第五話 「ふたり」

「・・・・・・ここ」
千奈美が指を差したのは、住宅街にある一軒家。
どこにでもありそうな平凡な造りの家だった。
「・・・・・・んと」
千奈美はスカートのポケットをごそごそ探ると鍵を取り出した。短い動作で錠を開けると、再びポケットに鍵を戻す。
「・・・・・・どうぞ」
「はあ・・・・・・失礼しまうわらば!」
『おねーちゃーーーん!!』
半開きだったドアがいきなり凄まじい勢いで開く。もちろん、扉の前にいた俺はモロにその直撃を受けて吹き飛ぶ。
「おかえり、おねーちゃん」
「・・・・・・か、かなみ。帰ってたの?」
「うん!・・・・・・って・・・・・・」
ようやく扉を開けた張本人が俺の存在に気付く。
セーラー服姿で長い髪を頭の両脇で結わいているその少女は、おそらく千奈美が話していた妹だろう。
対して千奈美と歳は離れていないように見えるが、セーラー服が近所の中学校のものであることに俺は気付く。
「・・・・・・誰こいつ」
「・・・・・・こら。失礼、でしょ」
「いてて・・・・・・」
俺は強打した鼻をさすりながら立ち上がる。
「ね・・・・・・もしかして、こいつおねーちゃんの彼氏?」
「・・・・・・ごめん。平気?」
「あまり平気じゃない・・・・・・」
「ねーねー。あんたおねーちゃんの彼氏なの?」
「・・・・・・かなみ」
少し強目の口調で千奈美がかなみの名前を呼ぶ。
「わ・・・・・・わかったよぅ。ごめんなさい」
「い、いや。大丈夫だよ」
あまり大丈夫とは言えない状況だが、とりあえず俺は平静を装い立ち上がった。

[]

「おじゃましまーす・・・・・・」
俺は玄関の敷居をまたぐと、おそるおそる辺りを見回す。
簡素な下駄箱に、まばらに靴が入っている。
全部女物だ。親父さんは仕事・・・・・・かな?
「・・・・・・こっち」
「おやつおやつ〜♪」
千奈美は靴を脱いで綺麗に並べる。対するかなみは、ばらばらのまま脱ぎっぱなしで部屋の奥へ駈けていった。
・・・・・・姉妹とはいえ、性格の違いが如実に出るな。千奈美はかなみの靴も綺麗に揃える。
俺も脱いだ靴を揃えると千奈美に続いて歩く。
リビングルームに、キッチンと部屋が三つほど。この廊下から確認できるのはその程度だ。
「・・・・・・ここ」
一番奥の部屋の前で、千奈美が呟く。扉には「ちなみ」と書かれたプレートが下がっている。
「・・・・・・ちょっと恥ずかしい」
「・・・・・・まあ、ね」
妙な雰囲気。照れ臭いと言うか、何というか・・・・・・
おずおずと扉を開けた千奈美に続いて俺は彼女の部屋に入った。
部屋に入った俺はまず、部屋全体を埋めつくさんばかりのぬいぐるみの数々に目を奪われる。
「こ・・・・・・これは・・・・・・」
そして、ピンクを基調としたカーテンと壁紙。
家具は本棚とベッドとたんす、それに小さいコンポくらいしかない。ちなみにシーツと布団もピンク色だ。
「乙女ちっく・・・・・・」
俺はその言葉を飲み込むことができなかった。

[]

「・・・・・・ごめんね、散らかってる」
「いや、散らかってるっつーか・・・・・・まあいいけど」
というかこのぬいぐるみの数では、片付けても片付けてなくてもたいした代わりはないだろう。
そういえば、妹のためにクレーンゲームをやっていると言っていたが、本当は自分のためなんじゃ・・・・・・
「・・・・・・お茶入れてくる」
千奈美はらぶりーな座布団を俺に勧めると、部屋を出た。
俺は座布団の上に座り一息つく・・・・・・はずであったが、すぐに背後の扉が開く。
「おーいタカシ」
「か、かなみちゃん」
入ってきたのは千奈美でなくかなみ。両手にはお菓子の袋を抱えている。
何時の間にやら呼び捨てにされているが、子供はまあ、こんなものか。
「よいしょっと」
かなみはカエルの形をした座布団を敷き、俺の隣に座る。
「タカシ、いいもの見たくない?」
ポテチの袋を開けつつ、いたずらな表情で、かなみが俺に尋ねる。
「え、何?おもしろいものって」
とりあえず、千奈美が戻るまでかなみの相手をするのもいいだろう。俺は尋ねる。
「へへー♪」
かなみは本棚をごそごそ漁ると、一冊の分厚い本を取り出す。
「何だろ・・・・・・って、アルバム!?」
それは、可愛らしいうさぎのワンポイントを表紙にあしらったアルバムであった。
「ほれ、おねーちゃんが沢山写ってるぞ。嬉しいか?タカシ」
「お・・・・・・おう。でかしたぞかなみちゃん」
俺はかなみからアルバムを受け取ると、それを恐る恐る開いた。

[]

