#1.後悔

─どうして、あんな事しちゃったんだろう。
─取り返し、付かないかもしれないよ。
─イチバン好きな人に、イチバンひどい事をした、イチバンの馬鹿だ。

陽光の照りつける日も少なくなった9月。
そんなある涼しい日の夕刻、それは起こった。
放課後、誰もいなくなった教室でふたりの男女が騒いでいる。
別府タカシと、椎水かなみ。
ふたりは幼馴染で、しょっちゅう一緒にいる。
デキてるんじゃないかという噂も絶えないが、本人らは真っ向から否定している。
しかし、今日の様子はいつもとはかなり違っていた。
「・・・てことはアンタ、約束守れないって言うの!?」
「しょうがないだろ!ちょうどその日にシフト当たっちまったんだから・・・」
「なに?じゃあアンタはアタシとの約束より、お金のほうが大事だって事!?」
「そんな事言ってないだろ!バイト休めないんだから分かってくれよ!」
「・・・何よもう!知らないッ!」
・・・・・・・・・ッ!乾いた音が教室中に響く。
つい、手が出てしまった。違う。これは違う。本心じゃない。
「あ・・・・・・」
自分のしてしまった事を理解し、絶句する。
タカシからも、赤くなった頬を押さえたまま、言葉が出て来ない。
「・・・・・・ッ!」
タカシは何も言わないまま、教室から立ち去った。
戸を勢いよく閉める音が、校内に響き渡った。
・・・足がもつれ、その場に座り込む。
赤く充血した右手を見つめる。
痛い。もの凄く痛い。小さい頃に腕を骨折した事があるが、その時の比ではない。
青ざめた頬を温かいものが伝い、広げた手のひらに一滴、二滴落ちる。
「・・・アタシ、バカだ・・・大バカだ・・・」
空が漆黒に包まれ始めた頃、かなみはとぼとぼと小道を歩いていた。
「・・・・・・・・・」
右手の腫れも痛みもひいたのに、まだ『痛い』。
「・・・何てことしちゃったんだろう・・・」
気が付くと、タカシの家の前に立っていた。
「・・・謝った方が・・・いいよね・・・」
チャイムのボタンを押そうとする。
・・・あれ?どうして押せないの?
突き出した人差し指が、固まったように動かない。
違う。押す勇気が無いだけ。押せば済む問題なのに。
「そういえばアイツ、今はバイトの時間か・・・それじゃ明日にでも学校で謝ればいいわね・・・」
そんなの言い訳でしかない。現にタカシの部屋に電気が点いているのに。
タカシの家をあとにしようとした時、目の前を一匹の白猫が通る。
かなみの方をじっと見つめている。
「・・・ねえアンタ、アタシの愚痴、聞いてくれる?」
話し掛けた途端、猫はくるりと振り返り、遠くへ逃げてしまった。
「はは・・・逃げられてやんの・・・」
口元だけをにやりとさせ、自分の家へ歩いていく。
「ただいま・・・」
いつもと変わらない食卓、家族の会話。唯一違うのは自分だけ。
茶碗に入ったご飯を半分以上残したまま自分の部屋へと戻り、ばたりとベッドに倒れこむ。
「・・・・・・はぁ・・・・・・」
深いため息をつき、セカンドバッグから自分のケータイを取り出す。
待受画面──いつだったか、今年の春だったかに無理矢理撮った、ツーショットの写メ。
『メール』、『新規作成』、『宛先』・・・アドレス帳001番『別府タカシ』
いつも通りの手順でボタンを押していく。
『本文─今日はいきなりひっぱたいちゃってゴメンね』
・・・これ以上の言葉が出てこない。いや、頭の中にはあるが打てないのだ。
しょうがない。とりあえず、この文面で送信しよう。『送信』っと・・・
・・・あれ?まただ。どうして押せないんだろう。
こんなに力がいるものだったかな?ほら、親指動かす!
かなみの中で、何かと何かが葛藤していた。
ほら、ここ押すだけでしょ!あ!そっちじゃないってばッ!
親指は、電源ボタンを押していた。

これほどまでに弱虫で勇気の無い自分が、大嫌いだ。
シャワーを浴びながら頭の中のもやもやを消し去ろうとするが、無理だ。
洗面所で髪を乾かしながらも、頭の中はもやもやでいっぱいだ。
ふと、鏡を見る。そこに写る自分の顔は、これまでに見たことが無いくらいの情けない顔をしていた。
あぁ、また涙が出てきた。さっきよりは少ないけど。
「もう・・・寝よう・・・・・・」
かなみは枕を濡らした。


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