その17

「そういえばかなみ」
 帰りの道筋、ふとタカシが言った。
『何?』
「ちょっと泉美さん達に挨拶してくか? 優さんちの畑、ここから近いし」
『うーん。どうしよっかなぁ……』
 泉美さんに会えば、絶対に昨夜の事を聞かれるに決まってる。何にもなかったと言った
ら笑われるかもしれない。
 けれど、お世話になったこともあるし、やはりキチンと挨拶して行くのが筋だろう。
『分かった。寄ろう』
「おし。んじゃ、こっちな」
 タカシの案内に従って脇道に入っていく。ここら辺は畑ばかりで農作業をしている人が
ちらほら見受けられた。
 と、その時、向こうから駆け寄ってくる人影が見えた。泉美さんだ。向こうの方から目
ざとく私達を見つけたらしい。
『おはよう。タカシ君。それにかなみちゃんも』
「おはようございます。昨日は有難うございました。かなみと二人で美味しく頂きましたよ」
『そっか。口に合うて良かったわあ。で、どうしたん? かなみちゃん、今日帰るんとちゃうん?』
「それが、かなみが良く分からないけど歩いて駅まで行くって言い出しまして」
『何よっ!! その変わり者みたいな言い方止めてよね。あたしはただ、帰る前にもう一
度、ここの景色を見ておきたいなーって思っただけなんだから。そんなおかしな事じゃあ
りませんよね?』
 タカシの言い方が気に食わなくて、私は文句を言いつつ泉美さんに確認を取る。泉美さ
んは例によって快活に笑った。
『あっははは。そやなあ。確かにここの取り得言うたら、景色くらいなもんやもんなあ』
 それから泉美さんはちょっとニヤリとした笑みを浮かべて私に言った。
『けど、かなみちゃん。ほんまは、タカシ君となかなか別れたくないからちゃうん?』
 図星を突かれて、私は一気に真っ赤になった。
『そ、そんな事ありませんてば!! 絶対に!! いい、タカシ。泉美さんの言う事なん
て信じちゃダメよ!!』
 交互に二人の方を向いて私は喚きたてた。タカシが困ったような顔をして泉美さんを見る。

「泉美さん。あんまりコイツをからかわないでくださいよ。冗談とか通じない奴なんですから」
『人を堅物みたく言うなっ!!』
 タカシのフォローが気に食わなくて、私はまた怒鳴った。
『あっはははは。ごめんごめん。堪忍してや。軽い気持ちで言っただけやさかい、そう気
にせんといて』
 泉美さんは明るい口調で笑って言った。どうしてこうもこの人は私の弱点を的確に突い
て来れるのか不思議でしょうがない。
 と、泉美さんがツツッと私の傍に寄ってくると、耳元でそっと囁いた。
『んで、昨夜の成果はどないやったん?』
『!!!!!!』
 やっぱり聞かれた。予期していた事なのに胸がドキッとしてしまう。
『ちゃーんと、することしはったんやろ? タカシ君、やさしゅうしてくれはったん?』
 あああああ…… 泉美さんの中ではもう、既成事実になっちゃってるよ……
 私は大慌てで首をブンブンと振った。
『ななな、何にもありませんてば!! 少なくとも泉美さんが思ってるようなことは!!』
 タカシに聞かれないよう、私も小声で言い返す。すると泉美さんはいかにもつまらなさ
そうな表情になって聞き返してきた。
『何もなかったん? 一晩、同じ屋根の下におって?』
 私は頷く。すると、泉美さんはハァ、大きなため息をついた。
『全く、タカシ君も何やっとるんやろ。ウチはもうちょっと甲斐性あるかと思うとったん
やけどなぁ。意外とヘタレやな』
『ほんっとそうですよ。全く、キスくらい……』
 思わず泉美さんに同意して余計な事を言ってしまい、私はハッと口を押さえたがもう遅
かった。泉美さんが満面の笑みを浮かべて私を見ているのに、気付いた。
『何やー。キスもしてもらえへんかったんか? せっかくかなみちゃんがして欲しがって
るっちゅうになぁ』
『べべべ、別にして欲しがった訳じゃ……』
 言い訳する私の口調は動揺してひどく弱い。いや、まあその……して欲しかったどころ
か要求しちゃった訳なのだが。
『分かった。今度ウチがよーく言い聞かせてやるさかい。女の子の扱いちゅうもんをな』

