その11

「何だよ、驚いた顔して。まさか本当に――」
『いないわよっ!!』
 思わず、タカシの言葉に被せて大声で否定してしまった。自分で自分の声に驚いて、私
は思わず口を抑えた。それから私はあたふたと弁解に努める。
『あー、その……えっと……と、とりあえず、い、今はね。でなきゃさすがにあたしだっ
てこんなトコ来ないで、彼氏誘ってもっと気持ち良い温泉街とか行ってるわよ』
「まあ、確かにそうか。でも会社勤めしてんならそこそこ出会いはあるだろ。新しく入っ
て来た社員だとか、会社じゃなくても合コンの誘いとかさ」
『そりゃあるけど…… い、言っとくけどね。あたしがモテないんじゃないのよ。その、
最近はなかなかいい男の人に巡り会えないってだけで……』
 何を言い訳してるんだろう、と自分が情けなくなる。いや。言い訳なんかじゃない。本
当の事だ。付き合おうと思えばこの2年間でも何度かチャンスはあった。けれど、私の脳
裏にはいつもタカシがいて、それを払拭出来るような男性がいなかっただけなのだから。
「ふーん、そうか。お前って彼氏選びの基準高そうだしな」
『そんな事ないわよ。あたしはただ……』
 自分の基準を並べ立てようとして、私はハッと口をつぐんだ。ここで私が好みのタイプ
をペラペラ話したら、全部タカシに当てはまってしまう。
「どうした? ただ……何だよ」
『何でもない。別に、あたしの好みの男性をタカシにべらべらとしゃべる必要もないでしょ』
 そう言いながら、内心ではいっその事、全部しゃべった方が良かったかな、と後悔する。
そうすれば、自然といい雰囲気になったかも知れないのに。けれど、今更もう遅かった。
「ほお。言えないって事は、案外自分でもそうと自覚してるって事か?」
 タカシがからかってそんな事を言うので、私はタカシを睨み付けた。
『違うわよっ!! 人に言えないことじゃないけど、アンタには言いたくないだけ。イーだっ!!』
 そう言ってしかめっ面をしながら舌を出すと、タカシは笑った。
「まあいいけどな。けど、30過ぎると急速に出会いが無くなるって言うし、油断してると
いつまでも一人身のままになっちまうぞ」
『よっ……余計なお世話よ、このバカッ!!』
 最後のバカッ、に私は特に力を込めて怒鳴った。一体どういうつもりでこんな事を言う
んだろうか。タカシ自身はあたしの事をどう思っているんだろう?

 しかし、タカシの表情からは何も読み取ることが出来なかった。けれど、平然とこんな
ことを聞いてくることから察するに、やはり私は単なる幼馴染以上の存在ではないのだろうか。
「どうした? そうは言ってもやっぱり気になるんだろ」
 怒鳴った後で私が黙り込んでしまったのを勘違いしてタカシは追及してきた。何か今晩
のタカシは意地悪だ。そう思いつつ、仏頂面のまま私は答えた。
『違うわよ。まだまだこれからだってお付き合いしようと思えば出来るもん。そんな事心
配してないわよ』
「お? 強気な発言じゃん。でもまあ、そんな調子ならそこそこ上手くやってはいるんだ
な。安心したよ」
『は? 安心? 何が?』
 タカシの発言の真意が分からなくて聞き返すと、タカシはちょっと戸惑った顔を見せた。
「ああ、いや。またこういうと怒るだろうけど、正直ちゃんとやってるのかどうか、若干
気にしてたから……」
 怒るだろうけど、と言われると人は何故か怒る気を失くすものだ。私は顔のしかめっ面
は崩さなかったが、フン、と一息鼻で息をしただけで冷静に答えた。
『余計なお世話。タカシに心配して貰うことなんて何にもないんだから』
 そう言いながら、やはり私はタカシの意図が知りたかった。幼馴染として心配している
だけなのか、それとも……想い人として……なのか。
 しかし、それを聞く勇気は私は持ち合わせてはいなかった。その代わり、違う事を私は
タカシに聞いた。
『人の事ばっかりさっきから根掘り葉掘り聞いてるけどさ。アンタはどうなのよ?』
「え? 俺か?」
 タカシが聞き返したので私は頷く。
『あたしなんかより、よっぽどアンタの方が皆から心配されてるわよ。まあ、ちゃんと生
きてはいるみたいだけど……こっちでの生活、上手くやれてるの?』
 するとタカシはまた、屈託なく笑って答えた。
「ああ。まあそこそこな。生活はギリギリだけど何とか自立して食っていくだけの収入は
貰ってるし、村の人達はほとんどがいい人ばかりだしな。まあ、出会いは無いけどな」
 しかし、その最後の一言が私は引っ掛かった。確か、泉美さんは言ってなかっただろうか?

