ツンデレと海(その7)
・ ツンデレに今日楽しかった?って聞いたら

「ふう……」
 午後の日差しが照りつける中、私は一人、テトラポッドに腰を掛け、沖合いに浮かぶ 船を眺めていた。
「ここは……静かでいいな……」
 ポツリ、と独り言を言って、私はうーん、と伸びをした。
 午後になって、何となく自由行動っぽくなった隙に、私は一人、浮き輪を付けて岸から
離れたところにあるテトラポッドの島に泳いで来た。
 念のために言っておくけど、私は別に金づちじゃない。ただ、数百メートル先の小島ま
で泳ぐとなると、体力的に心配な私としては途中で力尽きてしまいかねないので、どうし
ても浮き輪に頼らざるを得ない。
――やっぱり……一人の方が……落ち着くな……
 普段、余り友達と遊ぶ事も少ないせいか、こうやって一日みんなと過ごすと、どうして
も気疲れしてしまう。それはそれで楽しいのだけれど、やっぱりこうして、一人でポツン
としている方が私には合っているのかも知れない。
――今日は……いろいろあったなあ……
 今日の出来事をいろいろと思い返してみた。まだちょっと思い出に浸るのは早いけど、
こうしていると何だか、随分と過去のようにも感じられる。別府君の前で、恥ずかしい思
いも一杯してしまったけれど、一日傍にいられて、楽しそうに話しかけてくれて――私は、
ほんの少ししか言葉を返せなかったけど、それでもいつもよりずっとたくさんお話が出来
た。何だか、夢のようですらある。
「暑っ……」
 午後の日差しが容赦なく私を照らす。比較的、日陰を選んだはずなんだけど、少し角度
が変わったのだろうか?
「大丈夫かな……? 焼けたり……しないよね?」
 自分の肌を眺めつつ、私は小さく独り言を言った。ここには日焼け止めを持ってきていないので、もう手の施しようもない。
――それに……塗ってくれる人もいないし……
 フッ、とあの時の事を思い出した。私の素肌に触れる彼の優しい手。背中を撫で回した
時のゾクゾクするような、あの感覚……

 ブンブンブン、と激しく頭を振って私は妄想を追い払った。こんな事を考えていると、
柄にも無く、どんどんエッチな方向に考えが及んでしまいそうで怖かったから。
 そう言えば、あの時は散々彼に言ったような気がする。
「結構……酷い事、言っちゃったな……」
――だけど、あれは、その……別府君がからかうから……そ、そう。別に私が悪い訳じゃ
   ないんだし……
 一生懸命頭の中で自己弁護を繰り返す。うん。大丈夫。反省しなくちゃいけないことだ
けど、でも、彼は優しいからきっと怒ってない。だって、その後も笑顔で別府君は話しか
けてくれたし、だから多分、嫌われた、なんてことはないと思う。
 そんな事を考えながらぼんやりと海を眺めていると、疲れもあってか、だんだんとまぶ
たが重くなってきた。
「いけない……こんな所で寝たら……」
 そうは思うが、全身が眠気で何となくだるくなる。近くで遊ぶ子供達の騒ぐ声も、頭の
中で、遠くなったり近くなったりする。
「水に入って……眠気を…………取らない……と……」
 そこで、プツッ、と私の意識は途絶えてしまった。

「…………んちょ…………ぃんちょう……」
――何だろう? 遠くで誰かが呼ぶ声がする。聞いただけで、胸がときめいてしまうよう
な、そんな声を持っていた人なんていただろうか……?
「……しもーし…… ぉーい……」
――ぅうん。いる…… 一人だけ……けれど、彼が声を掛けてくれる訳……ない……これ
は、夢の中……だから……きっと……
「委員長、委員長ってば」
 突然、私の意識が目覚め、私はゆっくりと目を開いた。そして、最初に目に飛び込んで
きたのが、優しそうな彼の笑顔。
「ひゃっ…………!!」
 飛び出しそうになった悲鳴を、喉の奥で押し殺す。
――あれ? ここはどこだっけ……? 何で、別府君が……目の前に……?
「おはよう。委員長」

