その9

『冗談じゃないわよ。答えられないくせに、私にも良い所があるなんて、よくそんな事言
えたもんよね』
 何かもう、あったま来て、私は思わず、足でゲシゲシとタカシの足を蹴り始めた。
「イテッ!! 止めろって、コラ!!」
 そう言いながら、タカシは慌てて体を後ろにずらして足の届かない位置まで動いた。八
つ当たりの対象が逃げたので、私はもう一度、タカシを睨みつけて文句を言った。
『フンだ。タカシのバカ!! 調子の良い事ばかり言って…… もう、知らないっ!!』
 自棄になってビールを呷ると、私はダン、と叩きつけるように、タカシの前にグラスを置いた。
『ほら、注ぎなさいよ』
 偉そうに私が命令すると、やれやれといった感じでため息をついて、タカシは新しいビ
ールを開けた。またしても上手に注ぐと、私に手渡ししてくれる。
「ほれ」
 私はそれを一気に半分以上飲み干した。プハァッ!!と、息を吐くと、タカシをジロリ
と睨み付け、またダラダラと悪口を言い続けた。
『バカ、アホ、お調子者、適当こいてんじゃないわよ。ったく……』
 タカシは、蹴られた脛を手でさすりながら、逆に私をジロリ、と睨み付ける。
「おー、イテ。マジで蹴りやがって…… 酔ってんのか?」
『酔うわけないでしょ。この程度のお酒で。そんなに強いとは思ってないけど、いくらな
んでもたかがビール3、4杯で酔っ払いほど弱くもないわよ』
 そう言いながら、私は泉美さんが持ってきてくれた料理をひょいひょいと食べ、ビール
を飲み干す。タカシの作ってくれた物はもうほとんど食べ尽くしてしまったから、確かに
二人でお酒を酌み交わすにはちょっと足りなかった。泉美さんに感謝だ。
「なあ? かなみ」
 と、タカシが今度は、真面目な顔で私に声を掛けて来た。私は不機嫌な声で返事をする。
『何よ』
「じゃあ今度は、俺から聞くけどさ。お前から見て……俺の良い所って、どこだと思う?」
『は?』
 唐突に聞かれて、私は思わず聞き返した。
『……何でそんなこと、あたしが言わなくちゃいけないわけ?』

「いいから。お前だって聞いてきたんだから、俺が聞いたっていいだろ?」
 それは道理だが、まともに返事一つ出来なかったくせに聞き返すなんてどういうつもり
だろう、と私は物凄く不満だった。だから思いつく限りの悪口を言ってやることにした。
『そ、そんなの……アンタの良い所なんてひとっつもある訳ないわよ。バカでアホでいい
加減で不真面目で思いつきで行動するし、他人の事なんてまるで考えないし』
「じゃあさ。そんなダメな奴と、何でかなみは20年近くも友達付き合いしてきたんだ?」
 そう聞かれると答えようも無く、私はうっ、と言葉に詰まる。
『そ、そんなの……幼馴染だからじゃない。もし中学や高校で出会ってたら、アンタなん
て第一印象で毛嫌いして、そのまま声も掛けずに終わってたわよ』
「そうかな?」
 と、タカシが聞くので、
『そうよ』
 と言い返した。するとタカシは真正面から私を見つめて言った。
「けど、今時幼馴染ったって、小学校卒業すればバイバイじゃね? ましてや男と女なん
だし、俺らだって一時期疎遠になったじゃん。なのに、結局社会に出てもまだこうして
しゃべってるってのは、どっかしらか、いい面があるからなんじゃないか?」
『えっ!? えと……そ、そんな事自分で言わないわよ、普通。アンタ、ちょっとおかし
いんじゃないの?』
「いや。そりゃ俺だって自分でそんな事言うのはちょっと抵抗あるけどさ。けど、まあそ
の……いくらただの幼馴染だからって、嫌いな奴の所に遊びに来たりはしないだろ?」
『そ、そりゃあそうよ。べ、別に好きって訳でも無いけどさ。けど……まあ、その……少
なくとも宿を貸してもらおうって気になるだけの価値はあるって事だと思うけど……』
 自分で抵抗あるとか言っておきながら、タカシは平気な顔で淡々と話しをする。それを
聞くこっちは恥ずかしくて、返す言葉も情けないほどにしどろもどろだってのに。
「ってことは、最低限そう出来るくらいのいいところがあると、かなみに思われてるって
思って……いいんだよな?」
『う……ま、まあね。自分でもどこがいいんだかは良く分かんないけど、別にアンタの
言ってる事が間違ってる訳でもないから、きっとそうだと思うわ。つーか、そういう事にしとく』

