その12

『え?』
 タカシが腰を浮かしたので、私は驚いて顔を見上げた。
「え、って……決まってるだろ。星空を見に、さ」
 嬉しそうにタカシが言うので、私は慌てて腰を浮かした。
『見に行くって……い、今から?』
 驚いた顔の私に、さも当然といった感じでタカシは頷いた。
「ああ。一番綺麗なのは深夜2時くらいだけど、さすがに明日また長旅をするお前をそこ
まで起こしてはおけないからな。それにこの時間でも、十分に見る価値はあるし」
『どこまで行くの? 疲れているんだし、あまり遠い所は嫌よ』
「そう遠くないよ。家のすぐ裏手の丘の上だし。夜道で暗いから急いでは行けないけど、
10分くらいかな」
『やっぱり、結構歩くんじゃない。しかも坂道だし』
 気が乗らないフリをしているが、内心で私はドキドキワクワクしていた。タカシをこの
地に惹き付けた、その空がどんなものなのか、今、はっきりと確かめる事が出来る。
「何だよ。行くの、嫌か?」
 急にぶっきらぼうな口調になってタカシが聞いてきた。私は慌てて首を振ってそれを否
定する。
『そ、そんな事ないけど……まあ、ちょっと眠いし、めんどくさいかなーって気分はあっ
たけど。でもまあ、せっかく来たんだし、行ってあげてもいいわよ』
 するとタカシはニヤニヤした顔で私を見つめた。
「気が乗らない風だけどな。正直、行ってみれば分かるぜ。そんな気分、吹き飛ぶから」
『分かったわよ。行くんなら、さっさと行きましょ』
 立ち上がって玄関に行こうとする私を、タカシが引き止めた。
「待て待て待て。お前……もしかして、その格好で行くのか?」
『え?』
 私は自分の格好をあらためて見た。Tシャツに短パン姿。確かに本来なら若い女性が気
軽に外へ出る格好でもないのかもしれないが、中には平気な人もいるだろうし、そこまで
気を遣う必要があるのだろうかと私は疑問に思った。

 いや。タカシが私の格好を意識してくれててそう言ったのだとしたらそれはそれで嬉しいかも。
『何か問題あるの? べ、別にこんな格好で出たからって誰が見るって訳でもないでしょうに』
「アホ」
 スパッとバカにされて、私の頭に一気に血が昇った。
『アホとは何よアホとは!! いきなり一刀両断にそんな事言う事ないでしょ』
 タカシはちょっと呆れたようにため息をついた。
「お前、ここがどこだか分かるだろ」
『そりゃ分かるわよ。でなきゃいくらあたしだって人目くらい気にするわよ』
「そーじゃなくてさ。俺が言ってるのは、まだこの時期にそんな薄着で外出たら風邪引く
ぞって事。昼間は天気が良くて暑かったけど、夜はまだまだ冷えるからな」
『あ……』
 私は自分の勘違いに気付いて恥ずかしさの余り全身が火照ってしまった。タカシは外の
寒さの事を心配してくれているのに、格好そのものに意識が行ってしまってその事に気付

かないなんて、どんなナルシストだ。
『な、何よ!! そうならそうと……早く言えばいいじゃない。アホだとかバカだとか罵
る前にさ』
「アホとは言ったがバカとは言ってないぞ」
『人の揚げ足を取るな!! バーカ。バカバカバカ!!』
 悔しさと恥ずかしさで自棄になって私はタカシを罵りまくった。しかし、悔し紛れなの
が分かるのか、タカシにそれは笑って受け流されてしまった。
「んで、どうするんだ? お前、上着とか何か持ってきてないのか?」
『無いわよ。もう6月だもの。今更さっき着てた服を着なおす気にもなれないし、かとい
って後は明日の着替えしかないわよ。それも半袖』
 そう言うと、タカシはちょっと考え込んでから言った。
「しゃーねえな。俺のジャージでよければ貸してやるけど?」
『ほえっ!?』
 タカシのジャージを借りる……って事は、当然、今の格好の上から羽織る訳で……
『じょじょじょじょじょ、冗談じゃないわよ!! そんな、その……アンタのを、き……
着るなんて……』
 うん。冗談じゃない。恥ずかしくて死んでしまいそう。

