その3
 緩い坂道を10分ほど歩き続けると、タカシは細い砂利道へと入って行く。その後に続い
て歩いていくと、開けた場所に出た。
「お疲れ様。着いたぜ」
タカシが振り向いて言う。その先に、ポツンと、平屋建ての一軒家があった。
「ここが俺んちだ。遠慮なく来いよ」
 へえ、と私は感心する思いでその家を見つめた。建物自体は大分古いが、一人暮らしの
住まいにしては広くて開放感があり、風通しも良さそうである。庭も広く、綺麗に手入れ
が為されている。そして、家の脇には物置らしき小屋もあり、その横に一台の小型のワゴ
ンが停まっているのが見えた。
 ん? ワゴン?
 一瞬、何の気なしに視線はそれを横切ったが、すぐに私は違和感に気付き、視線をワゴ
ンに戻した。小さい軽のワゴンだが、特別古くも無く壊れているようにも見えない。
 ふと、そこでさっきの泉美さんとのやり取りを思い出した。
 私が歩いてここまで来たと聞き、不思議そうな顔をした泉美さんと、必死で何かを隠そ
うとするタカシ。その光景が頭に蘇った途端、私の中で全てのピースが繋ぎあった。
『タカシッ!!』
 私は怒りに任せて怒鳴った。
「な、何だよ、かなみ」
 タカシが驚き戸惑いながら振り返って聞く。私は、ワゴンを指差してさらに怒鳴った。
『何よあれ? 車じゃないの?』
「えーと、見ての通りですが……」
 視線を逸らして頭を掻きながらタカシは答えた。
『だったら何であれに乗って迎えに来ないのよ!! 壊れてるとかガソリンが無いとかそ
んなんじゃないんでしょ?』
「まさか。こっちに来た時に中古で買ったんだけどな。まだ一度も故障知らずだし、ガソ
リンも昨日給油してきたばかりだ」
 頭に来たあたしは、タカシの手から自分のバッグを引っ掴んで奪い取ると、勢いをつけ
てタカシを殴りつけた。
『この…………バカアッ!!』
「おわっ!?」

 咄嗟にタカシは腕で自分の頭を防御する。そのせいで私が振り回したバッグはタカシの
腕に防がれて跳ね返った。
「何すんだよかなみ。あぶねーだろが。頭に直撃して、もし怪我でもしたらどうする気なんだよ」
『うるさいっ!! 人を二時間以上も引き摺り回しておいて……どういうつもりなのよっ!!』
「まあ落ち着けって。俺なりに考えがあっての事だからさ」
 諌めようとするタカシを、私は荒い息をついて睨み付けた。最初は勢いで出来たものの、
さすがにこの重いバッグを何度も振り回す気にはなれなかった。
『だったら、ちゃんと納得の行く説明をしなさいよっ!! くだらない理由だったら、許
さないんだから』
 私の詰問に、タカシは言葉を選ぶようにして答え始めた。
「その……せっかくかなみが来てくれたんだしさ。出来れば……俺が住んでいる所を、出
来る限り、見て貰いたくて……」
『そんなの、車に乗ってたって見えるじゃない。ていうか、車の方が余裕持ってあちこち
行けたでしょうに、歩いてる分だけ無駄な時間使ってるじゃない』
 私の抗議に、タカシは首を振って否定した。
「違うんだよ。別に観光地を巡るだけだったら車の方がいいんだろうけど、その土地の気
候や風土や生活だとか気質だとか、そういった諸々の細かい事は、車で移動してたら感じ
られない。自分の足で歩いて回って、人と触れ合ったりして、初めて感じ取れるものじゃ
ないのか?」
 む……と、私はしばし押し黙った。タカシの言わんとしている事が分かると、怒りは徐々
に氷解して解けていった。言われてみると、二時間歩いて回った事で、タカシの住んでい
る村について随分と触れ合った気はする。例えば泉美さんとの出会い一つをとってみても、
車に乗っていたら、あんな出会いはなかっただろう。
「本当はもっと時間があったらさ。今日は一日ゆっくりして、明日一日でいろんな所に連
れて行けるんだけど、お前、明日で帰るんだろ?」
 タカシの問いに、私は無言で頷く。
「まあ、お前に案内したい場所はほとんど、ここに来るまでに連れて行けるしさ。だから、
まあ、そういう訳で……」

