第4話「なななな(前編)」

日曜日の昼下がり。ピークの時間帯が過ぎ、客足が途絶えたのを見計らった僕は、
「休憩、入らせてもらうよ〜」と、疲れた声で凛に言うと休憩室兼更衣室へと向かった。
数日前、このレストラン『Bird Nest』はやっと営業再開にこぎつける事が出来た。
ちなみに名前の由来はこの町の名前『小鳥遊』だからと、父が『遊びつかれた小鳥が羽を休める場所』という思いを込めてつけたらしい。
客足も好調で、順調なスタートを切る事が出来た。というか、順調すぎるくらい。
ウェイトレスとして入ってくれた凛がいなかったら、今頃どうなっていた事か。
彼女は教えた仕事を(とはいっても僕らも素人同然だったわけだけど)短時間で覚えると、
フロアを取り仕切れるまでになった。元々才能があったのかもしれない。
今では立派なチーフウェイトレスだ。まあ、ウェイトレスはまだ彼女1人しか居ない訳だけど。
無愛想な彼女の接客が客に悪印象を与えるのではないか?と言う懸念も杞憂に終わった。元来生真面目で優しい性格なんだろう。
丁寧な接客態度と気配りの行き届いた細やかなサービスですっかり客の心を掴んでしまった。
今では『クールビューティーなウェイトレス』と町でも評判らしい。
「結構拾い物だったかもしれないな…」
と僕はバックヤード(厨房とフロアの中間に在る、出来上がった料理のセッティング等様々な細かい作業をする場所の事)から、
彼女を見やりそう呟いた僕に、
「何ウェイトレス見てニヤついてんのよ、気持ち悪い」と、厨房の方から僕へと投げかけられる刺々しい声。
振り向くと、厨房から顔を出している女性が。胸まである長い髪をポニーテールにしている彼女は、ウチのシェフの六華だ。
「六華。僕は別にニヤついてなんか…」僕は抗議するが、
「はン、言い訳したって無駄なんだからね。さっきから彼女の方を見てやらしそうにニヤニヤニヤニヤ」
「確かに綺麗な子だとは思うけどさ…ふぅん、ブンってあんなのがタイプなんだ」と、不機嫌なのを隠そうともせず彼女はさらに言った。
「何がヤラシイだよ…僕はただ、優秀なウェイトレスが入って良かったな。と思ってただけさ」
「それに、彼女は僕のタイプじゃないよ」それを聞いた六華は、何故か安堵しているように見えた。まあ、僕の気の所為だろうけど。
「まあ、8ツも歳が離れてる学生の子に手を出したら、流石に犯罪チックよね」と、苦笑しながら言う六華の言葉に、
「むぅ…」何故か厨房の奥で皿を洗っていた剛が呻き声を上げた。

「どうしたんだ剛?」
「何かあったの?ゴウ」
「いや…皿を落としそうになっただけだ。何でもない」剛の言葉に、僕らは元の会話に戻る。
「別に年齢は関係ないよ…ただ彼女あんなじゃない?気を使いそうでさ」
「そ、そうなんだ」
「もっと気兼ねなく付き合える子のほうが良いよ…そういう意味では六華の方が僕のタイプって事になるのかな」
「ちょ、ちょっとブンイキナリ何言ってんのよ!?脳にカビでも生えた?」と、顔を真っ赤にしながら、六華。
「冗談だよ六華。そんな本気にとらないでくれよ」
「幾ら僕だって仕事中、しかも真昼間に女を口説くほどバカじゃないよ」
「じょ、冗談なんだ…ふ、ふん!全っ然面白くないわ。ジョークの才能ないんじゃない?」
「そ、それにね?アンタにそんな事言われたって嬉しくも何ともないし」
「そりゃそうだろうなぁ…それじゃ、着替えたら適当に外で何か食べてくるから、後ヨロシク」
「…なんで外で食べるのよ。私の賄いがお気に召さないってワケ?」
「疲れてるのかい?なんか今日は嫌に絡むなぁ…別に君の料理にケチ付ける気なんて無いってば」
「ただでさえ今日君は忙しくてクタクタなのに、僕の分の食事まで作らせるわけにはいかないよ」
「従業員に要らぬ負担をかけないようにするのも、店長の務めってね」
「特に、君はもう欠かせない存在なんだ。君がいなきゃダメなんだ」
「そ、そうなの?」上目遣いで聞いてくる六華。中々に可愛らしい仕草だった。
「当たり前じゃないか。君のいない状態なんて、もう考えられないよ」
だってそうだろう?彼女以外は誰も料理なんて作れないし、彼女の料理の腕はウチの売りの1つだから。
「へ、へぇ…そう…ま、まあそういう事ならいいんだけど、さ…」何故か嬉しそうな六華。
「分かってくれたなら何よりさ。それじゃ休憩入ります、っと」僕はそう言い残し、更衣室へと向かおうとしたが、
「…文、お前実は全部分かってて言ってないか?」と、剛が声をかけてきた。
「ん?何が?」
「…いや。何でもない。ひき止めて悪かった」剛は深い溜息をつくと、厨房へと戻っていった。
「なんなんだろうなぁ…?」僕は首を傾げながらも更衣室へと入った。その直後、
何か歓声の様な声と何か跳ね回るような音、ついでに何かがぶつかったような鈍い音も聞こえたが、気にしないでおく事にした。

