その2

 タカシは多弁だった。まるでガイドのように、私にいろいろと町の様子を説明してくれ
る。まるでここが自分の故郷だとでも言わんばかりの感じだ。あたしは相槌も打たずに
黙って聞いていたが、その説明自体は退屈しのぎになってちょうど良かった。
 しかし、問題なのは――
『あれ、まあ。どうしたの別府さん。可愛らしい彼女なんて連れちゃって』
「おお。どうしたんだタカシ君。えらいべっぴんさん連れてるじゃないか。もしかしたら、
嫁さんかね」
『やるねえ、タカシ君も。全く、隅に置けないんだから』
 商店街を歩くと老若男女、声を揃えて私を恋人だと思いこんで声を掛けてくることだっ
た。地方の人情深さはいいが、これではたまらない。
『違いますっ!! あたしはただの幼馴染で、こんな奴とは恋人でもなければ、ましてや
婚約者だとかよ……よよよ、嫁だなんてとんでもありません!!』
 一生懸命否定するけど、悲しいことに誰も納得してくれない。それにしても、意外とタ
カシって知られているんだな、と内心ちょっと感心した。まあ、小さな町の小さな商店街
だから、若い人がくれば目立つんだろうけど、でもこうやって親しく話しかけてくれるっ
ていうのは、タカシはこの町の人から好かれているんだろう。
「やれやれ。まいったな。普段、何も変わりない日常を送っているから、こういうちょっ
としたことでも大事件になっちまうし」
 ようやく商店街を出ると、タカシは頭を掻きながら言った。
『全くいい迷惑だわ。誰がアンタの恋人だっつーの』
 私は、タカシが買ってくれた瓶のコーラをゴクリ、と飲みながら文句を言った。東京
じゃあついぞお目にかかれないな。瓶のコーラなんて。子供の頃はまだ見かけたけど、今
はもう、ペットボトルに変わっちゃったし。
「まあ、話題の少ない町だからな。俺なんて、ここに来た最初の頃はしばらく人気者だっ
たんだぜ。まあおかげで、いろいろ面倒も見てもらえて、助かってもいるけど」
『うー、まあその、話題に飢えてるってのは確かにそうかも。でもやっぱり納得行かない
わ。いくらなんでも、あたしがタカシと……なんて……』
「不満かと思うけど、我慢してくれ。まあ、お前はどのみち明日帰るんだし、後の噂は俺
が処理しなきゃなんないんだぜ」

 タカシは笑ってそう言った。何だかその、明日帰る、っていう言葉が胸にズンと響く。
というか、来た早々から帰る話なんて言わなくてもいいじゃないかと思う。
『あたしがいないのを良い事に、変な事言わないでよ?』
「言わないって。変な所でカッコつけたってしょうがないしな」
『どーだか』
 疑い深そうな私の言葉に、タカシは笑ってかわしただけだった。
「ここから先、住宅街を抜ければ山道に入るからな。坂がきついけど、静かでいい道だぜ」
『えーっ。上り坂になんの?』
「ああ。疲れたら言ってくれ。適当に休憩入れるから」
『むっ。アンタこそ大丈夫なの? そんな荷物持ってるくせに』
「平気だよ。俺は通いなれた道だから」
 何だか、タカシが昔よりも頼もしく感じてしまう。
 その後も、タカシはスポットスポットで立ち止まっては、いろいろと説明したり、景色
のいい所を選んで休みを入れたりしてくれた。私はといえば、疲れはしたが気力は全然衰
えなかった。仕事の後なんかに感じる、体の所々が澱んだ不純物を抱え込んだような不快
な疲労感とは違う、心地良い疲れだった。
 いろいろと道端で寄り道をしたり、何度も大休憩を取ったりしたので、予定より大分遅
れて、私達が、タカシの済む集落に着いたのは大分陽も傾いてからだった。
「ここを越して、あの山の上に俺んちがあるから」
 タカシは、集落の向こうにある山を指して言った。
『まだ上るの? さすがにいい加減……疲れたわ』
 ぐったりして私は上を見上げ、帽子を取ると額の汗を拭う。この帽子は、私が被って来
た物ではない。タカシが、長時間歩いて日射病になると大変だから、と商店街の帽子屋で
買ってくれた物だ。
「あともうひと踏ん張りだから。着いたらさ。すぐに熱い風呂準備するから」
 私は思わず、惚れ惚れとしてタカシを見つめた。東京にいた時も別にひ弱ではなかった
が、こんなに逞しいイメージでもなかった。通い慣れた道とはいえ、これだけ長い時間、
私の荷物を持って楽々と道を行くタカシは、本当に頼もしく見える。
「どうした、かなみ? ボーッとして熱にでも浮かされたか?」
『何でもないわよっ!! あと少しなんでしょ? 別に平気だから、ほら。さっさと行きましょ』

