・ ツンデレ妹と台風の夜(その3)

――ハァ……何で上手く行かないのかな……
 湯船に浸かり、ようやく気持ちが落ち着くと、私は冷静に考えた。
――コロッケをあんなに作ったのだって……私の手料理を、お腹いっぱい食べて貰いたい
なって考えながら作ってたら、つい数を多くしちゃっただけなのに……
 私が悪いのだろうか? 自問自答してみると、確かにそうとも言える。あんな風にケン
カ腰な態度に出なければ、楽しい夕食を過ごせたのではないだろうか?
――ううん。私ばかりじゃないわよ。
 私は小さく首を振った。
――お兄ちゃんだって、鈍感だし……私の気持ちなんてちっとも気付いてくれないし……
それでいて、悪気の一欠けらもないんだもの。だから……
 だけど、そんな事はずっと分かっていたはずだ。兄妹なんだもの。毎日接しているんだ
から、兄の人となりは良く分かっているし、そういう所も全部ひっくるめて愛してしまっ
たのだから。
 その時、ガタガタと風呂の窓が揺れ、私はビクッと体を揺らした。どことなく、得も知
れぬような不安が私を襲う。
『……出よ』
 ザバッと音を立てて、私は立ち上がった。何だか、また雨と風が強くなったようだ。ニュ
ースだと、台風は直撃のコースに乗ったらしい。という事は、ますます酷くなるという事
だ。こんな夜は洗い物を済ませたらさっさと寝てしまおう。朝になれば台風もきっと過ぎ
去っている。
『せっかく……二人だけの夜なのに……』
 兄との距離を縮めるいい機会だったはずが、逆に喧嘩をして――ううん。私一人が勝手
に怒って遠ざけてしまった。
――スレッドで、相談してみるか。
 そう思った時、私はふと、携帯の事が気になった。そういえば、どこに置いたっけ。そ
して、リビングのソファにそのままほったらかしにして来た事を思い出した。
――確か……お兄ちゃんが帰ってきたから、慌ててて……
 フッと、不安になった。もしかして、あのページを開きっぱなしにしたままだったかも
しれない。兄が帰ってくるまでずっと携帯を見ていて、びしょ濡れになって帰ってきたから。

 マズイ。
 あのページを、万が一にも兄に見られたらおしまいだ。急いでパジャマを着ると、私は
リビングへとまっしぐらに向かった。
 慌しくリビングに入ってきた私を、少し驚いた顔で兄が見た。私は兄を無視し、携帯を
探す。
『お兄ちゃん。私の携帯、知らない?』
「え、ああ。それか?」
 顎でソファーの方をしゃくって指した。兄の視線の先を追うと、私の携帯がソファに転
がっているのが見える。
――良かった……そのままだ……
 私は携帯を取った。カパッと携帯を開くと、開きっ放しのネットの画面が映る。全く、
こんなページを開いたままでほったらかしておくなんて、不注意にも程がある。ましてや
家族が一番出入りするリビングでなんて。気をつけないと。
――ううん。違う。そうじゃない……
 何か違和感を感じて私は、ふと兄の帰宅する直前の事を思い返した。確かに兄が帰って
くるまで携帯で掲示板を見ていたが、確か、私は兄に電話しようと電話帳を開いて、それ
からメニュー画面に戻したはず。なのに、今、画面に映っているのは掲示板だ。
 サッと全身から血の気が引いた。。私はパッっと兄を見つめた。
『お兄ちゃん!!』
 自分でも思いもかけぬ程の大声で、私は兄を呼んだ。兄はビクッと肩を揺らしてから、
私の方を見上げる。
「な、何だよ。こんな近くで大声で呼ぶなよな」
 しかし、そんな兄を睨み付けて、私は聞いた。
『お兄ちゃん…… 私の携帯の……中。見たでしょ……?』
 震える声で私は聞いた。その言葉に、兄が即座に顔色を変えたように見えた。その瞬間、
私は確信した。
『見たのね……?』
 兄は嘘を付くのが下手だ。クールに装っても、表情からすぐに読み取れてしまうのだ。
「いや、その……まあ……」
 口ごもる兄に、私は一気に怒りをぶつけた。