 そう言って、別府君は笑いかけた。
 私は、ガバッと身を起こした。キョロキョロと辺りを見回す。テトラポッドの積んであ
る島の周りを青いとはお世辞にも言えない海が囲む。そして、その先には海水浴客の群が
る岸辺。
――そっか……ここは海で……うん、みんなで遊びに来てて……確か私は、一人になりた
   くて……で、その……この小島に来て……で、そっか……日光浴してたらうっかりうたた
   寝しちゃって……で、別府君が……別府君?
「べっ……別府君!?」
 そこで私は、はっきりと目が覚めた。目の前の彼は、いかにも愉快そうな笑顔で私の事
を見下ろしていた。
「そうだよ。やっと目が覚めた?」
 私は即座に膝を抱えてうずくまる姿勢を取った。不可抗力とはいえ、こんな恥ずかしい
格好のままで別府君に寝姿を見られるなんて、はっきり言って一生の不覚である。
「な……何で? どうしてここにいるの? いつからここに?」
 矢継ぎ早に質問する私に、彼は困ったような表情を浮かべた。
「そんな、畳み掛けるように聞かれても困るんだけどな」
 しかし私も、質問した以上、もはや後には引けない。上目遣いに睨みつけるような視線
を彼に向けると、恥ずかしさを押し殺そうと少し強気な口調でもう一度要求する。
「い……いいから、全部答えてくれる? その、一つずつでもいいから」
 頑固な私の態度に、彼は諦めたように鼻を鳴らしてため息をついた。
「分かったよ。じゃあ、いつ来たかって言ったら、ほんの今さっきだよ。ここに着いて委
員長を探したら、こんな所で寝てたから声を掛けて起こした。ただそれだけだって」
 むーっ、と私はジッと別府君を見つめた。気になる事は幾つもあったが、取り合えず話
の内容に嘘はないものと信じることにする。
「じゃあ、どうしてここに? それと、どうして私がここにいるって分かったの?」
「あれ? だってフミちゃんが言ってたぜ? 委員長がテトラポッドのところまで行くっ
 て言ってたって。で、ちょっと早めに上がってみんなでカキ氷でも食べようって事になっ
 たから呼びに来たんだけど」

 そう言えば、一応心配しないようにって、言付けしておいた事を私は、今更になって思
い出した。大体の事情は把握したが、それにしても何で別府君が一人で呼びに来るんだろ
うかと、私は疑問に思った。しかし、ほぼ同時に友田さんの顔が浮かぶ。どうせ彼女が上
手いこと言いくるめて別府君が一人で私を探しに来るように仕向けたに決まっている。
 私は、うんざりした気持ちで小さく呟いた。
「ホント……おせっかいなんだから……」
「え? 何か言った?」
 別府君に聞き返されて私はギクッ、と体を強張らせた。聞こえないような物凄い小さな
声で言ったはずなのに、何で聞き取れたんだろうかと不思議に思う。思ったより、声が大
きかったんだろうか?
 とにかく、追求されては困るので、私は慌ててそれを否定しつつ、別の話題にすり替えた。
「なっ……何でもない、気にしないで。それより、その……もしかして、結構迷惑掛け
 ちゃったかな? その……みんなに……」
「そうか? ちゃんとどこ行くかも言ってあったし、心配掛けた訳じゃないから気にする
 ことないと思うんだけどな」
「そ……そっか。なら、いいんだけど……」
 ホッとして私は答えた。けれど、安心したのは、みんなに迷惑が掛かってたかどうかと
いうことより、別府君が私の言葉にそれ以上追求してこなかったからなのだが。
 しかし、その後で別府君は、付け足すようにこう言った。
「あ、でも俺個人としては、ちょっと気にしてくれた方が嬉しいかも」
「え……?」
 その言葉に、私は少し不安になる。冗談めかして彼は言ったけど、本当は何か私のせい
で迷惑な事があったのだろうか? それを知るのは怖かったけど、私は勇気を出して聞いてみた。
「あ、あの……私何か……別府君に悪い事、しちゃったかな?」
「悪い事、じゃないけどな。けど、結構大変だったんだぜ、ここまで来るの。疲れちゃってさあ」
 笑顔で言いながら、彼はだるそうに肩を回してみせた。
「あ……」
 言葉に詰まって私は俯いた。

