●第1話
「だから別にいいって言ってるだろ? お袋たちが出張でいないのは3日だけなんだし、その間くらい一人で何とかするさ」
「駄目よ、あんたに好き勝手させたら3食インスタント食品ですませたりしそうだし。だいたい洗濯とかできるの?」
 後ろから話しかけてくるかなみを振り切ろうとするかのように、タカシは早足で歩き続けた。彼女とふざけて言い争うのは日常茶飯事だが、今日はそれが煩わしい。
「別に3日くらい洗濯しなくたって着るものくらいある。……お前さ、俺の彼女でも何でもないんだから、学校終わった後の生活にまで干渉してくんなよ」
「べ、別にしたくてしてる訳じゃないわよ! わたしはただ、おばさんにあんたのことよろしくって頼まれたから仕方なく……」
「そんな社交辞令真に受けんなよな。だいたい、お前の飯なんか危なっかしくて食えねえよ」
「なんですって! ふん、分かったわよ! あんたなんかにわたしの料理を食べさせてあげるもんですか! いーっだ!」
 かなみはよほど腹に据えかねたのか、タカシの背中に蹴りをお見舞いすると、捨て台詞を残して走り去った。
「いってー。小学生かあいつは……。まあいいか。これで晴れて疑似一人暮らしを満喫できるってもんだ」
 タカシは痛む背中をさすりながら帰宅した。

「ただいまー……と、もう出発したのか。つつ、結構マジで痛むな……」
 返事のない家の中から、代わりに小さな足音が近づいてきた。
「わんわん! ……くぅ〜ん?」
 背中の痛みに顔をしかめるタカシを、1匹の犬が心配そうに出迎えた。茶色と白の毛並みの柴犬だ。
「ははっ、ただいまポチ。なんだ心配してくれんの? 大丈夫だよ、ありがとな。着替えたら散歩に行こう」
「わん!」
 ポチの頭を撫でてやっているともう1匹が、こちらは足音を立てずにタカシの足下にすり寄ってきた。
「にゃ〜ん」
「なんだタマ、お前も心配……いやそれはねーな。お前は餌のおねだりのときくらいしか俺に近よらねーしな……」
「にゃー!」
「いてて、爪立てんな! すぐ用意するから!」
 すねをよじ登ろうとする三毛猫を引きはがすと、タカシは着替えを後回しにして2匹の餌を用意することにした。

「ふう、飯作って食器洗って、結構面倒だな疑似一人暮らし。本当ならさらに掃除洗濯もあるのか……大学は実家から通えるところにしよう」
 つまらない理由で進路を決めるタカシだった。先ほどから頻繁に独り言をこぼしているあたり、一人暮らしの素質は充分にあるのだが、本人はそれに気づいていない。
「しかしこの家、一人だと結構静かなもんだな……別に寂しいわけではないが……」
 こたつに入って寝転がり、目を閉じると静寂で耳鳴りがした。なんだか世界に自分しかいないような錯覚さえ覚える。
「わふ〜ん?」「にゃ〜」
「わ、こらやめろポチ、くすぐったいだろ! タマも我が物顔で俺の腹に乗るんじゃねえ!」
 顔をペロペロ舐めるポチを振り払い、腹の上にいるタマを放り投げ、タカシは立ち上がった。2匹はじっとタカシの様子をうかがっているように見える。
「やれやれ、お前たちといると心細くなってる暇もないな……ときどきお前たちに言葉が通じてるんじゃないかと思うことがあるよ」
「わん!」「にゃ−!」
 あまりのタイミングの良さに、一瞬タカシの呼吸が止まる。
「……はは、そんなわけないか。でもそうだな、お前たちと話ができたらきっと楽しいだろうなあ。さて、ちょっと早いが今日は一緒に寝るか!」
 タカシは2匹と共にベッドに入り、その温かさを感じながら夢の世界へと旅立っていった。