 見惚れていたなんて口が裂けても言えない私は、そう怒鳴ってごまかした。
「大丈夫か。何なら少し休んでも……」
『平気だって言ってるでしょ? アンタになんて負けないんだから』
 プイッとそっぽを向くと、私はスタスタと歩き出した。全く、全然面白くない。あたし
がこんなにドキドキしてるって言うのに、本当にタカシってば、鈍感だ。
 集落を半ばまで来た所で、珍しく若い女の人が道に水を撒いているのを見かけた。過疎
の村とはいえ、全く若い女性がいないわけではないのだろうが、私と同年代くらいの女性
を見たのはここに来て初めてだ。
 すると、彼女の方も私達に気付いたのか、ホースの手元で水を止めると、向こうから私
達の方に近寄ってきた。
『こんにちわ。タカシ君。何か今日もえろうあっついなあ〜』
 意外にも親しげに、彼女はタカシに語りかける。ノースリーブのブラウスにショートパ
ンツの格好は、私なんかよりも遥かに魅力的でドキッとする。
「こんにちわ。泉美さん。ホントにまだ五月だってのに、これから先が思いやられますね」
『せやな〜。ちゃんと梅雨には雨降って貰わんと、水不足とか言われたらかなわんわ』
 泉美とタカシが呼んだ女性は、大胆にもブラウスの胸元を摘まんでパタパタと仰ぐ。そ
れにしても、随分とタカシと仲が良さそうな事に、私は内心、面白くなかった。
「泉美さん、今日は畑はどうしたんですか? この時間ならまだ向こうじゃなくて?」
『今日は家事があるさかい。旦那置いて早めに上がったんや。こんな暑い日に畑仕事なん
かやってられるかっちゅーの』
 メラメラと燃え上がりかけた嫉妬の焔は急速にしぼんだ。何だ。旦那さんがいるのか。
しかし、そこで私はふと思ってしまう。いやいや。この親しげな感じはまだ安心出来ない。
もしかしたらその、不倫も…… だってこんな綺麗でスタイルも良くておしゃべり好きな
人が、旦那さんに不満とか持ってて、タカシに言い寄ったりしたらタカシなんてコロッと
参っちゃいそうだし、しかも何か見てても妙に親しげだし……あああああ……と、私が内
心で葛藤していると、泉美さんはツツッとタカシの傍に寄ってきて、耳元でそっと囁いた。
『で、あの子、誰やねん。タカシ君のコレか?』
 意味ありげな視線で、そっと小指を立てる。
『違いますっ!!』

