その8

 喉を流れるビールは、いつになく美味しかった。喉が渇いていたので、一気に飲み干し
たかったが、さすがにそれはみっともないと思い、私はグラス半分くらいを飲んで、一旦
口から離した。
「ぷはあっ。うめえ。やっぱ、風呂上りのビールは最高だよな」
 一気にグラスを空にしたタカシは、ご機嫌な様子でグラスを机に置く。こういう時、男
の人が心底から羨ましく思う。体裁なんて気にせずに思いっきり飲めるんだから。
 私はすぐに、タカシのグラスにビールを注いだ。
「お、サンキュー。何か、お前にしてはやけに気が利くな」
 余計な事を言うので、私はタカシを睨み付けた。
『お前にしてはってどういう事よ。まるであたしが気の利かない女みたいな言い方じゃない』
「い、いや。悪い。そういう意味じゃないけど、俺に対しては、その……こんな風に親切
にしてくれる事なんてなかったから……」
 タカシが慌てて言い訳するが、全然フォローになってない。気分を害したので、ちょっ
といじめてやろう、と思う。
『親切にされるのが慣れないんだったら、手酌で飲む? そうしてくれるなら、あたしは
それでも構わないんだけど』
 そう冷たく言うと、タカシは慌てた。
「ああ。いやその……そういう訳じゃなくて……ていうか、お願いします。はい」
 たかがお酌一つに頭を下げるタカシが何だか面白くて、不愉快さもどこかに吹き飛んで
しまった。しかし私は、わざとらしくため息を一つ吐いて言った。
『別に、習慣よ。社会人になってからは、人のお酒にお酌するのが当たり前みたいになっ
てたから。別にタカシだからって特別親切にした訳じゃないわ』
 するとタカシも、それに頷いた。
「そうだよな。何か、日本の風習っていうか、上司にはお酌して挨拶するのが当然、だと
か。俺もそうだったし。まあ何つーか、学校や会社にいると当たり前だと思ってた事も、
こういう所で一人で暮らしてると、何だか馬鹿馬鹿しいような気もするな」
 そう言いながら、タカシはまだ僅かにビールが残っているのに、私のグラスに注ぎ足してきた。
『何よ。こういう日本の風習、嫌いなんじゃないの?』
 私が聞くと、タカシはニッコリと微笑んで言った。

「かなみには注ぎたいから注いでるだけだよ。もしお前が嫌なら、俺は手酌でも構わないし」
『あ……あたしは別に構わないわよ。このくらいの事。それに、何だかんだ言ってもやっ
ぱり落ち着かないし』
 慌てて私はそう言った。全く、何で余計な事を言っちゃうんだろう。あたしもタカシみ
たいに素直に注ぎたいって言えればいいのに。でもまあ、あれはタカシが悪いんだ。最初
に茶化すような事を言うから。
「そっか。それはそうと、料理の方も食ってくれよ」
『え? あ、うん』
 促されるままに私は箸を取った。
 タカシの手料理……
 正直、どれから口を付けたらいいか迷う。メインの鮎にしようか。でも、これって塩振
って焼いただけだから、あんまり手料理とは言えないわよね。それだったら、金平にしよ
うかな。うーん……
 悩んでいると、私はタカシがジッと私の方を見ているのに気がついた。タカシも私の口
に合うかどうか気にしているのだろうか? しかし、見られていると思うと、今度はその
視線が気になって、どれから手を付けたらいいのか余計に迷ってしまう。
 結局、私はプレッシャーに耐え切れず、タカシの料理から視線を外すと、パッと蓮根の
素揚げに手を伸ばしてしまった。
『うん。泉美さんの料理、美味しい』
 確かに泉美さんの料理は美味しかった。揚げ物にしてはあっさりしているし、蓮根のシャ
キシャキ感が何ともいえない。
「ちぇっ。何だよ。俺の料理からじゃねーのかよ」
 タカシが不満そうにこぼすのを聞き、私はさも当然、といった感じで言い返した。
『当たり前じゃない。いきなり一口目から冒険出来るわけないでしょ?』
「冒険ってなあ…… 俺だって自炊暦二年だぜ? もう少し信頼してくれたっていいんじゃ
ねーか?」
『だってタカシだもん。信頼できる訳ないわよ』
 そう言いつつ、私は心の中で謝った。
 ゴメン、タカシ。気の弱いあたしを許して、と。