 渋々、私は同意した。いや。同意したフリをした、と言った方がいいだろう。何故なら
私は嘘を付いているから。タカシの良い所なんて、本当は並べ立てればキリがないくらい
知ってる。もちろん欠点もだけど、それを補って余りあるくらいに。もっとも、だからこ
そタカシに良く分からないなんて言われて腹を立てたりもしたんだけど。
「まあ、それと同じような物だと思ってくれよ。いや。俺はかなみの良い所いろいろと知っ
てるけどさ。けど、それが泉美さんと比べて良いかどうかってのははっきり言ってわかん
ね。つーか、具体的に挙げると逆に分かんなくなるし。けど、確実にお前にだって良いと
ころはあるんだよ。泉美さんに無い良さが。まあ、直感的な物で悪いけどさ。こんなとこ
ろで勘弁してくれないかな」
 片手を拝むように上げて、タカシが許しを請うてくる。私は小さくため息をついて答えた。
『分かったわよ。納得はしてないけどね。ていうか、目に見えて泉美さんに勝てるところ
はあたしには無いけど、どこかに必ず良いところがあるはずだってんでしょ?』
「あー、いや、その……」
 タカシは口を濁したが、濁す事自体が肯定しているようなものだ。私はフン、と鼻で息
をつくと、半眼でタカシを睨みつけた。
『いいわよ、もう。どうせこれ以上追求したって何も出てきやしなさそうだし。でも、答
えられないような事なら軽々しく言わないでよね。かえって気分悪くなるだけだから』
 鋭い口調で文句を言うと、タカシは小さく謝った。
「スマン…………」
 それには答えず、私はちびりちびりとビールに口を付けながら苛立たしげに考えた。
 全く、タカシったらいい加減な事を言って。昔からそうだ。お調子者で口が軽くて……
でも、嘘つきではなかったから、多分何かを感じ取っていて、それをポロッと口に出しちゃっ
たんだろうけど……
 そこでふと、私は気付いた。もし、タカシが言えなかったんじゃなくて、敢えて言わな
かったんだとしたら……
 その考えに至った瞬間、私は胸の中のもやもやが少し晴れたような気がした。
 うん。そうだ。そうかも知れない。だって、私だって本当は、タカシの良い所をいっぱ
い知っているのにごまかしているんだもの。タカシだって……

 でも、タカシはそんな事をするだろうか?と、私は疑問に思う。タカシは私のような捻
くれ者じゃないし。ううん。言えない様な理由があるとか。例えば、その事を言ったら、
私への告白になっちゃう……とか?
 自分の妄想で、私は知らず体が熱くなる。タカシに告白されちゃったらどうしよう。全
部捨ててここに来い、とか……もし、そんな事言われたら、私……
「かなみ」
『へっ!? な…………何よ?』
 タカシの呼び声にいきなり妄想が中断された。思わず上げた声のトーンはおかしくて、
私は口を押さえる。その様子に、タカシが変な顔をして私を見つめた。
「何だよ、変な声出して。もしかして、また考え事に夢中になってたのか?」
『何よ。その、また、って。まるであたしがいつもボーッとしてるみたいじゃない』
 タカシの問いに不満気に抗議したが、タカシは頬杖を付き、疑い深そうに私を見つめた。
「だって、さっきも豆腐こぼすまで気付かなかったしさ。泉美さんと話してるときだって
俺に気付かなかったろ? 今日何度目だよ」
『それはその……しょうがないじゃない。泉美さんの時は話に夢中になってたし、それに
ご飯の時は、やっぱその、疲れてる上にお酒なんて飲んだから……』
 ややはっきりしない口調で、私は言い訳を言った。すると、タカシがふと、遠い目をし
て考え込みながら言った。
「そういや、お前って昔からよくボケーッとしてたよな。授業中とか、仲間内で話してる
時とかでもさ」
『そ、そんな事ないわよ』
「あったって。良く突っ込まれてたじゃん。友ちゃんとかにさ、授業中に先生に指されて
も気づいてなかったり、俺らと話ししてる最中なのに、全然別のこと考えてたりとかさ」
『う……け、けど、そんなの昔の話じゃない。今のとは関係ないわよ』
「いーや。人のクセってのはそうそう簡単には直らないもんさ」
 と、私の抗弁にも全く取り合わず、何だか楽しそうにタカシは言った。

