その6

放課後、テスト一週間前なのでたいていのヤツは早々に荷物を片付けて帰路に着く。
俺もそのたいていのヤツに分類され、普段使わない辞書や教科書をかばんに詰め込む。
視界の隅で、急いで教室を出る山田の姿が目に入った。
「……あいつ…」
ちらり、と水谷を見やると目を伏せながら早歩きで教室を出ているところだった。
結局あいつら、今日一言も口利いてなかったな……。
俺は黙って見守るぐらいしかできないんだよな……。
「……帰って英語の勉強でもするか……」
重いかばんを肩にかけ、一歩を踏み出そうとする。
「高志」
呼びかけられた、声の主はかなみだ。
「……何?」
不機嫌な様子をあらわにし、振り返った。
「今日、図書館で勉強しない?」
迷いながら、それでも決意したようにかなみは俺に言う。
多分、話し合いたいんだろう。
当事者でない自分達にも、あいつらのためにできることがあるかどうかを。
「……ああ、わかった」
俺もそう思ったから、黙ってかなみに頷いた。


今日一日、本当に辛かった。
ずっと涼を自分から避けて、睨んだだけのこと。
ただそれだけのことが、こんなに胸に痛い。
家に帰り、何も考えずにベッドに寝転がってそんなことを思う。
「……勉強しなきゃ」
逃げるように呟いて、かばんから教科書とバインダー、そしてルーズリーフを取り出す。
まずは、数学だ。
問題集は一通り終わったので、あとは自分が間違えた問題を解きなおす。
どこかの大学の入試問題、またはその類題。
ペンを走らせ、数式をつづり、ただ答えを導いていく行為。
四、五問といて、違和感を感じた。
いつもと違う、何か。
「……ねえ、」
そこで、その違和感に気付いた。
涼が、いないんだ……。
いつも、テスト勉強の時には彼と一緒に勉強して、彼に教えるのが普通だったから。
「涼ぉ……」
その響きが、今は胸を締め付ける。
――――知らない。
昨日、涼に言ってしまった言葉が蘇る。
――――今日は、最悪の日だったよ。
私、何てこと、言っちゃったんだろう……。
「ひ―――」
息が苦しくなって、喉が痛くなって、胸からあふれる何かが止まらなくて。
逸らした目線の先には、昨日私がつけていたリングがあった。
左手薬指につけていた、大切な――――。
「あ……」
視界が滲んで、何も見えない。
頬に伝う温かい水に気付いて。
「あ、あああああああ!!!」
もう、自分じゃ止められなかった。
「う、うぇっ…ああああっ!」
さびしいよ。
「ひくっ、グスッ…うぇっ…」
あいたいよ。
「えぐっ……ひくっ…涼…りょおっ!」
抱きしめてよ。
傍にいない彼の名前を、子供のように泣き喚いて呼び続ける。
ごめんなさい。
その一言が、私にはどうしても言えなくて。
ひょっとしたら、もう涼は許してくれないんじゃないかと思ったら、言えなくて。
こんな私で、ごめんなさい。
ダメな私で、ごめんなさい……。

テスト一日目
俺は、山田に声をかけようとしてHRが終わると同時に席を立った。
「山田!」
呼びかける声に、あいつは振り向かず、
「悪い、別府。用事があるんだ」
と簡潔に話して、そのまま走り去っていった。
なんだよ……。

テスト最終日。
そろそろクラスのみんなのストレスがピークに達するとき。
いつものように、少し早めに学校に来て、涼を待つ。
お守り代わりにポケットに入れたリングを、指で転がしながら。
一人、また一人と教科書やノートを睨む学生が増えていく。
けれど涼は、まだ来ない。
遅いよ……。
結局チャイムが鳴るぎりぎりに、彼はやっと来た。
目の下にクマを作って、フラフラになりながら。
どうしたのよ、そう問い詰めたかった。
ただでさえ、こんなに辛いのに。
もし涼に倒れられたら……私、泣いちゃうわよ。
テスト中に居眠りを始めた彼を見ながら、思う。
その日、私は生まれて初めて解答用紙に空欄を作った。