『余計な事しなくていいですってば!!』
 つい大声を出してしまった。タカシが怪訝そうな顔でこっちを見ているのに気付き、私
は慌ててタカシに言った。
『あわわわわ。何でもない。気にしないで』
「それはそうと、何を女同士で内緒話に花咲かせてんだよ。ったく……」
 呆れた声でタカシが言うと、泉美さんがタカシに向かって言った。
『ええやんか。女同士の大事な話やもん。なあ、かなみちゃん』
 私に振られたので、とりあえず首を縦に振っておく。
『そ、そうよ。別にタカシが気にすることじゃないわよ』
 するとタカシはつまらなさそうに舌打ちした。
「ちぇっ。まあどうせ聞いたって教えてくれないだろうから、気にしない事にすっけどよ。
それよか泉美さん。優さんは?」
『ああ。あそこで働いとるよ。ほれ』
 と、泉美さんの指差す方を見ると、農作業にいそしむ男の人の姿が見えた。
『まあ、紹介するほどの人やあらへんけど、かなみちゃんに挨拶させへんのも失礼やし、
ちょっと連れて来るで、待っとり』
 そう言って泉美さんは畑の方へと戻って行った。ほどなくして、長身の男性が、泉美さ
んに手を引かれ、引き摺られるようにして私達の方へとやって来た。
『これがウチの旦那や。ほれ。挨拶し』
 泉美さんにせかされて旦那さんが小声で挨拶をし、ペコリと頭を下げた。何か本当にす
ごく大人しくて穏やかな人だな、という印象を受けた。嵐のようにしゃべりまくる泉美さ
んとは水と油みたいなのに、何故かすごく仲が良さそうに見えるのが不思議だった。
『で、こっちがタカシ君の彼女のかなみちゃん』
『恋人じゃありませんっ!! たたたたた、ただの幼馴染ですから、勘違いしないで下さいっ!!』
 泉美さんの紹介に即座に私は否定した。しかし、旦那さんは穏やかに笑うだけで何とも
返事をしなかった。
『まあまあ。そう照れんと。もう似たようなもんなんやから』
『違いますってば!!』

 どうしてこうも私はひねくれているんだろう。言われれば言われるほどムキになって否
定してしまう。せっかく、既成事実は一つも作れなくても、昨夜はタカシといい雰囲気で
過ごせたのに、これで不快になったりしたら台無しだ。
 もっとも、こんなことくらいで不機嫌になるタカシじゃないと私は信じてるけど。
「かなみ。そろそろ行かないと」
 時計を見てタカシが言った。私も時間を確認する。確かにいつまでも長話をしている時
間でも無かった。
『せやな。歩いて行くんやったら、もう行ったほうがええわ』
 泉美さんもタカシに同意して言った。
『すみません。それじゃあ、これで失礼させていただきます』
 ペコリ、と私が二人に頭を下げると、泉美さんは微笑んで言った。
『まあそないにかしこまらんと。また、来るんやろ?』
 そう聞かれたので、私は頷いた。
『はい。必ず、近いうちに』
『せやったら、その時はゆっくり飲み明かそうな』
『楽しみにしてます。けど、あまり変な事ばかり言わないで下さいよ』
『さあ? どうやろなー』
 泉美さんは意味ありげな笑いを見せる。泉美さんって酒豪っぽいし、何か大変なことに
なりそうな予感がした。
「それじゃあ、泉美さん。優さん。また」
『せやな。タカシ君、しっかりと送って行きや』
 そして、私達は泉美さん夫妻に別れを告げ、再び帰路を辿った。

「いい人だろ? 二人とも」
 帰りの道すがら、そう聞かれたので私は頷いた。
『うん。泉美さんはちょっと詮索好きなきらいがあるけど……でも、別に嫌じゃないし。
というか、旦那さん、すごく大人しそうな人だったね』
「ああ。酒が入るとよくしゃべるようになるんだけどな。人見知りがちょっと激しいだけ
で、いい人だよ」
 今頃は仲良く農作業に勤しんでいるであろう二人を私は思い浮かべた。

『何か……羨ましいな。ああやって、夫婦仲良く暮らしていけるのって』
 そう呟きながら、私は自分に置き換えて考えてみた。ここでタカシと二人で……あんな
風に、仲良く、毎日わいわいと喧嘩したりしながらも楽しく暮らしていけたら……
「そうだな」
 タカシが同意したので、私は妄想から立ち返り、ちょっとビクッとしてタカシの顔を見
る。私とタカシの目が合い、お互いそのまましばらく見つめあった。それから私の方が
不意に恥ずかしくなって視線を逸らす。
『べ、別に……アンタとの事を思ってそんな事言った訳じゃないんだからね』
「分かってるって。いちいちそんなこと言わなくたってな」
 うん。多分タカシにはバレてるな。私が逆の事を言ったって事を。

