・ツンデレが男と会うのを規制されたら その5

――奈菜…………
 何か言おうとしても、頭の中がぐちゃぐちゃで、言葉が出て来ない。すると、奈菜が、
更に追い討ちを掛けて来た。
「……かなみは……どうなの……?」
 冷静な口調で、奈菜はあたしに答えを求めてくる。表情の無い顔で。だけど、視線だけ
は、まるであたしを詰るように、責めてくる。
「あたし……どうっ……て……?」
 奈菜の質問が、脳の中を回る。
――あたしは……タカシの事……タカシの……事…………
 思うだけで、胸が痛くて、苦しくて、会えない事がこんなにも辛くて、他の女の子と仲
良くしているのが憎たらしくてたまらない。
 答えは分かってる。なのに……何かが邪魔をして、出て来ない。
「……私は……たっくんが好き…… だから……いずれは……ちゃんと、告白して……付
き合いたいと思ってる……」
「奈菜!?」
 先を越されて、私は思わず、悲鳴に似た声で妹の名前を叫んだ。
――やめて。ううん。やめた方がいい。タカシなんかより、もっといい男が奈菜にはいる
はず。付き合ってなんて言ったら、絶対調子に乗るから。
 頭の中で、必死であたしは考えた。何と言って奈菜を思い止まらせよう。だけど、だけ
ど、どれも決定打にはなりえなかった。奈菜の性格はよく知っているから。真面目で、頑
固で、固い信念があって、なかなか人の意見を聞かなくて、正しいと思ったら、どこまで
も追い求めて。
「……反対するの? だって……かなみは……いつだって……たっくんの事なんて……ど
うでもいいって、言い続けてきたのに?」
 またしても、機先を制される。しかも、的確に、あたしの弱いところを突いて。奈菜の
表情は、相変わらず厳しい。もはや、あたしは完全に守勢に回っていた。
「……認めればいいのよ。かなみも……たっくんの事が好きだって。そして……堂々と、
言えばいいじゃない。取らないでって」
2
 奈菜の言葉が、ナイフのようにあたしの心を抉る。心の底に秘めていた事が、次から次
へと穿り出されている。全ては、奈菜にとっては明らかなのに、あたしはまだ、それを埋
め戻したかった。
「あた……あたしは……タカシの事……が……」
 この期に及んでも、まだ、あたしは口に出せないでいる。“好き”っていう一言が。奈菜
は、あんなのあっさりと、口に出して堂々と宣戦布告しているのに、受けて立つあたしは、
何の備えも出来ていない。悔しくて悲しくて、涙が溢れ出てきた。
「……かなみ…… ズルイのは……かなみの方だから」
 今度は、はっきりと、敵意のこもった口調だった。
 奈菜が、足を止めてあたしの方を向く。あたしはそれに引き戻されるように足を止めて、
奈菜の方に向き直る。
 奈菜の顔は……もはや、冷静ではなかった。表情は変わらない。なのに、はっきりと、
あたしを非難している事が感じられる。
「かなみだって……本当は、たっくんの事……好きなくせに。いつもいつも……自分の言
葉でごまかして。逃げてばかりいて……それなのに……何でもかんでも、持っていって……
ズルイ……」
 激情を込めて、奈菜が怒りを吐き出す。それをまともに受けてしまい、あたしは呆然と
奈菜を見つめることしか出来なかった。
――何? あたしが持っていったって……何を? わかんない……わかんないよ……
 しかし、続く奈菜の言葉が、あたしの疑問を軽く吹き飛ばした。
「……いつだって、そうだったもの…… 私が、たまにたっくんと二人きりの時だって……
いつの間にか、かなみがいて……そして、いつの間にか、私は会話の隅に追いやられてい
たもの。今だって……そう…… たっくんが話ししてると……いつの間にか……かなみが
出てきてるの。かなみは……いなくたって……私の邪魔して……」
 もはや、奈菜も感情を抑えようとはしていなかった。あの、奈菜が、全身で怒りを露に
している。顔は、いつのまにか涙で濡れていた。
「……かなみは、私のこと……卑怯だって思ってるでしょ……? 自分が声掛けられない
時を狙って、私が……たっくんを掠め取ろうとしてるって……」
3
――――!!!!