――そ、そっか……そう、だよね……やっぱ…… わ、私って鈍い……一番迷惑が掛かっ
   たのって、別府君だってのは、ちょっと考えればすぐに分かるのに…… なのに、私って
   自分の事しか考えないから……
 謝るべきか。お礼を言うべきか。頭の中で、何と言おうか、一生懸命言葉をひねり出そ
うとする。
――『ごめんなさい。迷惑掛けちゃって』かな? で、でもそうすると、別府君、却って
   気にするかも。意地悪な事も言うけど、本当は優しいから気を使わせちゃ悪いし。それと
   も『ありがとう』って、素直に言った方がいいのかな? で、でもそれもいきなりっての
   も何かおかしいかも……
「あー、いいよいいよ。委員長」
 彼は慌てて私に言った。
「そんなに気にする事無いって。ちょっと言ってみたくなっただけだから。つかさ、そん
 なに気にされると逆に恐縮しちまうって」
 私があれこれ気にしている事を察して、彼は優しい言葉を掛けてくれる。それが少し嬉
しかったけど、私は俯きながら小さく首を振った。
「でも……その、い、一応……迷惑掛けちゃったし……」
「いいって。それに、十分な役得もあったしさ」
 私は顔を上げた。
「や……役得? そんなの……何かあったの?」
 私の質問に、彼はちょっと照れたように笑って答えた。
「委員長の寝顔が見れたこと」
 その言葉に、恥ずかしさが一気に込み上げてきてボルテージを越えた。
「バ……バカッ……!」
 一言小さく別府君を罵ると、私はプイッと横を向いた。隣で別府君が軽く笑い声をあげ
ている。人がせっかく心配したというのに、何か損した気分だと私は思った。
 と、その時急にハッと私は気づいた。
――そういえば、私……どのくらい、別府君の前で寝こけていたんだろ……
   気づいた途端、急に不安がせり上がって来る。

――別府君はすぐ起こしてくれたって言ってたし、嘘じゃないと思うけど……もし、起こ
   すのに苦労したり、とか……もしかして、恥ずかしい寝言なんて聞かれたりしてたら……
 考えれば考えるほど、不安は増すばかりだ。解決策は一つ。本人に聞く事しかない。し
かし、臆病な私にそんな勇気が出せるとは思えなかった。
「バカって事はないだろ? ホントの事を正直に言っただけなのにさ」
 別府君は口を尖らせて文句を言った。その言葉に、私も咄嗟にさっきの不安を忘れ、文
句を言い返した。
「嘘。どうせからかってるだけでしょ? 知ってるんだから」
「んなことないって。俺は冗談じゃそんな事言わねーよ。可愛いは真実だから」
「うう……」
 何でこんな恥ずかしい事を臆面もなく口に出せるのか、私には分からなかった。彼が私
の事を本気で可愛いと思ってくれてるなんて信じられない。けれど、これ以上争えば争う
だけ、私が不利になるのは目に見えている。反論することで辛うじて押さえ込んではいる
けど、可愛いと言われる度に心が蕩けそうになるのだから。
「どう? 信じる気になった?」
 別府君が問い掛ける。私はそれに首を振った。
「ううん。けれど……もういい。どうせいくら言ったって私の言うことなんて聞いてくれ
ないし。そんなことより、別府君。一つ……聞いていい?」
「え? 別にいいけど……何?」
 今のやり取りで緊張が解れたのか、私はさっきの疑問を意外とあっさり口にした。
「わ……私、その……別府君が来てから……どのくらい寝てたの……?」
 私の質問に、別府君は少し戸惑いを見せた。急に話を変えたのだから当然かもしれない。
少したってから、彼が答えた。
「知りたい?」
 そしてまた、悪戯っぽくニヤッと笑う。
「知りたいから、その……聞いてるんでしょ? 溜めを作らないで。お願いだから」
 私の苛立ちを感じ取ったのか、別府君はすぐに済まなさそうに謝った。
「ゴメンゴメン。いや。声掛けたらすぐに起きたし。そんなに起こすのに苦労はいらなかっ
 たからさ。心配することないよ」