『じゃ、まあ、そこまで言うんなら食べてあげますか』
 私は強気にそう言い放ち、鮎に手を伸ばす。一口目に泉美さんの料理を食べた後だと、
何故か心が楽になっていた。今はただ単に楽しみだ。
『そういえば、これって何なの? 変わった調味料ね』
 鮎の傍に添えられている小皿に入った緑色の液体を指して私が聞いた。
「たで酢って言ってな。たでの葉をすり潰したものに酢と醤油と混ぜたものなんだよ。こ
れが一番合うんだぜ」
『ふーん』
 思わず感心してしまう。いつもお魚にはレモンかすだちのような柑橘類をかけていたが、
こんなのは初めて見る。
「そのままかぶり付くのが一番美味いんだぜ。ああ、中骨は取ってあるから」
 そう言うと、タカシはまず自分で鮎にかぶり付いた。
「うん。美味い」
 満足気に言うと、ビールを口に運ぶ。他人の食べるのを見ると、私も食べたくなってし
まい、私は尻尾の方からかぶり付いた。
 うん。美味しい。
 ちょっと冷めてしまったのが残念だが、それでも十分に美味しかった。つい、夢中になっ
てそのまま一匹、一気に食べてしまう。
「どうだ? 美味いだろ?」
 タカシが聞いてきた。
『う…… ま、まあまあね。タカシが焼いたにしては』
 私が答える。こういう時にまでひねくれた物の言い方しか出来ないとは。自分で自分が
情けなくなる。
 しかし、タカシは分かってくれたのか、それについては何も言わなかった。
「まあ、口に合ったみたいで良かった。内臓も食えたみたいだし」
『ちょっと苦かったけどね。でも、まあ食べられない訳じゃないし、残すのも何か汚らしいから』
「内臓の味が分かってこそ、本当の鮎の旨さが分かるんだぜ。まあ、都会っ子のかなみに
はまだ早いかも知れんけどな」
『たかが二年暮らしただけで、何を通ぶってるんだか。偉そうに』

 そうつっけんどんに私が言うと、タカシはハハハッと笑った。そして、泉美さんの作っ
た煮物に箸を伸ばす。
「うん。美味い。やっぱり泉美さんは料理上手だな」
 私も煮物に手を伸ばす。味が染み込んでて確かに美味しい。しかし、料理の味よりも私
には気に掛かることがあった。
 タカシは“やっぱり”って言ってた。と言う事は、泉美さんの料理を食べた事があるっ
てことよね。まあ、二年も近所付きあいしてるんだし不思議な事じゃないけど、でもどの
くらいお世話になってるんだろう。
 そう思うと気になって仕方なくなり、私は思い切ってタカシに聞く事にした。
『あ……あのさ、タカシ』
「何?」
 ごく普通に聞き返すタカシに、私は内心、落ち着かない思いで聞いた。
『あの、さ。泉美さんって……よく、こんな風に差し入れとか、持って来てくれるの?』
「ああ。特に、新メニューとか作ると必ずうちにも分けてくれてさ。お陰で結構助かってるよ」
『そ……そうなんだ』
 なるべく動揺を顔に出さないように私は頷いた。何か心の底の方で面白くない気分が蠢
いている。
「月に一度くらいは優さんと二人でうちに来て宴会するしさ。それに、俺に料理を教えて
くれたのも泉美さんだし」
『そうなの!?』
 さすがにそこまでは予期しておらず、私は面食らった。思わず、台所に立つ二人の姿を
想像してしまう。たどたどしいタカシの手付きを直すために、そっと手を握ったりとか……

 ええいっ!! バカバカしい!!
 私はバカな妄想を振り払おうと、ビールを一気にグイッと呷った。
「お? 何だよ。いい飲みっぷりじゃん」
 タカシが空になった私のグラスにビールを注ぎつつ、からかい口調でそんな事を言った。
 いい飲みっぷりっていうか……自棄酒に近いんだけどね。
 私は、苛立ちや嫉妬心を言葉に滲ませないよう、出来る限り冷静に、私は質問を続けた。
『随分と……泉美さんと仲がい……ううん。お世話になってるみたいね』