『ねえ、ほんとにやるの?』
『それがあの方の指示ですから。何か不満でも?』
『べ、別にそういう訳じゃないけど……これってかなりイレギュラーじゃない?』
『それだけ強い願いだったということでしょう。分け隔てなく願いの成就に力を貸すあの方には頭が下がります』
『いや、絶対あいつおもしろがってるだけだって……。それに巻き込まれた人間はどうするのよ? 下手すりゃ人生台無しよ?』
『そこは私たちが逐一監視し、因果律に干渉して偶然の結果や周囲の人間の思考を偏向させることで……』
『ごめん、分かりやすく言って』
『……【彼に都合のいいように世界が回る】ようにするということです』
『めんどくさいなあ……』
『あなたが任務遂行に消極的なら仕方ありませんね。私が両方を担当して……』
『ちょ、やらないとは言ってないでしょ! あーもう、さっさとかたづけるわよ! 私が猫ね!』
『ええ、そうです。では私は犬の方を担当します。期限つきですから、少しの辛抱ですよ』
『そう願いたいものね……』

「んん……んあ〜」
 カーテンの隙間から差し込む日の光に刺激され、タカシは目覚めた。
「ん〜もう朝か……なんか変な夢見た気がする……どんなだったかな……」
 夢のなごりを懸命に追いつつ、タカシは布団をはねのけた。
「!!!!!!!!!!!!!!」
 タカシは生まれて初めて、驚愕で言葉を失った。そこには2人の女性が横になっていたのだ。しかも全裸で。
「あ、御主人様、お目覚めですか? 私はポチです。お聞き下さい、人間の言葉が話せるようになりました。愛しています、御主人様。ほらタマ、君も起きろ」
「ん〜寒い〜。布団返せ、バカタカシ〜。ボクまだ眠いんだよ! 起きるなら一人で起きなよ〜」
「な、え、なに、なんだって? ポチ? タマ? え、いやだってそんな、え?」
 できるだけきわどいところは見ないようにしながらよく見ると、2人とも首輪をしている。人間大だからサイズは違うが、デザインはまさにポチとタマのものと同じだった。
「いやいやいや、そんなわけあるか! 君たちどこから入ってきたんだ! ポチとタマはどうした!?」
「ですから私がポチで、これがタマです」
「これって言うな〜。もーうるさくて寝てられないじゃん! タカシ、ご飯にしてー」
「ポチは茶色と白の毛をした柴犬だ!」
「私の髪も茶色と白です」
「う……確かに。じゃ、じゃあタマはどうだ! うちのタマは三毛だが、この子の髪は白黒じゃん!」
「ここの毛が茶色いよ?」
「うわああああああああ!!!! 分かった、分かったからしまえ! おっぴろげるな!」
 ピリリリリ! 大混乱の中、タカシの携帯が鳴った。もはや正常な思考ができるぎりぎりのラインをさまよっていたタカシは、無意識に電話を手に取り、通話ボタンを押した。
「もしもし……ああおふくろか。……うるせー、今ちょっと立て込んでるんだ、説教なら後に……は? 出張が伸びた? 1ヶ月!? どーすんだそんなに長い間……かなみに世話を頼んだああああ!?」
 そのとき玄関の方から声がした。
「タカシー、起きてる? おばさんから話聞いた? 仕方ないから家事を手伝ってあげるけど……ちょっと聞いてるの? タカシ?」
 ガチャガチャと扉を開けようとする音が聞こえる。タカシの顔から血の気が引いた。
「二人とも! 話は後で聞くから、とりあえず押入に隠れてくれ! ああ、その前に服を……もう俺の服でいいや、これ、上だけでもいいから着てくれ! そしてこの中へ……」
「御主人様、先ほどの私の言葉、聞いてもらえましたか? 愛しています。ああ、何度言ってもいいものですね」
「何でボクがタカシの言うこときかなきゃならないのさ! そんな寒いとこ行きたくない! 服はよこせ、あんまりじろじろ見るなスケベ!」
「も〜まだ寝てるのかしら。仕方ないわね。あんまり使いたくなかったけど……おばさんに借りた秘密兵器、あ〜い〜か〜ぎ〜!」
「なにいいいい!!! おふくろのやつなんて余計なことを……」
「御主人様、私の話を聞いて下さい」
「この服だぼだぼだよ、もっとなんかないの? あとお腹空いた、早くご飯〜」
「うるせー!!!! さっさと押入に隠れ……」
 部屋の扉が開いたとき、タカシは確かに時間が止まるのを感じた。


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