その1

 プシューッ…………ァンワンワンワン……ガタン……ガタン……
 騒音と共に、ディーゼル列車がホームを出発していく。それを見送って、私は駅の看板
を見つめた。
 美府郡保守(ほしもり)。
 ここに、アイツが――いる。
 アイツこと、別府タカシが私の前から姿を消したのは、もう2年も前の事。私達は幼い
頃からの付き合いだった。のんきで穏やかな性格で、でもだらしなくて生活能力なんて皆
無で、そのくせ一つの事に興味を覚えると、寝食を忘れて熱中するバカ。私はそんなアイ
ツに文句ばかり言っていたが、それでも一緒にいることが多かったのは、認めたくないけ
ど、やっぱり好きだったから……だと……思う……
 だけど、突然、私達の関係は断ち切られた。
「俺さ、星の研究がしたいんだ」
 突拍子もなくそんな事を言い出したアイツは、その日のうちに勤めていた会社に辞表を出した。
『バカじゃないの? そんな研究で食べていけると思ってるわけ? 安定した職を捨てて
まですることなの? そんなの、こっちでだって出来るじゃない』
 私は止めた。けれど、どうしても空気が澄んでいて星がたくさん見える場所じゃないと
ダメだ、とアイツは言う。
『じゃあ勝手にすればいいじゃない。あたしはもう知らないから』
 そう言って別れたのが最後だった。気まずくて見送りにもいけず、アイツから時々送ら
れてくる手紙にも、一度も返事を送らずじまい。
 なのに、何であたしがここに来たかと言うと、会社の上司と馬が合わず、同僚の女の子
たちの間でも何となく浮いている気がする。別に問題を起こした程でもないけど。おまけ
に、うちの両親は、そろそろアンタも結婚を考えなさい、とやかましい。
 まあ、そんな人生に嫌気が差して休みが欲しい、と思った時、思いついた場所がここ
だったのだ。
 ……どんな顔して、会えばいいんだろう……
 アイツには、あたしが来る事は連絡してない。会いに行くね、なんて気の利いた連絡な
んて、あたしが出来る訳なかった。

 もし……留守だったりしたらどうしよう。たまには東京にも帰ってるみたいだし……行
き違いだったら……
 ここにきて、不安がむくむくと頭をもたげてくる。しかし私は、その不安をすぐに振り
払った。ここまで来てしまった以上、後戻りなんて出来ないのだ。
 まあ、いいか。もしいなかったら、どこかで民宿でも探して、のんびりお風呂にでも
入って、あいつの大好きだって言う星空さえ見れればそれで……
 私は、住所確認の為に持ってきたアイツのハガキを裏返した。プリンターで印刷された
ハガキの裏は、一面の綺麗な星空だった。
 さて、行くか。
 私はバッグを担ぎ直すと、無人駅を出口へと向かった。
「おーい」
 駅舎を出るなり、誰かが呼ぶ声がした。え?と私は立ち止まり、キョロキョロと辺りを
見回した。おかしいな。あたし以外に誰も降りた人なんていないはずなのに、呼び声なんて……
 そう思った時、私の肩を、ポン、と誰かが軽く叩いた。
『きゃっ!?』
 ビックリして振り向いた視線の先にいたのは――
「よお」
 別府タカシ――その人、だった。

「お疲れ様。遠かったろ?」
 穏やかな笑顔を浮かべて、タカシは言った。私はしばし、呆然と彼を見つめる。まるで、
蜃気楼の中から突然現れたかのように、彼の登場は突然すぎた。
「どうした? ボーッとした顔して。疲れてるのか?」
 タカシの声で、私はハッと我に返った。
『なっ…………何でアンタがこんな所にいんのよっ!!』
 思わず私は怒鳴ってしまった。するとタカシは、ちょっと驚いたような顔をして私を見
つめ返した。
「いや……おばさんから、かなみが今日ここに来るから、迷惑掛けるだろうけど宜しくっ
て、今朝電話があって…… 知らなかったのか?」
『そんなの知らないわよ。大体あたし、旅行に行くとは言ったけど、ここに来るなんて誰
にも言ってないもん』
「さすがはかなみのおばさん、だな。何も言わなくても、娘の心くらいお見通しって訳か」
 タカシは感心したように頷くが、私はブスッとした顔で押し黙った。なんか、母さんの
得意気な笑顔が脳裏に浮かんですごくむかつく。
「ほれ」
 タカシが手を差し出し、私は顔を上げた。
『な…… 何よ?』
「荷物貸しな。持ってやるからさ」
 親切なタカシの申し出に、私はバッグを差し出そうとして、何故かここで急に反骨心が湧いた。
『い、いいわよ。このくらいの荷物、一人で十分だし』
 すると彼は、クルリと首だけ後ろを向いて言った。
「お前がいいって言うならいいけど…… ここから二時間くらい歩くんだぜ」
『歩くの!? しかも二時間も?』
 私は驚いた声を出した。
『何で? タクシーとか……せめてバスくらい走ってないの?』
 しかし、タカシは首を振った。
「バスはあるけど、一日3本しかないから。タクシーは、ほれ。見ての通り」
 言われたとおりに駅前のロータリーを見回すが、タクシーは一台も止まっていない。

『どんっ……だけ田舎なのよ。ここはっ!!』
 うんざりした声であたしは叫んだ。
「で、どうするんだ? 荷物、自分で持っていくか?」
 私は根負けし、肩から旅行カバンを下ろすと、タカシにはい、と差し出した。
『べ、別に持てない訳じゃないけど、どうしてもタカシが持っていくって言うんなら、
その……持たせてあげてもいいわよ』
 苦しすぎる言い訳に、タカシは相好を崩した。
「全く……ちっとも変わってないな、お前は」
『やかましいっ!! その……アンタだって人の事言えないじゃない。相変わらずだらし
なさそうな格好で。女の子迎えにくるんなら、もう少しくらい身だしなみに気を使ったっ
ていいじゃない』
 私はそう言って、タカシの事をジロジロと見つめた。別れた時と、タカシはほとんど変
わっていない。短く刈り込まれた髪の毛と、多少日焼けした肌。それに、やや逞しくなっ
た体つきだけが変化しただけで、あの頃と同じタカシがそこにいた。
「あははっ。ここにいるとじーさんばーさんばかりだからさ。そんなに服装や格好に気を
使う機会なんてないし。それに、かなみだと思うとつい、な」
『何よそれ。あたしを女として見てないって訳?』
 私の詰問に、タカシは困ったような顔をする。
「いや、その……そういう訳じゃなくて、ただその、かなみ相手にはうわべだけ着飾って
もしょうがないし、むしろそれだったら普段の格好の方がいいかなとか思って……」
『もういいわよっ!!』
 タカシの言葉を遮って私は怒鳴った。何となく言いたいことは分からないでもない。幼
馴染だし、気を使いたくないのだろうけど、でもせっかく久し振りの再会だっていうのに、
そんな、毎日会ってる頃と同じように扱われるなんて……
『行くわよ。ここから二時間なんて……ぐずぐずしていると、日が暮れちゃうもの。ほら。
さっさと案内しなさいよね』
「分かったよ」
 タカシは諦めたようにため息をつくと、重いバッグを担ぎ、私の先に立って歩き出した。


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