その23 白紙のページ

空を見上げると、太陽に照らされた薄い緑や黄色の葉が揺れている。
風が吹くと、パラパラと音を立てて枯れた葉が雪のようにゆらゆらと揺れながら降り注ぐ。
落ちた葉は重なり合い、絨毯のようにレンガの道を覆っていた。
そこを私は走っている。積もった葉を舞い上げながら、楽しそうに。
道から脇にそれ、木々の切れ目にできた広めの空間に差し掛かった所で、世界がぐるりと回る。
振り向くと、枯れ葉を髪や服にいっぱい付けた兄がいた。
どうやら、じゃれあって押し倒されたらしい。
笑いあい、お互いの枯れ葉を取り合う。
そして、急に真剣な顔をして、何かを言い出した。寂しげに笑う兄に、私は必死で何かを言っている。
聞こえる音は、サーという風が葉っぱを揺らすだけ。

ふと目が覚めると、自分の部屋のベットだった。
朝日を浴びたカーテンは明るい色に染まっている。もう、朝なんだ。
体を起こして、夢について思い出す。あれは、なんだったのだろう?
しばらく考えていたが、結局分からないまま。
布団をめくると、寒さが身にしみる。冬はすぐそこまで来ているようだ。

「おはよ、ちなみ」
台所へ行くと、朝食の準備をしている兄がいた。
椅子に座ると今朝の夢が頭をよぎる。もしかしたら、何か知っているかもしれない。
聞こうかどうしようかと悩んでいるうちに、手際よく料理が並べられていく。
『あのさ・・・』
私の声で、兄はピタリと止まる。
『・・・なんでもない』
「何だよ、気になるじゃない?」
『うるさい・・・さっさと・・・朝ごはんの・・・支度をしろ』
いざ聞くとなると妙に恥ずかしくて、いつも通りの悪態をついてしまう。
いつまで経っても、この性格は直らないのかなっと考え込むうちに、今朝の夢の事は
すっかり忘れてしまった。

食事が終わりテレビを見ていると、兄がふいに声を上げた。
「あっ、やべ・・・昨日ゲームの発売日だった。すっかり忘れてた」
『ついに・・・痴呆か・・・やだやだ・・・』
「うっかりだよ、そんな年じゃないって」
笑いながら部屋に戻り、着替えて戻ってきた。
「んじゃ、ちょっと買ってくるよ。ついでに何か用事とかある?」
『ない・・・強いて言えば・・・そのまま・・・帰ってこなくて・・・いいよ』
「よし、じゃぁ行ってくる」
私の悪口をあっさり流して出かけてしまった。
気にしないでくれるのは良いけど、無反応は寂しい。私ってワガママだな。
そのままテレビを見続けていたが、一人で見ても大して面白くもないので、自室へ戻る事にした。

部屋に戻り、なんの気なしに昔の日記を開く。
しかし、今日と同じ日付が見つからない。いや、正確にいえば・・・昨日と明日の日付の間に
1ページまるまる空白の場所があった。
ノートの余白までキッチリと書かれていた日記にふさわしくない空白。
きっと、書かない事に何か意味があったに違いない。
目を閉じて・・・思い出す。いつもと違って、何もない所から昔の記憶を思い出すのは難しい。
そのときふと、今朝の夢が頭をよぎる。そして、空白のページ。
頭の中に洪水のように記憶が流れ込む。そうだ、確かこの時は―

