お料理対決編

「じゃあ、わたくしがハンバーグと付け合せを。静恵さんがグラタンとサラダという事で
宜しいですわね?」
「う……うん。頑張ります……私」
 並べられた材料を前に、静恵は気合を入れた。
「大丈夫ですわ。そんなに肩肘を張らなくても。前に家庭科の授業で作ったこともありま
すしね。二回目ですもの。ちゃんと出来ますわよ。ねえ?」
 にこやかに理奈が励ましたが、軽く皮肉を入れているのに静恵は気づいた。
――やっぱり、気づいているんだ……神野さん……
 理奈の静恵に対する態度に、特別な変化は見られないように思える。が、言葉の端々に
出る皮肉は、勉強をやっていた頃には感じられなかった。そもそも、静恵が料理が苦手だ
という事は、理奈は十分承知していたはずだ。それなのに、一緒に料理をしましょうなど
と持ちかけること自体が、静恵に対する当て付けとしか思えない。
 それとも、隆志が目の前にいたから遠慮していただけなのか、それは静恵には分からなかった。
 ただ、一つ分かった事は、今は完全に理奈が静恵に勝負を挑んで来ているとしか思えなかった。
――でも……負けられない。絶対に……
 そして、その一方で、理奈は理奈で静恵に対するライバル心を胸の奥深くで燃やしていた。
――悪いけど、わたくしは一切お手伝いもアドバイスも致しませんわ。これは……勝負ですからね。一歩も引くわけには……参りませんわ。

 見えない火花が二人の間で散り始めようとしたその時、キッチンにヒョコッと隆志は顔を出した。
「なあ。俺ばっか何もしないのも悪いし、何かてつだ……」
 と、声を掛けようとして、隆志はそのまま固まった。
「どうしたの? 別府君」
「何やってますの? そんなところでボーッと突っ立って」
「あ……い、いや。二人のエプロン姿……その、スゴクいいなって思ってさ。うん。可愛い」
「え……ほ、ホント?」
 静恵は真っ赤になった顔を両手で押さえてうつむいてしまう。
「そ……そんなお世辞言ったって、何も出ませんわよ」
 相変わらずツンとした口調で突っぱねる理奈。しかし、その顔は静恵とあまり大差なかった。
「へー。理奈でも照れる事があるんだな」
 ニヤニヤして意地悪っぽく言う隆志に、理奈はしかめっ面をした。
「だ……誰が照れてるって……ばっ……馬鹿なことをおっしゃらないで貰える?」
 そうは言っても、赤くなった顔は隠しようがない。
「それより……貴方、何しにいらしたの?」
「ああ、そうそう。何も二人のエプロン姿を見に来ただけじゃないんだ。何か、手伝える
事があれば、って思って。俺一人何もしないのも悪いかなーって思ってさ」
 その言葉に、静恵が嬉しそうに顔を上げる。
「ほ……ホントに? それじゃあ、お願――」
「結構よ」
 パッ、と明るく返事を仕掛けた静恵の声を遮って、理奈は断固とした口調で言った。
「で、でもさ…… スペースはあるんだし、雑用でも何でも、やる事があれば……」
「料理の経験もないタカシにキッチンをうろうろされても邪魔なだけですわ。そんな事を
している暇があったら、単語帳でも眺めてるなり、勉強がイヤなら教育テレビでもみてら
したらどう?」
 理奈の勢いに押され、思わずたじたじとなる隆志。と、その横から、静恵が恐る恐る
割って入った。

「あの……神野さん。別府君……せっかく、好意で言ってくれてるんだし……何か手伝っ
てもらっても……」
「冗談ではありませんわ。料理と言うのは段取りが全てといっても過言ではありませんの
よ。ましてやタカシですもの。必ず何かロクでもないことを仕出かすに決まってますわ」
「あ……で、でも……」
 負けずに何か言おうとするが、理奈のひと睨みで、静恵の言葉は喉の奥に消えてしまった。
「分かりました? タカシ。とにかく、貴方はあっちに行ってらして下さい。ここはわた
くし達二人で十分ですから」
「わーったよ。じゃ、頑張ってくれ。期待して待ってるから」
「言っておきますけど、貴方のために作るんじゃありませんのよ。それだけは勘違いなさ
らないようにね」
「う……うん。美味しいもの作れるよう頑張るね」
 静恵と理奈は、全く同じタイミングで返事をし、思わず顔を見合わせた。理奈の表情は
全くの無表情だったが、静恵は、その視線に心臓の奥まで射抜かれたような感覚を覚えた。
「あ…… す、すいません……」
 恐る恐る謝ると、そそくさと作業に戻る。
「どうしたんだろう? 藤代さん」
「さあ?」
 隆志の疑問に、理奈は肩をすくめてみせただけだった。