着替えを終え、外に出ようとフロアに出たその時だった。
客の1人だろうか、席から立ち上がり、そろそろと足音を立てないよう、出口の方に向かっている。
キャスケットを深くかぶった小柄な人影だった。
机を見ると、伝票がまだ残っている、にもかかわらずレジにも行かず出口へと向かっているという事は―
タイミングの悪い事に、凛は別の客の清算でレジに立っている為に気づいていない。
いや、僕の予想が正しければ、このタイミングを見計らっていたことになる。
(食い逃げ…だよなぁ)僕は怒りを覚えるより先にやるせない気分になる。
このまま捕まえようとしても確実に捕まえられるとは限らない。僕は踵を返し事務所に行くと裏口から外に出た。
「へへん、チョロイッスね…♪」と小声で言いながらレストランを出る人影。
そしてレストランのドアが完全に閉まると確認し、駆け足しで走り出そうとした人影の前に、
「てい」僕は足を突き出した。
「のわぁぁぁっ!?」ベチャ。僕の足に躓き、スッ転ぶ人影。うわ、モロ顔面から行ったよ。痛そう。
「イキナリ何するッスか!?」即座に起き上がり抗議する人影。その声は、少女のそれだった。
「それはこっちの台詞だよ、食い逃げ犯君?」
「な、イキナリ人を犯罪者扱いするなんて、いい度胸ッスね!証拠でもあるッスか?」
「僕、ここの店長」僕は背後に建っているレストランを親指で指し示した。
「…マジっすか?」
「マジだよ、大マジ。本気と書いてマジ。さっきまで店内にいたよ。一部始終、見させてもらった」それを聞いた少女は、
「…くっ!こうなったら…逃げるが勝ちッス!」そう言い捨てると、全速力で走り出した。
「待つんだ!」僕は彼女に向かって叫び、慌てて後を追う。
「はあ?アホッスかアンタは。待てといわれて待つバカはいないッスよ〜♪」
「いやそうじゃなくて…!」彼女の足は思いのほか速く、追いつけそうに無かったが、そんな事は問題じゃなかった。
「うるさいッス!しつこい男は嫌われ」そこまで言ったところで、
ドガン!向こう側から走ってきた自転車に、彼女は思い切り跳ね飛ばされた。
「ああもう…言わんこっちゃ無い…」僕は放物線を描きながら吹き飛ぶ少女を見やり、1人ごちた。

