第六話「きもち」

朝の、まだ人がまばらな教室。
俺が見つめるは、乙女ちっくという言葉以外では表現できそうもないピンク色のノート。
一番最初のページに、走り書きがある。
『キミは、大きい方が好き?』
という文章と、携帯の番号、メールアドレス。
この番号とメアドは千奈美のものだとして、文章の方は一体何のことだかさっぱりわからない。
一昨日、千奈美の家に行った時、手渡されたノート。
「えーと・・・・・・」
俺は必死に思い出す。自宅でも同様のことをしたが、千奈美が何を言いたいのか結局俺にはわからなかった。
しばらくぼうっと考えたまま時間を過ごすと、ぽつぽつとクラスメイトが登校し始める。
・・・・・・やばいやばい。こんなノート持っているのを他の奴に見られたら事だ。俺はカバンの中にノートをしまった。
メールアドレスと番号は既に俺の携帯に登録してある。
・・・・・・そうだ。この謎の走り書きの意味を、後で千奈美にメールで聞いてみよう。どうせ学校じゃ話も聞いてもらえないだろうし・・・・・・
そんなことを考えていると、千奈美が登校してきた。

[]

千奈美は相変わらず、伏し目がちに歩き、誰とも目を合わせずに席についた。
・・・・・・まだ始業まで時間があるな。よし、早速メールいってみるか。
ぽち、ぽち、ぽちと。
『おはよ、いいんちょ。タカシです。メールしてみました』
送信ボタンを押す。すると数十秒後に、千奈美の身体がびくん、と強ばる。
よかった。どうやらマナーモードだったようだ。着メロが鳴り響いたらどうしようかと思っていた。
千奈美は一瞬辺りを見回すと机の影に隠しながら携帯を取り出す。
そして、恐らくメールを確認したのだろう、一瞬だけ俺の方を見た。
「お」
すぐさま、俺の携帯にメールが入る。
『ありがとう メールしてくれて嬉しい』
どうやら狙いは成功したようだ。メールなら、学校でも話が出来る!
『いいんちょ、ノートに書いてあったの、どういう意味?』
早速俺は本題に入る。
『キミがわたしの胸、ちっちゃいって言った・・・・・・』
ああ、それか!確かに言った記憶がある。
冗談で言ったつもりだったが、気にしてたのか・・・・・・
『俺はいいんちょくらいのサイズが好きだぞ』
千奈美の胸は、確かに同年代の女子と比べたら控えめ設定だ。
だが、こう、手のひらの中に納まるサイズというのがちょうどいい大きさだと俺は思っている。
『そう。・・・・・・安心したよ』

[]

同じ場所にいるのに、メールで会話する。
授業が始まった後も、俺たちの奇妙なやり取りは続いた。
いつもはかったるいだけの授業も、信じられないくらいのスピードで過ぎ去った。
そして、本日ラストとなる数学の授業中であった。
相変わらず俺も千奈美も、授業そっちのけでメールを打ち続けている。
・・・・・・と、その時であった。
「・・・・・・では、この問題を。椎名さん」
「・・・・・・」
椎名?・・・・・・って、千奈美じゃねえか!
千奈美はメールに夢中で、教師の指名に気付いていない。
「・・・・・・椎名さん、聞いてますか?」
「・・・・・・!」
二回目の教師の言葉に、千奈美はようやくそれが自分に向けられたものだと気付き、顔を上げた。
「・・・・・・何やってたんですか?聞いてました?」
教師が、ツカツカと千奈美に近づいていく。
やばい・・・・・・この数学教師は、通称「ガサ入れ」と呼ばれる、所謂持ち物検査大好きの奴なのだ。
一応、携帯の所持は校則で禁止されている。今千奈美が机の中を探られたらまずいことに・・・・・・
「椎名さ・・・・・・」
千奈美が静かに立ち上がった。
そして、言葉を失った教師の横を通り過ぎると、黒板まで行き、チョークを手に取る。
・・・・・・早業。黒板にある問題の答えを一瞬で書き込んだ。
一連の動作終了まで、一分とかかっていない。教師は、もうこれ以上千奈美を追求するわけにはいかなくなり、矛を収める。
「・・・・・・き、聞いていたのか。ならいい」

[]

『すげー、いいんちょ』
俺は思わず、称賛の言葉を送る。
『・・・・・・余裕です』
と、このやり取りを終えた直後に鐘が鳴る。
俺は速攻で帰り支度をすると、千奈美の席へ。
「帰ろうぜ、いいんちょ」
「・・・・・・・・・・・・」
だが、千奈美はメールの時のように返事はくれない。静かに教科書をカバンに入れると一人で教室を出ていってしまった。
「はぁ・・・・・・相変わらず、か。ん?」
千奈美が教室を出た直後、俺の携帯にメールが届く。
『待ってる』
「あ・・・・・・」
俺は、メールの返事も打たずに駆け出した。

千奈美は、校門の前にいた。俺の姿を確認した彼女は、何を言うでもなく、俺の隣に並んだ。
「・・・・・・ごめん、嘘ついた」
「な、何が?」
いつだって千奈美の言葉は唐突だ。
「・・・・・・ほんとは、ちょっと焦っちゃった」
「ああ・・・・・・確かにあれは焦るよな。いいんちょの携帯取り上げられたらどうしようかと思ったよ」
「・・・・・・うん」
千奈美はスカートのポケットから携帯を取り出すと、愛おしそうに目を細めた。
「・・・・・・うれしい。これがあれば、学校でもキミと話せる」
「普通に話かけてくれればいいのに」
「・・・・・・だめよ」
千奈美はぎゅ、と携帯を握り締めて呟いた。
「・・・・・・わたし、こんなだから・・・・・・口じゃ、うまく気持ちを伝えられない」
「・・・・・・」
いつもの岐路。二人の別れ道は、いつだってあっという間に訪れる。俺と千奈美は、夕焼けの街並を背に向き合った。

[]

千奈美は、いつものように「またね」とは言わない。
彼女の顔が赤らんで見えるのは、夕日のせいなのか、それとも別の理由からなのか、俺には分からない。
しばらく二人で向き合った。
・・・・・・と、俺の携帯がバイブする。メールの着信だ。
・・・・・・なんだよこんな時に。俺は携帯を開ける。そこには―――

『・・・・・・キスして』

・・・・・・もちろんメールの相手は千奈美。
「い、いいんちょ・・・・・・」
もはや、夕日のせいだという言い訳は通用しない。千奈美は耳まで赤くして目線を斜めに落としていた。
・・・・・・口じゃ、うまく気持ちを伝えられない・・・・・・
千奈美の言葉がリフレインする。
俺は、ゆっくりと千奈美の頬に手を添えた。
千奈美の熱が俺に伝わる。ここからでも鼓動が聞こえそうな程の・・・・・・

時が止まったような気がした。
二人の影が重なる。
「・・・・・・」
しばらくの沈黙の後、千奈美がいつもより少しはっきりとした口調で言った。
「好きよ・・・・・・キミのこと」
「あ・・・・・・う、うん」
「・・・・・・またね」
別れた千奈美の姿が夕日の光の中に消えても、俺はまだそこを動けずにいた。


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