 あたしは、ドキリとした。
「そんな……そんな事……」
 うわ言の様な言葉が、口から微かに漏れる。
――違う!! そんな事……そこまで考えた事なんて……だけど、だけど……あたしは……
 この数日の事が、フラッシュバックする。いきなりタカシに接近し出した奈菜を見て、
あたしはずっと嫉妬していた。あたしがタカシの傍に寄れない隙をついて、ちゃっかりそ
のポジションに付いていた奈菜に。
――どうして、奈菜ってば……こんなに……あたしの事が分かるんだろう…… 双子だか
らって……あたしは、奈菜の事なんて……少しも分かってなかったのに……
「……あるんでしょ? はっきり……言って……?」
 奈菜が、しつこく追求してくる。しかし、あたしは何とも答えられなかった。
――確かに……思ってたのかも……ずっと…… だけど、言えない……そんな事言ったら
……あたしのタカシを横から取るなって言うようなものだし……
 もう、奈菜には全部バレているのに、この期に及んでも、あたしは奈菜のように吐き出
せなかった。
 奈菜は、諦めたように小さくため息をついた。そして、目を擦って涙を払い、もう一度、
あたしをジッと見つめて、小さな声で、しかしはっきりと告げた。
「……私ね……今度の日曜……たっくんと、デートするの」
――え?
 衝撃が、あたしに走った。
「ウソ…… デートって…… タカシは、何て言ってたの……?」
 焦って、あたしは奈菜を問い詰める。奈菜は落ち着きを取り戻して、淡々と答えた。
「……たっくんが、週末は予定ないって言ってたから……誘ったの。どこか……遊びに行
こうって。もちろん……オーケーしてくれたわ」
 絶望感が、私の心を満たした。
「タカシが……そうなんだ…… オッケー……したんだ……?」
4
 あたしが、タカシとしゃべる事が出来ないでいるうちに、奈菜は着々と、恋愛のプロセ
スを進めている。行きも帰りも一緒で、お昼も一緒に食べて、デートの約束までして。焦
りと恐怖が、あたしを支配する。
――ズルイ……あたしが、声も掛けられない隙に……
 ずっと、心の中に抱き続けていて、奈菜に指摘までされて、今ようやく、はっきりと思
った。いや。それだけじゃない。僅かな時間で、ここまで事を進められる奈菜そのものが
ズルイと思った。
「……ショック……だった……?」
 奈菜の言葉に、あたしは俯き加減だった顔を上げる。こういう所も、奈菜のズルイとこ
ろだ。あたしの気持ちを読んで、機先を制して自分から言って、あたしを何も言えなくし
てしまう。それが分かっていてなお、やはりあたしは、素直にうんとは言えなかった。
「あ……あたしは……別にそんな事……あんな奴がどうだって……」
 違う。こんな事言いたいんじゃないのに。タカシが好きだって言いたいのに。奈菜に取
らないでって言いたいのに。なのに、奈菜の言葉への反発から、あたしはこんな事ばかり
言ってしまう。自分が、情けなくて悔しい。
 顔を逸らしたあたしに、奈菜の怒りの声が耳朶を叩く。
「かなみ!!」
 奈菜の声に、あたしは反射的に引き戻されるように、奈菜を見つめ直した。その顔は、
またも怒りで歪んでいる。
「自分の心で……ちゃんとしゃべってよ…… たっくんが私とデートするなんて嫌だって、
はっきり言えばいいじゃない。私の事が憎たらしかったら……そう言えばいいじゃない。
どうして……逃げてばかりいるのよ……」
 奈菜の口から、非難の言葉が次から次へと飛び出して来る。ここまで言われても――い
や、言われ続ければ続けるほど、あたしは言うべき言葉を失っていた。
