その3

朝のまどろみ。それは、至高の時間だと思う。
暖かくなった春、暑苦しくて眠れなかった夏、寝やすい気候の秋、そして寒さに震える冬。
季節は違えど、気持ちは違えど、朝のまどろみは「あと少し」の幸せをくれる。
時計を見ると、いつもより全然早い時間。しかし、今日も道を覚え切れなかったちなみと一緒に登校
する事になるのだろうから、もう起きて支度をしないと遅れてしまう。
5分掛かる髪のセットを3分に短縮すればあと2分寝れる、などと思いつつ怠惰に惰眠をむさぼる。
ふと、遠くの方で階段を登る音が聞こえた。あぁ、ついに母親が起こしに来たか・・・と覚悟を決めた。
ドアが開く・・・ついで、起きろと言うやかましい声が・・・聞こえない?
もしかしたら、起こされる夢を見ているのかもしれない。目が覚めたら、もう一眠りできる時間なら
いいな。などと思っていると、息苦しさを感じた。
いや、息苦しいというか・・・呼吸が止まった感じだ。焦って目を開けると・・・予想外の光景が。
ちなみがいた。そして、俺の鼻をつまんでいた。
口で大きく息を吸って、ちょっと落ち着く。落ち着くと、ふつふつと幸せの邪魔をした侵入者に対して
どんな罰を与えるべきか、腹の中でふつふつと沸いてくる黒い気持ちを感じながら考えていた。
そして、文句を言うべく顔を見ると、何か嬉しそうだ。
・・・相手は子供だし、悪戯しても多めに見てやるのが大人なのかな?
「こらっ!」
軽めのお叱りで、ぱっと手を離したが、その表情は悲しげなものに変わっていた。
やばい、少し言葉がキツかったか?謝るべきかな?すっかり被害者から加害者に気分が変わってしまった。
『にぃに・・・おばさんが・・・ごはん・・・はやくって・・・』
ぼそっと言うと、ちなみは転がってるマンガ本を手にとって部屋の隅っこ座った。
時計を見ると、なるほどもう余裕はなさそうだ。ちなみの頭を軽く撫で、台所へ向かう事にした。

ご飯を食べ終わり、部屋に戻る。ちなみはというと、ベットの上でゴロゴロと掛け布団に包まりながら
自らを具とした海苔巻きを作っていた。
目が合うと、ちょっと気まずそうな顔をしていた。俺はというと、今朝の仕返しができたようで
内心嬉しかった。
子供といえども一応は女性なので、制服を引っつかみ、隣の部屋で着替えることにした。
なんか普通にこの部屋に馴染んでる感じがあるが、これでも逢って2日目だし、気を使ってやろう。
何よりも・・・俺が何だか恥ずかしく思うから。

着替えを済ませて部屋にもどると、いまだに海苔巻きは健在。敷布団をゴロゴロと転がる様は
まるで、道路を慣らすロードローラーと言ったところだろうか?
再び時計を見ると、出発ギリギリの時間。ちなみは、転がってるのが楽しいのか、満面の笑みで
布団の舗装を続けていた。
「ちなみちゃん、もう時間だよ?学校行こう?」
『やーです』
俺が焦りながら飯食ったり着替えてるのに、なんとのん気な事いうのだろう。ちょっとイラっと来たので
意地悪く「じゃ、先に行くぞ」って言ってみた。そうすると、表情が一変。
もぞもぞと布団から這い出ると、急いでこちらに走ってきた。
が、自分が無造作に置いたランドセルに躓いて体勢を崩してしまい、その勢いのまま俺にタックル
するようにすっ飛んできた。
寸でのところで、腕を開いてガッチリとキャッチ。ほっと一息ついたところで、昨日の委員長との出来事が
フラッシュバックして、食べたばかりの胃にズシリと重いものを感じた。
「大丈夫か?」
できるだけ速やかに体から離し、ちなみの様子をうかがった。
驚いた表情で、顔を赤くしている。なんだか、委員長と同じような感じに思える。
『・・・ぅ・・・・ぁ・・・に、にぃにの・・・えっち・・・ばかぁ!』
言うが早いか、部屋を飛び出し階段を下りて行った。
委員長もそうだが、そんなに俺に抱きつかれるのは嫌なのだろうか?転びそうになったのを助けたの
のだから、御礼くらい言うのが普通じゃないのか?
主に忘れられたランドセルを見詰めながら、はぁ・・・と重いため息をついた。

