・ お嬢様な妹がメイドに挑戦してみたら その14
・ 買い物編 その1


『お……終わりましたわよ……』
 ゼーハーと荒い息を付きながら、私は壁に手を付き、前屈みのまま睨むように兄を見つめた。
「やれば出来るじゃねーか。全く、最初から意地張らずに瑛子と二人でやってれば、こん
な時間掛けずに済んだのによ」
『べ……別に、瑛子などいなくても……平気ですわよ……このくらい……』
 と、強がりを言ったが、実際には自分一人では恐らく、半日がかりだっただろう。腐っ
てもメイドである。まあ、あれでも手際は悪い方だというのだから、他のメイド達がいか
にスゴイか、私は少し感心する想いがした。今度、美衣がきちんと掃除してくれた時には
ねぎらいの言葉でも掛けてあげよう。
『ええーっ!! 半分以上は私がやったんじゃないですかぁ。確かに理奈ちゃんは頑張り
ましたけど、でもそれは、私の力あっての事だと思います』
 胸を張って瑛子が主張した。どうしてこう、瑛子はいちいち人の言葉に水を差すのだろ
うか、と私は苦々しく思って睨み付けた。うん。何があっても、瑛子にねぎらいの言葉な
ど掛けてやるまい。
「分かった分かった。二人ともお疲れ様。まあ、理奈は初めてにしては良くやったよ」
『本当ですか? おに……』
 兄に褒められ、思わず喜びの声を上げようとして、私は慌てて言葉を切った。このよう
な事で嬉しがっていると思われてはいけない。
『コホン。べ……別に褒められるほどの事ではありませんわ。わたくしだって女ですもの。
家事の一つや二つ、こなせて当然ですわ』
 しかし、完全に表情までは消す事が出来なかったのか、瑛子が私の顔を覗き込むように
見ると、クスクスと面白そうに笑った。
『あ〜、理奈ちゃん。無理してますね?』
『やかましいですわっ!!』
 思わず彼女の方を向いて、ムキになって怒鳴り返してしまった。そして、その事にハッ
と気付き、慌てて取り繕おうと澄ました顔を作る。
『べ……別に、無理などしておりませんわ。当たり前の事を当たり前と言っただけです。
わたくしをからかって面白がるのもいい加減になさい』


 ピシャリと言うが、どうも瑛子には私の言葉は全然効果が無いらしく、面白がる様子が
一向に消えて無くならない。私にはまだ、兄ほどの威厳は無いのだろうか? メイドに舐
められっぱなしというのは問題である。反省の材料にしなければ。
 瑛子はそれから兄の方を向き、躊躇うようなおずおずとした表情で、声のトーンを落と
して兄に話しかけた。
『あの……貴志様』
「何だ? 瑛子」
『私には、お褒めの言葉は頂けないんですかぁ? 妹君ばかり褒められて……あーいや、
そのぉ……それは分かるんですけど、私も頑張ったんですしちょっとくらい……』
「ある訳ねーだろ。むしろ本当はお前の仕事じゃねーか。当たり前の事だろ?」
『あうううう……たまにはいいじゃありませんか……グスッ……』
 いじける瑛子を見て、内心で私はいい気味だと思った。メイドの分際で兄に媚など売ろ
うとするからだ。カワイ子ぶってしなを作ったのに兄にあっさりと拒否されて、余計に情
けなく見える。
 うん。お兄様は私だけを褒めてくださったのだ。私だけを。
 その事実に、私は興奮した。過度な期待はすまいと思っても、自然と喜びに体が震えてくる。
――何をこんな事くらいで……わたくしと瑛子では格が違うというもの。兄がわたくしだ
けを褒めて下さるのは当然の事ですわ……
 ドキドキする胸を押さえ、私は自分にその事を言い聞かせた。
「よし。じゃあ、瑛子。道具の片付けはお前がやっとけ。理奈。そろそろ出掛けるぞ」
 兄の言葉に、ハッと私は我に返る。
『分かりましたわ、お兄様。では、支度してまいりますので、しばしお待ちいただけませんこと?』
「5分で済ませろ。その間に俺は車を準備してくるから」
 5分で? 私は一瞬耳を疑った。
『お兄様。何を馬鹿な事を。5分でなんて支度できる訳ないでしょう? お兄様のように身
だしなみを気にされない人とは違うんですのよ』
「何でだ? 手を洗って、服装をちょっとチェックすればそれで済むだろ? 化粧だって
そんなに乱れてないし、時間掛ける事なんてないだろ?」
『お兄様、まさかこの格好で行けとおっしゃるのではないですわよね?』
 不安に思って聞いてみると、兄はいかにも当たり前の様子で頷いた。