 理奈は、手際よく玉ねぎを刻み、フライパンで炒め始めた。合挽き肉や卵、調味料など
も既に準備してキッチンに並べてある。一方静恵は、マカロニを茹でながらボーッと物思
いに浸っていた。
――惜しかったなー。別府君と一緒に料理できれば、それだけで楽しかったのに。神野さ
んは手際良いし、一人でパパッとやっちゃうだろうから、必然的に、私と二人で料理する
事になったのにな。例えば、別府君に包丁の使い方を教えたりとか……あ、でもそれは
きっと神野さんが邪魔するか。でも、私がうっかりして包丁で手とか傷つけちゃったら、
優しく手当てしてくれるのかな……もしかしたら、『消毒してあげるよ』って言ってペロッ
て舐めてくれたりとか。そ、そうなったら、私、興奮してもうどうかなっちゃうかも……
「静恵さん!」
 理奈の鋭い声に、静恵は我に帰った。
「え? な……? あ、ど、どうかした? 神野さん」
「どうかしたの?じゃありませんわ、静恵さん」
「はい?」
「貴方、何分マカロニを茹でている気?」
「え……あ、きゃっ! もう15分も経ってる」
 慌ててマカロニをざるに入れるが、お湯を吸い過ぎて大分ぐだぐだな茹で上がりになっ
てしまった。
「ご……ごめんなさい」
「別に。謝る事じゃありませんわ」
 申し訳なさそうに頭を下げる静恵に、理奈は顔も見ずに冷静に言い放った。
「それより静恵さん。貴方、まだ何も下ごしらえをしていないようですけど、いいんですの?」
「あっ……ああっ!! そ、そうだった。えーと、玉ねぎと、鶏肉のささみと……」
 あたふたと冷蔵庫から食材を出し始める静恵を見て、理奈はため息をついた。
――これは……さすがに、作戦変更ですわね…… 教えるつもりなんてさらさらなかった
けど……このまま放っておいたら、食べられるものが出来るかどうかさえ微妙ですもの。
 理奈は油取り紙で、フライパンをサッとキレイにすると、静恵の方のコンロにおいた。
「はい。これ使って。あと、ホワイトソースも作らなくちゃいけないでしょ? 鍋とかも
用意しないと」

「あ……えーと、えーと」
 一度に言われて混乱したのか、渡されたフライパンを持ったまま、静恵はキッチンを右
往左往する。仕方無しに、理奈は自分で静恵の分まで準備してあげなければならなかった。
「ありがとうございます……」
「全く。この分では、サラダはわたくしが作った方が良さそうね」
「済みません…… でも、神野さんって凄いですね。何でもテキパキとこなしちゃって」
「別に、これくらい普通の事よ。普通の家庭の主婦でしたら、誰でもやっていることだわ」
「でも、神野さんの家はお屋敷じゃないですか。使用人の方とかがいろいろとやってくれ
るんじゃないんです?」
「ま、まあ一応そうですけど……でも、花嫁修業くらいはレディーのたしなみですわ」
 静恵はしょんぼりとため息をついた。
「はあ……私って、どんくさいからダメなんですよね。こんなことじゃ、べ……」
 と言いかけて、慌てて静恵は口を押さえた。
「? どうかしたの?」
「ななな、何でもないです」
 訝しげに聞く理奈に、ヘラヘラと愛想笑いを浮かべて静恵は言った。
――危なー…… 危うく、別府君の、って言いそうになっちゃった。別府君は、神野さん
の言う通り、家事なんて出来なさそうだし、家庭的な女の子が好きなんだろうな。
 チャッチャと挽肉をこね始めた理奈の後姿を、静恵は羨ましく見つめた。
「そういえば、花嫁修業って言ってたけど、神野さんは結婚願望強い方ですか?」
 一瞬、ピクッと理奈の手が止まる。が、すぐに何事も無かったかのように動き出した。
「別に……まだ、そんな事意識した事ありませんわ。さっきも言いましたけど、女として
生まれたからには、それなりに出来ないと、って思ったまでよ。まだ、高校生ですし」
「そっか…… てっきり、私、別府君を意識してるのかと思ってました」
 静恵の言葉に反応して、理奈の動きが再び止まった。ビクン、と背筋が伸びる。それか
らゆっくりと、理奈は静恵の方に振り向いた。顔が真っ赤になっていて、キッ、と鋭い視
線で静恵を睨みつけている。
「なっ……なっ…… 何てことおっしゃいますの、貴方! わたくしが、あんな馬鹿の事
意識するはずがないでしょう!!」
「でも…… いつも一緒にいるし…… ちーちゃんとか、澤井さんも言ってたし」

