その11

勘違いで終わった告白騒動の興奮覚めやらぬまま迎えた授業は驚くほど短く感じた。
相手がすぐ隣に座ってるので、努めて意識しないようにしていても、どうしても気が行ってしまい
授業の内容がまったく頭に入ってこない。
お昼休みになり午後の授業がはじまり、それでもずっと気になったまま。
委員長はずっと俯いていて、何だか元気がないような様子。それにため息もしょっちゅう。
朝の事で気を悪くさせてなければいいのだけど。
帰りのホームルームで、担任が進路の話をし始めた。以前配った、進路希望を書く紙を回収すると。
机から進路希望の紙を取り出し、第一希望の学校名を消す。そして、隣の学校の名前を書こうして
ふと疑問に思う。
大事な進路をそんな事で簡単に変えていいものなのか?
今朝は出来るだけやってみると言ったが、そもそも受からない可能性も十分高いのだし
やる意味はあるのだろうか?身の丈にあった場所を選ぶべきじゃないのか?
普通なら考えるまでもない事だけど、ちなみの顔を思い出すと何故か約束を守らないといけない
という気持ちになる。しかし・・・やっぱり俺には無理だと思う。
『別府君?どうしたんですか?』
その声で顔を上げると、委員長が不思議そうにこっちを見ていた。そして、空欄になっている
第一希望を見て顔をしかめた。
『この時期になってまだ決めてないなんて・・・』
「いや、決めてたよ。だけど、本当にいいのかなってさ・・・迷ってるんだ」
『その・・・差し支えがなければ・・・ど、どこへ行こうと思ってるんですか?』
無言で隣にある高校の方を指差した。
そっちの方向を見て、俺の行きたい場所を理解したのか驚きの表情で向き直る。
『え・・・だって・・・別府君の成績じゃ』
「だから迷ってるんだよ」
はぁ・・・とため息がでる。もっと成績が良ければ胸を張って言えるんだけど。
今の状態じゃ、記念受験も良いところだ。
笑われるだろうなと思ったが、意外にも委員長は真面目な顔をしていた。
『本気・・・ですか?』
「え?いや・・・まぁ、行けるなら・・・行きたいな」
何か考え込むような感じで俯く。委員長として、無謀な挑戦をしようとするクラスメイトをどう止めるか
とか考えているのだろうか?
さっきの件もあるし、他ならぬ委員長に止められたら・・・諦めがつくかもしれないな。
成り行きだけど、相談する形になって良かったかもしれない。
『えっと・・・今のままじゃ可能性はゼロに近いですよ?』
「だよな、あはは・・・」
やっぱり止めてくれた。無理だ、と言い切らない辺りに委員長らしい。
まだ何か言いたげな表情だが、それに構わず元々書いてあった学校の名前を書き始めた。
ちなみには後で何て謝ろうかな?そんな事を考えながら。
書き終わって、担任のところへもって行こうと思った時、ふいに声が掛かった。
『あ、あの・・・待ってください』
振り返ると、委員長が自分の進路希望の紙を差し出した。ついでにもって行け、という事だろうか。
受け取り何気なく第一希望の欄を見ると、なんと隣にある高校。
「そっか、委員長くらいの成績なら楽勝だね」
『そんな事は・・・』
「またまた〜」
『べ、別府君だって・・・頑張れば行けるかもしれないのに』
「あはは、お世辞はいいって」
『その・・・頑張るって約束するなら・・・勉強・・・お、教えてあげない事もないですよ?』
顔を上げると、委員長は真っ赤な顔でこっちを見詰めていた。
『あ、その・・・べ、別に別府君のためじゃないですよ?教えるってことは、その事を理解して
 いるかどうか分かる訳ですし。お、お互いがお互いを利用しあう・・・みたいな感じですから』
「でもさ・・・」
『や、やるんですか?それとも、うじうじ諦めちゃうんですか?』
