・ ツンデレ妹と台風の夜(その2)

「おーい。舞衣」
 兄の声に私は慌てて跳ね起きた。
『な……何よ? お兄ちゃん』
 リビングの入り口を見ると、シャワーを浴びてさっぱりした感じの兄がいた。
「いや。今日、お母さん……どうしたんだ? いないのか?」
『……それなんだけど、今日、友田さんの所に行ってたのよ。そしたらお兄ちゃんが帰っ
てくる前に電話があって、天気が思ったより酷くなってきたから帰らずに止まるって』
「言い訳だな。そりゃ。そんな事言って、あれは家事放棄して飲みまくるつもりだぜ」
『……私もそう思う』
 正直、困った母ではあるが、そのお陰で兄とこうして二人っきりになれるのだから、感
謝しなくてはいけないのかもしれない。
「じゃあ、今日の飯はどうすんだよ。どうせお母さん、準備なんかしてねーだろ」
『……私が作るしかないでしょ』
 そう言いながら、私は自分がうじうじといじけている場合ではない事を思い出した。立
ち上がった私に、兄は疑いの目線を投げかけてくる。
「お前が作るのかぁ? 一人で?」
『……何よ、その言い方。嫌なの?』
 私は上目遣いに兄を睨みつける。
「いや…… 嫌じゃないけどさ。デリバリー頼むとか、インスタントラーメンで済ます手
段も――」
『もう下ごしらえは済ませてあるもの。私だってやろうと思えばちゃんと出来るのよ』
「うーん。お前の料理といったら、黒焦げになった玉子焼きしかイメージに無いんだが」
『そんなの、何年前の話してるのよ。中学生の時の失敗を今更持ち出さないでよね』
 いきり立って私は言った。家庭科の授業で習ったオムレツを家で作ろうとして見事に大
失敗した、私にとっての黒歴史である。あの時、兄にからかわれて大泣きした私は、次に
兄に料理を作る機会があったら、絶対に美味しいと言わせてみせる、と心に誓ったのだった。
「けど、あれ以来お前の料理って見たことないし。全く作った事ないとか……ないよな?」
『当たり前でしょ。女の子だもん…… ちゃんと、練習くらい……してるわよ』

 兄のいない時間に母親に教わりながらコツコツとやって来た成果。さっきの母からの電
話でも、もうタカシも舞衣の料理に文句付けたり出来ないでしょうから安心なさい、とお
墨付きを貰ったし、大丈夫なはず。もっとも、体よく押し付けられただけかもしれないが。
「分かったよ。まあ、作り始めちまったってんならしょうがないか。正直、腹減ってもう
持ちそうにないし。今の俺なら多少マズイ料理でも、文句言わずに腹に収めそうだぜ」
『……信用してないでしょ?』
 そう聞くと、兄は複雑な顔をした。明らかにうんと言いたいけど、気を遣って言えない
ような、そんな感じなのが見え見えだ。
『分かったわよ。絶対に美味しく作って、お兄ちゃんに頭下げさせてやるんだから』
 私はそう言い捨てて、台所へと向かった。椅子に引っ掛けてあったエプロンを装着する。
――こうなったら……お兄ちゃんに、私の料理じゃないと満足出来ないって言わせるくら
い……そのくらい、美味しい料理にするんだから。
 そう誓うと、私は油に熱を通すべく、ガスレンジに火を掛けたのだった。


 コロッケのいい所は、中身の具がそのままでも食べられるところだ。万が一にも中に火
が通ってないと言う事は無いので、後はいかにカラッと揚げられるかだけの勝負である。
火を通しすぎて爆発させたりしたら元も子もない。慎重に慎重を重ねて、私は揚げていった。
『うん。これなら……お兄ちゃんも満足出来るはず』
 お皿に盛り付けたコロッケの山を見て、私は頷いた。どんな感想を言ってくれるだろう
か? ドキドキしながら、私は兄を呼びに行った。
『お兄ちゃん。ご飯よ』
 リビングでテレビを見ていた兄に声を掛ける。
『お兄ちゃん!!』
 返事をしない兄を、もう一度大声で呼ぶ。
「ん? ああ。聞こえてるよ。今行くからさ」
 ゆっくりとしていた動作で、兄はテレビのスイッチを切ると立ち上がった。
『さっさとしてよね。私がご飯作ったんだから、自分から手伝いに来てくれたっていいじゃない』
「分かった分かった。で、何すりゃいいんだよ?」
 キッチンに入ると、私は台ふきんを渡した。