「ど、どう言ってらしたの?」
「え、神野さんって、いっつも別府君の事ボロクソにいってるけど、いつも傍にいるし、
それにあたし達が別府君と話そうとすると、すっごい怒るって。怒られるのは別府君なん
だけど、あれは絶対八つ当たりだよねー、って」
「全く、貴方達ときたら、本当に女性誌とかにゴシップネタみたいな話しが大好きですの
ね?」
「じゃあ……違うの?」
「あ、あ……当たり……前ですわ…… そんな事、ありえるはずないですもの」
「……そっか……」
 自然と顔が綻ぶ。それを理奈に見咎められた。
「どうしましたの? 何か、嬉しそうじゃありませんこと?」
「あ……ううん。何でもないです」
「それよりも、静恵さん。そろそろ、ホワイトソースの方を火から上げないと」
「あ、そうだ。いけない!」
 慌てて火を止め、鍋をコンロから上げる。多少煮立ったかもしれないが、何とかセーフ
である。ホッとして、静恵は材料にホワイトソースをかけつつ、話に戻る。
「でも、神野さん、いつも別府君と一緒だから何かと詳しいんじゃない? ……良かった
ら……教えて欲しいな……」
 理奈は、レタスをむしりつつ、怪訝そうな顔つきで静恵を見る。
「そんな事聞いてどうしますの?」
 理奈は極力抑えたつもりだったが、若干苛立った気持ちが声に混じってしまう。
「え……そのー、普段どんなテレビ見てんのかなー、とか、音楽は何が好きなのかなーと
か……」
「そんなもの知ってどうするつもり?」
「え……だって、やっぱり……知りたいじゃないですか…… 好きな男の子の事って……」
 恥ずかしそうに俯きながら、たどたどしくもはっきりと、その声は理奈の耳に飛び込ん
だ。

 静恵の告白に、頭からサーッと血の気の引くのを理奈は自覚した。そして、一瞬の後、今度はザーッと血の気が立ち上るのも。
「あ……貴方…… それ……本気で言ってらっしゃいますの?」
「はい……」
 静恵は、お皿に慎重に盛り付けながら、答えた。顔がカアッと熱くなってきて、心臓が
バクバクする。
「バ……」
 しばしの間、声も出せずわなわなと震えていた理奈だったが、ようやく一声発すると、
堰を切ったようにしゃべりだした。
「バカなことをおっしゃらない方がいいわ。正直、タカシのどこに好きな要素があるのか
わかりませんわ。頭は悪い、口も悪い、見た目だって格好良いとはお世辞にも言えない、
運動だって特に秀でている訳ではありませんし、それにデリカシーが欠片も無くて、スケ
ベで貧相も何もない。恐らく、ちょっとした気の迷いが膨れ上がって恋に繋がっているん
だと思いますわ。いいこと、静恵さん。御自分を大切にしたいとお思いなら、そんな考え
は捨てた方が宜しくてよ」
「で、でも……明るくて、人当たりいいし……面白いこととかいっぱい言ってくれるし
……それに、優しくて……訳隔てなく人と付き合って…… 私、ウチのクラスで初めて話
したのって、別府君なんです…… 私、ほら……引っ込み思案で、人とお話しするのが苦
手だから…… でも、最初に別府君が話し掛けてきてくれて……まあ、すぐに神野さんに
連れて行かれちゃいましたけど、でも、おかげで他の……ちーちゃんとかにも声掛けて貰
えたから……だから……その……」
「それは、下心を優しさと勘違いされただけですわ。たまたま貴方にとっていい結果に
なっただけで、タカシからすれば、単に女の子に声を掛けたかっただけですわ」
「……そうでしょうか? 私……そんなこと、ないと思います。別に、男の子にだって分
け隔てなく話しかけてるし…… それに、そう言ってる神野さんは、別府君の事、どう
思ってるんです? 私には傍に寄らないようにって言うけど、神野さんはいつも一緒じゃ
ないですか。いつも厳しい事ばかり言ってるけど、ホントは、別府君のことが好きなん
じゃないんですか?」
 一瞬、うっ、と理奈は言葉に詰まる。まさか、ここまでストレートに静恵に詰問される
とは思ってもみなかったからだ。