「う…ん…」小さな呻き声を上げ、眼を覚ました少女に、
「お目覚めかい?」と、僕が声をかけた刹那、彼女は勢い良く身を起こすと、
「こ、ここは何処ッスか!?」と彼女はキョロキョロと辺りを見回しながらそう言った。
「僕の店の更衣室。君が寝てるのはそこに在る長椅子だよ」
「あれから君を医者に連れて行った。幸い軽い打撲と脳震盪と擦り傷で済んでた。君なんでそんなにタフなの?」
「んなもん知るかッス」
「そりゃそうか。まあその後自転車に乗ってる人に平謝りされて、とりあえず治療費だけ出してもらって」
「後は気を失ってる君を連れてここまでやって来たってワケ」
「全然起きる気配が無かったんだもんな。まあ、閉店時間を過ぎてから起きてくれて返って良かったけど」
「もし営業時間中に起きられたら、君の相手所じゃなかったからね。大分待たせる事になっただろうね」
閉店時間とは言うものの、まだ窓の外は明るい。人手が少ない為、客の入りの少ない午後4〜6時の間は、一旦店を閉めているからだ。
「…一体何のつもりッスか?さっさと警察にでも連れて行けばいいじゃないッスか」
「いやあ、一応話を聞いてからと思ってさ」
「ほら、テレビでもスーパとかで万引きがばれて『ちょっと事務所で話を聞こうか』っての、よく在るじゃない?」
「…テメーなんぞに話す舌なんて持ってないッス。…目次剣を工事するッス!」
「…黙秘権を行使する?」
「そ、そうッス!そのもく…なんとかッス」
「…知らない言葉を無理して使うもんじゃ無いよ…バカがばれるよ?」
「余計なお世話ッス!っつーかバカって言ったほうがバカっス!」その言動が既にバカ丸出しだって事に気づいて欲しいんだけどなぁ。
「とにかく!自分は絶対何も言わないッス!お口チャックって奴ッス!」
「はっはっは。何を言ってるんだい?悪人に人権なんか在るわけ無いじゃあないか」
「後これはお願いじゃなくて、命令だから。だから直ちに話す即座に話す今すぐ話すああもう苛々するからからさっさと話せバカ」
「なんか無茶苦茶な事言ってるッスコイツー!」天を仰ぎ悲鳴じみた声を上げる少女に、
「そりゃしょうがないわよ、ブンだもん」
「そうだな、文だからな」そう言いながら、六華と剛が更衣室に入って来た。

「…君らが僕をどう思っているのか非っ常〜に気になる所ではあるけども」そう言うと僕は少女に向き直り、
「とりあえず名前だけでも聞かせてもらえないかな?今のままじゃ何と呼んでいいのかも分からない」
「…まあ、名前だけなら………………ッス」
「ん?よく聞こえないんだけど」
「奈那ッス。七々名 奈那(ななななな なな)!」半ば自棄っぱちになりながら、彼女は大声で名乗った。
「…そりゃまた、個性的な名前だね」
「言葉を選ばなくてもいいッス!ヘンテコな名前だってのは自覚してるッス」
「確かにそんな名前あんまり聞かないけど、別に変な名前じゃないと思うよ。いい名前じゃないか」
「ふ、ふん…下手なお世辞ッスね…機嫌をとって喋らせようったってそうは行かないッス」
その言葉とは裏腹に、その顔からはは喜色を隠しきれていない様だったが。
根が正直というか、感情表現が豊かというか。まあ要は嘘の下手な子なんだろうな。
「あ、そうか、その手があったか」ポン、と手をつき、思い出したように言う僕。実際、そんな事まで考えてなかった。
「…バカなのはどっちッスか」小さく溜息をつく奈那。
「君」何の迷いも無く、僕は即答した。
「うああああコイツムカツクッス凄いムカツクッスー!」眉を吊り上げ、奈那は激昂した。
「まあまあ、落ち着いて」
「怒らせた元凶に言われたって落ち着けるワケ無いッス!…そこのお2人さん、コイツ殴ってもいいッスよね?」その言葉に、
「ダメに決まってるじゃない」と、六華が反論した。
「六華!」やっぱり持つべき者は友人だなぁ。
「コイツは私専用のサンドバッグだから、無闇に殴っちゃダメよ。殴打申請書か撲殺届を書いてからでないとね」
「いつの間にそんな裏設定が出来たんだ六華!?っていうか何その物騒極まりない書類!?」
「今作ったに決まっているだろう。六華はそういう女だ。忘れたか文?」
「ああ、そう言えばそうか」剛の言葉に納得する僕。そう言えば彼女の理不尽さは今に始まった事じゃないし。
「…冗談のつもりだったんだけど、本当にサンドバッグになりたい?」と、般若のような顔で睨む六華から目を逸らすと、
「とにかく、だ。保護者に連絡しなきゃいけない。家の番号か保護者の携帯の番号を教えるんだ」