 するとタカシは、腕組みをして難しい顔をした。
「うーん。世話になってるっつーか、押し付けられてるっていうか…… そもそも、俺が
ここへ来た初日から、『アンタかいな。東京からわざわざこんな田舎へ越して来たっちゅう
変わりもんは』ってまだ引越の片付けも終わってないのにいきなり来て、いろいろと根掘
り葉掘り聞かれたからなあ」
『あー。何かそれ、分かる気がする』
 私は頷いた。少なくとも、今日の泉美さんを見ていれば、何となく想像は付く。
「だろ? それで『今晩は話し足りんからウチでご飯食べえや。な?』って言って、夕食
を振舞ってくれてさ。料理の件だって、『ここで暮らすんやったら、自炊くらい出来なあか
ん』って。あ、そうそう。米は釜で炊くべきってのも泉美さんから教わった事だし」
『ふ〜ん。ほんっとうに、お世話になってんのね』
 私の口調は、自分でも驚くくらい不愉快な響きを持っていた。
「お前、勘違いすんなよ。俺が来たときから泉美さん、もう結婚してたんだし……」
『何を勘違いすんのよ。別に変な勘繰りなんてしてないわよ』
 ムスッとした声でタカシに答えると、私は嫌味ったらしい言い方でこう付け加えた。
『ただ、アンタの事だからどうせクールな素振りして内心ではデレっとしてたんだろうなっ
て思っただけよ』
「バ、バカ言うなよな。そんな事――」
『無いと言い切れるの? 別に責めてる訳じゃないわよ。泉美さん、美人だしスタイルも
いいし。健全な男の人だったら誰でもちょっとくらいは目を惹かれるだろし。それに、男
の人って、人妻って言葉も好きなんじゃないの?』
 タカシの言葉を遮って、文句をたらたらと言うと、私は冷奴を口に運んだ。冷たくて美
味しいけど、そんなの味わっている気分じゃなかった。タカシはと言うと、さすがにちょっ
と面白くない顔でグラスを空にしている。こんなにも気分は不愉快なのに、何故かビール
だけは注いであげてしまうから不思議だ。
「何だよ。お前、泉美さんに嫉妬してんのか?」
 タカシにそう言われて、私は途端に顔が真っ赤になった。
『な――!! バッ……何、バカな事言ってんのよ。何であたしがそんな……嫉妬なんて
しなくちゃならないのよ』

 しかし、私の怒りにもタカシは冷静だった。多分、こうなる事くらいは予期していった
んだろう。二匹目の鮎にかぶり付きながら、タカシは私の顔を真っ直ぐに見て言った。
「いや。誰にどうとかいう嫉妬じゃなくてさ。単純に、女性として……って事で。俺だっ
て仮に、俺よりハンサムで背も高くてガタイも良くて、それでいてみんなに好かれるよう
な男がいたら、嫉妬するし」
『う…………』
 タカシを対象とした話じゃないと知って、私は口ごもった。それからモゴモゴと、歯
切れの悪い言葉で私は答える。
『そ……そういう意味なら……確かに……あたし、女として、単純に比較すれば、勝てる
とこ無いし……』
 ううん。違う。それだけじゃなくて私は嫉妬してる。私が完全に離れていた二年間、タ
カシの傍であれこれ世話を焼いていた泉美さんに。別に彼女が悪い訳じゃない。タカシは
星座の写真や風景の写真をプリントしたハガキを何通も送ってきてくれた。それにただの
一度も返事すら出さなかった私には、嫉妬する資格すらないのに。
「ほれ」
 タカシがビールを差し出した。私のは、まだグラスに半分以上残っている。飲め、とい
う事なのだろう。拒否しようと思えばいくらでも出来たが、落ち込んだ気分を吹き飛ばそ
うと私は一気に呷った。
「おおー。いいねいいねー。かなみって結構酒強いんだな」
 機嫌良さそうに笑ってタカシが私のグラスにビールを注ぐ。私はむっつりとした顔で鼻
を鳴らした。
『フン。別にそんなんじゃないわよ。ちょっと気分的に飲みたかっただけだから』
 しかし、そんな事では一向に鬱な気分は晴れてくれなかった。むしろ考えれば考えるほ
ど、泉美さんがこの2年間にタカシにしていただろう事をあれころ想像してしまい、ロク
にアプローチもしなかった自分の行動を悔やむばかりだった。
 泉美さんは……旦那さんの事、愛してるみたいだったし、タカシを取るんじゃないかと
か、そういう事はないと思うけど、でも……やっぱり……
 私は深いため息をつく。するとタカシが味噌汁を啜りながら、何気ない調子で言った。
「まあ、そんなに落ち込む事でもないだろ。お前にはお前で泉美さんにはない良さがあるんだし」