「じゃあどうするんだよ? 試しに雨戸開けてみ? 結構寒いから」
『分かったわよ』
 私は立ち上がると廊下に出て雨戸を開けた。途端にひんやりとした山間部特有の冷気が
襲ってくる。
『さむっ!!』
 私は慌てて雨戸を閉めた。いや。寒いと言っても冬の寒さとは全然違うが、それでもT
シャツ一枚の格好では十分に寒い。このままで外に出たら確かに風邪っぴき一直線だ。
「だから言ったろ。な?」
『う〜……わ、分かったわよ』
 渋々私は頷いた。
「じゃあ、食器を台所に片付けてから適当に見繕ってくるからさ。ちょっと待ってろよ」
『あ、ちょっと待って』
 私はタカシを制してそそくさと立ち上がった。
『食器の片付けくらいあたしがやるからさ。タカシはジャージだけ持って来てよ』
「何言ってんだよ。お前は今日はお客さんなんだからそんな事しなくていいんだって」
 何度目かになるその言葉を、もう一度タカシは言った。しかし、今度は私も譲らなかった。
『別にいいわよ、このくらい。別に洗い物までするって言ってる訳じゃないんだし。アン
タとあたしの仲でそこまで気を遣われると、却って気持ち悪いわ』
 そう言って私は、タカシの返事を待たずにカチャカチャと食器をまとめ始める。まさか
タカシはそんな事思わないと思うけど、タカシにまで気の利かない女だとは思われたくな
かったし、それにタカシの為に家事をする事は嫌でも何でもなかった。本当は食器洗いく
らいやっても良かったけど、さすがにそれはタカシが逆に気を遣うだろうと思い言い出さ
なかった。
 ふと、その時、私はタカシがジーッと私を見つめている事に気が付いた。
『何見てんのよ? さっさとジャージ取ってきてくれるんじゃなかったの?』
「あ、ああ。悪い。ちょっと考え事しちゃってさ……」
『何よそれ。人の事言えないじゃない。で、何考えてたのよ?』
 するとタカシはポソッとこんな事を呟いた。
「いや。俺とかなみの仲って言われたんだけどさ。俺達の仲って……実際、何なんだろう
なって。友達……とか、そんなんじゃ片付けられない気がして」


『んなっ!?』
 意外なことを聞かれて、私は素っ頓狂な声を上げてしまった。
『そっ……そんなの……その、ただの幼馴染の腐れ縁じゃない。それ以外に何があるって
言うのよ』
 するとタカシはまたちょっと考え込むような顔になった。
「そうなんだよな〜。一言で言えば、だけど。あー……」
 それから頭をくしゃくしゃと手で引っ掻いてから、ため息を吐いて言った。
「いや、悪い。そうだよな……ハハ…… ちょっと深く考えすぎた。忘れてくれ」
『何よそれ。投げっ放し?』
 不満そうに文句を言うとタカシはそそくさと視線を逸らした。
「じゃあちっとジャージ取って来るわ」
 そう言って身を翻す。
『あ、こら!! ズルイ!! 逃げんな』
 そうは言っても聞く耳持たず、タカシはさっさと自分の部屋の方へと行ってしまう。さ
すがに追いかける気にもならず、私は諦めのため息を吐いた。
 それにしても……友達とかじゃ片付けられないって、タカシってば、何を考えてそんな
事を言ったんだろう……
 食器を台所に持ち運びながら、私はその事が気になって仕方がなかった。
 確かに……考えると、難しい。単なる友達とか幼馴染と言うには付き合いは深すぎる。
タカシがこっちに来てからの二年間はともかく、それ以前はお互いに知らない事なんて無
かった。心の奥底に秘めた想いを除いては。
 そういった意味では恋人以上だったかもしれない。
 けれど、そういう話をした事も、それらしき行為をしたことも無い。二人でデート?を
したことは何回もあったけど。
 タカシは……あたしの事を、どう思っているんだろう? 嫌いじゃないのは分かってる
けど……恋愛対象の女の子として、見てくれた事はあるんだろうか?
 余りにも近過ぎて、そういう想いに至らなかったんだろうか?
 私はと言えば、勇気が無くてただ、ひたすらに待っていただけだった。そして、置いて
いかれたのだ。

『あ〜っ!! ダメだダメだ!!』
 私はゴンゴンと拳で自分の頭をゴツゴツと叩いた。こんな風に自分で自分をマイナスに
追い込んでいくのは良くない考えだ。
「おい。かなみ?」
 タカシが呼ぶ声がする。私は慌てて台所から部屋へと戻って行った。
「お前、食器置きに行っただけだろ? 何してたんだよ」
『何って……別に……』
 タカシに聞かれ、私は言葉を濁しつつ言い訳の言葉を考えた。
『どんな台所かなって思って……ちょっと観察してただけ。見た目は古いけど、結構使い
易そうな台所よね』
 するとタカシは、ちょっと嬉しそうな顔で笑った。
「だろ? さすがに以前のままじゃ使えなくてさ。全リフォームして貰ったんだけど、俺
が使い勝手がいいようにいろいろと注文付けたからな。他は畳変えて掃除したり修復した
だけだけど、台所だけは俺の趣味全開なんだぜ」
『ふーん』
 私は興味なさ気に答えたが、その実、もし自分がこの台所に立ったら……というイメー
ジが頭の中に浮かんで来ていた。うん。さっきは適当にごまかしで言っただけだけど、本
当に使いやすそうだ。タカシって意外な所にも才能があるんだなー、と内心で密かに感心
したりもする。
『で、ジャージは?』
「ああ。これならどうかな? ちゃんと洗ってあるから安心して着てみろよ」
『そんなの当然でしょ』
 もっとも、タカシのなら洗ってなくたって全然問題はないけれど。
 私はジャージの上着に袖を通してみた。なんか随分と大きい。
「やっぱ……サイズ、合わねーか」
 苦笑いしながらタカシが言った。
「どうする? ジャージじゃなくて他のにするか?」
 そう聞かれたけど、私は首を振った。
『別に……これでいいわよ。ちょうど太ももくらいまで丈があるし、下は何とか我慢でき
ると思うから』

