―プロローグ―

12月24日、午後11時。
「う〜…つっかれた〜ぁっ!」そう言いつつ伸びをしながら棗 那由多が事務所へと足を踏み入れた。
そう、ここは数週間前新しく小鳥遊町に完成した、彼女が店長を勤めるレストランの事務所だった。
「お疲れ様」自らも疲労の色が色濃く残る顔に微笑を浮かべ、労いの言葉をかけるのは。
那由多の双子の姉妹であり、この店のマネージャーである棗 京だった。
「とりあえず…前半戦終了、かぁ…」デスクに座り人心地ついたのか、小さく息をはく那由多。
「そうだね。明日で全てが決まる。コレでボク達が勝てば、那由多の望みは叶うわけだ」
「予定の上だったとは言え、勝負への持ち込み方は少々強引だったけれど」苦笑する京。
「強引だろうがなんだろうが。結果的に巧くコトを運べたんだから良いじゃない」
「それに…勝つに決まってるわよ。勝たなきゃいけないのよ」那由多は自分に言い聞かせる様に、悲壮感すら漂う真摯な顔で呟く。
「そうだね。コレで君が勝てば晴れて『Bird Nest』は閉店」
「ごく自然に君の店に行く当てなど無い文を引き入れる事が出来る」
「またずっと一緒に居られるようになる。そうすれば…彼に今度こそ自分の方に振り向いてもらえるかもしれない」
「ばっ…何言ってんのよ!?あの店を潰すのは、ライバル店を潰してこの町に進出するって言う、上の決定だからであって―」
「那由多」慌てたように言い訳じみた台詞をまくし立てる那由多を京はその一言で遮った。
「ボクから文が今『Bird Nest』と言う店で店長をやっている』という情報を聞いた君はこの町に来たがった」
「だからボクは上の人間にこの町に進出する企画を出し、この町にボク等を派遣するよう仕向けさせた」
「那由多の気持ちを汲み取ったからこそここまでしたのに、それはちょっと無いんじゃないかなぁ?」
「ここには誰も居ない。素直になりなよ那由多。ボク達の間で、隠し事はナシだろう?」
「う゛…分かったわよ。言えば…いいんでしょ」

「そりゃあ好きか嫌いかって言われれば好きだわよ…ああ分かったからそんな目で見ないでよ」
「今でも…好きで好きで好きでたまらないわよ、大好きに決まってるじゃない。嫌いだから別れたわけじゃ、ないもん」
またあの腕で抱かれたい。あの胸に顔をうずめて思いっきり甘えたい。
何度、そんな事を夢想し、切なさに胸を締め付けられたことか。
裏切られても、自分を見てくれなくても、優しくしか、されなくても。
それでも、彼を。山田 文と言う男を好きでいるのを止める事が、出来ない。
「見てるだけで、近くに居るだけで吸い込まれそうになっちゃうのよ。…キス、したくなっちゃうのよ」
「だから…また一緒にいたい。…今度こそ、アタシを見てもらいたい」言い終わる頃には、那由多の顔は耳まで真っ赤になっていた。
「よくいえました」愉しそうに笑いながら、京。
「ブッ飛ばすわよ…と言いたい所だけど。もし、私だけだったらここまで出来なかったと思うし。有難うね、京」
「ここまでお膳立てしてくれた事も。…あの時文が誰を見ていたかを教えてくれた事も」
「アタシ、あのままだったらずっと、あの六華って女の代替品のままだったもの」
「感謝してもらう程の事でもないよ。ボク達は姉妹なんだ。この位の助力、当然だろう?」
「こんな言い方もなんだけど、そう言うと思った。それじゃ私はもう帰るけど、京はどうするの?」
「もうちょっとだけ仕事が残っているからね。それを片付けたら帰るさ。20分もかからないだろうね」
「そう。明日はいよいよクリスマス本番。今日と明日の結果で勝負は決まるわ。頑張りましょう」
そう言い残し、那由多は事務所から出て行った。
「ふふ…ハハ…アハハハハッ」彼女の気配が完全に消えるのを確認した京は、乾いた笑い声を上げる。
そんな彼女の様子は、どこか壊れていて、悲しげで。そして寂しそうに見えた。
「隠し事はナシ、か」そして京は力無く溜息を吐き、独白を始める。
「なんとも心にも無い台詞を吐いたなぁ。ボクが言えた台詞じゃないのに」
「…ゴメンよ、哀れな哀れなオルタナティブ。もう少しボクの掌の上で踊っていてくれ」
「悪い女だな、ボクは。でも一番悪いのは、文なんだからね―」
京のその言葉は、彼女の想いと同じく誰の元にも届く事は無かった。