 ゆっくりと、のんびりと、ポツポツと会話しつつ、私達は帰路は急がずに歩いた。例に
よって時折タカシが知り合いに声を掛けられたりしながらも、私は昨日ほどは刺々しくな
らず、遠慮がちに挨拶をする程度に留めておいた。
 そしてだんだんと民家が増え、商店が増えて、ついにローカル線の駅が見えた。
『ハァ……着いちゃったか……』
 タカシに聞こえないように小さく呟く。私達の別れの時。だけど、今回はそうは長くな
らないはずだ。
「次の列車までは……20分か。どっか喫茶店でも入るか?」
 私は首を振った。
『いい。20分だと微妙な時間だもん。ホームで待とう』
 切符を買って改札を抜け、私とタカシはベンチに座った。
「明日から……また、日常生活だな」
『そうね。お母さんに起こされて、会社に行って、上司にこき使われて、友達とたわいの
無いおしゃべりをして……』
「俺も仕事と研究と観察だな。昨日一日休んじまったし」
『あのさ……』
 不意に思い立って私は聞いた。
『タカシって……一人で暮らしてて、寂しくなったことってないの?』

「そりゃああるさ。でもまあ、近くに泉美さんっつーいい知り合いがいるしな。そういう
時は大抵お世話になってる。まあ、滅多に無いけど」
『そうなんだ……』
 やっぱりタカシでも人恋しくなる事はあるようだ。続けて私は聞いた。
『それじゃあさ。その……一人より、二人の方がいいって思うことは?』
 するとタカシの顔が一瞬、動揺したかのように思えたが、すぐにニヤッと笑って言った。
「それについてはノーコメントだな。つーか、俺の事なんてどうでもいいから、自分の事
だけ考えろよ。何が一番良いか。結論を出すのは今じゃないだろ?」
 私はハァ……と、ため息をついた。自分がどうしてそんな質問を思い立ったのか、最初
は分からなかったが、タカシの答えで逆に自分が気付かされた。
 私がいた方がいいと、言って欲しかったんだ、と。
 列車の来る時間が迫る。
 いてもたってもいられなくなり、私はベンチから立ち上がった。
「どうしたんだ?」
 そう聞くタカシを見つめる。この、別れる瞬間になって、急にタカシの事が、たまらな
くいとおしく思えて仕方が無かった。

 離れたくない……
『ねぇ、タカシ』
 けれど、今は別れなくちゃならない。だから、最後に精一杯甘えようと私は決めた。
『抱いて』
 タカシの目が、驚きで見開かれる。
『抱き締めていて。電車が来るまで、ずっと』
 真剣そのものの私の気持ちに気付いたのか、タカシは頷いた。
「分かった。それでかなみが吹っ切れるのなら」
 タカシもベンチから立ち上がり、私の真正面で両腕を広げた。
 たまらずに私は、タカシにしがみついた。両腕でしっかりと抱き締めると、タカシの両
腕が、優しく私の体を包み込んでくれる。
 私は一言も口を利かなかった。何かしゃべると、涙が溢れそうで、だから黙ってタカシ
に包まれていた。タカシもまた、そういう私の気持ちを察してくれたのか、一言も声を発
しなかった。

 列車がガタンゴトンと音を立ててホームに滑り込んでくる。
「ほら。かなみ」
 タカシがポン、と肩を叩いた。もっとずっと、一生でもギュッと抱き締め続けていたかっ
たが、仕方なく私はタカシを解放した。
 タカシから荷物を手渡され、私は列車に乗り込む。
「とりあえず、元気でな」
 笑顔で、タカシが言った。やたらと彼の顔が眩しい。最後くらいは、ちゃんと素直にな
ろうと決め、私も微笑み返した。
『私……必ず、戻って来るから。だから……その……他の女の人となんかお見合いとか……
やだからね』
 その言葉に、タカシは笑って頷いただけだった。
「もし、こっちに来る時があったら、次はちゃんと連絡くれよな。今回みたくいきなりは
勘弁だぜ」
『分かったわよ。てか、その……いろいろと……ありがと……』
 発車のベルが鳴る。タカシが手を振った。
「じゃあな」
 その言葉に、返事をする前に、列車のドアが閉まり、私とタカシの世界は隔絶した。
 ゆっくりと、列車が動き出す。私は慌てて座席へと向かい窓から顔を出した。
 手を振るタカシがどんどんと小さくなり、やがて小さな点となって消えてしまった。
 仕方なく、私は席に座る。と、途端に涙がブワッと湧いて出た。
 泣くな、かなみ。今は泣く時じゃない。
 強く言い聞かせて私は涙をゴシゴシと拳で拭った。
 今は一度家に帰って、そして、全ての事にケリを付けてから、次は堂々とここに来るんだ。
 タカシに一言も反対の言葉を出させないように。だから、今は落ち込んでいる時じゃない。
 私は、そう、強い決意を胸に抱くのだった。

ツンデレと星空の下で(完)


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