「そ……そんな事……あ、ありえませんわ。こ、このわたくしが、タカシの事を、す、す、
好きだなんて……」
 静恵は、ジーッと理奈の顔を注視した。その視線が、心の奥底まで見透かしそうな気が
して、理奈は体を強張らせた。
「……神野さんがそう言うのなら…… でも、それなら、私が別府君にアタックしても
……問題は無い筈ですよ……ね……」
「あ、貴方、正気で言ってますの? そんな、自分を捨てるような行為――」
「私は、そうは思いません。と、言うか……別府君にだったら……何されても…… それ
に、別府君が私と付き合ってくれれば……神野さんも監視役から解放されるし、止める必
要なんて、ないんじゃないかな、って……」
 今更ながらに、理奈は考えもなくしゃべった事を後悔した。静恵を隆志から引き離すつ
もりが、逆に炊きつける結果になった挙句、妨害されるいわれはないとまで言わせてしま
ったのだから。
「ですよね? 私……間違っていないと、思いますけど……」
「かっ……勝手にすれば宜しいですわ。わたくしの忠告が聞けないとおっしゃるのでしたら……」
「あ……ありがとうございます……」
「別にお礼なんて言われる筋合いはありませんわっ!!」
 これ以上、彼女と話をするのに耐え切れずに理奈はプイッと後ろを向くと、流しに向か
い、包丁を手に取った。
――わ……わたくしとしたことが…… 静恵さんにアドバンテージを与えてしまうなんて
……不覚ですわ。これでは……彼女の事を妨害するどころか、後押しをしてしまったよう
なもの。どうしましょう……
 理奈は今更ながらに自分の軽はずみな発言を後悔したが、もう遅かった。さっきの、静
恵の上にのしかかったタカシの姿を思い出す。
――無理ですわ。あのタカシに、静恵さんに迫られて拒否できるほどの理性があるとは思
えませんもの……でも、責任感は人一倍強い彼の事ですもの。もし、間違いでも起こった
ら……

 理奈はブンブンと頭を振って、悪い想像を頭から振り払おうとするが、想像は頭から纏
わり付いて離れない。
 静恵と仲良く登校する隆志。
 休み時間、静恵と仲良く談笑する隆志。
 お昼休み、静恵の作ったお弁当を食べる隆志。
 そして放課後、静恵と二人で下校する隆志。
 その全てを、理奈は後ろから、ただじっと見つめている事しか出来ないのだ。自分の素
直になれない態度が原因で。
 耐えられない、と思った。そんな屈辱。でも、でも、隆志を苦しめたくはない。
「神野さん」
 静恵の声で、理奈はハッと我に返った。
「どうしたんですか? ぼんやりと考え事なんかして?」
「べ……別に、何でもないわ」
 慌てて理奈は、包丁を握りなおした。トマトを八つに切り分けようと、包丁を下ろした
その時、トマトを押さえていた理奈の左手に鋭い痛みが走った。
「痛っ!!」
 他の事に心を奪われたまま、包丁を扱ったから手を滑らせたのだ。理奈らしくないミス
である。
「どうしたの、神野さん?」
 理奈の様子がおかしいのに気づき、静恵がそばに寄って来る。
「ちょ……ちょっと、包丁で指を切っただけよ。大した事ありませんわ……」
「大変! 血が出てる。ちょっとリビングに行きましょ。私、救急箱持ってくるから」
「べ……別にこれくらいは……」
「だって、バイ菌とか入ったら大変じゃない。ほら、早く早く」
 静恵に急き立てられて、理奈は強制的にリビングへと移動させられる。理奈は、傷口を
舐めてみた。口に血の味が広がる。が、舐めた後から再び傷口からプクリ、と血の珠がで
き、すぐに大きくなって傷口から垂れる。

