・お嬢な妹がメイドに挑戦してみたら その6
・兄に料理を作ってあげたら色々欠点を指摘された挙句、兄に料理を習う羽目になったツンデレ(その3)

 厨房に入ると、兄はエプロンを付けて姿を現した。何と言うか、兄のこういう家庭的な姿を見るのも初めてで新鮮である。もし、二人だけで一緒に暮らせたら、毎日こうやって二人でお料理を、などとつい妄想してしまったりもする。
「よし。準備はいいか。じゃあ、先に野菜の皮むきからだな」
 じゃがいも、にんじん、キャベツ、玉ねぎなどをゴロゴロとキッチンに出してくる。
「ほれ、やってみ」
 そう言いながら、兄は私に見慣れない器具を手渡そうとした。
『これは……何ですの?』
「何って、皮むき器だろ? もしかして、知らなかったのか?」
 驚いたような兄の口調に、私は自分の無知さ加減をバカにされたような気になり、咄嗟に反論した。
『し……知らないわけではありませんわ!! ただその……わ、わたくしは手抜きが嫌いなだけです』
「別に手抜きじゃなくて普通に使うだろ? ていうか、お前、全部包丁使ったのか。どうりで、さっきのポテトサラダに皮が一杯残っていたと思ったら」
『頑張って剥きましたわよ!! ただ、どうしてもデコボコしてますので……』
「分かった分かった。ちょっと使って見せるから、ちゃんと見てろよな」
 そう言うと、兄は手際よくじゃがいもの皮を剥いていく。その姿をボケーッと見とれているうちに、見る間にじゃがいもは丸裸にされた。
「ほれ。キレイに剥けるだろ? じゃあ自分でやってみ?」
 兄に手渡されて、私は見よう見まねで皮を剥き始めた。
「気をつけろよ。ちゃんと手で持ってないとじゃがいもを落とすし、あと剥く方向に指とかがあると、怪我するかもしれんぞ」
『わたくしはそんな粗忽ではありません!! 言われなくともそんな事くらい分かっております』
 とその時、ふと気が付いたように兄が私の手元をジッと見つめた。
『な……何ですの?』
「ちょっと、手、見せてみろ」
 そう言うと、兄は私の返事も待たずに私の左手首を掴み、自分の方に近づけた。
『なっ!! ななななな……何をなさいますの!?』

 思いもかけぬ兄の行動に、私の心臓が急に高まり始めた。顔が急に火照ってくる。
「やっぱり……絆創膏だらけじゃねーか。包丁か?」
 私は急に恥ずかしくなって縮こまると、小さく無言で頷いた。努力の跡を見られるのがイヤで密かに隠していたのだが、今になってすっかり忘れていたのを思い出した。
「全く、素人がロクに使い方も知らずに包丁を握るからだぞ」
『ご……ご主人様だって、その……素人じゃありませんの。人の事言えませんわ』
「俺は素人だから、普段はちゃんとコック長に教わってるから。お前と違って我を張ったりはしないし」
 そうストレートに言われると返す言葉も無くて私が黙ってると、兄は私の手からじゃがいもを取り、手を丹念に見て傷をあらためた。
『止めてください。その……人の手を……ジロジロと、み、見ないで……』
 体の熱が徐々に高まってくる。私は恥ずかしさで少し身を悶えさせた。
「うん。まあ、深い傷は無くて良かったな。全部血は止まってるみたいだし」
 そして、私にじゃがいもを返しながら兄は一言付け加えた。
「まあ、その……頑張ってくれた気持ちは嬉しいけどよ。あんま無茶すんなよ」
――嬉しい? 嬉しいって言ってくれた? お兄様が……
 ようやく聞けたその言葉に、私は小躍りしたいほどハッピーな気分になった。気を良くしてじゃがいもの皮むきに取り掛かろうとしたところで、兄がいきなり制止する。
「ちょっと待った。気をつけろって言ったろ。それじゃあ下手したら親指を傷つけるぞ」
『う……うるさいですわ。それくらい分かっております』
 慌てて持ち方を変える。こういう時、いつも思うのだがどうして自分は素直にハイ、と従えないのだろう。しかし、気付いた時はいつも言ってしまった後だ。それにしても、皮剥き器を使うとこうも簡単に出来てしまうものだろうか。一体、包丁片手に奮闘したあの20分は一体なんだったのだろう?
『ご主人様。剥き上がりましたわ……』
「まだ。芽を取ってないだろ」
『芽? 芽ですの?』
 私が聞き返すと、兄は唖然とした顔で聞き返した。
「おま……まさか、じゃがいもは芽を取るってコト、知らなかったのか?」
『あ、当たり前のように言わないでくださる? 初めてなんですから、仕方ないでしょう』