「・・・・・・」
「・・・・・・」
俺とかなみは、しばらくアルバムの写真に見入っていた。
写真は彼女たちの小さい頃のものばかりだ。
だが、俺はそのアルバムの写真に、違和感を覚えた。
「なあ、かなみちゃん」
「なんだ?タカシ」
「いいんちょ・・・・・・いや、お姉ちゃんてこんな顔で笑えるんだな」
「・・・・・・!」
それは恐らく、千奈美の小学生の頃の写真。
まだ園児服のかなみと、ふたりで写っている。
二人は笑っていた。心から、楽しそうに。
千奈美は少しはにかむような笑顔、かなみは歯を見せて元気いっぱいに。
・・・・・・もちろん、俺も千奈美の笑顔は見たことがある。
だが、同じような控えめな笑顔でも、写真のこれと今の千奈美のものとは何かが違う気がした。
「気付いたか、タカシ」
「うーん、うまく言えないけど・・・・・・なんか違うような」
「・・・・・・おまえなら、おねーちゃんを・・・・・・」
「え?なに?」
いきなり、彼女には似合わない真剣な表情を浮かべ、かなみは何かを呟いた。
「・・・・・・お待たせ」
「あ、いいんちょ」
「・・・・・・」
千奈美は、俺の手元にあるものを見つめると、無表情のまま顔を真っ赤にした。
微かに両手に乗せたおぼんがぷるぷるしている。
「・・・・・・か、な、み」
千奈美の、絞りだすような低い声。
「わ、やばっ。さよならー!」
千奈美の変化を見逃さず、かなみは一目散に逃げ出す。
そして部屋には、微妙に気まずい雰囲気のふたりが残った。

[]

「・・・・・・みた?」
「うん・・・・・・まあ」
千奈美は、お盆を小さなテーブルに置くとすぐさまアルバムをひったくり、本棚に戻した。
「・・・・・・忘れて。今すぐ。一秒以内に」
「いやさすがにそれは」
千奈美はよほど恥ずかしかったのか、まだ頬の赤らみが引いていない。
「なあ、いいんちょ。ちょっと聞いていい?」
「・・・・・・やだ」
ぷい、と顔を背け、千奈美は言い放つ。だが、すぐにこちらへ向かい直した。
「・・・・・・ごめん、うそ。いいよ」
「あ、ああ。今日は親御さんとかはいないの?随分家が静かだと思って」
「・・・・・・いないよ」
少し淋しそうな表情で千奈美は呟く。
「もう、ずっと・・・・・・前から」
「へ?」
俺は予想外の言葉に素っ頓狂な声を上げた。
「・・・・・・死んじゃったから。中学の時」
「え・・・・・・あ・・・・・・」
完全にまずい事を聞いてしまった。てっきり仕事か何かだと思ってたのに・・・・・・
「ご、ごめん!」
「・・・・・・気にしないで。もう何年も前、だし」
「う、うん。じゃあ、かなみちゃんとふたりっきりで?」
「・・・・・・うん」
この家で、たったふたりっきりで・・・・・・ずっと暮らしていたのか。
「そっか。いろいろ大変だろ・・・・・・?」
「・・・・・・そうでもないよ」

[]

少しだけ沈黙が訪れる。それ以上、俺は千奈美の両親の事について聞くのをやめた。
あまり個人の事情を詮索するのはマズイ気がしたからだ。
それからは、二人で音楽を聞いたり、かなみの置き去りにしたお菓子を食べたりして過ごした。
千奈美は甘いものが大好きのようだ。
キャンディ、チョコなどなどパクパク食べる。
・・・・・・そういや、いつぞやの手作り弁当もベリースイーティーだったな。
「そんなに甘いものばっか・・・・・・太らない?」
その食べっぷりに、つい俺は禁句を口走ってしまう。
「・・・・・・キミ・・・・・・もぐもぐ・・・・・・失礼」
チョコを頬張ったまま、ぷう、とふくれる千奈美。
・・・・・・か、かわいいな、おい。こんな可愛い表情も出来るのか。
「ごめんな。いいんちょ、スタイルいいもんな。ここは・・・・・・まあそのうちな」
俺は、彼女の平べったい胸をちらりと見て、第二の禁句を呟いてしまう。
「・・・・・・キミは・・・・・・ほんとに失礼だ」
「そうだな・・・・・・ハハ、ごめん」
千奈美は両手を胸元に重ねたまま、うー、と少し唸る。
まったりと、他愛もない会話をしながら時間は過ぎていく。
やがて、陽は落ち、街に静寂と暗闇が訪れた。
「そろそろ、帰るよ」
「・・・・・・うん」
千奈美は、少し淋しそうに呟くと、立ち上がり、俺を玄関まで送り届けてくれた。
「ありがと。今日は楽しかったよ」
「・・・・・・・・・・・・わたしも。あ、これ」
千奈美は手にノートを持っていた。これまた可愛いデザインのノートだ。
ページを開き、素早く何かを書き込み、俺に手渡す。
「・・・・・・なにこれ」
「・・・・・・またね」
千奈美は俺の言葉には答えず、小さく微笑んだまま背を向けたのだった。


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