第21話「The Longest Time 〜決戦のクリスマス〜」

「どうもな…まいったね…こりゃあ」僕、山田 文は溜息をつきつつ、ぼやいた。
今日は12月25日、クリスマス。
この冬一番と言っていい書入れ時。
それだけではなく、24・25日の売り上げ金額は、文字通りこの店の命運を握っているといっても過言じゃなかった。
もし売り上げ金額が那由多の店のそれに負けたら、この店をたたまなければならないのだから。
だというのに。なんて言ったらいいのだろう。
皆どこかそわそわしているというか、落ち着きが無い。
地に足が着いていないというか、心ここに在らずというか。
まあ僕ももし勝ったら―勝たなきゃならないのだけど―六華に告白しようと決意している手前、そう言う所が無いわけではないけど。
何度も言うが今日はこの店の命運がかかっている日なわけで。
こんな調子では困るんだ。負けは許されないこの状況。可能な限りベストな状態で望みたいから。
ま、こうしてても仕方ない。ここは店長である僕が何とかしてみますか。
「みんな、ちょっと来てくれ」僕は手を軽く叩き、少し大きな声で皆に呼びかけた。
少ない人数だけあって、集合にはそう時間はかからなかった。
「…どうしたんですか?業務連絡なら先程の朝礼で行ったはずですが」
最初に口を開いたのは、以外にもこの店のチーフウェイトレスである草薙 凛だった。
だがそのシニカルな口調も、今日は鋭さが無く、精彩を書いていた。
剛に聞く所によると今夜、長年会っていなかった知り合いの所へ行くのだとか。
それはとても大切な人で、だから緊張し意識がそちらに行ってしまっているのかな?
とは考えるもののそれはあくまで推測であって。僕が聞く筋合いのモノでもない。
第一仕事には何も関係は無いわけだし、彼女には剛が居るのだから。
「ん。ちょっと、皆に言いたい事が出来てね」僕はそんな思いを表に出す事無く、淡々と答えた。

「なんだか知らないけど、さっさと言いなさいよ。こっちはまだ色々とやる事があるんだし」
口を尖らせるのは、例によってウチのシェフである六道 六華だ。
いつもの事なので、大して堪えはしないけど。というか真っ先に何か言うと思っていたくらいだった。
「六道六華君、今僕は友人としての『山田文』ではなく此処の店長として発言している」
「そう言う口の聞き方も、許可なく口を挟む事も、許すわけにはいかない」
「な、なによぅ。今更そんな事」確かに何を今更、と言うのは僕も分かっているのだけれど。言うべき時には言っておかないと。
「今更だろうがなんだろうが。僕がここの店長で君は従業員。嫌でも従って貰うよ」
「まあ、あれだ。僕が言いたいのは『黙って僕の話を聞け。意見反論はその後幾らでも聞いてやる』ってコト。いいかな?」
「ぐ、今日は嫌に強気じゃない…。仕方ないわね。黙っててやるわよ」拗ねたように軽く頬を膨らませ視線を逸らす六華。
そんな様子の彼女を可愛いな、とは思うものの口には出さない。
「強気なアイツも良いかもーなんて思ってたりして…あわわスンマセン黙ってるッス」
茶化そうとしたウチのもう1人のウェイトレスである七々名 奈那だったが、僕と六華が睨みつけた事によって慌てて謝り口を閉ざした。
「さて、と。僕が君達に言いたい事って言うのは。君達の今日の仕事の様子の事なんだ」
「どこか気もそぞろで集中力が欠けていたりボーっとしていたり。困るんだよ、そういうことでは」
僕の物言いに5人から険悪なオーラと反感が僅かに篭った視線が僕に注がれる。
「何か事情があるのかもしれない。昨日も激務だったわけだし、疲れも溜まっているのかもしれないけれど」
「正直、店の側からして見ればそんな事は関係ないし知ったこっちゃない」
「此処の従業員である以上。余程の事でもない限りは、他の何よりも優先して此処の仕事に当たってもらいたい」
「今日那由多の店との勝負に勝たなければ、この店はなくなる。どんな悩み事やあったとしても、それを考える事すら出来なくなる」
「だから。今日の仕事が終わった後に待っている”あらゆる全て”は今日、業務を全うし勝負にきっちり勝ってから考えて欲しい」