『わぁ〜・・・きれー・・・なのです』
「だろ?ここさ、昨日見たドラマのロケにも使われたんだって」
『おちば・・・いっぱい・・・みちが・・・ふわふわ・・・』
「おいおい、そんなに走ると滑るぞ?」
『ふ〜んだ・・・にぃにじゃないから・・・そんなこと・・・ないもん』
「まったく・・・まぁ、たしかにはしゃぎたくなる気持ちは分からんでもないけどね」
『にぃに・・・こっち・・・くるです・・・』
「ん?どした?」
『どんぐり・・・いっぱい・・・おちてる・・・ひろうです』
「お、本当だ」
『むふふ・・・いまのです』
ぱさっ
「わっ・・・落ち葉?」
『にぃに・・・はっぱだらけ・・・ざまーみろ・・・なのです』
「背中に入ったなぁ。ちなみぃ・・・お仕置き!」
ぱさっぱさっ
『ふぇ!?・・・むむ・・・にぃにのくせに・・・なまいき・・・えい・・・えい・・・』
「やったな?こっちも・・・ほら」
『むぅ〜・・・けいせいが・・・ふり・・・ここは・・・てったい・・・です』
「こら!待て待て〜」
『ふふ〜んだ・・・つかまえて・・・みろ・・・なのです』
「おりゃぁ〜!」
『ふにゃん』
ごろごろごろ
「捕まえたぞ?」
『んに・・・つかまえられた・・・』
「ぷっ・・・あはは」
『ふふふ・・・』
「葉っぱまみれだな。取ってあげるよ」
『にぃにも・・・なのです・・・』
「たまにはこうやって・・・地面に寝転がるのもいいな」
『おちばの・・・べっと・・・きもちい・・・です』
「・・・なぁ、ちなみ?」
『んに?』
「お兄ちゃんの事・・・好きか?」
『そ、そんなわけ・・・ないもん・・・へんなこと・・・いっちゃ・・・めー・・・です』
「そっか・・・」
『で、でも・・・にぃに・・・かのじょ・・・できないから・・・ちなが・・・めんどう・・・みたげる』
「いいの?」
『しょうがない・・・にぃにみたいな・・・だめにんげん・・・ちなだけしか・・・あいてできないから』
「・・・」
なでなで
『うみゅぅ・・・』
「ちなみはさ、俺の事気にしないでいいんだよ?」
『ふぇ?』
「俺はちなみが大人になるまで、ずっと守ってやる。でも、ちなみはちなみだよ」
『えっと・・・?』
「お兄ちゃん以外に好きな人ができたら・・・その人と幸せになれば良いって事」
『そ、そんな・・・にぃには・・・ちなが・・・いなくて・・・へいきなの?』
「そりゃ寂しいさ。でも・・・好きだから、幸せになって欲しい・・・かな?」
『・・・やだもん』
「え?」
『ちな・・・にぃにと・・・いっしょだから・・・たのしいんだもん・・・ほかのひと・・・やだもん』
「ちなみが大人になるまで、沢山の人と出会うんだよ?その中に、お兄ちゃんよりいい人が―」
『いるわけ・・・ないもん・・・ぜったい・・・の・・・ぜったい・・・いないもん』
「・・・」
『ちなが・・・おとなに・・・なったら・・・こんどは・・・ちなが・・・にぃに・・・まもるもん』
「ありがとうな」
なでなで
『ぜったいの・・・ぜったい・・・だもん・・・やくそく・・・するもん』
「でもね、それは・・・今決めるんじゃなくて、大人になってから決めよう?」
『うん・・・わかった・・・です』
「じゃぁ、今日の事は忘れるんだよ?」
『ふぇ・・・?なんで・・・?』
「約束したら守らないといけないだろ?だから、今のはなかった事にして・・・大人になったら約束してよ」
『ちな・・・にぃにとちがって・・・おばか・・・じゃないから・・・わすれないよ?』
「だーめ」
『に、にっき・・・かいても・・・いい?』
「それもダメだ」
『むむ・・・あれもだめ・・・これもだめ・・・にぃには・・・だめだめせいじん・・・です』
「なんだよそりゃ?」
『にぃにこそ・・・ちなが・・・おとなになるまで・・・まってなきゃ・・・めーだよ?』
「それは・・・今約束するよ」
『はぁ・・・にぃには・・・しんよーできない・・・しんぱいなのです』
「ん?彼女できないから、しょうがなく面倒みてくれるんじゃないのか?」
『そ、そうだけど・・・その・・・にぃに・・・えっと・・・』
「どしたの?」
『と、とにかく・・・にぃにの・・・やくそくは・・・ちゃんと・・・まもるですよ?』
「何だ?そんなにお兄ちゃんと一緒にいたいのか?」
『ち、ちがうもん・・・そんなんじゃなくて・・・にぃにが・・・にぃにが・・・』
「はいはい、俺が悪いんだもんな?」
なでなで
『ちなじゃないよ・・・にぃにがだから・・・しょうがなく・・・かんちがい・・・めー・・・だよ?』

目を開けて、ため息をつく。
こんな大事な約束を忘れているなんて・・・。
大事に使っていた日記帳の1ページを空白にしてまで、昔の私が伝えたかった事。
それをやっと思い出すことができた。

『にぃに・・・かいちゃだめって・・・いってた・・・だから・・・ちな・・・かかない・・・です。
 でも・・・ずっとおぼえているように・・・わすれても・・・おもいだせるように・・・ここに・・・
 きもち・・・いっぱい・・・いっぱい・・・こめて・・・とうめいな・・・もじで・・・かくです』

『にぃにと・・・ずっとずっと・・・一緒って・・・約束するもん・・・か』
気持ちを口に出すと、やっぱり恥ずかしい。
誰かに見られている訳でもないけど、なんとなく誤魔化したくて日記を閉じて
机に突っ伏した。
今の私は高校生。大人とは言えないかもしれないけど、子供でもない。
気持ちはずっと変わらない。それどころか、どんどん膨らんで、もう弾けそうなくらい。

だから・・・一緒に幸せを追いかけたい人を決めてもいいよね?

心の中で呟くと、小さな声が聞こえた。
顔を上げる、小さな私がベットに腰掛けて笑っていた。
『もう・・・ずっとまえから・・・きめてた・・・』
『初めて・・・逢った時から・・・ずっと』
『にぃに・・・まってて・・・くれてるといいな』
『約束したから・・・待ってて・・・くれてるよ』
『そうだね・・・あとは・・・ちなが・・・がんばらないと』
『うん・・・私が・・・頑張らないとね』
『ちなが・・・ついてるから・・・だいじょうぶ・・・』
『うん・・・』
小さい私が差し出す手をとると、ニコリと笑ってすぅーと消えた。
その手を握りしてめ、一人決意を固める。

『私・・・もう・・・決めた・・・迷わないから・・・』

その日はもう間もなくやってくる。


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