『何で……何でそんな事するのよ!! 人の携帯覗き見するなんて最低!!』
「ちょ、ちょっと待て。その……お前、最近携帯変えたじゃん。それでちょっと、どんな
のか見てみたかったんだけどさ。覗き見するつもりじゃなかったんだよ。だけど、ちょっ
といじったらネットの履歴が出て、それで2ちゃんのスレだったから、ちょっと興味が湧
いて、つい……」
 言い訳がましい答えをする兄に、私の怒りは激しさを増した。
『ついじゃないでしょ!! つい、じゃ!! 私がどんなページ見ようがお兄ちゃんがそ
れを覗き見する権利なんて無いわよ!!』
「んー、まあ、ちょっとした出来心っつーか…… だけど、2ちゃん見ただけでそこまで
怒らなくていいじゃんか。別にメールの中身とかチェックした訳じゃないし」
『そんなの分からないわよ。そもそも何を見たかなんて関係ないわよ。人の携帯を勝手に
覗き見するその行為に怒ってるの!!』
 私の激しい口調に、いささか茫然自失気味だった兄の顔が初めて曇った。眉が不快そう
に寄る。
「そんなに嫌だったら、無用心に携帯をほったらかしておくなよ。こんな所に置きっ放し
になってたら、誰かにいじられたってしょうがないだろ」
『私が悪いって言うの!! 自分の事を棚に上げて。最低!!』
 思っていた以上に大声で喚き散らした事に、私自身も驚いて、一瞬言葉が途切れる。兄
は驚いた目で私を見ていた。だけど、もう後には引けず、私は更に追い打ちを掛けて兄を
詰った。
『もういいわよ。馬鹿には何言っても聞かないって分かったから。覗き魔!! 変態!!
痴漢!!』
 そう捨て台詞を吐いて、私はリビングを飛び出した。兄が何か言う声が聞こえたが、構
わずに足音も荒く階段を一気に駆け上がると、自分の部屋に駆け込んだ。
 バタン!!と、大きな音を立ててドアを閉めるとそのままベッドに顔から突っ込む。
『あああああ!! もうっ!! 最悪…………』
 一人になると、発作的な怒りに取って代わって恥ずかしさが一気に込み上げて来た。
『何で……よりにもよってあんなスレを……』

 私が見ていたスレッドのタイトルは【兄に真剣に恋してしまいました】。1の書き込みは、
[お兄ちゃんの事が好きでたまりません。兄妹なのに、おかしいです。こんなの…… どう
したらいいでしょう……]というものだ。しかも、それは自分が立てたものだから始末に悪
い。もちろん、そこまでは兄が分かる筈も無い。けれど、そういう内容のスレに興味を持
ったと思われるだけでも恥ずかしいし、何より誰とは分からなくとも、連綿とコテトリ付
きで書き綴った自分の悩みを読まれたかと思うと、このまま世の中から消えていなくなり
たかった。
『もう……死にたいよ……』
 しばらく私は身動きも出来ず、ベッドに顔を埋めていた。
――お兄ちゃん……どんな風に思ったんだろう? 妹が、近親関係のスレに興味を持って
たなんて……
 私まで、おかしい子だなんて思われたりしないだろうか? さっきの兄の驚き戸惑った
顔が閉じた瞼の裏側に映し出される。
――あんな風に、取り乱したりしたら……いけなかったんだ……
 携帯を覗き見したのは兄が悪い。それは譲れない事実だ。だけど、私が非難出来るだろ
うか? そもそも私があの掲示板を知ったきっかけだって、兄がパソコンを付けっ放しで
部屋を出た時に、たまたま開いていたのを私が盗み見たからだ。やった事は同じ。パソコ
ンと携帯の差なんて問題ではない。兄を最低というなら私だって最低最悪の覗き魔だ。
 その時、窓の外がガタガタと激しく鳴った。
『きゃっ!?』
 私は小さく悲鳴を上げる。雨戸が風に激しく揺れた音だ。
『まだ……激しくなってる……』
 ニュースでは、本土上陸は早朝3時頃と言っていたような。と言う事は、これからます
ます雨も風も激しくなると言う事だ。私は、意識を外からそらそうとしたが、そうすると
また激しい自己嫌悪が襲ってくる。外に意識を向ければ、容赦ない雨と風の音、私を不安
にさせる。板ばさみにされた気分で私はそのままズルズルとベッドに体を預けた。
――そういえば……小さい頃は、よくお兄ちゃんが一緒にいてくれたっけ……
 台風を怖がる私を、しっかりと守ってくれた頼りがいのある兄。あの頃は、今よりずっ
と仲が良かったのに、今はあまり会話する事もない。いつから、どうしてこんな事になっ
たんだろう?

 その答えはすぐに浮かんだ。
――全部……私が悪いのよね……
 中学に上がったくらいから、急に兄と一緒にいるのが恥ずかしくなった。兄と仲良くす
るのが恥ずかしくて、自分から拒絶してしまったのだ。
――このまま……こうやって……どんどん、離れて行っちゃうのかな…… そんなの嫌……
もっと、仲良くしたいのに……でも、私はお兄ちゃんに辛く当たるばっかりで……どうし
たらいいの? どうしたら……?
 知らず知らず、私は涙を浮かべて嗚咽を上げていた。
 コンコン。
 静かに、部屋のドアがノックされる。
 私はビクッと体を揺らした。慌ててゴシゴシとパジャマで涙を拭う。今晩、家にいるの
は二人だけなのだから、ドアの外にいるのは兄以外有り得ない。せめてみっともないとこ
ろは見せないようにしないと。
 そう思って身支度を整えようとしたら、出し抜けにドアが開いた。


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