さっきまで諦めてた気持ちが奮い立つのを感じる。そこまで言われて諦めたらカッコ悪いし
何よりも同じ目標で頑張る委員長が一緒というのがとても心強く感じた。
自分の席に戻って第一希望を消して、隣にある高校の名前を書き込む。
そして、それを委員長に突きつけた。
「これが俺の答え」
『そ、そんなカッコつけて・・・落ちても責任は取りませんからね?』
ニッコリする委員長にドキっとした。
女の子にそういう顔されるの慣れてないんだから・・・少し困る。でも、悪い気持ちじゃないけど。

掃除が終わって帰ろうとしたとき、委員長に引き止められた。
『別府君、どこへ行くんですか?』
「え?帰るけど?」
そう言うとムッとした表情になった。
『さっき頑張るって言ったばっかりじゃないですか?もう嘘つくなんて・・・最低です』
呆気にとられていると、さらに委員長が畳み掛けてきた。
『今の状況を理解してますか?今日からでも始めないと本当に間に合いませんからね?』
「い、いやさ、家で・・・勉強するつもりだったんだけど?」
慌てて言い訳をした。もちろん、今日はそんなつもりじゃなかったけど、こうでも言わないと
何となくカッコがつかない気がしたから。
委員長は目を細め、ため息をついた。
『何を使って、どう勉強するつもりなんですか?』
「それは―」
答えに詰まる。ただ何となく漠然と教科書を開いて・・・って訳にも行かないだろう。
参考書を買って・・・でもそんな本なんて探した事もないから、あるのかどうかも分からない。
『今から図書室に行きましょう。そこで私が使ってる問題集とか見せますから』
「分かった、行こう」
歩き出したところで思い出す。自分がどうして早く帰らなきゃいけなかった事を。
このまま委員長についていき図書室で勉強するか、それともちなみとの約束を守って一緒に帰るか。
つまり、委員長をとるかちなみをとるか。
「委員長・・・ゴメン」
小首をかしげる委員長に鞄を手渡す。
「ちょっと・・・用事があるんだ。そう・・・30分くらい、先に行っててもらっていいかな?」
そしてそのまま返事を待たず、ちなみの待ついつもの木の下へと走り出した。

『む・・・やっときた・・・おそいです!』
むくれるちなみの手をとって、帰り道を急ぐ。
一旦ちなみと一緒に帰って、そして学校へ戻ればいい。そうすれば、委員長もちなみも両方とれる。
頭の片隅に「2頭追うものは1頭も得ず」なんてことわざが浮かんだが、考えないようにした。
家まであと少しというところで、腕に力がいれられるのを感じた。ちなみの顔をみると、すごく
怒っている表情。
『にぃに・・・はやいです・・・ちな・・・ても・・・あしも・・・いたいです』
急いでたあまり、ついつい力が入ってしまったようだ。でも、そのお陰で早めに帰れそうだし
委員長との約束した30分には間に合いそうだ。
「ゴメン、ちょっと早く帰りたかったからさ」
優しく手を引くが、全然動こうとしない。何度となく帰るように促してみても抵抗するばかり。
『こんなの・・・いっしょにかえってない・・・ただ・・・おなじほうこう・・・だもん』
「だから悪かったってば」
『じゃぁ・・・がっこうから・・・やりなおし・・・』
そう言ってきた道を戻ろうとした。ここまで来てまた戻ってしまったら間に合う訳がない。
ここはどうしても、このまま帰ってくれないと困る。
「帰ってさ、勉強しなくちゃいけないだよ。隣の高校に行くために・・・ね?」
『ちょっとくらい・・・やっても・・・かわらない・・・だから・・・やりなおし』
こんな時に限って正しい事を言われて言葉に詰まる。元はといえば誰のせいでこんなに急いでるのか
とちょっとは考えて欲しいものだ。
しかし、本当の事を言えば余計にややこしくなりそうだし、どうしたものか。