 タカシはそう語尾を濁すと、私の方を窺うように見た。本当の事を言えば、私はもう、
その事についての怒りは冷めてしまっていて、むしろ歩いて来た方がなるほど良かったの
かも、とまで思っていた。確かに車でここまで一直線では味気ないし。
 だけど、私の中の捻くれた部分が、素直にタカシの言葉に同意するのを躊躇わせた。ちょっ
と考えてから、私はタカシに向き直って口を開いた。
『……まあ、アンタの言いたい事は、大体分かったわ』
 私の言葉に、タカシはホッと吐息をついた。
「フウ…… 分かってくれたか。そっか……良かった。このまま不機嫌なままだったらど
うしようかと……」
『待ちなさいよ。誰が許すって言った?』
 私は再び、鋭い口調でタカシの言葉を遮った。
「え? でも、今、理解してくれたって……」
『あちこち徒歩で連れ回したことに関してはね。でも、何で最初っから言わないのよ。こ
そこそと隠したりしたのはどういう訳?』
 今度はさすがに、タカシも答えに窮した。弱り果てて考え込むタカシを前に、私はさら
に追い打ちをかける。
『さあ、答えなさいよ。正直に答えないと、あたし、今日ここに泊まらないでどっか別の
ホテルか民宿で泊まるから。もちろん宿泊費はアンタ持ちで』
「そ、そんな無茶な。大体、この村にホテルなんて……」
『車があるんだから、別にここで無くたってどこだって行けるでしょ? ほら、早く!!』
 そこまで言うと、遂にタカシは観念してため息をついた。
「いや、その……事前に言うと、絶対お前からは反対されると思って…… 道々ずーっと
文句聞かされながら歩くよりは、ここに着いてからの方がいいかなーとか……」
 確かにタカシの言うとおりだろう。私の性格なら、タカシの言い分に納得したとしても、
文句を言わずには済まないだろうし、それに徒歩でここまで来て、土地の人達と触れ合い、
空気を肌で感じ取ってきた今だからその素晴らしさも分かるが、いきなり言われてもここ
までは納得できなかったと思う。
 しかし、理性ではそうと分かっても、やっぱり私は面白くなかった。
『あ、そう。分かったわ。アンタ、あたしの事そういう風に見てたんだ』
 イヤミったらしく言うと、タカシは慌てて弁解する。

「い、いや。別にそういう訳で言ったわけじゃなくて、あの、その、だな……」
『要は、あたしの事を信用してないってことよね?』
 気まずそうに押し黙ってしまったタカシの態度に、私は怒りを爆発させた。
『バカッ!! もういいわよ。その代わり、あたしの足を棒のようにしてくれた責任、キッ
チリ取って貰いますからね!!』
 プイッとタカシから顔を逸らすと、私はズカズカと庭先を横切り、玄関へと向かうのだった。

『フウ…………』
 タカシの家の縁側に、足を伸ばして擦りながら庭を見る。外から入ってくる涼しい風が
心地良かった。
「すぐに風呂沸かしてくるから、ちっと待ってろよ」
『今から沸かすの? 普通、お客さんを迎えるときは風呂なんて準備しておくべきじゃな
いの? 全く気が利かないわね』
「アホ。俺が何時に迎えに出たと思ってんだよ。そんな時間から風呂沸かしたってとっく
に冷めちまって、結局追い炊きに時間掛かるじゃねーか」
『うるさい。ブツブツ文句言ってないでとっとと沸かして来なさい!!』
 と、まあこんなやり取りがあって、タカシは今、お風呂を沸かしに行っている。しかし、
どうやらちゃんとガスは引いてあるようだ。もし薪で沸かすとかだったらさぞ、風呂を沸
かすにも時間掛かるのではないだろうか。
「どうだ? 結構心地良いだろ?」
 タカシの声に、私は頭上を見上げた。
『うん。まあ、それなりに。ていうか、プーのアンタがよくこんな広い家を手に入れられ
たわねー』
 タカシの家は、外から見ても大きいとは思ったが、やはり中も広かった。家の形はくの
字になっていて、だだっ広い仏間を含めて4つの部屋が正方形にくっ付いている。襖でし
きられてはいるが、取っ払えばものすごく大きい部屋になるだろう。それと、縁側を伝っ
てくの字の真ん中の角を曲がれば、客間が二つ、並んでいる。
「借家だよ。しかも、都会じゃあ信じられないほど破格な値段。つーても、こんな不便な
場所じゃあ借りる奴もいないだろうけど」

『いるじゃない。ここに、バカが一人』
 私のツッコミに、彼は軽く笑った。
「ああ。だからさ。不動産屋も諦めモードで放置してたんだけど、張り切ってリフォーム
してくれたんだぜ。前は老夫婦が長い事住んでたらしくて、風呂も台所も古かったらしい
んだけど」
 何となく納得はした。昔はここも大家族が住んでいたんだろうか。村の過疎化に伴って
子供たちはみんな都会に行ってしまい、最後は残された年寄りだけが寂しく暮らしていた
のだろう。
 ふと、何か悪い予感がした。
『ね、ね、ね、ね、ね。タカシタカシ』
「何だよ」
『あのさ。ここって格安だって話だけど、それって土地だけのせい? 他に何か理由があっ
たとかじゃなくて?』
「他にって何だよ?」
 訳の分からなさそうな顔をして聞くタカシに、私は口ごもった。想起するのも嫌な物を
説明なんぞしたくない。けど、しないと話しが先に進まないので、私は必死に説明を開始
する。
『ええと、ほら、あれよ、あれ。夏によく出てくるっていう……ほら、こういう古い家と
かじゃよくあるじゃない』
「ああ。お化けの話か」
 サラッと答えを口に出され、私は背筋がゾゾッとした。
「そかそか。お前、そういう話、苦手だったもんなー」
『ニヤニヤ笑うなこのバカッ!!』
 面白そうに笑うタカシを私は怒鳴りつけた。しかし、タカシは全く意に介する風でもな
く、ちょっと考え込むとふと思いついたように言った。
「そういや、不動産屋が何か言ってたよな。夏場でも縁側の雨戸はキチンと閉めろって。
出ないと何があっても知らないぞって……」
『ななな……何よそれ……』
 思わず私はゴクリ、とツバを飲み込んだ。するとタカシは真顔になって庭の大きな木を
指差して言った。