――奈菜……アンタは……強いよ……
 奈菜の言うとおりだと思う。自分の本当の想いから逃げてばっかりで、何一つ、タカシ
に伝えようとしなくて、だから、奈菜から責められても、何一つ言えないでいる。
――あたしが悪いんだ……全部……全部……
5
 でも、もう取り返せない。約束を破ってタカシと話をすれば、何とかなるかもしれない。
けど、何て言えばいい? あたしの口から、奈菜と付き合わないでって言うの? タカシ
の事が好きだからって? そんな事言えない。言える訳がない。言えたら、こんな苦労な
んてしてないもの。
 その時、奈菜の口から、とうとう止めの一言が出た。
「…………私……デートの時に……たっくんに……告白するつもり……だから……」
 その言葉に、全身がビクッと震えた。恐る恐る、奈菜を見つめる。奈菜の顔は、当たり
前だけど真剣そのものだ。
「……やめて欲しい?」
 挑戦的な奈菜の言葉に、あたしの身体がもう一度、ピクンと反応した。必死で頭の中で
答えを探す。やめてなんて言える権利は、あたしにはない。だけど、何とか思いとどまっ
て欲しかった。せめて、今週だけは。
 必死で探した挙句、ようやく言えた答えは、何ともしまりの無いものだった。
「そ……そんな…… だって、まだ、一週間も経ってないじゃない。それなのに、もう告
白なんて……ちょっと、早すぎじゃない? 奈菜がタカシの事好きなのは良く分かったけ
ど……アイツの事なんて、まだ全然見えてないだろうし……だから、その……」
 奈菜が、真剣な表情であたしをジッと睨みつける。その視線を、あたしは受け止める事
が出来なかった。
――分かってるわよ。どうせ……また、逃げたって思ってるんでしょうけど……だけど、
言えないんだもの…………
「……十年よ」
 奈菜の言葉に、あたしはハッと顔を上げた。
「え……?」
 思わず、驚きの声が漏れる。奈菜は落ち着き払った様子で、あたしをジッと見つめて、
言葉を続けた。
「たっくんを好きだって気付いて、十年…… 幼馴染なのは、かなみだけじゃない。私も、
ずっとたっくんを見てきたもの」
 その言葉に、あたしは驚きを込めて奈菜を見つめた。
――十年? 十年って言ったら……小学校一年の時……タカシと……初めて会った年じゃ
ない……?
6
「……そうなんだ……奈菜……気付かなかった……」
 素直に、あたしは驚きを口にした。奈菜はずっと、あたしの後ろにいて、タカシともあ
まり話さなかったから、てっきり男の子としゃべるのは苦手だとばかり思っていたのに。
あたしが恋を意識するずっと前から、奈菜がタカシの事を好きだったなんて思いも寄らな
かった。
「……でしょうね。かなみは……自分の事しか……見てなかったから。十年間……私は、
ずっと……規制され続けてきたの。かなみは……まだ、たったの四日だけど…… そして、
私には……自由な時間は……一週間しかないの……」
 詰るような奈菜の言葉に、あたしは反射的に言い訳を口にした。
「そんな!! あたし、別にアンタに何も、そんな事してないじゃない!! 奈菜の邪魔
なんて……」
――それだけは違う。言いがかりだ。
 あたしは、確信を持って思った。奈菜がタカシとしゃべるのを邪魔した事なんて無い。
いや。一度や二度はあったかも知れないけど、露骨に邪魔する意図なんてなかった。
 しかし、奈菜はゆっくりと首を横に振った。
「……聞いてなかったの? かなみにその気が無くても……私達の間に入ってくるだけで
……邪魔し続けてたのよ……」
――あたしが、タカシと奈菜の間に割って入ってたって……?