「そ……そっか……」
 少し私はホッとした。あんまりみっともない醜態をさらした訳じゃないと分かって。と、
そう油断隙に別府君がボソッと付け足した。
「あ……でも……」
「なになに? 何かあったの?」
 思わず身を乗り出して問い掛ける私に、別府君は慌てて首を振った。
「あー、いやいや。別に委員長がどうとか言う訳じゃないからさ」
「じゃ、じゃあ……何? 出来ればその……思わせぶりな言い方は勘弁して欲しいんだけ
ど」
 勢い込んで聞いてしまったことが恥ずかしくて、それを隠す為に私は少し大げさに、
不満をあらわにして聞いた。
「わりぃ。そん時、ちょっと起こすのもったいなかったな、って思っただけで」
「!!!!! ウ……ウソ…… ま……また、そんな、変な事言って……」
 ヤバイ。自分で言うのも何だけれど、本気でヤバイ。別府君の顔をまともに見ることが
出来ない。呼吸が苦しい。そんな事を好きな人から言われるなんて、意識がどこかに飛ん
でしまいそう。自分でそれを否定することで、辛うじて私は踏み止まる事が出来た。
 けれど、別府君はゆっくりと首を横に振る。
「ホントだよ。穏やかそうな寝顔でさ。ほっぺたとか柔らかそうで、思わずプニプニして
 みたくなったし」
「も、もしかして、そのっ!! ほっ、本当はやったとか……ないでしょうね……?」
 むくむくと妄想が湧き上がる。私の前にかがみ込んだ彼が、指で優しく頬を突付く姿を……
 ダ……ダメだ。私は、冷静さを保つ事が、もう出来そうになかった。声が掠れ、上ずり、
裏返ってしまう。彼の顔をまともに見る事は出来なかったが、不思議そうにこっちを見て
いるだろうことは想像に難くない。
 しかし、彼はそこで急に声色を変えた。それまでの穏やかな優しそうな声から、不審と
不満の入り混じった声で、彼は言った。
「委員長さ。俺の事……信頼してないだろ?」

 ドクン
 急に大きく心臓が一打ち、鳴った。
――怒った?
 スーッと、私の心は不安で満たされ、それまでの恥ずかしさや嬉しさといった気持ちを
どこかに押しやってしまう。自分の考え無しの言葉が彼を傷つけたのだろうか? 非常に
気まずい思いがして、私は視線を下に落とした。
 その途端。
「ばっ!!」
 と、別府君が急に舌を出して、私の視界いっぱいに顔を出した。
「きゃあっ!!!!」
 私は驚きの余り、後ろに体を仰け反らせた。その瞬間、後頭部がテトラポッドにガチン、
と音を立ててぶち当たった。
「いたっっっっっ!!!!! たたたた……あうぅ…………」
「お、おい!! 委員長。大丈夫か?」
 心配そうに私を見る彼を、私は睨み付けた。
「だ、大丈夫じゃないわよ…… 大体、その……別府君が悪いのよ。いきなり驚かせるから……」
 後頭部をさすってみる。大した事は無さそうだが、こぶになったら嫌だなあ、と思った。
「いや、ゴメン。だ、だってさ、こんなに驚くとは思わなかったし……」
「どうしていつもいつも、こうやって、悪ふざけばかりするのよ…… ホントにもう……」
 不満をあらわにする私に、何故か別府君の方が口を尖らせた。
「そんなにしてないって。っても、委員長にそういう事するのが俺と千佳くらいだからそ
 う感じるんだろうけどさ」
 友田さんのは悪ふざけじゃ済まされないこともあるけど、と私は心の中で付け足した。
「けど、委員長だって悪いんだぜ?」
「なっ!? 何で、わ……私が悪いのよ。イタズラするのは別府君なのに」
 さすがにそれはいくら別府君の言葉とはいえ、認める事は出来ない。本気で抗議する私
を面白そうに見つめつつ、別府君は自信たっぷりに言い返した。
「つか、悪い……ってのはアレだけど。何つーか、委員長ってしっかりしてるようで、結
 構隙があってさ。何となく弄りたくなっちゃうっつーか……」
 そう言って、ちょっとだけ彼は笑った。その笑顔にほだされて私の怒りが急速に萎む。

「そっ……そんなの……それは、その……別府君がへっ、変な事言ったりするからじゃない!!」
「褒めるのは変な事じゃないと思うんだぜ。なのに、いっつも文句言われるからさー 俺、
 別にからかったりして言ってる訳じゃないのに」
 グッ、と私は言葉に詰まった。
――それは、その……否定しておかないと、私の理性が崩壊するというか……だって、その、
   さっきみたいに真顔で可愛いとか言われてそれを信じちゃったら、そのまま胸になだ
   れ込みそうで、だけどそんな事、死ぬほど恥ずかしい訳で、だからそんなって、かっ……
   からかってないとか……また言われちゃって……ううううう……
 頭の中が大混乱に陥った私がようやく出した結論は、完敗だった。これ以上、ここにい
て……こんな話を続けてもどんどん自分の心の内側が露呈して行くだけだ。名残惜しい気
持ちはあったが、私はこの時間を断ち切ることに決めた。
「も……もう帰ろう。みんな待ってるんでしょ?」
 そう彼に告げると、返事も待たずに私は立ち上がりかけた。
 その時。
「ちょっと待って」
 彼の言葉に私の動きが止まる。と、突然彼の手が私の手を掴み、そして引っ張ったのだった。


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