「メイドなんだから、その格好が仕事着だろ? まさかお前、いつものように着飾って出
掛ける気じゃねーだろうな?」
『冗談じゃありませんわ。このような格好では逆に目立って仕方ないではありませんの。
わたくしは、このようなコスプレ衣装さながらの格好で出掛けて世間の男の視線を集める
気など、毛頭ありませんわよ。それとも、お兄様の御趣味なのですの? 変態』
 一気に文句をまくし立てると、兄は呆れたように額を指で押さえた。すると横から、瑛
子が自信満々な顔でこう言ってきた。
『大丈夫です。一応この街では、別府家のメイドはこの格好で出掛けているので、街の人
もみんな、見慣れているから誰も変には思わないという設定になってます。あ、一部マニ
アの方にハァハァされることはありますが、気にしなければ大丈夫です』
『設定とは何ですの? 設定とは』
『えーっとぉ…… そこは詳しく突っ込まないでくださいよぉ』
 全く、訳の分からないことばかり言って。このバカメイドは。とにかく、この格好で出
掛けなければならないのは、どうやら確定のようで私はかなりがっかりした。この間購入
したばかりの春物を、せっかくのお兄様とのデートで着れると思ったのに。メイド服では
アピールのしようもないではないか。
「とにかく、準備するならさっさとして来い。でないと、掃除が終わったばかりのその格
好のままで外に連れ出すぞ」
『分かりましたわよ。5分で支度すれば宜しいのでしょう』
 つっけんどんに私は返事をした。
――全く、お兄様と来たら……わたくしがどんなにこのお出かけを楽しみにしているのか、
全くお分かりにならないのですね……
 車の準備をしにガレージへと向かう兄の背に、私は小さくため息をつくのだった。

 私は美衣を呼びつけると、すぐに髪に櫛を入れ、服装と化粧をチェックさせた。
『どうかしら? おかしいところはありません?』
『大丈夫ですよ。それにしても、理奈様はメイド服も良く似合うんですね。正直、嫉妬し
ちゃいます』
『余計なお世辞はいりません。聞かれたことだけに答えれば宜しいのよ、貴女は』
『はい。申し訳ありません』

 反省の様子など微塵も見せずに、ニッコリと笑って美衣は謝罪した。しかし、そういう
様子から察するに、彼女は見たままの感想をそのまま口にしたのだろうと思い、私は少し
気を良くした。
『それでは出かけますわ。お兄様ったら5分などと無理難題を…… わたくしが恥をかい
たらどう責任を取るおつもりなのかしら』
『あ、ちょっとお待ちください』
 玄関へ向かおうとすると、美衣が慌てて私を呼び止めた。
『何ですの? 無茶な要求とはいえ、今日のお兄様はわたくしの主人ですもの。時間を守
らない訳にはいきませんわ』
 すると、美衣はいつの間にか手に私のお気に入りのストールの一つを手に持ち、はい、
と差し出した。
『まだ外はお寒いですから、これを羽織ってください。理奈様のストールの中で、メイド
服に似合いそうなものをピックアップして来ました』
 私は無言でストールを受け取ると、肩に掛けた。すると、何も言わずに美衣が傍に寄っ
てくると、形を綺麗に整え直してくれる。
『はい。これで、十分お美しく見えますよ。理奈様』
『わたくしが着ける衣装ですもの。当然ですわ』
 そう言いつつも、私は内心で美衣の振る舞いに感心してしまった。今まで当たり前のよ
うに美衣と接していたのでそれが普通だと思っていたが、瑛子と見比べてみると、彼女の
気遣いが良く分かった。うん。メイドたるものああでなくては。料理でもお掃除でも、今
一つ兄を喜ばせる事は出来なかったが、まだ挽回のチャンスはある。うん、頑張ろうと私
は心に誓うのだった。

「遅いぞ理奈。一分の遅刻だ」
 玄関で壁に背をもたれさせていた兄が、時計を眺めて言った。
『むっ。仕方ないではありませんの。女性の支度を5分で済ませろなどと言うお兄様がそ
もそも無茶なのですわ』
 そう反論すると、兄はジロリと睨みつけただけで何も言わなかったが、横から瑛子がそ
っと口を挟んでくる。