ちなみは玄関で待っていた。
ランドセルを見せると、クルリと後ろを向いて万歳のポーズ。ランドセルを背負わせろという事か。
ご希望通りに背負わせてやると、振り返りもせずに靴を履き、外へ出て行った。
道が分からないのだから、俺を待っててくれてもいいのに。
行ってきますと声を出し、ドアを開けて外へ出る。空を見上げると、秋特有の高い青空。
左手にそっと暖かな感触。見ると、ちなみが申し訳なさそうな表情で指を掴んできてた。
『ま、まいごに・・・なると・・・がっこうに・・・おくれちゃうから・・・しかたなくだよ?』
今日は中指まで掴んでくれてる。しっかり握り合えるのは、明日か明後日かな?
ちなみの指をぐっとにぎり、昨日と同じように大きく手を振りながら学校へ向かった。

教室へ着くと、昨日と同様に一番乗り。
黒板を見ると、放課後に遊んでいた時に書きなぐった文字やら絵やらが所々にある。これをいつも
委員長は人知れず、授業が始まる前に消していたのか・・・と思うと、なんだか申し訳ない気分だ。
昨日みたいな事があっても困るので、黒板だけは先に消しておこう。さっさと消して、あとは寝た振り
でもしていれば、恩着せがましく思われる事もないだろうし。
そう思って消し始めた。しかし、俺の日ごろの行いが悪いのか、それとも2番手では嫌なのか、昨日
よりもさらに早く委員長はやってきた。
そして、黒板を消している俺の姿はバッチリと目撃されてしまった。
「お、おはよう、委員長。昨日よりも早いね」
俺の挨拶は無視して自分の席へ行き鞄を下ろすと、花瓶を掴み教室の外へ行ってしまった。
なんだか、余計な事をしている気がしてならない。しかし、途中で止めてしまうのもみっともないので
一通り綺麗にして、さらに黒板消し自体も綺麗にして席に戻った。
それと同時に委員長が戻ってきて、昨日と同じく教壇を拭いたりとパタパタ動き回る。
途中、チラリとこっちを見た。仕事を取ってしまった事を怒っているのだろうか?それとも、もっと綺麗に
しろといいたいのだろうか?どっちにしても、好意的な眼差しではない。
完全にダメ、嫌われたに違いない。俺はため息をつくと、机に突っ伏した。
悪い事はしてないはずなのに、なんでこんな事になったんだろう。俗に言う、何をやっても裏目にでる
という状態なのだろうか?そうであれば、これ以上余計な事はしないほうが良さそうだ。
そうこうしているうちに、委員長が席に戻ってきた。椅子に座り、単行本を取り出す。昨日と同じだ。
しかし、今日はちょっと違った。俺の方をまたチラリと見て、そしてぼそりと独り言のように呟く。
『あ、ありがとう』
驚いて顔を上げると、何事もなかったかのように本を読み始めた。
でも、気がついた。口元がちょっと笑ってる事に。・・・少なくとも、嫌われている訳ではないさそうだ。
少し嬉しくなり、話をしてみたくなった。でも、聞いても良いものか・・・と迷っていると、こちらの
視線に気がついたのか、『何か?』という表情を浮かべた。
「あ、いや・・・委員長はさ、毎日色々と・・・教壇拭いたりとかしてるの?」
小さく頷き、目線は本へ戻った。もう少し何か言ってもいいのに。
例えば、毎日大変なんですよとか黒板くらい書いたら消して帰って欲しいとか。
そんな期待通りの言葉はいくら待ってもこないので、結局俺から全部聞いてしまった。
委員長は『別に・・・』とか特に面白みもない回答。しかも、話したくないのか、どれも短く答えた。
話す話題もなくなったので、もう邪魔するのは止めようと思ったとき、ふと考えが浮かんだ。
「委員長、例えば転校して、新しいクラスで友達作りたいとき、なにかいい方法はないかな?」
これならば、何かしら長く喋らないといけないだろう。我ながら良いアイデアだ。
『ありません』
これは予想外だ。もういいか・・・と再び机に突っ伏して寝ることにした。
『田村さん、去年転入してきました。彼女に聞いてみるはどうでしょうか?』
委員長の顔を見ると、相変わらず目線は本に注がれている。チラリとこっちを見た拍子に目が合ったが
すぐに逸らされてしまった。
「委員長、ありがとう」
何も反応がないように思えたが、口元はさっきよりずっと笑っているように見えた。

昼休みに田村さんへ聞いてみることにした。
なんでそんな事を聞いてくるのかと不思議な顔をされたが、なんとなく知りたくてと誤魔化した。
ちなみの事は別に秘密というわけでもないが、なんとなくみんなに言うのが恥ずかしい。
小学生に振り回され、朝一番に登校してるなんて・・・かっこ悪く思えた。
田村さんは、その頃の事を色々教えてくれた。彼女ならではの―例えば、お菓子を作って振舞ったとかは
ちなみでは無理そうだが、いくつか出来そうなのを教えてもらった。
情報収集を終えて席に戻ると、委員長は『どうでした?』という表情。俺は、親指を立ててバッチリという
サインを送った。それを見て、安堵の表情をうかべると、今朝と同じように本を読み始めた。