「かなみ……やっぱ来ないって?」
「うん……、迷惑かけてごめんって、謝ってた」
テストが終わり、バンドの練習をするはずだった今日。
山田と水谷は、練習に来なかった。
「演奏するやつらがいなけりゃなんもできないじゃねえか…」
音楽室の机を殴る。訳のわからないもやもやを吐き出すように。
こんなんで、いいのかよ……
何もできないくせに、と自嘲して俺はもう一度拳を振るった。


「ただいま……」
親が共働きのため、俺の帰宅はだれも迎えてくれない。
虚空に向かって意味のない呼びかけをしてから、俺はソッコでベッドに向かった。
寝転がると、一日の疲れがどっと押し寄せてすぐに眠気を呼び起こす。
窓の向こうに目をやると、雲が月を隠している。ちょうどいい暗さだ。
思い出すのは、カリンのこと。
第一印象は面白い後輩だなという感じだった。
そして、俺のバイト先に彼女も入り、仲良くなっていった。
そして向こうから告白され、付き合って。
結局、俺がフったんだっけ……。
そうして、意識を沈ませかけたころ。
ヴーン、ヴーン。
机の上に投げかけておいた携帯が鳴り出した。
ちなみか!?
飛び上がるように跳ね起きて、それを引っつかむ。
サブディスプレイには、「別府高志」と表示されていた。
落胆する自分を抑えて、電話を取る。
「なんだバカ、俺は眠いんだよ。さっさと寝かせろ」
『うるせえアホ。落ち込む暇があったらさっさと水谷と仲直りしろ』
「……俺だって、そんくらい考えてるよ。みくびんな」
『ほーう?その割には今日も目が充血してたが?今日も泣き明かすか?』
「う、うるせえ!泣いたのはフラれた日だけだ!あとは寝不足だっつの!」
『寝不足か』
「寝不足だ、なんか文句あるか」
『じゃあ、水谷の目が赤いのも寝不足か?』
「……」
『俺はこうやってけしかけることしかできないからさ、はっきり言うぞ』
『さっさと水谷を泣き止ませろ、それはお前の仕事だ』
「……わかってるよ」
『本当か?泣き虫涼くん?』
「だから泣いたのは一回だけだって!」
『うるせえ泣き虫、とっととクソして寝ろ』
プツッ、とそこで通話は途切れた。
「うっせーな」
俺は恥ずかしさをどこにぶつけるかわからず、とりあえず携帯をベッドに投げた。
「……ありがとな」
窓の向こうに見える満月が、俺を照らしていた。


文化祭当日。
「おはよう……」
最近は、朝起きるたびに胸を刺す憂鬱にも慣れつつある。
それはそれで、すごく嫌だ。
一応ベースは家でいじってるけど、バンドの練習には結局参加してない。
かなみ、怒ってるよね……。
別府も、多分。
ごめんね。ごめん。
「今日、ライブ出来ないかも……」
悲しむかなみを想像すると、泣きそうになった。
涼……。
頭を振って、考えをどこかにやる。
着替えよ……。
パジャマを脱ぐと、寝てる間に出た汗がすこし気持ち悪かった。


登校ってヤツは三年ぐらい続けても一向に慣れないもんだな、と寝ぼけた頭で俺は思った。
ずっと続く坂道を毎日往復するなんてもはや人間のする行為じゃない。
手を振り風を送りながら、それでも前へ歩いてく。
ポケットに手を突っ込んで、空を仰いでいると、
「せんぱいっ」
後ろ、下方向から声をかけられた。
この声は……。
「カリンか…どうした?」
振り返って、声の主を見る。
目の前の小さな彼女は、いつものふざけた調子とは違って、真剣な顔で。
「すいません…お時間いただけますか?大事な話があるんです……」
俺はそれに黙って頷いた。


そして今、俺達の最後の文化祭が始まった。
俺にとっては、最初で最後だけど。
食い物の屋台や、各学年の出し物でみんなは目を回すほど大忙し。
部活にも出し物にも所属していない俺は、かなみとライブの準備をしていた。
楽器の調律をしたり、黒板にチョークで煽り文を書いたり。
「水谷と、山田どうする?」
「ん……あの二人なら、大丈夫。きっと来るよ」
「そっか、そうだよな。あいつらも、わかってるよな」
俺達は、あいつらを信じるしかない。
「あんまり待たせんなよ……」
思いを込めた呟きは、行くべき人を見失って掻き消えた。


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