 私は反射的に大声で否定した。不倫疑惑など一瞬で吹き飛んでしまい、私はやっきに
なってタカシとの関係を否定した。
『え? 何。違うのん? うちはてっきりタカシ君の恋人さんが追っかけて来よたんかと
思ったんやけど』
『どうしてここの人達は揃いも揃ってみんなそういう風に言うんですかっ。私はただ単に
タカシとは幼馴染なだけで、別にその……恋人同士とか、そういう関係ではないですからっ!!』
 あー、もう。どうして言い訳すると顔が熱くなるんだろう。これは気温のせいなんか
じゃない。それにしても、噂好きなおばさん達はともかく、泉美さんみたいな綺麗な人
相手だと、余計に恥ずかしい。
 泉美さんは、私の頭の先からつま先までを一瞥してからタカシの方を向いた。
『ふーん、へー、ほー。ま、ええわ。ところで自己紹介がまだやったな。ウチは澤井泉美。
タカシ君とは彼が引っ越して来よったときからいろいろ世話してやってるさかい、よろしゅうな』
 屈託のない笑顔を見せて彼女は言った。
『あ……椎水かなみです。宜しく』
 ペコリ、と慌てて頭を下げる。
『にしても、タカシ君もなかなか隅におけへんな。東京に、こんな可愛い幼馴染隠しとる
なんて。ウチにはひとっことも教えてくれへんかったやないの』
 え? 可愛いって私が? 何か、泉美さんみたいな人にそう言われると、すごく恥ずか
しく思える。胸だってぺたんこじゃないけどあるなんてとても言える大きさじゃないし、
お尻はおっきいし、顔だって童顔だってよく言われるのに。
「別にわざわざこっちから教える必要もありませんでしたしね。それに、泉美さんに教え
たらこの集落はもとより、村中の端々まで伝わってしまうじゃありませんか」
『しっつれいやなー。ウチはそんなに口軽ぅないで?』
 不満そうに口を尖らせる泉美さんだけど、初対面の私から見ても十分そう見える。まし
てや二年の付き合いがあるタカシが言うんだから間違いないだろう。
『で、ほんまにアンタ等、付きおうてないん? 幼馴染やったら毎日学校とか一緒に行っ
たりしとったんやろ?』
 ワクワクした顔で尋ねて来る。うん。多分この人は噂に飢えているんだ。
『確かに小学校の頃はそうですけど、でも中学に上がってからはそんな事はありません』
 私はきっぱりとそう否定した。

『そうなん? タカシ君』
 泉美さんがタカシに確認を求める。するとタカシは上目遣いになって少し考えてから答えた。
「嘘じゃあないですね。中学は照れ臭くてほとんど一緒には行ってないですし、高校の時
は毎日、ではありませんでしたから」
『ほな、同じ高校いっとったんや。せやったらやっぱり好きおうとるんやん』
 嬉しそうに言う泉美さんに私はムキになってかみついた。
『違いますってば!! た……たまたまその、同じ高校になっただけです!! ていうか
タカシも余計なこと言うなこのバカッ!!』
「何だよ。俺はホントの事言っただけじゃねーかよ」
『まーまー。痴話喧嘩はそんくらいにしとき。せっかく再会したんやろ。もっと仲良うせんと』
『痴話喧嘩なんかじゃありませんっ!! 大体、別にこんな奴と仲良しなんかじゃありませんし』
 言ってからしまった、と思った。泉美さんのからかいに乗せられて、つい余計なことま
で口にしてしまった。私は急に気まずくなりタカシの方をチラリと見るが、その表情から
怒っているのかどうかは窺えなかった。
『ほな、どうしてタカシ君に会いに来たん? 仲良かったから会いに来たんちゃうの?』
 泉美さんに率直に聞かれ、私は返答に困った。
『あー、えっと、その、ですね。ちょっとその、一人旅がしたくて、だけどその……あん
まりお金も時間も無いし、そういえばタカシが山奥で暮らしてるんだっけって思い出して、
そういう所なら空気もいいし、リフレッシュにもなるかなーって思って来ただけで、別に
タカシに会いたいとか、そんな事思ってた訳じゃ……』
 嘘に嘘を塗り重ね、しどろもどろになって私は答えた。本当に私は、タカシの事を意識
し始めた中学の頃からちっとも変わっていない。人に言われると却って反発し、ムキにな
って嘘を塗り重ね、結果として自滅する。タカシを傷つけた事だって一度や二度じゃないはずだ。
 泉美さんは、ちょっと私を見つめていたが、愉快そうにさらに痛いところを付いてきた。
『そうなんかー。せやけどええの? こんな山奥で一人暮らししてる男の家に泊まったり
なんかしはって。襲われても誰も助けてくれへんで?』
 私はドキッとした。もちろん、来る時にはそういう事も考えないではなかったからだ。
タカシと二人っきりで過ごす一夜だもの。何があってもおかしくはない。
 しかし、タカシは慌ててそれを否定した。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ泉美さん。いくらなんでも、そんなことしませんてば」

