から戻ってきてから、彼の様子はおかしかった。
なんかわたしを避けてるみたいだし、あんまり話しかけてくれない。
確かに恥ずかしかったけどさ……。
わたしも、ちょっと普段どおりって訳にはいかないけどさ……
やっぱり、なんかムカつく。
だから、仲直りっていうか、そんな感じのをするために。
彼にあったら、ガツンといってやるんだ。
そして部屋に着く。
走ってきた勢いで、思いっきり戸を開けようとした。
はずなのに。
「……っ…」
手に力がこもらない。
緊張する、どきどきする、顔が赤くなって息が荒くなってキュンってなった。
ただ、彼に話しかけようとしているだけなのに。
すっごく、照れる。
やっぱりわたしも昼のことを引きずっていたんだ。
そして入ろうかどうしようかと、部屋の前でぐるぐる回ったりもだえていたりしていたとき。
ガラリ、と戸が開いて。
顔の赤い別府高志と、目が合った。


「お、おう……」
「あ、あは……」
お互いに、なんとなく挨拶を交わす。
部屋の玄関前で突っ立っている二人の男女。
気まずさたっぷりで視線を逸らし、自分の足元を眺めている。
「あ〜、俺、ちょっと外出てくるから」
とりあえず、当初の目的を果たすことにしよう。
そうして椎水の横を通り抜けようとしたとき
「ぁ……」
という呟きが聞こえ、彼女は俺の手をとった。
「……どうした?」
彼女は自分の行動に驚いて、そして
「……うぅ〜……」とうめいた。
「なあ、どうした?」
そういって、手を振り払おうとしたとき、
「ぁっ…わたしも行く!」
と何故か顔赤く彼女は叫んだ。
「絶対、付いていくから…」
何を必死になっているんだろう、俺は考える。
結局思考がまとまらず、俺はとにかく
「ご自由に……」
と呟く事しかできなかった。


昼あれだけ熱かった砂浜も、夜は心地良い冷たさになっている。
押して寄せる小波に、足を浸しながら歩いていく。
「ここで、座ろうぜ」
「…えっ?あ、う、うん」
砂浜の真ん中で腰を下ろす。冷えた潮風が、暑い気温で火照った顔をなでていった。
付いていく、と勢いで言ってしまった隣の彼女は、さっきからずっと黙ったままだ。
そして、さっきからずっと俺の手は彼女の手とつながれている。
手は、すっかり汗ばんでいる。
彼女も気持ち悪いだろうと思い、こう言った。
「手、解いていいか?」
「っ……うん…」
そうか、と俺が頷く前に彼女は手を引く。
ぎゅっ。
けれど代わりに、彼女は俺の腕を取って顔をかたに乗せてきた。
「ちょ、お前……」
「黙って」
そしてさらに力を込める。
「いや、お前」
「黙りなさい」
余計、暑いだろうがよ。
さっきから何を必死に……。
「嫌なの?」
「は?」
「わたしに腕組まれたら、嫌なの?」
そう聞く彼女の声は、なぜかどきりと胸に刺さって。
「今日ずっと避けてたのも、わたしじゃ嫌だったからなの?」
「おい、お前何を……」
「黙りなさい!!」
ばっ、と彼女は立ち上がって。
「何よ!あれからずっとわたしと話そうともしなかったじゃない!」
「わたしも、恥ずかしかったけどさ、けどさ!」
「けれど、あからさまに避けないでよ!」
「それじゃ、わたしが嫌われたみたいじゃない!」
「それじゃ、ちょっとどきどきしちゃったわたしが馬鹿みたいじゃない!:」
一気にそこまでまくし立てて、彼女は息を吸い。
「何とか言ってみなさいよ、バカァ!」
と、叫んだ。
「…」
「……バカァ…」
「………くくっ…」
「え?」
「ははははは!」
「え?ちょ、ちょっと、何がおかしいのよ?」
「くくく……ヤバイ、お前すっげ可愛い」
「……う…」
「そっか、ごめんな。確かに避けちまってたよな」
照れ隠しのやり方すら、へたくそな俺。
そんな自分が、少し腹立たしい。
「わ、わかればいいのよ。次からは普通に接して――」
今日は、少し冒険してみよう。
「なあ、椎水」
「くれれば――って、え?」
「俺、お前が好きだ」
「え?ああそうなの?ありがと――ってええええ!!??」
「うん、好きだと思う」
「も、もう騙されないんだから!」
多分、この前おちょくった事を思い出しているんだろう。
「今回は、本気かもしれない」
「嘘よ!」
「本気」
「絶対、嘘!」
「本気だと思うぜ、かなみ」
「……うぅ〜〜」
「これからは、かなみって呼んでいいよな?」
「……これからは、高志って呼ぶから」
月が輝く、夏の夜のこの日。
俺とかなみは、少しだけ、近づいた。


追伸:俺達が居ない事をいいことに、山田と水谷は勝手に俺達の部屋で乳繰り合ってました。
帰る途中に、部屋から喘ぎ声が聞こえたらびびるだろが。
別の意味で、俺と椎水は話す事ができなくなりました。


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