その7

お昼ご飯は注文どおりのスパゲティだった。ただし、ミートソースではなくてナポリタン。
『挽肉がなくてねぇ・・・特売日は火曜日だから』
どうしても食べたかった訳でもなく、ただその場しのぎで言っただけの事をそこまで真剣に
考えてくれてたかと思うとちょっと罪悪感を感じる。
本当の事を言えるわけもないので、精一杯の気持ちを込めて「ごちそうさま」を言って家を後にした。
隣の家にへ行き、インターホンを押す。家の方から、ドタドタと慌しい物音がした。
そして、ガチャリとドアが開くとちなみが出てきた。
『む〜・・・おそいです・・・のろま・・・』
唇をとがらせて、むすっとした表情。確かにキッチリ時間を決めたわけではないが、世間的にお昼と
言えば12時だし、食休みを考えてこの時間にきたのだが。
ちなみの後ろから、申し訳なさそうにちなみの母親が出てきた。
『お休みの日なのに遊んでもらえるみたいで・・・ゴメンなさいね?』
「いえいえ、大丈夫ですよ」
そんな母親の態度とは正反対で、ちなみはしてやったりという表情で母親を指で突く。
『ほら・・・ちなの・・・いったとおりでしょ?』
『本当ね。でも、迷惑かけるんじゃありませんよ?』
きっと、遊ぶ約束があるけど信じて貰えてないとかそんな感じなのだろう。母親からしてみれば、年も離れた
俺が学校以外で構ってくれるなんて・・・と思うだろう。
『にぃにが・・・ちなに・・・めーわく・・・かけるんだもん』
その言葉に、俺とちなみの母親は顔を見合わせ無言で苦笑い。それが気に食わないのか、靴を履き終わった
ちなみに押し出されるような形で出発した。

『んと・・・どこいくの?』
家を出てしばらくしてから、やっと俺を押すのをやめて聞いてきた。
「とりあず、町を案内するよ。お店とか図書館とか」
駅とかスーパーのような生活に密着している部分は、親から教わっているだろうと思うので
知っていれば何かと便利な場所へ連れて行こうと思った。
『ちな・・・また・・・おもちゃやさん・・・いきたいです』
「じゃ、そこも行こうか」
子供にとっては便利とかよりは、遊べるかどうかの方が重要らしい。行く場所を考え直さないと
いけないかもしれないな・・・。
ふいに左手に暖かな感触。学校へ行く時のお約束のアレだ。
『にぃにが・・・はぐれると・・・こまるから・・・しょーがないなぁ・・・』
相変わらずの苦しい言い訳に頬が緩む。なんかもう少し困らせてやろうかな?なんて悪戯心が
大いにくすぐられた。
「今日は学校に行くわけじゃないから、こうやって手を繋いでるとデートみたいだね」
案の定、その言葉で顔を赤くするちなみ。繋いでいた手を振り解き、睨みつけてくる。
『で、でーととか・・・ちがうもん・・・あそびにいくだけ・・・だもん!』
「でもさ、それをデートって言うんじゃないの?」
『むむぅ〜〜・・・ちがうったら・・・ちがうの!』
むくれてそっぽを向いてしまった。隙だらけの背中を見ていると、もう少し遊んでみようという気になった
ので、わき腹や首筋をくすぐってみた。
ビクッと体を震わせて手から逃れられた。振り返り何かを言い出す前に、しつこくくすぐりを続けた。
『あはは・・・めーなの・・・ぷぷぷ・・・にぃに・・・めーです!』
「ほれほれ、どう違うのか言ってみてよ?そしたら離してあげる」
『ち、ちがうの・・・あはは・・・あは・・・とにかく―』
元々ちゃんとした理由もない上に、くすぐられたのではまともな答えが返ってこない。それを良いことに
しばらくくすぐり続けた。
「うぉっほん!」
いきなり後ろから咳払いが聞こえたので振り返ると、ジョギング中と思われるオッサンが足踏みしながら
邪魔だと言わんばかりの表情で睨んでいる。
小さく「すいません」と言って端っこに寄ると、何か言いたげな表情でチラリと見てから走り去っていった。
「怒られちゃったな」
道の真ん中でじゃれあっていたので当然といえば当然だが、何となく居心地が悪い気分。
もう少しやんわりと言ってくれても良いのにな。
『まったく・・・これだから・・・にぃには・・・だめだめ・・・なのです』
腰に手をあてて、お前一人が悪いぞ、という感じで言ってきた。
まぁ・・・どちらが悪いと言えば俺だけど、ここは連帯責任でもあるので、そこまで
言わなくてもいいんじゃないか?と思う。
『と、とにかく・・・ちゃんと・・・あんない・・・しないと・・・めーなの!』
やや乱暴に手を繋いで、さっさと歩けとばかりに開いてる方の手で前を指差す。
「分かりましたよ」
結局、今日も今日でちなみに振り回される一日になりつつある。