 すると私は途端に気分を害した。
『大丈夫ですよ泉美さん。コイツってば筋金入りのヘタレですもの。夜這いする勇気なん
て持ち合わせてませんって』
 タカシを睨み付けてそう吐き捨てた。そりゃ確かに否定するのが普通だけど、もう少し
動揺するなりなんなりすればいいのに。
 しかし泉美さんは私の事をツンツンと突付きながら、内緒話をするようなフリをしつつ、
タカシにも聞こえるように言った。
『わっからへんでぇ。タカシ君もな。真面目やさかい風俗なんぞもちーとも行ってへんで
な。結構溜まっとるさかい、アンタの寝姿なんてみたらこうムラムラっと……』
「泉美さん!!」
 タカシが大声を出す。
「勘弁してくださいよ。いくら俺でも客に手を出さないくらいの理性はありますって」
 困った顔でタカシが言うと、泉美さんはケラケラと笑い出す。
『あっははは。冗談や、冗談。けどな、タカシ君。逆に言うとな。男にはこう、行かない
かんときもあるんやで? もしかなみちゃんにそんな素振りがあったらな。そん時は全力
で落とすんやで』
『お、落とすって……その……じょじょじょ、冗談じゃありません!! だーれがこんな、
アホでバカでドジでノロマでトンマでスケベで後先考えない行動しかしないし、無責任だ
し、男らしさの欠片もない臆病者のヘタレ野郎相手にそんな素振り見せるもんですか……』
 泉美さんの言葉に慌てて、私は恥ずかしさのあまりタカシの悪口を立て続けに言ってし
まった。そのくせ体は中からもカッカと熱くなっている。顔に出ていないかどうか私は心
配だった。
『ほらほら。タカシ君。ええねんか? 言われとるで』
 泉美さんはさも愉快そうにタカシに声を掛けると、タカシはブスッとした顔で答えた。
「別にいいですよ。コイツの悪口はガキの頃から聞き慣れてますから」
 泉美さんは感心したようにタカシと私を交互に見て言った。
『へえ。お互いに信頼しおうとるんやね〜』
『誰と誰がですかっ!! こんな奴、信頼の欠片にも値しませんってば』
 私は泉美さんの言葉を否定しようとやっきになってまたもタカシを罵ってしまった。ま
た少し、タカシの顔が曇ったような気がする。ホント、私ってばダメな女だと自己嫌悪に駆られた。

 しかし、泉美さんはそんな私を見て微笑ましそうに言った。
『それだけ悪口が言えて、ちっさい頃からずっと一緒におったんなら、それは本質的な部
分で全幅の信頼を置いてるからとちゃう? せやなかったら、そんな情けない男、とっく
に縁切っとると思うんやけどな?』
 さすがの私もそれには返す言葉も無く、気まずそうに黙り込んだだけだった。泉美さん
はそんな私を少しの間眺めていたが、今度はタカシの方を向いて言った。
『タカシ君はどうなん? かなみちゃんの事、信頼しとるんか?』
「まあ、その……信頼っつーか、俺はまあコイツの良い所も悪い所も大体知ってるつもり
ですからね。だからまあ、許せるっていうか、そんな感じなだけで……」
 何か歯切れの悪い返事に、私はいささか不満だった。まあ、タカシだって単刀直入に言
うのは恥ずかしいのだろう。
 けれど、泉美さんはその答えに満足したようでうんうんと考え深げに頷いていた。
『いやー。やっぱ恋愛ちゅうのは難しいもんやねー。ま、ええわ。あんまり長話しよると、
日が暮れてしまうで』
 その言葉に、私は何となしに空を見上げた。もう陽はほとんど沈んでしまい、夕闇がす
くそこまで迫っていた。
「ですね。それじゃあ泉美さん。俺達はこれで」
 タカシが挨拶する。私も続いて頭をペコリと頭を下げた。
『ま、せめて今晩くらいはかなみちゃんもタカシ君に優しくしたりや。久し振りの再会な
んやし、あんまいじめたらあかんで』
 泉美さんの言葉に、私は口を尖らせて文句を言った。
『別にいじめてなんていません。大体、全部タカシが悪いんですから。今日だって、駅か
らここまで、二時間以上も徒歩で歩き回らされたんですよ。あたしが来る事知ってるなら、
事前にタクシーなりレンタカーなり用意すればいいのに、ホントに気が利かないんだから』
 私の言葉に、意外にも泉美さんは驚いたような顔をした。
『駅からここまで歩いて来よったって、ホンマかいな?』
 彼女の言葉に、私はおおげさに頷き返した。
『ホントですよ。ただでさえここまで来るのに時間を数えるのも嫌になるくらい電車に
乗ったっていうのに、もう少し客人を労われってのコイツは』