 ふと、私は思った。そういえば、最近は全然そんな事ないな。というか、あの頃のよう
に、何の気兼ねもなく、心を許して話し合う事なんて無くなった。せいぜいが会社の同期
の子達くらい。でも、みんな部署も違って、会うのは年にほんの数回だ。友ちゃんとはも
う何年もあっていないなあ。どうしているんだろう。思い返してみると、あの頃――高校
の頃が一番楽しかったような気もする。傍にいつもタカシがいたし。
 いかんいかん。ここでボーッとしてたら、またタカシに突っ込まれる。私は慌てて会話
に頭を切り替えた。
『フンだ。偉そうに。あたしだってこれでも成長してるんだから。あの頃みたく子供じゃ
ないんだからね』
 すると、タカシは私から顔をそらし、フゥ、とため息をついた。
「そっか。そうだな…… あれから10年だもんな……」
『そうよ。10年も経つんだもん。変わらない方がおかしいわよ』
「けどさ」
 と、タカシは一旦言葉を区切ると、私の方を向いて言った。
「俺は今日、二年ぶりに会って思ったけどさ。ホントお前って、ちっとも変わらないよなって」
『何よその言い方。すっごいムカツクんだけど』
 私はタカシを睨みつけて文句を言った。こっちだって、一生懸命女に磨きを掛けている
と言うのに、そんな事を言われるのは心外だ。けれどタカシは、それには取り合わず、私
から目線を外すと、ボソッと付け加えた。
「まあ、その…… 俺は、いつまでもかなみには、変わらないでいて欲しいんだけどな。
その方が安心するし……」
『な、何よそれ。フォローのつもり?』
「いや。本心だ」
 そう言って、タカシはビールを飲み干す。私は、注いであげようと缶を持ち上げて気付いた。
『ね、ねえ。もう空っぽなんだけど』
「マジで? って、確かに……随分飲んだよな。気付かないうちに」
 潰れた缶ビールの空き缶が、お盆の上に何本も転がっている。しかし、私はまだ飲み足
りない気分だった。
『ね? もうビール、ないの?』
 タカシは頷いた。

「ああ。つーかお前、ボーッとなるほど酔ってんだったら、そろそろ酒は止めにした方が
いいんじゃないか?」
 しかし私は首を振った。まだ全然話したりないし、飲み足りない。こんなに心を許せる
気分でお酒を飲んだのは何年ぶりだろう。出来る事ならいつまででも、こうやってタカシ
と酒を酌み交わしていたい気分だった。
『まだ大丈夫よ。このくらい、酔ったうちに入らないって。それとも他のお酒も無いとか?』
「いや。焼酎があるけど。ただ、割るようなものなんて水しかないぞ」
『それでいいわよ。ほら、早く持ってきて』
 私が急かすと、タカシはよっ、と腰を浮かして台所へと消えていった。その姿を見送っ
てから、私は小さくため息をついた。
 難しいなあ。素直になるのって……
 泉美さんはあんな事言って私の不安を煽ったけど、今までタカシに対して素直に自分の
気持ちを打ち明けたり、褒めたりなんてしたことが無いような気がする。
 今更、急に態度を変えたりしたら、却っておかしく思われるだろう。ましてやお酒を飲
んでる今だ。酔いすぎだから寝ろ、とか言われたら目も当てられない。
 まあ、なるようになるか、と私は思い直した。無理する必要なんて無い。今日はほんの
少し……少しだけ、素直になろう。そうすれば、次もまたここに来れる。


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