『ここに住もうなんて若い男は貴重やさかい、いろんな縁談話が舞い込んで来んねんで』

 深く考える前に、私は口に出して言ってしまった。
『どうだか。むしろこんな田舎の方が若い男性は貴重なんだし、かえってモテるんじゃないの?』
 私の言葉に、タカシがハッとした顔をして私の顔を見つめた。その表情に私はしまった、
と後悔する。しかし、発した言葉は元には戻らない。後悔を振り払い、私はタカシを見つ
め返した。
「……泉美さんから、何か聞いたのか?」
 タカシの言葉に私は頷いた。
『何でも、いくつか縁談が転がり込んでるらしいじゃない。それで出会いがないとか言え
るわけ?』
 ちょっと嫌味ったらしく言ってみると、タカシは小さくため息をついた。
「まあ、その……そうだな。その点は素直に謝るよ。確かに出会いはない訳じゃないけど
……どっちかと言うと、今はまだ考える余裕がない、と言った方が正しいかな」
『どういうことよ?』
 私が聞き返すと、タカシはちょっとためらいがちに言った。
「こう言うと何かカッコ悪いんだけど……まあ、事実だから仕方ない。はっきり言えば、
今の状態で……嫁さんを養っていけるほどの財力が、俺にはない」
『……なるほど』
 私はあっさり納得した。
『ていうか、アンタ、どうやって生きてるわけ? 星の研究しててお金が貰える訳じゃな
いでしょ?』
「そんな事ないさ。こっちでも一応ちゃんと仕事はしてるさ。他にはアルバイト的な事だ
けど、あまりこっちに来れない教授とかの代わりにいろいろ観測して送ったり、論文の手
助けしたり。ただ、余裕はないんだよな」
『今の世の中じゃ、旦那の収入に縋って生きるほど、女性は弱くないわよ』
「東京じゃあそうかも知れないけど、こっちは違う。未だに女性は家を守り子育てをする
っていう風習は根強いから。だから、ごくまれにだけど、本当にいい縁談が来る事もあっ
たけど、全部断ったんだ」
『ふうん。もったいない。アンタには過ぎた良縁だったかも知れないのに』

 すると、タカシが真剣な顔で私を見て聞いてきた。
「かなみ…… それ、本気で言っているのか?」
 その雰囲気に、私は思わずドキリとした。
『なっ…… 何言ってるのよ。本気とかって。別に冗談で言ったわけでもないけどさ。真
面目に考えて言った言葉でも無いんだから、そう真剣に取らないでよね』
 ちょっと焦りながら私は答えた。
 そんなもの……本気な訳無いじゃない……
 心の中でそう呟く。タカシが縁談を受ける気がないと知って、ホッとしたからこそ出た言葉だ。
 しかし、何故タカシはあんなに真剣な顔をしたのだろう? 私は不思議に思った。もし
かしたら、私が縁談の事をどう思っているのかとか、気にしてくれたのだとしたら…… そ
う思うとちょっと嬉しくなる。しかし同時に、今は嫁など貰えないとも言っていた。それ
は当然私も含めての事だろう。そっちに気を取られると、逆に私の気持ちは沈んだ。
「そっか。まあ酒の席の上の話題だと言う事で受け取っておくよ」
 タカシがその話題にこだわらなかったので、私はホッとした。自分で振った話題だが、
正直これ以上引っ張られたくはなかった。
『ところで、研究って言ってたけどさ。どういう事やってんの? まさか天体望遠鏡で星
を覗いてるだけとかそんなんじゃないでしょうね?』
「うーむ。まあ、そうと言えばそうなんだけど」
『何それ? それじゃあ子供の趣味と変わらないじゃない』
 眉を顰めて私が文句を言うと、タカシは笑った。
「ハハッ。確かにそうと言えばそうなんだけどさ。研究に携わる人ってのは、どんな分野
でも必ず子供っぽい好奇心を持った人達がいっぱいいるから。そこを大人の知恵で踏み越
えて行く訳だな」
『偉そうに。じゃあその、大人の知恵とやらを見せてよ』
「おう。じゃあ、ちょっと待ってろ」
 そう言うとタカシは席を立ってどこかへ行ってしまった。手持ち無沙汰になった私は、
レモンハイをちびりちびりやりながらタカシを待つ事しかやる事が無かった。
「お待たせ」
 思ったより早く戻って来ると、タカシは抱えてきた分厚いファイルをドサッとテーブル
の上に置いた。

