お勉強編PART.3

「…………」
「どうしたの、別府君?」
 女性陣二人は、教科書や問題集片手に順調に勉強を進めているというのに、一向に隆志
だけが進んでいない。静恵に質問されて、恥ずかしそうに隆志は頭をかいた。
「いやあ…… 実は、その…… しょっぱなから、さっぱりわかんね」
 カクッ、とずっこけるような仕草をする静恵。それがあまりにも可愛らしくて隆志は思
わず吹き出した。静恵はちょっと拗ねた様子で隆志を睨んだ。
「わ……私だって、ふざけたりはします…… そんなにおかしいですか?」
「いや。ゴメンゴメン。ただ、あんまり見ない仕草で可愛かったからさ。つい笑っちゃったよ」
「え……か、可愛い……かな……」
 今度は恥ずかしそうに俯く静恵に、理奈が横から鋭くツッコミを入れる。
「気をつけた方が宜しいわよ。タカシときたら、女の子にはみんなにそう言っているんで
すから」
「そ……そうなの? 別府君……」
 急に真顔になって聞いてくる静恵に、隆志は慌てて否定した。
「んなことねー、つか、そこまで女の子と話ししてないし。いい加減な事言うなよな、お前」
「あら? わたくしは聞きましたわよ。宜しければ、誰と誰と誰に言ったか、藤代さんに
一人ずつきちんと教えて差し上げましょうかしら」
「いいぜ。なら言ってみろよ」
「い……いえ。そこまでは、教えてもらわなくても…… それにしても、神野さんって、
別府君の事、良く見てるんですね。そこまで覚えてるなんて……スゴイ……」
 静恵から真顔で返され、今度は理奈が赤くなった。
「バッ……バカな事を言わないで下さる? たまたま、その場に居ただけで、あくまで軽
蔑の対象として覚えているだけですわ」
「でも……嫌いな人だったら……一緒にいたりはしないよね……」
 うっ、と理奈は言葉に詰まった。しかし、即座に頭を高速回転させて切り返す。
「わたくしが側にいるのは、何度も言っているように、あくまでタカシが変な事をしやし
ないか監視する為ですわ。でなければ、当然、放って置くのですけど。さあ。無駄話に時
間を費やしてしまいましたわ。さっさと進めないと」
「……そ、そうですね。ごめんなさい」
 そう言いつつも、少しの間、怪訝そうに理奈を見つめていた静恵だが、彼女もようやく
気を取り直すと、隆志の方を向いた。
「で……別府君。分からないって……どこが? 具体的に言ってくれれば……」
「んーと、強いて言えば全部かな。この問一の以下の動詞の過去分詞を書けって、意味す
ら分からん」
「ああ。これは、え……と、例えば、日本語で『行く』を過去形にするとどうなるか分か
る?」
「……『行った』?」
「そうそう。英語だと、基本的には後ろに-edを付ければいいんだけど、中にはgoはgone
とか、変則的なものもあるけど、これは暗記で出来るから。別府君、歴史とかは得意だし、
暗記は大丈夫でしょ?」
「つっても、アルファベットは別モンだからなあ……」
「なら、私が分かり易い様に一覧表にしてあげる。それなら、覚えられると思うよ」
「んー…… 自信はないが……」
「大丈夫だって。ここぞという時は、別府君、強いでしょ」
 真っ直ぐな目でジッと見つめられて、隆志は思わずドキリとした。普段、自分を見る女
の子の視線といえば、大抵は理奈の非難がましく睨み付ける視線だけである。こんな風に
間近で、かつ真っ直ぐに見つめられると思わず顔が紅潮してしまう。
 ふと、隆志は理奈の事が気に掛かった。さっきから押し黙ったまま、一言も発していな
い。チラリ、と視線を投げかける。
 何故だか分からないが、うつむいて問題集と格闘している理奈の全身から、怒りのオー
ラが放出されている気がして、慌てて隆志は視線を逸らした。
「ん? どうかしたの?」
 静恵に問い掛けられて、隆志は慌てて首を振った。