『はい。これでテーブルを拭いて。終わったら、ご飯よそってね。私はスープ温めてるから』
 兄に一つ一つ指示する。何だか、兄妹というより、夫婦の共同作業のような気がして嬉
しかった。
『あ、言っとくけど、私は茶碗に半分くらいでいいからね』
 無言でテーブルを拭く兄に、私はうるさく注文を付けるのだった。


『よし。これで準備出来た、っと。どう? お兄ちゃん』
 テーブルに並べた料理を前に、私は胸を張った。ご飯に野菜スープ。コロッケとコール
スローサラダは大きな皿に盛り付けてある。何故、皿を分けなかったかと言うと、何とな
く、一つの皿から取り合う方が仲良さ気な感じがするからだ。付け合せは冷奴。まあ、そ
れはちょっと手抜きだけど、でも初めて兄の前に出した料理としては合格点ではなかろうか。
「ふーん。見た目はまともに出来てるように見えるよな。いい匂いさせてるし」
『ように見える、じゃなくてちゃんと出来てるわよ。まだ疑ってる訳? 信じられない』
 半信半疑のような兄の態度に文句を言うと、兄は済ました顔で答えた。
「まだ食った訳じゃないからな。頭下げるかどうかはその後だ」
『わ……分かってるわよ。そんな事』
 強気で答えはしたものの、内心では私はドキドキだった。今日は失敗は無かった。よそ
見をして焦げ付かせたり中身が飛び出る事も無いし、スープはちゃんと味見をして微妙な
味の調節もした。そうは思っても、口に合うかどうかの問題もある。
――もし……微妙、とか言われたらどうしよう……立ち直れないかも……
「どうしたんだ? お前も座れよ」
『え?』
 兄の言葉が、不安な思いで一杯の私の心に割って入ってきた。
「お前も食べるんだろ? そこでボケーッと立ってられると、いつまでたっても食べられ
ないんだけど」
『わ、悪かったわね。今座るわよ』
 何だか私の動揺がバレたかのようで恥ずかしさに襲われながら私は椅子に座った。
「さて。それじゃあ頂くか」
『どうぞ』

 言葉少なに言うと、即座に兄がツッコミを入れてきた。
「どうぞって、お前も食うんだろ? 何か俺にだけ食わせるみたいじゃんか」
『そんな事無いけど、私が作ったんだから不自然でもないでしょ? そんな細かい事を気
にする前に、さっさと食べてよね』
 そう答えると、兄はちょっと不思議そうに私を見た。
「つーかさ。何でお前は食べようとしないんだ? 何かある訳じゃないよな?」
『べ、別に何も無いわよ。それより、何でお兄ちゃんも食べようとしないで私に勧めるの
よ。まさか、毒見させる気じゃないでしょうね?』
 正直な所を言えば、兄が美味しいと言ってくれるまでは不安で食事など喉を通らないか
らなのだが、そういう微妙な気持ちに兄はちっとも気付いてはくれなかった。
「そんなつもりは無いけどさ。何かこう、ジーッと見つめられると食い辛いもんじゃね?」
『い……いちいち理由付けないで、さっさと食べてよね』
 何だか焦らしプレイをされているような気分になり、私は焦って兄を急かした。これ以
上こんな気分でいたら何だかおかしくなりそうだ。
「分かったよ。俺が先に食べればいいんだろ? 全く……普段は真っ先に食べ始めるくせに」
『失礼なこと言わないでよ。私、そんなにがっついた覚えは無いわよ』
 そればかりは兄の言葉といえども同意できず、私は不満気に文句を言った。しかし、そ
んな私を見て兄が面白そうに笑ったのを見て、私はからかわれたのだと知った。
『もう!! 人を馬鹿にしてないで、早く食べてよ!!』
 いい加減、我慢の限界に来て怒鳴りつけると、兄はクスリと小さく笑った。
「はいはい。それじゃあ、早速コロッケから食うとするか」
 兄は大皿から二つばかりコロッケを箸で取り皿に取った。ソースを掛けるその仕草すら
今の私にはじれったく思える。
――私の作った初めての料理が……お兄ちゃんの口に入るんだ……
 たかが手料理一つを兄が口にするというその事だけで、私は軽く興奮していた。兄が箸
でコロッケを一口大に割り、口に運ぶ姿がスローモーションのように見える。ゆっくりと、
コロッケが口に吸い込まれていき……咀嚼されて……飲み込まれて……
『ど……どう?』
 耐え切れずに、私は聞いた。兄が無言でいる事に、異様な不安を覚える。もしかして、
不味かった? 口に合わなかった? 実際にはほんの一瞬の事なのに、様々な想いが過ぎっていく。

