お勉強編PART.1

 土曜日。
 静恵に駅まで迎えに来て貰って、理奈と隆志は彼女の家に行った。
「…………」
「どうしたの、別府君?」
「いや。意外と……藤代さんの家も……お金持ちだったんだな……って」
 理奈の家には遥かに遠く及ばないとはいえ、静恵の家も一般市民レベルから見れば十分
に大きい。
「一応……父は大手企業の重役なので…… でも、気にすることないよ。遠慮なく上がっ
て。ウチは別に、そこまで格式ばってないから」
「ほえー。いいなあ。何か、藤代さんがいいトコのお嬢様って、似合うなあ」
「え? あ……そうかな? 私……そんな事、意識したこと……なかったんで……」
「いやいや。清楚で可憐だし、動作も落ち着いてるし……アイテッ!!」
 呆け気味の隆志の脛を、理奈がこっそりと蹴り飛ばした。とがったヒールのつま先が、
狙い違わずに弁慶の泣き所を直撃する。
「あqwせdfrtgyふじこl!!!! おま……何するんだよ……」
 目に涙を浮かべながら隆志は理奈を睨みつけるが、彼女は知らん顔である。
「何をボサッとしておりますの? さっさと行きますわよ。それでは、静恵さん。お邪魔
いたしますわよ」
「ええ。遠慮なくどうぞ」
 静恵に案内されて、玄関から中に入る。
「ふえー、ほー、はー、でかいなあ」
「何をジロジロと眺めてますの? 人の家にお邪魔しているんですから、もう少し礼儀を
わきまえなさい」
「いやー。だってよ。こんだけ立派だと、感心しちまうべ」
「何言ってるんですの。豪華なお屋敷なら、わたくしの家を見たことが何度もあるでしょう」
「お前の家は、もはや現実からかけ離れすぎているからな。藤代さんの家の方がリアル感が強い」
 静恵は、隆志の様子にクスクスと笑った。
「ありがとう、褒めてくれて。でも、あんまり見られると恥ずかしいけど……」
「ゴメン。やっぱ失礼だったな」
「ううん。大丈夫。じゃあ、そろそろ私の部屋に案内しますね」
 静恵の部屋は、女の子らしくパステルカラーが目に付く洋室で、ベッドにテーブル。勉
強机に大きめの本棚があり、テレビとDVDレコーダーまで完備されている。ぬいぐるみが
あちこちに置いてあるのが彼女の女の子らしさを感じさせた。
「ちょっとゆっくりしてて下さい。今、お茶を淹れてきますから」
 ニッコリと笑うと、彼女は部屋から姿を消した。あとは、隆志と理奈が所在無げにクッ
ションの上に腰掛けている。
「全く、だらしのない。何ですの、あの態度は?」
「いやいや。だってさー。お前んち以外で女の子の家ってお邪魔するの初めてだし、何か
緊張するものがあってさ」
「わたくしのお屋敷では緊張しないとでもおっしゃるの?」
「そうは言わねーけどさ。お前が日本に帰って来たのって中二ん時じゃん。そん時からだ
から、もう三年も経つとさすがに慣れってもんがな。それにあの頃は女の子、なんて意識
してなかったし」
「ああ、そうですの。わたくしはどうせ異性としては認められていないってことですのね」
「中学の時は、って話だろ?って、お前、何怒ってんの?」
「当然ですわ。男の人から『異性として意識されてない』って言われて平気な女の人なん
ていませんわ。例え、貴方のような虫けら以下の男からであっても」
「ひでえな……俺は虫けら以下かよ……」
「ええ。ミジンコ以下のバクテリア…… いえ、それではバクテリアに失礼ですわ。言っ
てみれば地球上で貴方より下等な生き物はいない、と言う所ですわね」
「ぐむう……」
 言い返すべき言葉が見つからず、隆志は押し黙ってしまった。表面上はツン、とした表
情でそっぽを向きながらも、理奈は内心、隆志をやり込めた事に満足する。だが、すぐに
不安の方が頭をもたげて来た。
――それにしても……意外な所から伏兵が現れたものですわね。これからは、よくタカシ
を監視しないと。ええ。彼が他の女と付き合うなんて……認められませんわ……
 コンコン、と部屋をノックする音がして、それからすぐにカチャッ、と扉が開いた。静
恵が、三人分のティーカップとクッキーを盛り付けた皿をお盆に乗せて入ってきた。
「ごめんなさい……私、手際が悪いから、遅くなっちゃって……」
「いいええ。お構いなく」
 理奈の言葉に微笑を返し、静恵はお盆を恐る恐る床に置いた。ティーカップをそれぞれ
の席に配る。紅茶とシュガーポット、ポーションミルク、クッキーがテーブルの上に並べ
られ、静恵もテーブルについた。
「味は……ちょっと、自信ないんだけど……」
 ちょっと恥ずかしそうに静恵が言う。理奈はカップを手に取ると、香りをかいでみた。
「あら…… ダージリンっぽいようですけど、どこの銘柄かしら?」
「あの……その…… これは、ティーパックで……」
 ちょっと痛いところを突かれたのか、赤くなって静恵はうつむく。すかさず、理奈が追
い打ちを掛けた。
「静恵さんのおうちもこれだけ立派なのですから、キチンとした葉から淹れてるのかとば
かり思いましたけど、失礼致しましたわ」
「いえ……あの…… 葉っぱもあるんですけど……私が……その……淹れ方をよく知らな
いので……失礼しました……」
 キュウ、とばかりに小さく縮んでしまった感じの静恵を可哀想に思って、助け舟を出そ
うと、隆志は一口紅茶を飲んだ。
「……うん。美味しいよ」
「ホントですか?」
 その言葉に、パッ、と静恵が嬉しそうな声で顔を上げる。
「ああ。俺、美味い紅茶はストレートで飲むんだけど、これなら十分いけるって」
「あ、有難うございます…… その……気を使って頂いて……」
「別にそんなんじゃねーって。俺がお世辞言えないのは理奈も十分知ってるもんな」
 理奈がこっそりとこちらを睨みつけているのを知って、敢えて隆志は理奈に振った。理
奈は、急に話題を振られてビクッ、となったが慌てて取り繕うように笑顔を見せる。
「え、ええ…… 隆志に社交辞令だとかお世辞を言える脳みそなんてありはしませんもの」
 そう言いながらも、フォローを入れてしまった事に気づき、理奈は微かに苦い表情をす
る。しかし、対照的に静恵は隆志に向かって微笑んだ。
「でも……そういう正直な人っていいですよね。今は……私、すごく嬉しいです」
「いや。別にただ感想を言っただけで……大した事言ったつもりは無いんだけど……」
 静恵にジーッと見つめられ、隆志は視線を逸らした。
「ああ、もう。おしゃべりにかまけていたら、時間が過ぎてしまいますわ。そろそろ勉強
を始めないと」
 この空気を破って理奈がちょっと大きめの声で言った。
「そうですね。でないと……別府君の学力だと、今日中には終わらないかも」
「ちぇ。藤代さんに言われると、一言もねーな」
 普段、理奈には見せることの無い素直さで反省する隆志と、それにクスクスと笑って対
応する静恵の姿に、理奈は全身から逆巻くほどの怒りを覚えたが、ここで冷静さを失って
は負けである。自分の勉強道具を取り出すと、隆志を睨みつけていった。
「いい、タカシ。静恵さんに、勉強にかまけてちょっかいを出すようなことをしたら、容
赦なくこのシャープペンで突き刺しますからね。覚悟なさい」
「へいへい。肝に銘じておきますよ」


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