 ちょっと逆切れ気味に言うと、兄はちょっとため息をつき、それからいやいやと首を振った。
「あのなあ…… いや、そうだな。じゃがいもってのはな。芽に毒があんの。だから料理では必ず取らなきゃならないんだ。まあ、知らなかったんだから確かにしょうがないけど、これは覚えとけよ」
 さすがの私もこれには返す言葉が無かった。兄に美味しい朝食を提供しようと頑張ったつもりなのに、まさか毒入りの朝食を出してしまっていたとは。万が一、そんな事で兄が倒れたりしたらどうやって責任を取ればいいのだろう。そう考えたとき、頭の中でまたも妄想が湧き上がる。

〜以下、妄想中〜
 「うう……腹いてぇ……」
 『お兄様……いえ。ご主人様。申し訳ありませんわ。まさか、こんな事になるなんて……』
 「全くだ。まあ、お前もわざとじゃないんだし……うう……」
 『かくなる上はわたくし、責任を持ってご主人様の看病をさせて頂きますわ。理奈に出来ることでしたら、何なりとお申し付けくださいませ』
 「じゃあ、とりあえず薬を取ってくれ。体を起こす気力が出ない」
 『分かりましたわ。理奈が……ご、ご主人様にお薬を飲ませて差し上げます』
 「頼む。ってお前が飲んでどうするんだ」
 『ほひゅひんふぁま…… りっろふぃふぇふぇ……』(ご主人様…… じっとしてて……)
 「ちょ、ちょっと待て。お前なんで顔近づけて――ふむっ!?」
  ジュブ……ジュッ!!
 『ふぁ……む……』

――こんな事ですとか……

 『どうなさいましたの? ご主人様』
 「ああ。何かその、寒気が……」
 『いけませんわ。でしたら、理奈が暖めて差し上げますから、少しあちらを向いていてくださいませ』
 「は? よく分からんが……こうか?」
 『ええ。そのまま待っていらして……』
 シュル……
 『そ……それでは、その……失礼致しますわ』
 「ちょっと待て!! 何でお前がベッドに入ってくるんだ!?」
 『こっちを向かないで!! その……見られるのは、は……恥ずかしいですわ…… それでは、し、失礼して……』
 ギュウッ…… 
 「うわっ!! 待て待て待て!! いい、いきなり抱きつくとはその……どっ、どういう事だ?」
 『だって……さ、寒いのでしょう? ですから、その……理奈がこうして……かっ……体で……暖めて差し上げますわ……』

〜妄想ここまで〜

――こんな事になってしまっていたとしたら……どどど、どうしましょう。その時はわたくしの身も心もお兄様に捧げるしか……
「まあ、じゃがいもの毒なんて大量摂取しなきゃなんてこと無いんだが……って理奈? おい。どうした?」
 兄の言葉に私はハッと現実に立ち返った。慌てて、恥ずかしい妄想を頭の片隅に押しやると、取り繕おうとグッと胸を張ってみせる。

『な、何ですの、ご主人様』
「何をボケーッとしてるんだよ。俺の話、ちゃんと聞いてたか?」
『もちろんですわ。それが何か致しまして?』
「本当かよ。目の焦点が合ってなかったぞ?」
 一瞬私は、グッと言葉に詰まるが、ここは引く訳には行かずに押し通すしかない。
『そ、そんな事ありませんわよ。大体、人の顔をいちいちそこまで見ないで貰えません?気持ち悪いですわ』
 本当は、そこまで見られていたのかと思うと恥ずかしくてならなかったのだが。
「別にジロジロ見なくても、誰だって気付くって。それに、話をする時は人の目を見ろって教わらなかったか?」
『うう…… ああ言えばこう言いますのね。ご主人様は屁理屈を言わせたら天才ですわ』
「いや。理奈には敵わんよ」
『どういう意味ですのっ!! わたくしはい、一度も屁理屈など言った覚えはありませんわっ!!』
 図星をブスリと刺されて、私は思わず怒鳴ってしまった。
「わかったわかった。理奈は屁理屈なんて言ってないって事にしておこう」
 たしなめるように言われて私はむしろムキになって言葉を続ける。
『しておこうってどういうことですの? 全く信じておりませんのね。全く、失礼な話ですわっ!!』
「それはともかく、ほれ。芽の取り方を教えるから、それ終わったら今度は包丁な」
 私の怒りの矛先をかわして兄はじゃがいもの方をあごでしゃくって指した。まだまだ失礼な兄に言いたい事はあったが、このままではいつまで経っても料理が出来ないため、私は仕方なしに作業に戻る。これもまた手際の良い兄の方法を見習ったらあっという間に終わってしまった。