とりあえず向かった先は本屋さん。1階が新書、2階が古本という感じになっているので
欲しい本があったらまずはここに来るようにしている。
俺のお気に入りのお店でもあり、あの委員長も愛用(多分)している店だ。
店に入るやいなや、ちなみはすぐにマンガコーナーへと向かった。しかし、新品のマンガ本には
立ち読み防止用にビニールが掛けられているので、見ることはできない。
『む〜・・・けちんぼ・・・です』
棚の前でガックリうな垂れるちなみ。そこは少年誌で連載されているマンガの単行本が陳列されている
場所だ。てっきり少女マンガのでも見るのかと思っていただけに、ちょっと意外だ。
「ちなみ、どれか好きなのあるの?」
『これ・・・にぃにが・・・ぁ・・・もうあえない・・・にぃにが・・・すきだったの』
もう会えないにぃにとは、ちなみの本当の兄の事。やっぱり、まだ引きずっているのだなと
改めて思う。平積みになっている本を指差す顔は、どことなく悲しげに見えた。
ちょっとでも気が晴れればと頭を撫でてあげると、珍しくこちらにぴとっと寄り添ってきた。
『にぃには・・・どんなの・・・よむの?』
「俺か?そうだな・・・」
寄り添ったまま小説のコーナーへ移動。気に入っている出版社の名前が書かれたポップの前で立ち止まり、
1冊取って手渡す。
『じ・・・ちいさい・・・かんじ・・・おおい・・・えが・・・すくない・・・』
パラパラっとめくり感想を言うと、むすっとした顔で突っ返してきた。
漢字が多いのは仕方ないとして、絵が少ないのは当然だと思うのだが。もしかして、絵本とかマンガしか
読んだ事ないのか?
「絵がすくない本は嫌い?」
大きく頷くちなみ。最近の学校ではどういう教育をしているんだ・・・と思いつつ、児童書のコーナーへ。
ちょっと前に映画になった本を1冊手に取り、手渡してあげた。
「どう?これなら字も大きいし、漢字にはふりがなふってあるよ?」
すこし真面目な表情で文字を追っている。これは良さそうだな・・・と思うと、急にぱたっと閉じて
俺に戻してくる。
『よんで・・・なの』
俺の頭の中に?マークがいっぱい浮かんだ。首をかしげると、ちなみはちょっと恥ずかしげな表情。
『ねるまえに・・・ままが・・・よんでくれたの・・・だから・・・にぃにも・・・よんで・・・なの』
「俺が?」
『にぃにの・・・おすすめ・・・だから・・・いやだけど・・・よませて・・・あげるの』
上目遣いしながら、両手を下のほうで組んでもぞもぞっとさせている。
本嫌い克服のために一肌脱いでやりたいところだが、それはつまり・・・。
「俺と一緒に寝るって事?」
『ち、ちがうもん・・・ちながねたら・・・にぃには・・・どっかいっちゃえ・・・なの!』
恥ずかしくてどうしようもないのか、ぽかぽかと殴りながら反論してきた。
まぁ、それもそれで良いのだが、現実問題として、いくら隣に住んでいるからとはいえ
夜にあがりこんで、本を読み聞かせるなんておかしいと思う。そもそも親が反対するはずだし。
そのくらい、いくらちなみでも解りそうなものだが。いや、もしかして・・・あの手を使わせる気か?
「どっかい行くってさ、どうやって?」
『まどから・・・かえれば・・・いいのです』
やっぱり、思ったとおりの返答。夜な夜な窓伝いに部屋に上がりこんでは本を読んで帰れという事か。
もし見つかったら、かなりヤバイ気がする。いや、気のせいではなくヤバイはずだ、いろんな意味で。
「だ、ダメだよそんなの。読んで欲しかったら、ちゃんとお母さんに言ってウチに来ないと」
慌てて反対したがその気になったちなみの耳には届いてないようで、本を引っ手繰るとレジの方へ
走っていった。
その後姿を見ながらふと思う・・・ところで、お金持ってるのか?
レジの方から手招きするちなみ。レジ担当の店員は苦笑いでこっちを見ている。
あぁ、この本のお支払いは俺ですか・・・。
色々買おうと予定していた物のいくつは来月に持ち越しだな。苦々しく思いながら、ちらりと
ちなみの方をみれば、満面の笑み。まぁ、ちょっと位は兄貴分らしいところも見せてやらんとな
と自分を納得させつつ会計を済ませ、本屋を後にした。