「いやいやいや。ななな、何でもない。わかった。じゃ、ちょっと頑張ってみるか。せっ
かく、藤代さんがそこまでやってくれるって言うし」
「うん。頑張れ。で、他は何が分からない?」
「正直、関係代名詞とか言葉の意味すら分かんない」
「どこだっけ、それ…… ちょっと……よ、横からだと……見難いな…… ちょっといい?」
 一言断りを入れると、隆志の返事を待たずに静恵は隆志の横に体を寄せた。
「え? ちょ、ちょっと……ま……」
 腕と腕、そして太ももまでが隆志のそれと微かに触れ合う。顔もドキドキするほどに近
くだ。緊張して言葉も出ない隆志に、静恵は無邪気な笑顔を見せた。
「ど……どうしたの? 別府君……」
「い、いや……その……何でも……」
 これは、誘われているのか、それとも彼女はあまり気にしていないのか、その判断は隆
志にはつかなかった。ただ、一つ言えることは、今の状況が男としては物凄く、おいしい、
状況であるのは間違いない。捨てたくはない。
 が、次の瞬間、案の定理奈の怒声が響いた。
「ちょっと、タカシ! 貴方、少し近づきすぎではないの?」
「え? で、でも……別に、俺が近づいた訳じゃ……」
「貴方が少し座る位置をずらせばいいだけでしょう? ちょっと静恵さんが傍に寄ってき
たからって鼻の下伸ばしてデレデレしちゃって。みっともないったらありませんわ。それ
に、静恵さんも」
「は、はい?」
「貴方もすこし無用心に過ぎますわ。男の人なんてのは、何かにつけてすぐにいやらしい
事をしたがりますのよ。ましてや、タカシみたいな煩悩の固まりは、もう頭の中は変な妄
想でいっぱいなんですから、うかうかと近づくと必ず後悔しますわよ」
 一体何で、理奈はそこまで言い切れるのか、隆志には不思議でならなかった。自分の過
去を顧みても、理奈本人に何かをした記憶はない。理奈の顔を見ると、何に怒っているの
か、膨れっ面でツン、と横を向いている。
「お前、よくそこまで人を悪し様に言えるよな。まるで俺が性犯罪者予備軍みたいな言い方じゃないか」
「あら? 実際そうではなくて?」
「ちょっと待てよ。藤代さんが誤解するだろうが。ちょっといい、藤代さん。コイツが
言ってるのはあくまで……」
「厳然たる事実ですわ。大体、ベッドの下に大量のエロ本やらビデオやらゲームやら隠し
ている人が言えることですの?」
「え、そ……そうなんですか……?」
 理奈の言葉に静恵が食いついてきた。男の尊厳の危機を感じ、隆志は慌てて自らの弁護
に掛かる。
「ちょっと待って、藤代さん。確かにあるにはあるが……コイツが言うほどの量じゃない。
てか、エロゲーじゃなくギャルゲーだし。大体、何で理奈がその事を知ってるんだよ」
「わたくしが何回、貴方の部屋にお邪魔したと思っているの? まあ、ホントは行きたく
もなかったんだけど…… 貴方の隠し方なんて粗雑に過ぎますもの。あれでは見つけるの
に苦労なんていりませんわ」
「しかし、人の部屋を漁るような女にとやかく言われたくはねーな」
「あ、あ、漁るなんて人聞きの悪い事を言わないでもらえる? ベッドの下から本が半分
はみ出ていたんですのよ。わたくしはたまたまそれを見てしまっただけですわ」
「だからってわざわざ覗き見ることねーだろ!」
「そんなものがはみ出たままだと居心地が悪いから、片付けて差し上げただけですわ。全
く、見たくも無いものを見せられたわたくしの身にもなった貰えます?」
 実はその時、理奈が興味津々でいろいろ漁っていたのは、彼女だけの秘密である。
「だからってよ。何でいちいち藤代さんの前で言うんだよ。お前、そんなに俺の品位を貶
めたいのか」
「あら? タカシに品位などありまして。わたくしはただ、静恵さんに、タカシの危険度
を例として……」
「あの……」
 と、ここで遠慮がちに静恵が口を挟んできた。
