その13 ごめんなさいが言えなくて

「ちなみ、おはよ」
朝の挨拶をする兄を無視して食卓に着く。すでに用意されていたトーストにマーガリンを塗り
サラダを挟み込んで口に頬張る。
「今日休みだろ、買物行かない?ちなみは欲しいものとか無いの?」
「あ、それともどっか遊びに行くか?どこか行きたい所とかある?」
しきりに話しかける兄。
私はその一切に返答する事なく、ただただ目の前の料理を口に運び、飲み込む作業をこなす。
作業が終わると、さっさと自室へ戻る。
そして・・・部屋のベットに寝転がって、その場には居ない兄に『ごめんなさい』と謝り続ける。
ここのところ、ずっとそんな感じの日々を過ごしていた。

誕生日にキスしてもらってから、どうも調子がおかしい。
兄の顔を見るとあの時の事を鮮明に思い出し、恥ずかしくてどうしようもなくなってしまう。
そればかりか、ただ近くに居るだけでもドキドキして胸が苦しくなる。
会話なんてしたら、いつも以上の罵声を浴びせかけてしまい、その後に物凄い自己嫌悪に陥る。
だからあまり接点のないように過ごしている。
私・・・どうしちゃったんだろう?
今は色々構ってくれるけど、こんな態度を続けたらいずれ兄から見放されちゃう。
そんなの嫌だよ。でも・・・自分ではどうしようもないんだもの。

ベットの上で悶々としていると、遠くでガチャリと音が鳴った。
どうやら兄は出かけるようで、ついでドアにカギを掛ける音、自転車のカラカラとなる音が聞こえた。
今の私にとっては、一人で居る方が気楽でいい。
そっと昔の日記を取り出して、ページをめくる。

[にぃにのぷらもでるこわしちゃった ごめんできないからぎゅーした そしたらいえた]

今も昔も、何か仕出かすのは私の方みたい。
ちょっとため息をついて目を閉じる。暗闇の向こうに、昔の私が見えてきた―

『にぃに・・・いろえんぴつ・・・かしてなの』
「ん?自分のはどうしたの?」
『おいてきた・・・だから・・・にぃにの・・・かすです』
「う〜ん・・・確か、棚に置いてあったと思うから、好きに使っていいよ」
『む・・・にぃに・・・とってこい・・・です』
「えー?いま良いところだからさ・・・な?」
『ぶー・・・にぃに・・・なまけものです・・・ぷんぷんです・・・』
「ゴメンな?そうだ、俺の使ってたのあげるよ」
『ふぇ?』
「ちなみが使ってるの12色のだろ?お兄ちゃんは24色だ」
『そ、それは・・・おとなようの・・・いろえんぴつ・・・です』
「一杯色があるからさ、綺麗な絵を描いてお兄ちゃんに見せてよ」
『ふん・・・だれが・・・にぃに・・・みせるもんか・・・ふ〜んだ』
とてとてとて ガチャ
『えっと・・・たなのうえ・・・たなのうえ・・・あった・・・これなのです・・・』
カン ガシャン
『ふぇ・・・にぃにの・・・ぷらもでる・・・おとしちゃった・・・ど、どうしよう・・・ばらばら・・・』
「何か変な落としたけど・・・げっ」
『ぅ・・・あ・・・こ、これは・・・』
「あーあー・・・接続部分が折れちゃったか」
『べ、べつに・・・ちな・・・わるくないよ?そこに・・・おいてた・・・にぃにが・・・わるいんだもん』
「またそういう事言う・・・ごめんなさいは?」
『ふん・・・わるくないったら・・・・わるくないです』
「まったく・・・もう」
『・・・』
「ま、いいや。作るの好きなだけで、飾ったりするのはあんまりだから」
『そ、そうなの・・・?おこってないの・・・?』
「そろそろ仕舞おうと思ってたし、別にいいよ」
『にぃに・・・あのね・・・』
「うん?」
『な、なんでも・・・ないです・・・ちな・・・おえかき・・・してくるです』

『はぁ・・・こまった・・・こまった・・・』
『ちなみちゃん、どうしたの?』
『あ・・・まま・・・んと・・・んとね・・・』
『何か困った事でもあるの?』
『ちな・・・にぃにの・・・ぷらもでる・・・こわしちゃったの・・・』
『まぁ・・・』
『で、でもね・・・ちな・・・ごめんなさい・・・いえないの』
『どうして?悪い事したって思ってるんでしょ?』
『うん・・・だけど・・・にぃにに・・・なんか・・・いえないの・・・』
『確かに困ったわねぇ・・・』
『ぐすっ・・・ちな・・・わるいこなの・・・ひっく・・・にぃにに・・・きらわれちゃう・・・ふぇぇぇ』
『ほら、泣かないの?お兄ちゃんにごめんなさいって言える方法考えよう?』
『ふぇぇぇん・・・むりだもん・・・ちな・・・わるいこだもん・・・』
『しょうがないなぁ・・・。よっし、取って置きの魔法教えちゃおう』
『ひっく・・・とっておき・・・ぐすっ・・・まほう?』
『そうよ。女の子の魔法、うふふ・・・』