 リビングでは、所在無げに隆志がテレビを見ていたが、二人が入ってくると顔をそちら
に向けた。
「あれ、もう出来た……って、どうしたんだよ?」
 しかめっ面の理奈と、心配そうな静恵を見れば、何かあったのは隆志でも察知できる。
「神野さんが、包丁で指を傷つけちゃって…… 今、私、救急箱取って来ますから」
 そう言って、静恵はリビングから出て行く。
「何だって、どれ、ちょっと見せてみろよ」
 隆志がソファから立ち上がり、理奈の傍に寄る。理奈は、反射的に一歩後ろに下がった。
「い……いいですわ。そんな、心配するほど大きな傷じゃありませんし……」
「いいから」
 隆志の口調に抗いがたい何かを感じて、理奈はおずおずと手を差し出した。
「結構深いじゃんか。血も大分出てるし。痛いだろ?」
 普段はあまり見せてくれない気遣うような表情に、理奈は思わずドキッとする。
「へ……平気ですわよ、このくらい。大した事ありません……あっ!!」
 理奈は思わず小さく叫んだ。隆志が、左手をグイッと引き寄せたからだ。そして、理奈
の傷ついた指を口に含むと、舌でペロッ、と傷口を舐めた。
「ヒャッ! な、な、何を……」
「消毒。唾液には抗菌作用もあるんだぜ」
 さすがに、ちょっと照れたように言う隆志。しかし、理奈は照れたどころでは済まな
かった。全身の血が頭に集中し、沸騰したように熱い。
 力の緩んだ隆志の手から左手を引き剥がすと、理奈は隆志に背を向けた。
「わ、悪い…… 怒ったか? もし嫌だったんなら……その……ゴメン」
 理奈の態度を怒ったと思い、隆志は謝ったが、理奈の頭の中はそれどころではなかった。
――タ……タカシが、傷口を…… それも、先程、わたくしが舐めた所を…… これって
……間接……キスですわよね…… 恥ずかしくて……まともに顔が見れませんわ……

「救急箱……持って来ました、って……あれ? どうかしたんですか、二人とも……」
 息せき切って駆け寄ってきた割には、随分と時間が経ってから静恵が戻ってきた。
「ありがとう。ちょっと貸して」
 隆志は、静恵から救急箱を受け取ると、消毒液とガーゼ、それに包帯を取り出した。
「理奈。ほら。手当てしてやるから」
「けっ……結構ですわ。それくらい自分で……」
「自分一人でどうやって包帯巻くんだ?」
「大体、包帯なんて大げさですわ。このくらい、絆創膏で……」
「アホ。自分の指なんだからもっと大切にしろよな。ほら」
 隆志は、理奈の手を取ると、手際良く消毒し、ガーゼを当て、ギュッと強く圧迫する。
「ちょっと、痛いですわ! もう少し丁寧に出来ませんの?」
「わりい。でも、今はちょっと我慢してくれ」
 隆志の手つきを横から見ていた静恵は、感心した様子で見つめている。
「すごい……別府君って、こういう才能、あったんだね」
「雑学だけは詳しいからな。てか、興味さえ持てば、幾らでも頭に入るんだが」
「あの、今度、私にも教えてくれないかな? 何か……役に立ちそうだし……」
「いいよ。俺、基本的にはいつでも暇だし」
「ホントに? う……嬉しいな……」
「ちょっと、タカシ。真面目にやってますの? デレッとだらしない顔して。それに、静
恵さんはお台所の方は宜しいんですの?」
「オーブンのタイマーはもうセットしてありますから、大丈夫です」
 穏やかな笑顔でこう言われては、それ以上邪魔も出来ない。
――もう少し……静恵さんが来るのが、遅かったら……
 隆志に指を舐められた事を思うと、まだ胸がドキドキする。それだけに、静恵が隆志に
擦り寄ってくるのが歯噛みするほど悔しい。が、彼女にああ言ってしまった以上、もはや
何も言い出せなかった。そして、その静恵の態度に鼻の下を伸ばしてニヤニヤとだらしな
い笑いで接する隆志も、同時に憎たらしかった。

「よし、出来たっと。どうしたんだよ。今度は膨れっ面して」
「別に何でもありませんわ。それと、一応お礼は言っておきますわ。まあ、普段貴方がわ
たくしに掛けている迷惑に比べたら些細なことですけど」
「ちぇ。良く言うよ。ところで、そんな手で料理出来んのか? 俺でも出来ることあれば……」
「わたくしを見くびらないでくださいます? これしきの怪我、別に大した事はありませ
んわ。それに、後は焼くだけですから、別に不都合な事は何もありませんわ」
 スクッ、と立つと、理奈は彼女にしては荒々しいと見える足取りで、キッチンへと戻っ
ていった。
「……機嫌……悪いよね、神野さん……」
「あいつの機嫌が変わりやすいのはいつもの事だからな。いちいち対応してたら、神経が
焼き切れるぞ」
「そうなんだ。別府君は……大変じゃないの?」
「付き合い方さえ分かれば、何てことはないけどな。まあ、それが難しいんだが」
「ふうん……」
 静恵は、横目でそっと隆志の顔を見た。隆志の、理奈に対する想いが垣間見れるかと思
ったからである。が、彼の表情からは、それを窺い知る事は出来なかった。



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