「ご、ゴメン。こんな所で喧嘩しちゃって。迷惑だったよ……な……」
 隆志は静恵に謝ったが、その言葉は彼女の顔を見てしぼんだ。静恵の表情は迷惑そうと
いうよりは、興味深げな感じに見えたからである。隆志がヤバイ、と思うのと同時に静恵
が質問を発した。
「あのぅ……神野さん。その……どんなのがあったんですか?」
「いい、静恵さん。エッチな本とか言っても、普通のではありませんのよ。例えば、犯罪
物ですとか……」
「わーーーーーっ!!!! グベッ!!!」
 何とか大声で妨害しようとした隆志であるが、理奈の眉間に飛ばしたストレートを喰ら
って敢え無く撃沈した。
「やかましいですわ。全く……」
「で、神野さん…… あの……犯罪っていうと……やっぱりレ××とかですか?」
「ああ。それはありませんでしたわ。ただ○漢モノですとか、調△モノですとか……あと、
近×相○なんてのもありましたわ。特にい×うとが好きみたいで……」
「や……やけに詳しいじゃねえか……ガホッ!!」
 今度は教科書の直撃を喰らい、隆志はノックアウトして崩れ落ちた。
「だ……大丈夫、別府君……」
 さすがに心配した静恵が、隆志を助け起こした。
「イテテテ……同じところを二度も…… お前は鬼か……」
「余計な事ばかり口走るからですわ。わたくしだって何も、知ろうと思って知ったわけで
はありませんのよ。何にしても、静恵さん!」
「は、はいっ!?」
 いきなり名前を呼ばれ、思わず静恵は居住まいを正した。
「タカシは、むしろ男の中でも犯罪者予備軍に近い存在なのよ。ですから、貴方ももう少
し注意しないと。今はビデオやゲームで我慢していても、ある日突然、現実にしてみたい
と思うか分かりませんわ。そうなってからでは遅すぎますのよ。いい?」
「は、はぁ……」
 何となく、生返事で答えてから、静恵は隆志の方を向いた。じっ、と真剣な目つきで隆
志の顔を見る。
「な……何か?」
 隆志の問いに、静恵は逆に問い掛けた。
「別府君って……あの……そういうのが……好きなの?」
「え……いや、あのその……理奈のヤツはちょっと大げさなんだよ。まあ……好きって言
えばその、好きかもしんないけどさ、あくまで、仮定の世界だからいいんであって……そ
の、まかり間違っても現実ではしないし。うん」
 しどろもどろになりながら、隆志は答えた。そして、静恵の反応を伺う。静恵は、隆志
から視線を逸らし、顔をうつむかせると、ポツリと言った。
「そっか…… 別府君、そう言うのが……好きなんだ」
 その言葉を聞いた途端、隆志は目の前が暗くなった。
――ダメだ…… もう絶対、軽蔑されたに決まってる。もし、藤代さんが、クラスの女子
の誰かに話そうものなら、俺のハッピーな高校生活は、ジ・エーンドとなってしまう。そ
れもこれもコイツが……
 隆志は頭を抱えつつ、上目遣いに理奈を睨みつけたが、彼女は知らん顔でパラパラと参
考書をめくっている。
 理奈は当然、隆志の視線には気づいていたが、敢えて顔は合わせなかった。
――ふん。いい気味ですわ。ちょっと女の子が傍に寄ったくらいでデレデレしちゃって。
わたくしが傍に寄っても、一切そんな顔は見せないくせに。それに、隆志に近寄る女の子
は、早いうちに芽を摘んでおかないと……
 一方で、二人の思惑とは裏腹に、静恵はこんな事を考えていた。
――そっか……大丈夫かな、私…… 別府君の希望に応えられるのかな…… そういうの
って、よく分かんないし…… で、でも、もしかしたら、意外とはまっちゃったりとか……
って、私、何考えてるんだろう。でも……別府君がして欲しい事だったら……どんな事
だって……してあげられるもの……


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