「うん。美味いじゃん」
 その言葉に、私はハッと顔を上げて兄を見つめた。兄はそのまま、二口目を口に運ぶ。
私の心はその瞬間、安堵と喜びの両方に包まれた。
――美味しいって……言ったわよね? 聞き間違いじゃないわよね?
 だが、兄はそれ以上何も言わず、平然と食事を続けている。その態度が、喜んでいるに
もかかわらず、不満をも生じさせた。
『ちょっと。お兄ちゃん!!』
「何だ?」
 大声を出した私に、兄は食事を中断して私を見た。
『美味いじゃんって……感想、それだけなの? もう少し何か言ってくれてもいいじゃない』
 だが、私の期待に反して兄はクールだった。
「どっかの料理漫画じゃあるまいし、うーまーいーぞーっ!!とか津波をバックに走れと
でも言うのかよ。それとも、カラッと揚がった衣のサクサク感と中のじゃがいもの柔らか
く甘い味わいが絶妙なハーモニーを醸し出しているとでも言えばいいのか?」
 私は、ハァ……とため息をついた。
『誰も専門家のような批評をしろだとかオーバーリアクションをしろだなんて言ってない』
 私はムスッとした顔で兄を見つめた。
「じゃあどうしろって言うんだよ?」
 どうしろも何も、私は兄が嬉しそうな顔をして、私をほんの少しでも褒めてくれればそ
れで良かったのだ。料理、上手くなったな、とか頑張ったよなとか。でも、そんな事は自
分から要求する事じゃない。だからこのやり場のない気分は本当にもう、どうする事も出
来ず、私はただ、むっつりとこう答えただけだった。
『もういいわよ。でも、少なくとも美味しいって言ったんだから、謝罪は要求するわよ。
まさか忘れたとか言わないわよね?』
 本当はこんな事はどうでも良かったのだ。喜んでくれれば、その方が何倍も嬉しかった
のだが。だけど今は、せめてこれくらいしか要求できなかった。
 兄はちょっとため息をついて頭を掻いた。
「覚えてるよ。いや。確かに済まなかった。何か、あの時以来お前が料理してるところも
見たことなかったから、ずっと料理が下手だってイメージにとらわれ過ぎてた。さすが女
の子だな」

『分かればいいわよ。もう』
 つっけんどんに返事はしたが、本当は少し、顔がニヤケそうになっていた。少なくとも、
兄が私に抱いていた料理下手というイメージは払拭できた訳だし。
 まだ不満は不満だが、多少溜飲を下げた私は、ようやく落ち着いて夕食にありつく事が
出来たのだった。


「ところでさ。何でコロッケにしたんだ?」
『え?』
 食事中の唐突な兄の質問に、私は思わず箸を止めて顔を上げた。
『何よ。メニューに不満でもあるの?』
 さっきからの不満が未だ解消されていない私は、多少喧嘩腰に聞き返す。そんな私の態
度は無視して、兄は質問を続けた。
「いや。そうじゃないけどさ。女の子が作る初めての料理って結構定番物が多いじゃん。
ハンバーグとかシチューとかグラタンとか、和風なら肉じゃがとかさ。あんまコロッケっ
て聞かないなあと思って」
『べ、別に彼氏に作る訳じゃないんだもの。そんなこといちいち考えたりしないわよ』
 これは嘘である。こんな事は口が裂けても誰にも言えないが、私にとっての兄はどんな
男性より素敵な人で、寝ても冷めても想いの中にいる最愛の人である。もちろん、コロッ
ケにしたのも考えあっての事だ。
「でも、その割には気合入ってるよな。ポテトコロッケにカレーコロッケにカニクリーム
コロッケと3種類も作ってるし。むしろこっちの方が難しくないか?」
『私が食べたいからそうしただけよ。お兄ちゃんのことなんて考えてないもの』
「そうなんか。まあ、俺はむしろ今日はコロッケの事が頭にあったからちょうど良かった
んだけどな」
『そ、そう? ただの偶然よ。偶然』
 私は敢えて偶然という言葉を強調した。と、その時兄がドキリとするような事を言った。
「もしかして、お前も知ってんのか? 台風の日はコロッケを食べるのが定番だって」
 びっくりして、思わず箸を取り落としそうになった。しかし、何とか持ち直すと、何事
も無かったかのように、サラダを取り皿に盛る。