 思い起こせば、確かにそういう事はあったと思う。あたしとタカシは何でもお互いにポ
ンポンと言い合うから、奈菜が会話から置き去りになることも、無かったとは言えなくも
ない。
――だけど……知らなかったもの。奈菜が、ずっとその事を不快に思っていたなんて……
 いつも、奈菜は、一歩下がって、控えめに笑っていたから……
「だから……今だけは……邪魔しないで。私は……出来る事だったら……何だってするつ
もりよ」
 決意を込めた、奈菜の言葉が響く。しかし、その言葉に、あたしは激しく首を左右に振った。
――違う!! 違う違う違う!! やっぱり違う!! あたしは、邪魔なんてしてな
い!! それは……奈菜自身のせいだ。あたしがタカシに素直になれなかったのと同じよ
うに、奈菜だって勇気が出せなかっただけだ。
7
 初めてあたしは、決然と奈菜を見返した。
「やっぱり……そんなの、ズルイじゃない!! いくら、奈菜の事をあたしが邪魔したか
らって、奈菜はタカシに話しかけられなかったわけじゃない!! あたしを押しのけよう
と思えば、いくらだって出来たでしょ? あたしが手も足も出ない間に告白しようだなん
て……」
 奈菜も、真剣な表情であたしを見つめる。あたしよりも優しげで大人びたその顔が、今
日はいつになく厳しい。
 そして、返って来た答えは、その表情以上に厳しかった。
「……それを言うなら、かなみにはいくらでも時間があったじゃない。今になって……卑
怯だから、対等な立場になるまで……待ってって? そんなの……虫が良すぎる……」
「だって……それは、そんなの……」
 言い訳を言おうとして、あたしは口ごもってしまった。奈菜の言う事は、さっきから全
部正しい。ごまかして、嘘を付いて、逃げてきた結果がこれなのだ。
 奈菜が、唐突に体の向きを変えた。そして、顔だけをあたしの方に向けると、もはや何
も言い返せなくなったあたしに、最後通牒を突き付けてきた。
「……とにかく……私にとっては……神様のくれたチャンスだと思ってるから……頑張る、
つもり。恨みっこは……無しよ。選ぶのは……たっくんなんだから……」
――選ぶのは……タカシ……
 奈菜の言葉が、残響となって心に響く。
――そうだ。奈菜がいくら好きだって言っても……タカシ次第なのだ。タカシが、奈菜を
選ばなければ……或いは……
 しかし、あたしはすぐに思い直す。
――無理よ、そんなの…… 悪口ばっかりで、捻くれてて、愛情表現の一つも示さない女
と、可愛くて、素直で、好きだって言ってくれる女の子と、どっちを選ぶかなんていった
ら……後の子の方を選ぶに決まってる。例え、最初はほんの少し、あたしに気が合ったと
しても、自分の事を好きだっていう子がいれば、そっちを選ぶだろう。
 状況は、極めて絶望的だった。そして、それに対してあたしは、打つべき手は何も無かった。
「……さ。もう……帰ろ……」
8
 奈菜の声に、あたしは奈菜の顔を見返した。さっきまでの決然とした厳しい表情は、も
うどこにもない。いつもの、穏やかな顔がそこにあった。
――何で……? 何で……そんな顔が……出来るのよ……
 恐らくは、奈菜のケジメだったんだとあたしは理解した。自分でも、ズルイやり方だと
分かっているから、今、ここでこうして全部自分の抱えた事を吐き出して、全部あたしに
ぶつけたんだろう。もう、奈菜には、前しか見えていないのだろう。タカシに告白する事しか。
――ズルイよ……奈菜……
 心の中で、あたしは呟いた。
――勝手に、自分の想いをぶつけて……あたしの心を、曝け出すだけ曝け出しておいて……
自分だけ、スッキリするなんて……
 重い心を抱えたまま、あたしはしばらくの間、その場に立ち尽くしていた。
 自分の愚かしさを、ひたすら後悔し続けて。


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