『えっ!?』
 私は驚いて思わず変な声を上げてしまった。だってそんな、タカシに褒めて貰えるなん
て思いも寄らなかったし。あー、何だろ。嬉しいけど、すごく気恥ずかしい。それに泉美
さんが持っていない私の良さなんて何があるのかさっぱり分からない。
『べ、別にその……今更、お世辞なんていらないわよ。アンタに慰めてもらったって嬉し
くもないし……』
 私は、嬉しさが顔に出ないよう、努めて逆の事を口にした。でないと、タカシが褒めて
くれたなんて認めちゃったら、私が喜んでいる事がタカシに気付かれちゃうし。
 タカシは私の顔を真っ直ぐに見て、文句を言うようにつっけんどんに言い返してきた。
「アホ。逆だろが。20年以上も付き合って来て今更お世辞なんて言う訳無いだろ」
 淡々とした態度で食事を続けながら、さらりと嬉しい事を言ってくれるタカシを、私は
見惚れてしまった。こういう時お酒の席って便利だな、と思う。だって、いくら顔を赤く
してもお酒のせいだって言えばそれで済んじゃうんだから。
 しかし、タカシは私のどこが泉美さんにない良さだと思っているんだろう? 私は気に
なって気になって気になって仕方がなくて、箸を動かす事さえ忘れていた。いっその事、
ストレートに聞いてしまおうかとすら思う。けど、そんな事を自分から聞くなんてはした
なくないだろうか? でも知りたい。知りたい。
 と、その時、私の様子を不審に思ったタカシが私に声を掛けてきた。
「どうした、かなみ。食べないのか?」
『え?』
 私は顔を上げて、それから慌てて首を振った。
『あはははは。何でもない。食べる食べる』
 そう言って、慌てて私は金平を口に入れた。泉美さんの料理も美味しいけど、やっぱり
タカシの料理が一番だ。だって、私の為に作ってくれた料理なんだし。
 しかし、食事は再開したものの、私の中の好奇心は一向に治まってくれそうになかった。
これじゃあダメだ。私は決心した。聞こう。それも今すぐに。でないと、すぐに違う話題
になってしまうし、そうなったらますます言いづらくなるから。泉美さんも素直になれっ
て言ってたし。
 腹をくくると、私はタカシをジッと見つめた。しかし、いざ、言い出す段になると、や
はり緊張して、上手く言葉が紡ぎ出せなかった。