「ほれ。俺の言う事聞けば、綺麗に剥けるだろ?」
『フン。このくらいコツさえ掴めばどうという事はありませんわ』
「で、次はどうするんだ?」
『つ、次ですの? ええと……ええと……湯を沸かして……』
「おせえよ。そういうのは一番先にやっておくもんだろ? ほれ。今回は特別に俺が用意してやったから」
 よく見ると、気付かないうちに既にコンロには鍋に火が掛かっていて、グツグツと沸騰している。
『ふん。こ、この程度の事で偉そうにしないで欲しいものですわ』
 恥を隠そうとわざと強がると、兄にあっさりと反撃された。
「この程度の事も出来ないお前に言われたくないがな」
 そう言われると返す言葉も無く、私はバツの悪い顔をして黙り込むしかなかった。
「ほれ。次は野菜を刻むぞ。じゃがいもが茹で上がるまでにサラダとスープに入れる野菜を全部切っちまうからな」
 さっき皮を剥いた人参にきゅうりや玉ねぎ、キャベツなどをゴロゴロと兄はキッチンに並べた。
『こ……これを全部切るんですの?』
 気の遠くなるような思いで聞くと、兄はさも当然と言った感じで頷いた。
「簡単なことだ。よく見てろよ」
 兄はきゅうりを手に取ると、見事な手さばきでスライスしていく。その鮮やかさに私は思わず惚れ惚れと見とれてしまう。
「どうだ。簡単だろ?」
 兄にそう聞かれ、私はちょっと戸惑ったが、つい頷いてしまった。
『え……ええ。これくらい、わ、私に掛かれば、造作も無い事ですわ』
 ついついそう答えてしまったが、自信はまるで無かった。
「よし。じゃあやってみ?」
 兄に包丁の柄を差し出されて、私は恐る恐るそれを受け取った。さっき自分で切った時は、と思い返すと、あまりにも適当だった気がする。
『え、ええ。それじゃあ、始めますわよ』
 包丁を構えた瞬間、兄から鋭く制止が掛かる。

「ちょっと待った」
『きゃんっ!?』
 緊張していた矢先に声を掛けられたので、私はビックリして小さく悲鳴を上げてしまった。
「お? 今の叫び声、ちょっと可愛かったぞ」
 ニヤニヤして兄がそんな事を言うので、私は思わず顔を赤らめてしまった。
『か……可愛いとか言わないで貰えませんこと? 気持ち悪いですわ。それに、急に声を掛けるなんて、失礼にも程があります!!』
「だって、いかにも危なっかしそうな持ち方してるし。それじゃあ手が傷ついても仕方ないぞ」
『で、でも持ち方と言っても……これで普通でしょう? どうすれば宜しいんですの?』
「まずは左手の押さえ方。こう指先を丸めてだな。こういう風に包丁を当てるんだよ」
 兄は手で形を作って手本を示した。私は言われたとおりに指先の形は作ってみたが、頭の中でイメージが湧かず、まごまごしてしまう。と、その様子をジーッと見つめていた兄がポツリと呟いた。
「お前って、意外と不器用なんだな」
『なっ!? 何を言っておりますのよ。わたくしのせいではありませんわ。ご、ご主人様の、その……教え方が悪いのですわ』
 悔し紛れに兄のせいにすると、兄は小さくため息をついた。
「ちょっと、キッチンの前に立って構えてみ?」
 そう言われて私はちょっと戸惑ったが、言われたとおりにキッチンの前に立った。
「力を抜けよ」
 すぐ背後から兄の声が聞こえる。えっ?と、私が思う間もなく、兄は後ろから私の左手首を掴んだ。


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