 何か、一度タカシの服に包まれたら二度と脱ぎたくない気分で私は言った。
「そっか。じゃあ行くか」
 タカシの言葉に私は頷いた。
『うん。行くならとっとと行きましょ』

 外へ出ると、冷気が私の体を襲い、私は思わず身を縮みこませた。
「大丈夫か?」
 タカシが気遣ってくれる。その優しさは嬉しかったが、私は強気に首を振った。
『平気よ、これくらい。でもさ……』
 ふと、空を見上げて私は言った。玄関から外へ出た時から気付いていたが、ここから見
える夜空でも、都会とは比較にならないくらいに無数の星が瞬いている。
『ここで見ても、十分に綺麗じゃない? 雨戸を開けて廊下に腰掛けても十分観賞になる
と思うけどな』
 私はタカシと二人きりで話せるなら、正直どこでも良かった。しかしタカシは、ちょっ
と得意げな顔をしながら私の顔を見て言った。
「それが違うんだよな。まあ、行ってみれば分かるさ」
『何よ。そのもったいぶった言い方は。何かムカつくわね』
 私は文句を言ったが、タカシは取り合わずに身を翻した。
「来いよ。こっちだから」
 そう言って先に立って歩き出す。
『あ、ちょ、ちょっと待ってよ!!』
 私は慌てて、タカシの後を追いかけたのだった。

 山道は真からの闇だった。上空から照らす星々の光は、足元を照らすには全く役に立た
ない。唯一の灯りが、タカシの持つサーチライトだけだった。そこはかとない恐怖感が私
を支配し、私はタカシの服にしっかりとしがみ付きながら恐る恐る歩いていた。
「あの、かなみ……ちょっといいか?」
『な……何よ』
 タカシの問いに答える私の声はどことなく震えている。
「悪いけどさ。そんなにしがみ付かれたら、その……歩き辛いんだけど」

『何よ。男なんだから、女の子一人守るくらい当然でしょ!!』
 照れ隠しなどではなく、本気で私は叫んだ。都会の夜とは違い、一寸先も見えない闇が
すぐそこにある。まかり間違ってはぐれたりでもしたら、私はこの暗闇の中で一人ぼっち
になってしまう。
「守るって……別に危険な物なんてねーよ。まあ虫とか蛇くらいか? でも道は一本で広
いし、ほぼ真っ直ぐだから間違う事も無いし、安心しろよ」
『アンタは慣れてるからそんな事言えるのよ!!』
 そう叫んで私はギュッとタカシの腕に縋りつく。ホントなら嬉しくてたまらない状況だ
が、今はそれを楽しむ余裕すらない。
「やれやれ。かなみってこんな怖がりだったっけか」
『うるさい、このバカ!! しっかり役割果たしなさいよね』
 タカシの呆れた声に私は怒鳴り返す。しかし、何だかんだ言って振り払おうともせず、
きちんと歩調を私に合わせてくれるタカシの優しさに私は感謝していた。
 寄り添うようにノロノロと歩く事10分。私達は特に話す事もなかった。というか、私に
は話を振る余裕も、タカシから振られた話題に答える余裕も無かったのだが。
「よし。着いたぞ、かなみ」
『え?』
 私は周囲を見回した。いつの間にか森は途切れ、私達二人は、小高い丘のてっぺんの、
草原の上に立っていた。
「空……見てみろよ」
 私は言われるがままに、上空を見上げた。
 そして、目に飛び込んできたものは――





 全天に広がる、星空だった。





※以下作者様の注意。

まず謝罪しておくけど、IEで見てる人にはアドレスの意味分からないと思うので済みません。
専ブラで見ると☆と★をポップアップで表示してあります。
もともとここから、というか保守から思いついたネタが暴走してこんな長編になったので。
保守してくれる全ての住人に捧げるつもりです。



と、書くと最終回のようですが、もう少し続くので宜しくです。


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