続いてやってきたのは、大きな公園。もともと雑木林だった所に、広場と歩道を作っただけだが
落ち着いた雰囲気が個人的に気に入ってる場所だ。
遊具が置いてない分、あんまり小さな子達が来ないので、静かに本が読めるというのもありがたい。
いつもの習慣でベンチに腰掛、先ほど買った本を開いてしまう。今日は連れが居るという事を思い出し
慌てて顔をあげると、ちなみはちなみで遊んでいた。
風が吹き、さらさらっと音を立てながら舞い散る落ち葉を掴もうとピョンピョン跳ねている。
黄色やオレンジの落ち葉に白いワンピースがよく映える。何とも言えない幻想的な光景だ。
しばらく見詰めていると視線に気がついたのか、ちなみがこっちに駆け寄ってきた。
『はっぱ・・・きれーなの・・・いいでしょ?』
綺麗に色付いた落ち葉を何枚か見せながら、嬉しそうな顔。
「ちなみも綺麗だよ」
気がつくと、普段なら絶対言わないような歯の浮くようなセリフを言っていた。きっとあの光景が
そうさせたんだろう。
顔を紅葉させたちなみは、ちょこんと俺の隣に腰掛ける。
いつもの照れ隠しの一言が来るかな、と思っていただけにちょっと意外だ。
嬉しそうにもじもじしている姿が、何とも可愛らしい。いつもこんなだったら良いのに。
『んと・・・これ・・・いちまい・・・あげるです』
ひときわ鮮やかに色付いた1枚を本の上に乗せる。しおりにしたら良いかもしれないな。
「ありがとうな」
頭を撫でようと手を上げたところで、ちなみが抱きついてきた。
『いつまでも・・・だまって・・・あたまなでなでされる・・・ちなじゃないもん』
してやったりという表情で言う。それならばと、肩に手を置いてより一層密着させてみる。
じわーっと暖かさが伝わってきて、なんだか心地よい。今日はちなみを連れて来てよかったな、と
ようやく思えた。
『別府君』
唐突に後ろから名前を呼ばれて振り向く。
「・・・委員長?」
そこに立っていたのは、買物帰りと思しき袋を下げた委員長。
さて、この状況をどう説明しようか。先ほどの暖かさはどこへやら、冷や汗が背筋をゾクッと撫でた。


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