「ちなみ・・・な?」
こうなったら最終手段、頭を撫でてご機嫌をとろう。そう思って手を伸ばしたが払いのけられてしまった。
『そんなことで・・・ごまかされないもん・・・ばかにしたら・・・めーだもん』
ほっぺたを膨らませて、睨みつけてきた。
もうテコでも動かないという感じで両腕を組んで抵抗する姿勢。
「じゃぁ勝手にしろよ。俺は帰るからな」
いい加減頭にきて、ついつい大声で言ってしまった。けど、ずっとワガママも聞いてられないし
たまには俺の都合にも合わせてくれないと困る。
本当ならすぐにでも学校へ戻らないといけないだけど、ちなみがいるのでとりあえず家の方向へ
歩き出す。
チラリとちなみの方を見ると、学校の方へ歩き出していた。まったく、頑固な娘だな。
真っ直ぐ学校へ戻ったらちなみと鉢合わせしそうだし、遠回りでも別の道を行くか、と考えていると
後ろからすすり泣く声が聞こえる。慌てて振り返ると、しゃがみこんで泣いていた。
「お、オイ・・・何も泣く事」
『ぐすっ・・・ないてないもん・・・ひっく・・・にぃになんて・・・しらないもん』
次から次へと溢れてくる涙を拭いながら立ち上がり、学校の方へ再び歩き出す。
「あ、明日はさ、ゆっくり帰ろう?だから、今日は」
『ちなは・・・ぐすっ・・・きょうも・・・たいせつだもん』
振り返って、ぽかぽかと殴ってきた。
『きょうも・・・いっぱい・・・おはなしあるの・・・きいてほしいの・・・ふぇぇぇぇん』
ついに耐え切れず、抱きつきワンワンと泣き出した。
俺にとっては「たかが一緒に帰る」だけれど、ちなみにとってはその日の事を話したりする
楽しみの一時に思ってくれていたのか。
考えてみればやっと立ち直って学校に行き始めたばっかりなんだし、もっと優しく接するべきだった。
こっちの都合だってちゃんと話せば分かってくれたはず。
それなのに、ちょっと言うのが恥ずかしかったりして誤魔化して。結局、それで傷つけてしまった。
屈みこんで、ちなみをそっと抱き寄せる。そして頭を撫でながら、俺も逃げないで説明した。
今のままじゃ隣の高校には行けないから、いっぱい勉強しないといけない事。その勉強を委員長に
見てもらうから戻らないといけない事。だから、しばらくは一緒に帰る時は急がないといけない事。
全部話し終わると、ちなみは泣き止み上目遣いでじっと見ていた。
『えっと・・・にぃには・・・おばか・・・ってこと?』
「普通よりちょっと悪いだけ!」
『つまり・・・おばか・・・なのです』
あまり認めたくないが、話してしまった以上は隠しようがない。でも、そういわれるのは非常に不本意だ。
『しょーがない・・・いいんちょに・・・きたえてもらうです』
そう言うと、俺の背中をぽんぽんと叩いた。つまりお許しが出たという事だ。
ちなみの頭をくしゃくしゃっと撫でて、学校の方へ歩き出す。
委員長にも説明して、少しでもちなみと一緒の時間を確保しないとな。
『にぃに・・・まつです』
振り返ると、ちなみはなんか複雑な表情をしていた。
『い、いいんちょと・・・あんまり・・・なかよくしちゃ・・・めー・・・だよ?』
「ヤキモチか?」
『ち、ちがうもん・・・にぃにの・・・ばーか・・・ばーか・・・いーーーーだ!』
冗談で言ったのに、顔を真っ赤にして罵倒された。もしかして図星か?
いつもなら、その辺を突いて遊べるけど流石に時間がない。笑顔で手を振ると、ちなみの
手を振り返し、くるりと向きを変えると家のほうへ走っていった。
「これは・・・何が何でも合格しないとな」
小さな背中に向かって、そっと決意を固めた。


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