「おい。どうした、かなみ」
『え?』
 不思議そうな顔をしてタカシが聞いてくるので、顔を上げて聞き返した。すると。
「豆腐、こぼれてるぞ」
『え? きゃっ!?』
 私はびっくりして悲鳴をあげた。無意識に考え事をしながら豆腐などを摘まみあげてい
たから、机の上はおろか、膝の上にまで落っこちている。
「ほれ、布巾。てか何やってんだよ、お前。もう酔っ払ってんのか?」
 呆れた顔で言われたので、ちょっとムッと来た。
『ち……違うわよ!! ただ、その……ちょっと…………考え事…………』
 うう……我ながら情けないなあと思う。タカシにちょっと褒められるような事を言われ
たくらいで動揺してあれこれ悩んで、食べ物をこぼした事にさえ気付かないなんて、小学
生かと言われても仕方が無い。
 短パンを履いていたのがせめてもの救いだった。もしスカートやジーンズだったら、醤
油の染みが付いてしまっていただろう。私は、こぼれた豆腐を拭き取り終えると立ち上が
ろうとした。
『ゴメン。あたし、これちょっと洗ってくるね』
 しかし、タカシは手で制して言った。
「いいっていいって。後で片付けする前に一度すすがなきゃいけないし。そのまま置いて
おけよ」
『でも……』
 何か自分で汚しておいて悪い気もする。しかしタカシは笑ってもう一度言った。
「いいって。酒飲んでれば誰にだってある事だし。そんな事よりさ」
 と、興味深げに私の顔をジッと見つめて言った。
「食い物落としても気付かないほど没頭するって、どんな考え事なんだよ」
『えっ!?』
 私はちょっと慌てた。
『な……何でそんな事、い……いちいちアンタに言わなきゃいけないのよ!!』
 咄嗟に言ってから、しまったと思った。タカシにどう聞こうか考えている所だったのに、
自分から潰してしまってどうするんだ。全く私はバカだ。

 しかし、タカシはちょっと意地悪な笑いを浮かべて言った。
「へえ。他人には話せないような内容なんだ」
 言い方がちょっとムカッと来たが、上手い事逆転のチャンスが来た。私は、さも仕方が
なさそうに、タカシを睨みつけると口を尖らせて言った。
『べ、別にそんなんじゃないわよ。いいわよ。そこまで言うなら教えてあげるから』
 私はゴクリと唾を飲み込んだ。落ち着け。うん、落ち着こう。もう引っ込みは付かなく
なったんだし、またタカシに変に思われる前に聞かないと。
 勇気を出して、ストレートにあたしは聞いた。
『あのさ。その……あたしの、いい所って……何?』
「は?」
 タカシが聞き返すので私は、今度はもっとはっきりと言った。
『アンタさっき、あたしに泉美さんには無い良さがあるって言ったでしょ? それってど
こかなって思っただけよ。アンタ、自分で言ったんだから分かるでしょ? 教えてよ』
 言えた。ようやく言えた。私はホッと吐息をつく。何だかちょっと偉そうな口調になっ
てしまったけど、まあそれはいつもの事だから、あまり気にしないようにしよう。それよ
りも、タカシが何て答えるのか、その方が私は気になった。
 しかし、タカシはうーん、と考え込んだまま、なかなか答えようとはしなかった。痺れ
を切らして、私はもう一度せがんだ。
『ね。泉美さんに無い良さがあるって言ったからにはさ。何か具体的にいい所があるんで
しょ? 恥ずかしがらなくたっていいじゃない。教えてってば』
 すると、タカシはジッと私の顔を見つめて言った。
「そういうのって…… やっぱ、気になるのか?」
 そう聞かれると、急に気恥ずかしくなる。何だか自分がさもしい人間に思えてすら来る。
けれど、聞いた以上は堂々としなければならない。ここで引いたら余計みっともないだけだ。
『あ、当たり前でしょ。泉美さんって美人でお料理も上手くて明るくて話し上手で……そ
んな人と比べて、彼女にない良さがあるなんて言われたら、そりゃ気になるわよ』
 私の言葉に、何故かタカシはため息をついた。その困ったような顔に、私の浮ついた気
分は薄れ、逆に不安が過ぎった。
『あのさ、タカシ。今更お世辞だったなんて言ったら、許さないわよ』

 そう言うと、タカシは慌てて首を振った。
「まさか。さっきも言ったろ? お世辞のつもりなんてさらさらねーって。たださ……」
『ただ、何よ』
「あ。いや、その……」
 タカシは言いにくそうに私の顔をチラリと見ると、また口ごもってしまう。いい加減じ
れったくなって私は急かした。
『何よ。いいたい事があったらはっきり言いなさいよね。男らしくない』
「いやあ、その。あれだ。良い所って言われてもさ……」
 愛想笑いを浮かべつつ、タカシは答えた。
「こう、何つーか。あらたまって、どこがいいのって聞かれても…………こう、具体的に
は、答えられない物だなって思ってさ。あはは……」
『何よそれ。バカにしてんの?』
 と、私は思わず叫び声を上げたのだった。


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