「君達のお陰で、今この店がこうしてこういう形で在り続けている。それに甘え続けている様で悪いとは思ってる…でも」
「もう少しだけ、もう少しだけ…この店を守るために、力を貸してくれ」
「僕の言いたい事は…以上だ」そう、僕は締めくくった。
僕の言葉に、皆が僕の方を見る。少しは僕の言葉が皆の心に届いたのだろうか?
「そんな…ブン…」呆然とした面持ちで、六華。
「六華、少し言いすぎだったかもしれない、でも僕は―」
「ブンが…ブンが店長っぽい事を言ってる…っ!!!!!?」
「ツッコミどころはそこなのか!?っていうか感嘆符をそこまでつける程驚く事!?」
「し、信じられません…!」
「そこのチーフウェイトレス!この世の終わりを迎えてしまったような顔をしない!」
「ああダメっすよ自分。居眠りなんかしちゃぁ…。今日は大事な日なんスから。あれ、おかしいッスね…つねったホッペが痛いっス」
「夢じゃないから!つねって痛いのは当たり前だから!というか夢としか思えないくらい在り得ないの!?」
「あー疲れてんだな俺…聞こえもしない声が聞こえらぁ」
「幻聴じゃないよ!?ちゃんと現実世界で僕が発した声だからね!?」
「文…大丈夫だ、安心しろ」
「剛…うう、持つべきモノは親友だなぁ…」
「お前はちょっと疲れているだけだ。とりあえず俺達がしばらくは何とかできる。だから少し休め」
「疲れて気が触れたワケでもないから!っていうか君だけは信じてたのにー!」
プラトーンの名シーンよろしく天を仰ぎ、嘆く僕。
そうだった…現実は何時だって自分が思っているより、少々厳しいものだったんだよな…。
そんな当たり前の事を今更ながらに再確認する僕だった。

「はぁ…久しぶりに気合入れたのに…」
「らしくない事するからよ。ブンはブンらしくゆるーいヘタレでいりゃいいのよ」
「ひどいや…皆もそんな力いっぱい揃って頷かないでくれよぅ…」
「まあ、私達も少し…少しよ?”らしく”なかったけど、さ」
「それよりもっ!アンタは私達にばっかり言ってるけど自分はどーなのよ!?私達にばっか働かせる気?」
「え?あ、いや僕も頑張るよ!?だけど、さ」
「今僕がこの会社にどれだけ貢献してるかと言われると…正直大した事ないと思うんだよね」
「仮に僕が居なくなっても剛が業務を引き継げば問題無いし。他の誰が居なくてもこの店は成り立たないけど」
「僕が居なくても、この店はどうにかやっていけるって言うか…有体に言えば変わりは幾らでもいると思うんだよね」
「なぁに言ってんのよ。アンタね…昔っからそうだけど、自分の事過小評価しすぎなのよ」
「いい?今この瞬間この形でこの店が在るのはアンタが皆を集めたりして、この店を守り続けたからでしょーが」
「私達を繋ぎとめてるのはアンタの存在なのよ?それに」
「店長なんて無駄に責任重大でとかく面倒な仕事、アンタ以外に任せられるワケないでしょ!」
「だから…その、えっとね」六華は照れくさそうに頬を掻き僕から目を逸らし、さらに続ける。
「少しくらい、自信もってもバチは当たらないんじゃないのって、そーゆーことよ」
「六華…」
「あーもう!恥ずかしいコト言わせんなっての!それじゃあ皆!?」
「今日は正念場!絶対あのムッカつく那由多とか言う女をギャフン!って言わせてやるからね!」
「ギャフン、って古」ポツリ、と凛。
「黙んなさい!でもね、そんなに頑張り過ぎないで、ゆるーくちょーどいい感じにやりゃあいいのよ。このバカ店長みたいに、ね」
「私達は私達のやり方で、勝ってやりましょう。それじゃ…ブン!」
「うん、分かった。…それじゃ皆、行こうか」
僕の言葉に皆は強く頷き、時計の針が開店時刻を指し―
決戦の日が、幕を開けた。


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