『にぃに・・・もうすぐ・・・こっちくるです・・・どきどき・・・』
「もうすぐ飯の時間か」
『いま・・・なのです』
ぎゅ・・・
「うわっ、危ねぇ」
『ふぇ・・・?』
「ち、ちなみ、急に足を掴んだら危ないだろ?お兄ちゃん転ぶところだったじゃないか?」
『そ、そんなの・・・にぃにが・・・うんどうおんち・・・なのが・・・わるいんだもん・・・』
「ちぇっ、そうかよ。で、何の用?」
『え?・・・あ、あの・・・な、なんでも・・・ない・・・』
「そうか?変なちなみだな・・・」
『ちなは・・・へんじゃないもん・・・へんなのは・・・にぃにだもん・・・いーーーだ』
タタタタタッ
「おいおい・・・」

『ままーーー・・・ままーーー・・・』
『ど、どうしたの?』
『ふぇぇぇ・・・ちな・・・ちな・・・またやっちゃったの・・・わるいこなの・・・』
『え?』
『ふぇぇぇぇん・・・ぐしゅぐしゅ・・・ふぇぇぇ』
『う〜ん・・・あ、そうだ。それらな・・・こういうのはどう?』

『にぃに・・・げーむしてる・・・ちゃんすなの・・・』
「ここは慎重に進めないとな・・・」
ぎゅ・・・
「うわぁぁぁ・・・ぁぁぁ・・・ぁ〜ぁ・・・」
『んに・・・?』
「ちーなーみー・・・急に抱きつくから、死んじゃったじゃないか?」
『げーむ・・・へたっぴな・・・にぃにが・・・わるい・・・ちな・・・わるくない・・・もん』
「ん〜、まぁ次は違うルートやればいいかぁ。で、どうしたの?」
『ぅ・・・な、なんでもないもん・・・ばかぁ・・・』
タタタタタッ
「またかよ・・・」

『ふぇぇぇ・・・ままーー・・・』
『またダメだったの?』
『もう・・・ちな・・・いっしょう・・・にぃにに・・・ごめんできない・・・わるいこさんなの』
『そうねぇ・・・あ、じゃぁ最後の手段』
『ぐすっ・・・さいごの・・・しゅだん?』

「さて、寝るか・・・しかし、今日のちなみは何だったんだろう?」
ガチャ
『にぃに・・・』
「ちなみ?」
とてとてとて
『となり・・・いい?』
「いいけど・・・」
『んしょ・・・』
「・・・」
ぎゅ・・・
「どうしたんだ?ちなみから抱きついてくるなんて珍しいな」
『にぃに・・・きょうは・・・いっぱい・・・いっぱい・・・ごめんなの』
「怒ってないよ。だから謝らなくてもいいってば」
『うん・・・』
「今日は一緒に寝るか?」
なでなで
『えへへ・・・しょうがないなぁ・・・ねてあげるです』
「じゃ、電気消すからな」
パチッ
『(ままの・・・いうとおり・・・ぎゅっって・・・したら・・・すなおに・・・なれた・・・です)』
「おやすみ、ちなみ」
『おやすみなの・・・にぃに・・・』

目を開けて、ふっと息を吐く。
ママの教えてくれた魔法。素直にごめんなさいが言えないとき、相手を抱きしめると言えるようになる。
昔の私はそれで謝ってこれたのかもだけど・・・今の私にはとても抱きつくなんて無理だよ。
そう思うと、頬に暖かなものが伝うのを感じた。
『ぐすっ・・・お兄ちゃん・・・ごめんなさい・・・私・・・言えないよ・・・』
とめどなく流れる涙が、ポタリポタリと落ちてシーツに広がっていく。

涙も声も枯れた頃、ドアをノックする音が聞こえた。
「ちなみ、開けるぞ?」
止めようと思ったけど、喉が痛くて声が出ない。ドアを開けて入って来た兄は、私の顔を見て
驚いた表情で立ちすくんでいた。
『バカ兄・・・用事が無いなら・・・入ってくるな』
やっと搾り出せた声は、兄を罵倒する言葉。本当に嫌になってくる。
しかし兄はそんな事をお構い無しに、私の元に歩いてくると何かを手渡した。
「開けてみろよ?」
そう言われて箱を開ける。中には、天使の羽をモチーフにしたネックレスが入ってた。
・・・私が前々から欲しいと思ってた物だ。
『ど、どうして・・・これを?』
「最近、口きいてくれないだろ?理由が思い浮かばないから・・・とりあえずこれで許してくれないかな?」
そう言って頭を下げた。
『バカ兄・・・本当にバカだよ』
「ゴメン」
『何も悪く無いのに・・・謝るなんて・・・馬鹿すぎて・・・呆れる』
「ちなみ・・・」
枯れたはずの涙がひとつ、ふたつとこぼれる。
嬉しくて、申し訳なくて、色んな気持ちが交じり合って気持ちも体もばらばらになりそう。
気が付くと・・・兄に抱きついて、わんわん泣いていた。
『お兄ちゃん・・・ごめんね・・・ごめんね・・・ふぇぇぇん』
そんな私の頭を、泣き止むまでずっと撫で続けてくれた。

翌日、やっといつも通りを取り戻した私は朝ごはんを作って兄を待つ。
パタパタと台所へ近づいてくる足音。きたら、精一杯の笑顔でおはようって言ってあげるんだ。
「ん・・・ちなみ、おはよう」
『ご飯が冷める・・・さっさと食べろ・・・のろま』
苦笑いする兄。そして、また自己嫌悪に陥る私。
これもまた・・・いつも通りの私・・・なのかな?はぁ・・・。


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