「ホントはたくさんあるんだけど、とりあえずかなみに見せるならこれが一番いいと思っ
て持ってきた。見てみろよ」
『偉そうに……どれどれ?』
 パラリと私は分厚いファイルの表紙を開ける。
『うわぁ……』
 思わず声が漏れた。
 目に飛び込んできたのは、たくさんの星の写真だった。
 まるで図鑑で見るような、そんな写真。だけどそこまで洗練されている訳でもないが、
却ってリアリティに溢れている。
 そんな写真が何枚も何枚も、タイトルと日付が書かれており、それに伴うレポートが大
量に付属していた。もっとも、そちらの方はさして興味が湧かなかったのでほとんど読み
飛ばしてしまったが。
 でも、写真も綺麗だけど、毎晩毎晩、こういう写真を撮り続けているタカシにも、私は
感心した。本当にタカシは、星が好きなんだ。
「どうだ。すごいだろ?」
 タカシが自慢げに言って来るので、こうなると私は、素直にはいとは言いたくなくなった。
『確かにすごいわよ。でもすごいのは星であってタカシじゃないから』
 するとタカシは不服そうに口を尖らせた。
「別に俺も写真の腕前を褒めてもらおうと思ったわけじゃねーって。単純に、この写って
る星空がすごいだろって聞いただけだから」
『う…………』
 私は言葉を詰まらせた。確かに私の言葉は完全にこじつけとしか思えなかった。
「お前さー。そういう所はもう少し素直な目で見た方がいいと思うぜ。何でもかんでも捻
くれた考え方するのって、昔からの良くないクセだと思うけど」
『うるさいわねっ!!』
 タカシに痛い所を突かれて私は思わず怒鳴った。
『……それくらい、自分でも分かってるわよ』
 分かってるから、会社の同僚達との付き合いでは、意識してそういう考え方をしないよ
うにしている。

 タカシの前だからこそ……意識せずに、自分を表に出す事が出来るのだ。そこまで心を
許しあえるのは、後は友ちゃんくらいしかいない。
 もっとも、そんな事は口に出していえるはずも無かったが。
「まあ、それはいいとしてさ」
 タカシは、私の性格については深く責め立てたりはせずに、話を戻した。
「肉眼で見ると、もっとすごいんだぜ」
『ホントに?』
 そうは言ったが、私は半信半疑だった。確かにここ、星守町で見る夜空は東京となんて
比べ物にならないくらい星が見えるのは想像に難くない。かといって、この写真よりすご
いなんて、そんな事あるのだろうか?
『でも、こんな風に細かくは見えないでしょ?』
 そう聞くと、タカシはちょっと胸を張って答える。
「確かにな。でも、写真で見ても星なんて、ああこんなもんか、って感じだろ。けれど、
直接見た時の圧倒感は、比較にならないんだぜ」
『へえ……』
 どんな感じなんだろうか。タカシがそこまで興奮できる物を、私は見てみたくなった。
「よし。じゃあ、今から行くか」
 ごく自然に、タカシはこう言って私を誘ったのだった。


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