『ダメですよ、理奈ちゃん。貴志様の仰る事は、お付のメイドにとっては絶対なのですか
ら、多少無茶な要求でもキチンとそれに応えなければ否はこっちにあるんですよぉ』
『そんな事分かってますわ。ただ、その……つい地が出ただけですわよっ!!』
『それと、外では絶対にご主人様とお呼びする事。朝も注意したのに、全然守れてないん
ですもん』
 瑛子の注意に、私はブスッとした顔で押し黙った。確かに、部屋を掃除するはずがエッ
チな本探しに精を出してしまい、そこから何かがおかしくなったような気がする。けれど、
瑛子相手に素直にはいと言うのは私のプライドが許さなかった。
『それじゃあ、これをお願いします』
 瑛子は大きめの革の財布を取り出すと、私に差し出した。
『何ですの? これは』
『冗談言わないでくださいよぉ。これがお財布以外の何に見えるって言うんですかぁ?』
 間の抜けた声で瑛子が答えてくるのが、何かバカにされているようで物凄く癪に障った。
『そのくらいわたくしでもわかりますわよっ!! どうしてわたくしがこのような物をも
たなければならないのか聞いているのです』
『だって、当然、今日の支払いは全部、理奈ちゃんがやらないとダメじゃないですか。今
まで、お買い物に行かれた時に自分でお支払いした事ってあります?』
 言われてみれば確かに、私も買い物のときは大抵美衣が付き添っていたし、支払いも全
部彼女に任せていた。それに確か、彼女もメイド服で同行していたはずだ。普段見慣れて
いるメイドの行為も、いざ自分がやるとなるとちっとも思い出せないものだな、と我なが
ら少し呆れてしまう。
『……い、言われなくても、わたくしの為すべきことくらい分かっております。瑛子ごと
きに指示される事ではありませんわ』
『ならいいですけどぉ……』
 瑛子は不安そうに呟いた。
『と、とにかく。貴女ごときに心配されるわたくしではありませんわ。その足りない頭で
よく覚えておきなさい』
『足りない頭って……ひど過ぎですよぉ……』
 ブツブツと文句を言う瑛子はもう放っておいて、私は兄の方に近寄った。
『お待たせ致しました。ご主人様。さあ。さっさと参りましょう』

「ったく……お前って奴は、いつも何でこんなに時間が掛かるんだか…… まあいい。いくぞ」
 兄はポケットから車のキーを出した。そして玄関前に回した車の方へと歩いていく。そ
の車を見て私は驚愕した。
『何ですのっ!! このオンボロ車は』
 いかにもハリウッドの60年代の映画に出てきそうな旧型の青い車を前にして私は叫んだ。
普段は父のベンツでしか移動しない私なだけに、このような車は予想だにしていなかった。
「オンボロ言うな。キチンとレストアしてあるから新品同様、キチンと走るわ」
 ムッとした顔で兄がこっちを見て文句を言った。すると瑛子がコソッと私の傍に近寄っ
てきて耳打ちする。
『タカシ様はアメリカの旧車マニアなんですよ。他にも3台ほどお車をお持ちですし、中
でもこのシボレーカマロは一番のお気に入りなんです。ボロいとかちゃんと走るんですか
これとかスクラップ同然じゃないですかとか言ったら怒られますよ』
「聞こえてるぞ。瑛子」
 兄の鋭い言葉にギクッ、と瑛子が背筋を伸ばす。
『いいい、イヤですよ貴志様。そんな、今のは一例であって私が心に思ってることなんか
じゃありませんてば。誓ってそうですって』
「まあ、普段お前がどう思ってるのか、良く分かったぜ。しっかり記憶しとくからよ」
 兄に睨みつけられて、瑛子は身を竦ませて私に縋った。
『ですから今のはあくまで話の流れですからぁ…… 理奈ちゃんからも何か言ってくださいよ』
 しかし私は瑛子を振り払うと、毅然とした顔で言った。
『良いではありませんの。ボロはボロですもの。別に瑛子は間違った事を言った訳ではあ
りませんわ』
『ちょっとぉ……それ、フォローになってませんてばぁ……』
 横で瑛子が慌てた声を出す。
「ったく……二人して、俺の愛車に言いたい放題言いやがって……」
 苦虫を噛み潰したような顔で兄が文句を言った。しかし、文句を言いたいのはこっちも
同じである。せっかくの兄との素敵なドライブも、こんな車では喜びが半減してしまう。
『もっと他に良い車はありませんの? 国産でももう少しマシな車はあるでしょうに』
「ねーよ。つか、俺がこの車で出掛けたいんだ。文句言うなら別に付いて来なくたってい
いんだぞ」

 私の抗議に、兄は即答で返した。車が古いのは不満だが、置いていかれては不満どころ
では済まない。私はため息を付いた。
『全く……しょうがありませんわ。今日はわたくしがメイドですし、仕方ありませんから
ご主人様のわがままに付き合って差し上げます』
 私の答えに、兄はまだ何か言いたそうな雰囲気ではあったが、何も言わずクルリと車の
方に向き直った。
「乗れ。時間がもったいない。行くぞ」
 ぶっきらぼうにそう言うと、兄は車のドアを開け、乗り込んだ。
『ちょ、ちょっと。ご主人様!! お待ち下さいってば!!』
 私は慌てて反対側に回り込むと、旧式の車のドアを開け、乗り込んだ。それを確認して
から兄がキーを捻る。ドルルルンとエンジンが唸った。
『あううううう……行ってらっしゃいませ。早めのお帰り、お待ちしていますねぇ……』
 寂しそうな瑛子を後に残して、兄は車を発進させた。


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