 私がタカシを睨み付けると、タカシは何だか困ったような複雑な表情をしていた。その
視線は私ではなく、泉美さんの方を見ていた。そして泉美さんもまた、不思議そうな顔で
タカシを見つめて口を開いた。
『何でや? タカシ君アンタ……』
「しーっ!! しーっ!!」
 タカシが慌てて口止めをして泉美さんの言葉を遮る。その仕草が無性にむかついて、私
は思わず、タカシの脛を蹴っ飛ばした。
「いっっってええええ!!!! 何すんだよ、かなみ!!」
『何こそこそと隠し事してんのよ。しかもあたしの目の前で。そういう態度、すっごくむ
かつくんだけど』
 私がむくれて文句を言うと、タカシは足を上げてさすりながらあたしを睨み付けた。
「だ、だからって蹴っ飛ばす事はねーだろ。あーいってえ。モロに内出血してんじゃねーか……」
『いーや。今のはタカシ君が悪いわ』
 と、泉美さんもタカシを睨み付けて言った。
『自分の恋人が目の前で他の女とこそこそ内緒話なんぞしてみい。そりゃ誰かて怒るわ。
もし、ウチの旦那がそないなことしはったらどつき回したあげく、家から叩き出して二度
と敷居はまたがせへんわ』
 と、いきり立って言うものだから、さすがのタカシも頭を下げざるを得なかった。
「スマン、かなみ。泉美さんも。けど、ここでそれを説明したらまた時間もかかるし、ど
のみちうちに来れば分かる事だからと思っただけで……」
 すると、タカシの弁解に泉美さんもちょっと考え込むように上を向いて呟いた。
『あー……まあ、そうやなあ……確かに、すぐに分かるようなことやし…… けど、何で
タカシ君、こないなことしたん?』
 私には分からないようぼかした質問に、タカシは返答を渋った。
「いや、その……まあ、思うところがあって…… 後でかなみにはキチンと説明しますけどね」
『そうか。まあ、ならええわ。タカシ君がよう考えてそうしたことやったら、決して悪い
ようなことちゃうんやろし』
 そう言って再び笑顔に戻る泉美さんを、私は少し驚いて、呆然と見つめてしまった。

『何やかなみちゃん。ウチのことそないに見つめて。顔に何かついとるんか?』
『あ、いいええ』
 私は慌てて否定すると、躊躇いがちに聞いた。
『……何か、随分とタカシの事、信頼してるんですね?』
『お? かなみちゃん、ウチに嫉妬してはるんか?』
 興味深そうな顔で言われて、私は胸がドキッとするのを感じた。慌てて両手を振ってそ
れを否定する。
『バ、バカな事言わないで下さいよ。何で私が嫉妬なんて…… 大体、泉美さんって結婚
なさってるんでしょう? そんな事ある訳ないじゃないですか』
『そうなん? 女なんて、相手が誰だろうが好きな男が知らん女の人と仲良うしてはった
ら、それだけでおもろないんとちゃうの?』
『誰が好きな男ですか。誰が』
 そう反論して睨み返したが、本当は泉美さんの言うとおりだった。私の知らない二年間
の間に、こんなにも心を開ける女性が傍にいるという事実が面白くなかったのだ。たとえ
泉美さんが人妻だろうがなんだろうが。
 泉美さんは私の言葉にケラケラと笑う。
『せやったなあ。ゴメンゴメン。かなみちゃんはタカシ君の事、何とも思うてへんのやったな』
『そうですよ。こんな自分勝手でワガママな奴、好きな訳ないじゃありませんか』
 こういう事を言うのは何度目になるか。さすがのタカシも面白くないだろうな、とかな
り不安になるが、彼の方をチラリと見ても、その表情から思いは窺えなかった。
 私達の会話が途切れた所でタカシが言った。
「それじゃあ、俺達はそろそろ失礼します」
『うんうん。ほな、今晩の成果、楽しみにしとるさかいな』
『成果なんてありませんてば!! いい加減にしてください、もうっ!!』
『あはは。ほなまたな〜』
 こうして私達は、元気良く手を振って別れを告げる泉美さんを後に、タカシの家へと最
後の一行程を歩き出したのだった。


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