「いや。出るらしいんだわ」
『出るって何がよ……?』
 ヤバイ。何か私は聞いてはいけない事を聞いてしまった気がする。思わず、両腕で体を
抱え込んだ。
「前に住んでいた、おじいちゃんの幽霊。何でも、木の手入れをしている時に、脳卒中だ
かなんかで倒れてそのままだったらしい。だけど、おじいちゃんの魂だけは、自分が死ん
だ事も知らず、未だに木の手入れを続けてるんだとか」
『ややや……やめてよっ!! 冗談でしょそんなはなはなはなはなししししし……』
 動揺して支離滅裂な言語を話す私に、タカシは真面目な顔をして話を続けた。
「いや。それでさ……おばあさん。つまり、その人の奥さんが残って一人で暮らしていた
んだけど、事ある毎に人に話しをしてたらしいんだわ。庭からあの人の呼ぶ声がする。寂
しいからお前も来てくれって」
 もはや私は声も出す事も出来なかった。体がブルブルと震えるのを止める事も出来ず、
タカシを凝視する。私の反応が無いのを確認してから、タカシは話しをさらに続けた。
「でな。ある日をさかいに、ぷっつりとおばあさんの姿が見えなくなったらしい。んで、
下の集落の人が心配して見に来たらそこには…………」
 タカシはワザとらしく溜めを作る。私は耐え切れずにタカシを急かした。
『そこにはって、何があったのよ!! ははは、早くいいいいいにゃさいよね……』
 震えて言葉が変になってしまった。するとタカシは物凄く真面目な顔をして、言った。
「そこには、縁側から庭に向かって、落ちるように倒れて、死んでいるおばあさんの姿が
あったんだって。転んだのか、ちょうど上半身だけが縁側からはみ出て、下の石に頭を打
ち付けたらしくて、頭から血がいっぱい出てたとか」
『い……いやあああああっっっっ!!!!』
 分かっていた事なのに、私は叫ばずにはいられなかった。身を竦めて庭先を見る私に、
タカシはさらに話しを進める。
「で、庭に出ようとしたのは分かるにしても、つまづく所も無いのに、何でそんな風に前
向きに倒れているのか、誰も分からなかったんだけど、葬儀の時に誰かがポツリと言った
んだ。おばあさんは、きっとおじいさんに連れて行かれたんだって。だから、おじいさん
が、足をもつれさせて、ああいう死に方をさせたんじゃないかって……」
『ももも、もういいわよ。はは、話はそのそのその……じゅ、十分に分かったから……』

 これ以上聞くのが耐えられなくなり、私は必死でタカシを止めた。するとタカシは寂し
そうな目で私の座っている場所を見つめた。
「最後に、一つだけ……いいか?」
『なな……何よ?』
 すると、タカシは私を指差して言った。
「おばあさんが倒れていた場所、な。そこって、ちょうど、今かなみが座っている場所だっ
たんだ……」
『ふぇっ……!? ぃ……いいい…………いやあああああああっっっっっ!!!!!!』
 私は、恐怖のあまり飛び退ると、そのまま必死にタカシの腰にしがみ付いた。
『やだもう……止めてよ…… いやぁ…………怖いよ、タカシ……』
「っていう、作り話……だったんだけどな」
『へっ!?』
 思わず上を向いた私に、困ったような照れ笑いをタカシは浮かべた。
「おじいさんが庭先でなくなったのも、おばあさんがここで倒れて死んだのも全部嘘。二
人とも病院で亡くなったらしい」
 私は呆然として言葉を失った。タカシを抱き締めていた腕の力が緩み、ギュッとシャツ
の裾を掴む。
「いやあ。にしてもお前、相変わらずこの手の話に弱いなあ。こうも反応がいいと、話す
側としても、力が入ってくるよ。てか、結構真に迫った話だったろ? な?」
 我に返った私を襲ったのは、羞恥心と怒りだった。ワナワナと体を震わせ、私はギュッ
と拳を握る。
「おい、どうしたかなみ? まさか腰が抜けたとかじゃないだろうな?」
『この…………バカーーーーーッッッッッ!!!!!』
 叫び声を上げて、私は立ち上がりながら拳を上に突き出した。怒りに任せて繰り出した
パンチは、油断していたタカシの右頬を正確に捉えた。
「ゲボォ!!」
 呻き声を上げて、タカシは吹っ飛んだのだった。


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