『な、何それ? そんな定番なんて聞いた事無いんだけど』
 すると兄は戸惑い気味に少し笑って言った。
「いや。試しに聞いてみただけだよ。ネットの中の話だけど、結構大きな掲示板での風習
だからもしかしたら知ってんのかなーって思っただけだ」
『そんなの知る訳ないじゃない。私はパソコン持ってないんだもの』
 もちろんこれは嘘である。某巨大掲示板内の風習である事は、もちろん利用者である私
は知っている。そして始めたのは兄の影響だから、兄が喜ぶ……とまではいかなくても、
多分意識はしているだろうと思っての献立である。
「まあ、最近は携帯から見てる奴がかなり多いから、パソコン持ってるかどうかは関係な
いんだけどな。まあ、知らないならそれに越した事はないかもな」
 私は、兄に聞こえないよう、そっと小さくため息をついた。
――ゴメンなさい、お兄ちゃん。私はもう既に、どっぷりそこに浸かってしまっています。
でも、悪いのはパソコン付けっぱなしのままで出かけたお兄ちゃんだからね。
『偉そうに言わないでよ。大体、お兄ちゃんはパソコンの見過ぎだと思う。いつもご飯食
べ終わったら、ずーっと部屋でパソコン見てるし。ほとんど引き篭もりじゃない』
 普段、なかなかこんな会話も出来ないので、恨み節を込めて私は文句を言った。自分の
行動を非難されたせいか、ちょっと兄は不機嫌な顔を見せる。
「別にそれは俺の勝手だろ。仕事でなかなか時間取れないんだし、家に帰ってからくらい
好きな事したっていいじゃねーか」
『でも、もう少し家族との時間を大切にしたっていいんじゃないの? お母さんとだって、
あまり話ししてないんでしょ?』
「そうでもねーよ。お母さんとはちゃんと話ししてるし……って、何だ? お前も俺とも
う少し話したいのか?」
 図星を正確に突かれて私は慌てて否定した。
『わ……私は別にそんな事無いわよ。別にお兄ちゃんとなんて話さなくたっていいし……』
 言葉とは裏腹に、内心では自分の言った事を後悔している自分がいた。
――あああ……私のバカ…… ああまではっきり断らなくても良かったのに。あのまま
ちょっと我慢していれば、お兄ちゃんと毎日二人っきりで過ごせるフラグ立てれたかも知
れないのになぁ……
「なら、別に問題ないだろ? 舞衣には関係ねーし」

『フンだ。じゃあ、勝手に引き篭もってればいいでしょ』
 捨て台詞を吐いて会話を打ち切ってしまう。ただ単にもう少し兄と話したいだけなのに、
どうしてこうなっちゃうのだろうか? そのせいで、貴重な二人っきりの時間すら潰して
しまったし。
 私は箸を置いた。一度、頭を冷やさなければと思う。でないと、また兄に余計な言葉を
言って空気を悪くしてしまいそうだ。
「どうしたんだ?」
 私が箸を置いた事を不思議に思ったのか、兄が聞いてきた。私はガタン、と椅子から立
ち上がる。
『ごちそうさま。もう、お腹一杯だからお風呂入ってくる。洗い物は出てからやるから、
食器だけ流しに運んでおいてくれる?』
 感情を殺した声で言うと、私は自分の食器だけを重ねた。
「お腹一杯って……お前、ほとんどコロッケ食ってないじゃん。ていうか、この山盛りの
コロッケどうするんだよ?」
 テーブルの上の大皿には、まだ10個近くコロッケが残っていた。私はそれをチラリと見
て言った。
『残すのももったいないし、お兄ちゃん、食べてよね』
「食べて……って、これ全部か? いくら何でも食い切れねーぞ?」
『だったら別に残してくれてもいいわよ。私が明日食べるから』
 苛立たしげに食器をガシャン、と置くと私はまだ何か言いたそうな兄をそのままに、キッ チンから出て行ったのだった。


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