「…保護者なんて、居ないッスよ」
「そんなわけ無いだろう。悪いようには出来るだけしない様にするから。話してくれないか?」
「本当に居ないんス…自分、孤児ッスから」
「…それは、悪い事聞いちゃったね」
「別にいいッスよ。ほら、そういう事ならさっさと警察にでも連れて行けば―」
「孤児院『小鳥達の家』…そこに連絡すれば良いと思いますよ。彼女は、そこ出身ですから」と言いながら凛が更衣室に入ってきた。
『小鳥達の家』…ね。このレストランの名前が『Bird Nest(鳥の巣)』である事を考えると、奇妙な縁だな。
「…止めるッス!そこはもう自分とは関係無いッス!っていうか何でそんな事分かるんスか!?」動揺を隠し切れない奈那の言葉に、
「それは簡単ですよ。学校のボランティア行事の一環で、私はそこに奉仕活動に行った事があるんです」
「そこで、貴方の顔を見た覚えがあるんですよ…私、記憶力には自信があるんです」
「そ、それでも、自分は1年前にあそこを出た身ッス!」
「そこに連絡するのだけはやめて欲しいッス…あそこに迷惑を…かけたくないんス」
「ダメだよ。僕はそこに連絡する」僕の容赦の無い言葉に、雷に打たれたかのように硬直する奈那。
「酷い奴だと思うかい?でも僕は間違った事をしているとは思っていないよ」
「この事態を招いたのは君だ。罪を犯したのは君なんだ」
「迷惑をかけたくない?ならなんでこんな事をしたんだ?」
「悪い事をするって事は、人様に迷惑をかける事だ。君が何も言わなければ、大切な人たちが迷惑しないとでも思ってたのかい?」
「そんな事、有り得ないんだよ。君は、自分のしでかした事に責任を取るべきだ」
「だから、今からその孤児院に行こう。六華、草薙君でも剛でもいい。連絡しておいてくれ」
「………………………」沈黙したままうなだれる奈那に僕は、
「さっきはあんな風に言っちゃったけど…大丈夫、悪いようにはしないから」そう言いながら僕が微笑みかけ、手を差し伸べると、
奈那は、無言で僕の手を取った。その瞬間なにやら六華の顔が険しくなったが、どう言う事だったんだろう?

―幕間―

「…手、暖かいッスね」孤児院に向かって歩きながら、奈那は呟いた。
「…そうかい?」文は彼女の方を向き、答えた。
「父親に手をつながれる感覚って、こんな感じなんスかね…」
「…どうだろうね」文は困ったような顔になる。
「…ま、わかるワケないッスけどね…」
「…もう、覚悟できたッス。責任を取れって言うんなら、とってやるッス」
「迷惑かけたし、孤児院の皆に精一杯謝ることにするッス」
「…そうかい」文は微笑み、それだけ答えた。
奈那は自分に問いかける。
なぜ、こんな気になったのだろう。
なぜ、自分はこの男に言われるがまま、手を繋ぎ歩いているのだろうか?
なぜ、逃げようと思えば幾らでも逃げられそうなのに、逃げる気が起きないのだろうか?
あまつさえ、『責任を取って謝る』なんて口走ってしまったのだろうか?
でも、おぼろげながら、理由はわかる。
『大丈夫、悪いようにはしないから』その彼の台詞が、嘘だとは到底思えなかったから。
自分の手を優しく握る手の暖かさが、顔も知らない父親のものの様に思えたから。
そして、自分に微笑む彼の顔を見ていると、彼に全て任せてみようと、運命を預けてみようと、そう何故か思えてしまうから。
彼と一緒に歩いていると、心が安らいでいる自分が居た。
でも、それに反して、鼓動は早まり、胸は熱くなる。
彼女は、七々名 奈那は、まだ山田 文という男に惹かれている事に、気づいていない。


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