午後の授業も終えて学校の外へ。たぶん居るだろうと思ったとおり、昨日と同じところでちなみは
待っていた。聞くまでもないが、一応言い訳を聞いてあげる事にした。
「やっ、ちなみちゃん。俺を待っててくれたの?」
『ち、ちがう・・・にぃになんか・・・まって・・・ないもん』
「じゃぁ、どうしたのかな?」
我ながら意地悪な質問だと思う。一緒に帰りたいって言えないのはわかっている。理由は分からないが。
目を合わせようとしないでもじもじするちなみを見ながら、次の言葉を待った。
『み、みち・・・まだ・・・おぼえてないから・・・』
顔を真っ赤にして、苦しい言い訳をする姿に、俺は吹き出しそうなのを堪えるのが精一杯だった。
ようやく笑いたい衝動が収まった頃、帽子を取って頭を撫でてあげた。
「じゃぁ、帰り道覚えるまで一緒に帰ろうか?」
その言葉を聞いた途端、ぱっ顔が明るくなった。が、何かに気がついたのか、すぐにもとの顔に戻った。
『い、いっしょに・・・かえらせて・・・あげるの・・・しょうがないなぁ・・・』
ぷいっとそっぽを向いて、わざと家とは逆の方向へ歩き出した。やっぱり道順覚えてるんだろ?と
言いかけたが止めておいた。立ち寄ろうと思ってたお店の方向でもあるので、特に何もいわないで
ちなみの足のままに行かせることにした。

5分ほど歩かせ、目的の場所に近づいたので声をかけた。
「ちなみちゃん、こっちだよ?」
多分、こっちには来た事がないのだろう、振り返った顔はすごく不安そうだ。ちょっと意地悪が過ぎたか
と思いつつ、家と違う方向である事と寄り道したい事を説明した。
『ままから・・・みちくさ・・・めー・・・っていわれてるの・・・』
そう言うと俯く。だから、一緒に行きたいけどついて行けないのという感じ。
今日の寄り道はちなみの為なので、一緒に来てもらわなくては困る。
「学校で使うものを買うときは道草って言わないんだよ?」
『でも・・・』
「ちなみちゃんがこないと、凄く困るんだけどな・・・ダメかな?」
『・・・』
深く考え込む。割と真面目な性格なのか、それとも実はちなみの母親は怒ると怖いのか。
ようやく決心がついたのか、俺の手を掴むと小さく頷く。今度のは全部の指を握ってくれた。

目的の場所はおもちゃ屋。田村さんが言うには、学校で流行っている玩具とかを持っていくと
仲間に混ぜてもらいやすいらしい。それをきっかけに友達を作ってもらえば、俺もお役御免というわけだ。
多少の出費は痛いが、俺の為にもちなみの為にもなるなら良いだろう。
『にぃに・・・がっこうで・・・おもちゃ・・・つかうの?』
不思議そうな顔をするちなみに、学校で流行っている物を買ってお友達を作ろうという話をした。
しかし、ちなみは渋い顔をした。
『おもちゃ・・・がっこうに・・・もっていっちゃ・・・めー・・・だよ?』
確かに言われてみたらそうだ。中学校になれば、その辺の規則は無いも同然、バレなければOKだが
さすがに小学校、しかも1年生ではそうもいかないか。
『そんなことも・・・しらないなんて・・・やっぱり・・・にぃには・・・だめだめ・・・です』
やれやれ、というような感じでバカにするようなため息をついた。

それから何なら持っていけるか、話のきっかけになるかを議論。結局は、文房具なら大丈夫だろう
という結論に達した。
夕日を背に、来た道を少しもどり文房具屋へ。
店内をキョロキョロしながら進むちなみの後を黙ってついていく。1周まわり、2周目の途中で
ピタリと止まる。そこは、色とりどりの下敷きが置かれた一角だ。
嬉しそうに手にとっては『むぅ〜・・・』と唸って置く。そして違うのを手に取る。しばらく繰り返した
のち、俺の前に突き出した。
『これ・・・かわいいの・・・』
釣り針を前に、悩みこむクマの絵が描かれていた。そういえば、最後までどっちにしようか悩んでいた
もう片一方もクマの絵だったな。
「ちなみちゃんは、クマ好きなの?」
尋ねると、大きく頷いた。俺には何が可愛いのかさっぱりだが。

店を出ると、外は暗くなっていた。結構長い時間居たんだな。
今日も帰ったらちなみの母親に、遅くなった事を謝らないといけないか・・・と気が重い。
『がっこう・・・たのしみ・・・えへへ・・・』
しかし、嬉しそうにはしゃぐちなみを見ると、ちょっとは気が楽になったように思えた。
このはしゃぐ姿が見れたなら、謝るくらいなんともないか・・・と。


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